ぞくりと背筋を駆け抜けたその感覚は、既によく知っているものだった。
 マンダレイのテレパスが通るときの予兆。決して不快なものではない――はずだというのに、その時のそれが悪寒のように感じられたのは、ある種の胸騒ぎだったのだろうか。


「――え?」


 脳裏で捲し立てるように告げられた言葉を聞くや、それまで黙々と駆けていた南北が足を止めて、困惑したように片手を頭に添えた。全く同じ内容を聞いていた緑谷も慌ててブレーキを踏み、動揺も露わに少女を振り返る。

「今の……!?」
「……」

 そうする必要はないと分かってはいるものの、つい口を噤んで耳を澄ませた二人の頭の中に、その声はもう一度響き渡った。

『繰り返す――南北火照は、襲来したヴィランたちに命又は身柄・・・・・を狙われている可能性大!速やかに施設へ帰還を――!』

 明かりの一つもない暗い森の中を、洸汰が居るはずの“秘密基地”を目指して突っ切っていた二人は、突然齎されたその情報に混乱していた。ただでさえ予期せぬ襲撃に動揺しているというのに、狙われているのはどうやら自分らしい――一体なぜ。色々な可能性を思い浮かべてはみたものの、自分がわざわざ名指しで狙われる意味がわからない。
 困惑する少女の隣で緑谷は即座に決断した。狙われているという情報が本当なら、彼女は今すぐ引き返すべきだ。森の入り口に現れた二人のヴィランは、恐らくまだマンダレイと虎が釘付けにしてくれている筈。今いる地点から施設まではそう遠くもない、森を突っ切れば会敵前に先生達プロヒーローと合流できるかもしれない。

 ――が、すぐさま促そうと顔を上げた緑谷の視界の隅に、何かぼんやりと光るものがちらついて見えた。はっとして振り向いたその先、一寸先も満足に見通せない夜の森の奥の方に、その赤い光はあった。

「あれ……!」
「……」

 光源はほの赤く、不規則に揺れながら森の中を移動しているように見える。距離はそれ程開いていないらしい。指差した緑谷と共に、南北の顔にも緊張が走った。
 緊急事態とも言える状況下、肝試しのコースからも外れたこの一帯をあの緩慢さで移動している何者かがいるとすれば――それは自ずと襲撃者ヴィランである可能性が高くなる。

「……どうする?」
「……多分、もう気付かれてる」

 少女の問いに、緑谷は険しい顔で答えた。つい先程まではふらふらと宛てもなさげに移動していたその光は一度ぴたりと制止し、今度は迷いなく真っ直ぐにこちらへと近付いてくる。暗い森の中、微かとはいえ各々の“個性”から生じる光を纏いながら動いたのが仇になったのだろうか。
 とはいえ、味方である可能性もゼロではない――仲間を見つけて駆け寄ってきた生徒かもしれないし、洸汰が異変を察知して施設へ戻ろうとしているのかもしれない。一先ずはその姿を見極めようと、二人は油断なく身構えながらその人影を睨み据えた。
 やがて聞こえてきたのは――ぎし、と軋むような無機質な音。規則正しく、普通の足音と交互に鳴るその音を耳に入れるうちに、南北の顔が少しずつ強張り始める。
 ようやく会話できる程度の間合いに入った相手が、木々の上から刺す微かな月明かりに照らされて、夜闇にぼやけていたその姿をほのかに鮮明にした。どうやら赤く光っていたのはその片腕だったらしい。素肌に黒っぽいシャツを羽織った人影は、どうやら成人男性のようだった――の、だが。

「――……え?」

 困惑の声を漏らしたのは緑谷だった。その人物の風体に、面差しに、そして何より特徴的な義足に見覚えがあった。
 その昔、近所一帯ではちょっとした有名人だった男。何らかの事情・・・・・・から、家族と離れ何処かへ姿を消してしまった人。ヴィランとの戦闘で片足を失い、深い絶望を味わいながらも、家族のために前向きに生き続けた悲劇の元ヒーロー。

「“スミス・ザ・レッド”……!?」
「――あれ?君……出久くんか!?テレビで見た時も驚いたけど、やっぱり大きくなったなあ!」

 自作のノートにもしっかりと記録してあるその名を漏らすと、男は驚き目を丸くした後、酷く懐かしむようにぱっと顔を輝かせた。人好きのする優しい笑顔――記憶の中にある彼の姿と寸分違わぬその様子に、少年の頭はますます混乱してしまう。

(なんで、こんなところにこの人が――)

 何も知らない少年の脳裏では、目の前にいる人物と今の状況とがすぐには結び付かない。彼は傍らに立つ少女の父親――だが、再会したばかりの頃に“両親が離婚した”と言っていたし――いや、それ以前に。

 参加する生徒と教師、サポート役のプロヒーローしか知らないはずの合宿先。この状況でこの場所に部外者がいるとするならば、それは襲撃者ヴィランである可能性が極めて高い。

 つい先程、人影を目視した瞬間にも浮かんだはずの結論。けれどそれを肯定していいのか分からず、緑谷は動揺を隠せないまま隣の少女を盗み見る。

「――……」

 少女は、固まっていた。
 浅く腰を落として身構えた格好のまま、険しく歪めたまなこで一点を――笑う男の姿をじっと捉え続けている。不意に動いたその左手が、抑えきれぬ磁力こせいの光を漏らしながら微かに震える右手を押さえつけた。

“――たぶん暴走にはトリガー・・・・があるんだ”
“暴走が起こってるのはたまたまじゃなくて、何か特定のきっかけがあって“個性”の制御が乱れちゃうんじゃないかってこと――”

 愕然とする緑谷の脳裏に、かつて自ら立てた仮説がふと蘇る。今まさに彼女は“個性”を抑えきれず、その掌から溢れた力を持て余しているように見えた。
 ここ数日の特訓の間にも、暴れる“個性”の制御に四苦八苦している彼女の様子を緑谷は確かに目撃している。体育祭における最初の暴走、強化合宿における特訓、そしてまさに今この時――すべてに共通する切っ掛けトリガーが、あるとするならば。

“――全ッ然似てねえだろうが!”
“――別人だ・・・そのクソモブは!!適当な記憶でパニクって暴れてんじゃねえ!!”

 あの時客席から身を乗り出して叫んだ幼馴染の言葉。“触らないで”と取り乱していた彼女と相対していたのは――鋼鉄・・の体を持つ隣のクラスの男子。思えば合宿の出発前に二人は言葉を交わしていたし、特訓でペアを組むことになったのも何か意味があった筈だ。
 男はそんな彼女の面持ちをじっと見つめた後、不意にへらりと相好を崩した。穏やかかつ陽気に笑んだ目尻も、笑い混じりに紡がれる声音も、一見して緑谷の知るかつての彼と変わりなく――けれどその双眸は笑っていない。何か形容し難い気迫のようなものを宿した瞳だけが、人の良さそうな出立ちの中で酷く浮いているように見えてならなかった。

「そんな顔するなよ。随分探したんだぜ、火照……健磁くんより先に見つけられて本当によかった。母さんは元気かい?」
「デク」

 男の笑いを遮るように、少女が静かに口を開く。視線は目の前の男から決して逸らさぬまま、相変わらず強張りきった表情で、微かに震える喉が絞り出した言葉は端的なものだった。

「行って――狙い・・はわたしだ」

 男の言葉を聞いて、少女は多くを理解したようだった。彼女は既に確信・・している――自分より余程この状況を正確に把握し、受け入れている。

 ――なんで。
 
 まだ頭が理解を拒んでいた。状況は完全に整っている――そうなのだと、受け入れる他ないと言うのに。かつて突きつけられた幼馴染の言葉が脳裏に蘇り、今一度少年の胸を抉る。

“――知らねェなら黙っとけや……なァ、デク・・よぉ”

 ずっと心の隅に引っかかり続けていた。隣家の彼だけが知っている、自分にはついに知り得なかった何か・・。両親の離婚。彼女と、過酷な生い立ちを持つ轟との間にいつの間にか生まれていた不思議な絆。夏場でも決して肌を出そうとしない少女の出立ち。幼い緑谷が姿を消した元ヒーローの行き先について尋ねたとき、彼の母親が曖昧に言葉を濁して笑ったのを不意に思い出した。
 ひとつひとつは取るに足らぬ小さな違和感。けれど今、謎のヴィラン達による合宿襲撃の真っ最中、目の前に彼女の父親が立っている――その事実が糸となり、まるで数珠のように全てが結び合わさって。

(なんで――なんで今更、全部繋がる……!?)

 動揺。焦燥。後悔。
 胸中で怒涛のように渦巻くそれらに、少年の四肢は完全に硬直した。噴き出す汗の滴は冷たく、一瞬頭の中から全ての思考が吹き飛んで真っ白になった。
 次いで走馬灯のように駆け巡るのは、幼き日の何気ない思い出の数々。明るく、優しく、強く――けれど時折遠くを見ていた少女の瞳。幾度も自分を庇ってくれた小さな背中。痛い目に遭っても泣き言ひとつ漏らさずに、ただ“大丈夫”と笑ってみせたその笑顔。

 彼女は決して、責めようなどとは夢にも思わないだろう。けれど少年は自分を許せない。たった今脳裏で結び合わさったひとつの仮定、それが真実だとするならば。
 そんな彼女の境遇に少しも考え至らないままただその背に庇われ続けていたかつての自分は――あまりにも無知で、愚かで。

「……デク!」

 再度、焦れたように少女が声を張った。緊迫した声音を聞いて少年も我に返り、彼女を庇うように一歩前に出る。

「っ……いや、とにかくほたるちゃんは戻らなきゃダメだ!僕が気を引いてるうちに離脱して――」
「いいから……あんたは早く行って」
「でも……!」
「……あの子・・・を救けに行けるのは、あんただけなんだから」

 そう言うと、彼女はすうと大きく息を吸って吐き、己に喝を入れるようにわざと音を立てながら両手を合わせた。にわかに溢れ出ようとしていた“個性”はそれで打ち消され、それでもまだ隠しきれぬ憎悪を孕んだ少女の鋭い眼光が男の薄ら笑いを射る。囁くように発された声はもう震えてはいなかったものの、顔付きは依然固く強張ったままだった。

「こいつはわたしが引き付ける」
「……っ」
「あんたが無事に離脱したらすぐ撒いて施設に戻れるから。あの義足あしじゃわたしに追い付けない」

 彼女の言うことにも一理ある。歩く度に軋んだ音を立てるあの傷んだ義足では、磁力を用いて跳び回る南北を捉えることは難しいだろう。
 それに――洸汰の居場所を知っている人間は、やはり自分を置いて他には居ないのだ。こうして足を止めている間にも、幼い彼は得体の知れぬヴィランと接触する危険に晒され続けている。
 事態は一刻を争う。歯痒くとも、納得できずとも、これ以上の逡巡が許されるだけの余裕は最早無かった。緑谷の肩をそっと後ろへ引き戻し、拳を固く握り締めながら少女が前に出る。すうと息を吸う音に続いて聞こえてきたのはいつもの・・・・言葉。

「――大丈夫」

 数歩前に立つ彼女の表情は窺い知れない。固く握りしめたままのその拳は、もう震えてもいなかった。
 それでも。

(――嫌だ)

 置いていきたくないと、心の底から思った。
 独りで耐えることに慣れきってしまった、しっかりしているようでどこか不器用な幼馴染。
 もう全てを抱え込ませたりしない――隣に並んで支えるのだと、堅く心に誓ったというのに。

 少年が固まっていたのはほんの数秒のことだった。けれど少女はそんな彼の内心を見透かしたようにちらりと振り返り、困ったような笑みを浮かべて言う。

「期末の時と一緒でしょ」
「あの時とは……状況が……!」
「同じだよ……大丈夫」

 渋る緑谷から顔を背け、退屈そうな表情でこちらの話を待っているらしい男に向き直り、南北は再び拳を固めた。

「ここは任せて――わたしは、わたしにしかできないことをする。だからあんたは、あんたにしか救けられない人を救けてよ」

 少女の言葉は正しい。彼女も、そして自分も、使える体はひとつしかなく、その手が届く範囲にはどうしても限りがある。絶対無敵に思えたオールマイトでさえ、救けられずに取りこぼしてきた命が無数にあるのだと認めていた。
 どんなに思考を巡らせても、南北と洸汰、今すぐ二人ともの安全を確保する手立ては存在しない。悔しい。歯痒い。不甲斐ない。
 でも――彼女が歯を食いしばって顔を上げるなら。覚悟を決めてそこに立ちはだかるのなら。
 自分もそれに応えるしか、ない。

「…………絶対に、無茶はしないで!」

 そう念を押すことだけが、緑谷から彼女にできる精一杯だった。
 肩越しに振り返った少女は、一瞬困った風に視線を揺らした後――いつものように、眉を下げて笑っただけだった。


















「てめェ――」

 掻い摘んで説明を終えた傷だらけの緑谷に爆豪が詰め寄った。その只ならぬ様子に、慌てた障子が複製腕を伸ばして背に負った少年を庇う。

「爆豪!怪我人相手にあまり――」
「うるせぇ!!クソデク、てめェ……」

 覆うように広げられた複製椀を強引に押し退け、爆豪はぎょっとした様子の緑谷にずいと顔を寄せた。全身泥と痣に塗れたぼろぼろの彼を、燃えるような怒りを宿した赤い瞳が容赦なく射抜く。

置いてきた・・・・・んか、それで――あいつを、そこに」
「――……っ」
「“独りにしねェ”とかなんとか大口叩いといて、結局それかよ」
「爆豪――」
「……まァそうだわな。てめェなんぞにちっとでも――期待した・・・・俺が馬鹿だったわ」

 嗜めるように肩を掴んだ轟の手を乱暴に振り払い、最後にそんなことを吐き捨てて、爆豪はその視界から緑谷の姿を外した。いつも以上に隠しきれていない苛立ちを振り撒く彼の背を見ながら、緑谷はきつく唇を噛み締める。
 ――返す言葉も、ない。独りにしないと言ったのは自分。そして結局、独りにせざるを得なかったのもまた自分だった。

 発すべき言葉を見失い、その場にいる誰もが一瞬口を噤んだ。それぞれ焦燥と無力感を噛み締める少年たちの間に、氷のように張り詰めた空気が冷たく横たわっている。
 しかし――障子は、背中に回した腕で緑谷の体をしっかりと抱え直しながら、敢えてその沈黙を破った。

「あまり責めるな、爆豪。緑谷も南北も、その時取りうる最善の手を選んだということだろう」
「……」
「それに……誰よりも納得出来ていないのは、緑谷自身・・・・のはずだ」

 “どちらか選ばなきゃいけないなら――僕はどっちも救けたい!”

 そう言い切った彼だと知っているからこそ、選択の余地が少なく、諦めることを選ばざるを得なかった時の緑谷の無念たるや、察して余りあるものがある。結果南北は単独行動を取ることになり、勿論障子としてもその安否は心配でならないが――それでも緑谷の判断は正しかったのだと、そう思いたい。

 前髪から覗く鋭い瞳を真っ直ぐに向けて言い切る障子を、爆豪はちらりと振り返って睨みつけ、何も言わずに小さく鼻を鳴らした。
 それがきっかけになったのか、それまで息を呑んだまま成り行きを見守っていた常闇が口を開く。

「しかし……話を聞く限り、それぞれかなり離れた地点で、ほぼ同時に同じ男・・・と遭遇したとしか思えんな」
「……偽物、だろうな。誰の“個性”だか知らねェが――多分、南北と居る方が本物だ」

 苦々しい面持ちの轟が、少年達から少し離れた辺りの地面をちらりと見遣る。今は塵ひとつ残っていないが、確かにあそこで爆豪が熱鉄の男を下し、義足を踏み付けてその場に縫い留めていた筈だった。
 ――消えた・・・。男の行方について、爆豪は確かにそう言った。ならばこちらで戦ったのは何らかの手段で作られた偽物で、もう一方が本体だと考えるのが自然だ――あるいは、どちらも偽物という可能性も考えられなくはないが。

 そこでようやく、障子の背中で息を詰まらせていた緑谷が苦しげに声を絞り出す。

「……洸汰くんを保護した後、会敵した辺りの場所も見に行ったけど……少し草木が焦げたような跡があっただけで、大きな戦闘の痕跡はなかった」
「……ひとまず戦闘は免れたってことか」
「多分……途中で会った相澤先生にも、ほたるちゃんのことは報告してあるから……洸汰くんを安全な場所に送り届け次第、保護に動いてくれると……、思う」 
「なら、まずは爆豪だな」
「……あァ!?」
「――そうだ……!ヴィランの目的の一つがかっちゃんだって判明したんだ」
「爆豪……?命を狙われているのか?」

 突然名指しされて目を剥いた爆豪を他所に、立ち直った級友達はすぐさま彼を護送する段取りを組み始める。「広場は依然プッシーキャッツが――」「ヴィランの数わかんねえぞ」「障子くんの索敵能力がある!」などと、とんとん拍子に進んでく作戦会議の真ん中で、事の中心に居るはずの少年は暫し呆然と成り行きを見守りかけ――はたと我に返って声を張り上げた。

「……待てや!!狙われてんのはあいつ・・・も一緒だろが!!」
「――いや、わかってんだろ。南北が狙われてんのは私情・・だ」

 冷静に切り返したのは轟だった。
 無論、爆豪が言わんとしていることも――その心情も、それなりに理解しているつもりだ。だからこそ、明らかに冷静さを欠いている彼を説き伏せる義務が自分にはある。

「南北の件は恐らく父親の独断だろ。組織の本命は爆豪だってはっきり言ってやがったしな」
「僕が遭遇したヴィランも、かっちゃんを名指ししてただけで……ほたるちゃんのことには触れてなかった」
「向こうは寄ってたかって全力でおまえ一人をりに来る――俺らの中で一番危険に晒されてんのは爆豪おまえだ」
「ならばやはり……南北を探しに行くにしても、まずはここに居る爆豪を安全な場所へ送り届けねば」
「二兎を追う者は一兎をも得ず、か……」
「よし、じゃあ陣形を……索敵担当の障子くんが前、轟くんにその脇を固めてもらって、常闇くんには背後を――」

 緑谷の指揮の下、爆豪を取り囲むような形で皆が立ち位置を決める。ただ一人、守られる形で陣の真ん中に立たされた少年だけが――彼の感情だけが、ぽつんと取り残されたまま。
 二の句を継げぬまま珍しく固まっている彼に向けて、傍に寝かせてあった円場の体を背負い直しながら、轟は再び口を開いた。
 こんなこと、誰よりも頭の回る彼ならば言われずとも分かっていることだろう。けれど――分かっていても容易く切り替えられない、その気持ちが理解できるからこそ。

「狙われてる以上、おまえが下手に動くのは逆効果だ。下手すりゃ状況が悪化する……南北にとっても」

 誰かがはっきりと言葉にして言い聞かせてやらなければならない。
 何故かは分からないが、本能的に、そう思った。

爆豪おまえが無事施設に辿り着くこと――それ以上、こっちからしてやれることはねえ」

 見開かれた真紅の目が、一瞬だけ激情を滲ませながら轟を睨み――すぐに逸らされる。

「――うるっせェな、クソが」

 吐き捨てられた言葉は刺々しい苛立ちこそ孕んでいたが、それ以上のことはなく。
 如何にも渋々という体ではあるが、彼は前を見た。今の自分が進むべき――進むしかない、進路の先を。
 それを合図に皆が頷き合い、明かり一つ見えない木々の中へ続々と歩き出す。足元の草木を蹴散らし踏みしめながら、轟は内心独りごちた。
 ――歯痒いのは、こっちも同じだ。

(……どうも、胸騒ぎがしやがる)

 風向き・・・の悪さのようなものを肌で感じる。彼女が緑谷との約束通りに逃げ果せてくれていれば良いが、先程まで交戦していたヴィランの戦いぶり、こちらの能力や弱点を把握し、明確に行動に縛りを掛けてきたあれを思うに――果たして、敵方は大人しく退却を許してくれるような手合いだろうか。

(――……上手くやれよ、南北)

 保須の時のように駆けつけられたらどんなに良かっただろう。悔しさのようなものを胸に、轟は枝葉の隙間に覗く暗黒の空を見上げた。
 ガスと黒煙に汚されたその夜空の下の、どこかにいる筈の級友を思いながら――。














「……やっぱり」

 男が呟く。
 目蓋を伏せて、悲しげにすら見える表情で。

「そうするよな、おまえは。そういう子・・・・・だもんな」

 先程まで跳んだり走ったりしていたせいで乱れた呼吸を整えながら振り返った。男は嘆きながら一歩、また一歩と歩み寄ってくる。
 じれったい――誘導・・に、酷く時間が掛かってしまった。その分ヴィランの一人を釘付けに出来ていると思えば、それはそれで良いことなのかもしれないけれど。

 青い炎を背に、黙って男を睨めつける。
 かける言葉はない。そんなもの、わたしの方はとうの昔に捨ててしまった。けれど男は口を開き続ける。
 
「俺は……おまえのそういう所が」

 寂しそうに、悲しそうに――憎らしげに。

「ずっと――怖かった・・・・んだ、本当に」

 聞く耳持たないつもりだった。デクとの約束通り、適当に撒いて無視するつもりだった。
 けれど――相手にせざるを得ない状況に、上手いこと持ち込まれてしまった。

「……どういうつもりか知らないけど」

 ポケットの中から探り当てた物を取り出す。本当なら肝試しの時、脅かし役のタネに使うつもりで縮めたまま仕舞っていた捕縛布の塊――こんな形で使うつもりは無かったけれど、都合は良い。
 絶えず込めていた熱を解除すれば、縮れた黒い球がたちまち見慣れた細帯に変わる。いつもそうするように首の辺りに巻き付けたそれを構えながら男を睨み据えた。

「あんたと話すことなんかない」
「あるよ。俺にはある・・・・・んだ、火照……聞いてくれ」

 揺れる青い光に照らされて、男の顔は眩しいくらいによく見えた。
 だというのに、その表情が笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか――わたしには、判別がつかない。ぐちゃぐちゃに混じり合った顔で、歪に吊り上がった口角を動かして、男は言った。
 請うように、縋るように――言った。


「俺はおまえを――救けたいんだ」


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