息を切らせながらしゃがみ込む彼の横に立つと、焦りでいっぱいの余裕の無い目がわたしを見上げた。救け起こすつもりで手を差し出すと、まん丸の瞳は一転驚愕と羞恥に染まって、赤くなった顔を隠すように彼の手足がバタバタと動く。予想しなかった反応に面食らって、わたしはつい自分の顔を指差した。会うのは随分久しぶりだし、その間連絡もろくに取っていなかったわけだから、わからなくたって仕方ないのだけれど。

「イズ、イズってば。わたし。火照だよ火照。覚えてない?」
「へっ――えっ、ええ!?ほたるちゃんも雄英受けてたの!?」

 あんまり大きな声だったものだから、もう測り終わって次の種目に並んでいたみんなの視線がこちらに集まってくる。はっとしたように口を塞いだその腕を今度こそ取って引っ張り上げると、記憶の中ではうんと低かったはずの彼の目線が、わたしのそれより若干とはいえ高い位置にあるのがわかって、思わず「おお……」と複雑な声が漏れた。

「それこっちの台詞だよ。なんていうか、その……イズ、受かったんだね?」
「う、うん……なんとか」
「一般入試だよね?結構きつい試験だったのに、どうやって――」
「――君たち、一応授業中なのだぞ。内容と無関係な私語は極力慎みたまえ」

 わたしにとっては結構大事な質問だったというのに、規則正しく土を踏みしめる音と、厳しくも生真面目そうな声がそれを遮った。わたし達の前に立ちはだかって、指先までピンと伸びた両手をしゅぱしゅぱと奇妙に動かしながら注意してきたのは、既に次の種目の列に加わっていたはずの眼鏡の男子。つい先程、教室の机に足を載せていた爆豪あいつを注意していた屈強な人だが――名前がわからない。どう返していいものかわからず固まるわたしの心境を察したのか、彼はびしりと自分の胸に手を当てて言った。

「む、自己紹介が聞こえていなかったのか……俺は私立総明中学出身、飯田天哉だ。君は緑谷くんと面識があるのか?」
「あっ、飯田くん。ほたるちゃ――じゃない、えっと、赤槌あかつちさん!赤槌さんは僕の幼馴染の一人で、小学生の時に……」
「――赤槌?そんな名前の生徒、A組には居なかったはずだが……」

 わたしを指して紹介してくれたイズの言葉に飯田くんが怪訝そうに眉を顰めると、イズの方も「え」と口を半開きにしたままわたしを見る。そうか、知っているわけがないもんな。あの頃は言うだけの暇も余裕も無かったのだけれど、今なら大丈夫だ。何となくばつが悪くて後ろ頭をぽりぽり引っ掻きながら、戸惑うイズに向かってへらりと笑みを向けた。

「わたし、南北・・火照。親が離婚しちゃってさ、苗字変わったんだよね」
「え!?そ、そうだったんだ……ごめん、僕全然知らなくて」
「しょうがないじゃん、言わずに転校しちゃったし。もう再婚もしてるから気にしないで」

 事情が事情なだけに、離婚というのは当人や周りの大人たちにとって、そして子供だったわたしにとってもかなりデリケートな問題だった。それに何より爆豪あいつ。転校の二週間ほど前に、怖いもの知らずで負け無しのガキ大将とド派手な大喧嘩をやらかしてしまったせいで、クラスの友達も先生達も最後の方は遠巻きにわたしを見るばかり、ほとんど誰とも口を利かないまま去ることになってしまったし、そんな状況だったものだから唯一寂しがってくれたイズともなんだか気まずくて、結局詳しいことは何一つ明かさないままお別れになってしまったのだ。
 申し訳無さそうに俯くイズの頭をくしゃくしゃ撫でると、彼は照れ臭そうに視線を下げてますます縮こまってしまう。そういえば教室の前でも女の子に話しかけられて悶絶してたなあ、すっかり女子に免疫ない感じに育ってしまって。もう高校生なのにこんなんで大丈夫なのかな。老婆心を膨らませるわたしとがちがちに固まっているイズの肩を、徐に伸びてきた飯田くんの大きな手がそれぞれがっしりと掴んだ。

「雑談はそこまでだ。とにかく君たちも向こうに並びたまえ、後ろがつかえてしまうぞ!」
「飯田くーん、順番来てるよー!」
「あああしまった!すまない、すぐに行く!」

 そのままぐんぐん押されて次の種目――ハンドボール投げの列へと二人揃って押し込められ、飯田くんはふくらはぎに生えた筒から煙を吹き上げながら走り去ってしまう。列といっても順番通りという訳ではなく、どの子も適当に散らばって競技を見守っているだけのようだ。隣に立たされたイズの横顔を盗み見ると、早速ボールを投げ飛ばす飯田くんの姿を、やはり思い詰めたような面持ちで凝視している。無理もないことだった。このままだとイズは、入学初日から除籍・・されてしまう可能性があるのだから。

 ちらりと見遣った先で、それまで黙々と記録を取っていたはずの担任――相澤先生の虚ろな目と視線が合ったような気がして、思わず身動いだ。入学式もガイダンスもスキップして行われた初日のイベント、各々の“個性”を把握するための体力テスト。総合成績で最下位になったものは除籍処分にする、などというとんでもないことを言ってのけたのは他でもない彼だ。50m走と幅跳び以外大した記録も残せていないわたしもうかうかしてはいられないのだけれど、現状一番危険な立場にあるのは間違いなく、わたしの隣で青ざめた顔をしている幼馴染だろう。
 だって彼には、測定できるだけの“個性”そのものが、そもそも備わっていないはずなのだから。

「ねえイズ、……大丈夫?」
「……正直、大丈夫ではない、けど……」

 俯いたままの彼に恐る恐る問うと、焦燥に震えた声が返ってくる。つられて何だかわたしまで切羽詰まった気分になってしまって、飯田くんの次に投げた女の子の記録“∞m”に沸いた周囲の声ががんがんと頭に響いた。そうこうするうちに他のみんなも次々にボールを投げて、わたし達の順番がどんどん近付いてくる。最初にも投げていたけれどもう一度正式に測定するらしい爆豪あいつの「死ね!!」という掛け声を聞いた辺りで、イズは意を決したように拳を固く握り締めて、言った。

「でも、僕が今ここに立ててるのは、いろんな人に沢山助けてもらったからで……本当、奇跡みたいなものなんだ。だから……絶対、無駄にはできない」

 相澤先生の呼び声が掛かって、イズが円の中へと歩いていく。次はわたしだ。進む背中を不安な気持ちで見送りながらわたしも前の方へ出ると、視界の隅でそろそろ見慣れてきた明るい髪色がひょこりと動いた。上鳴くんがこっちに手招きをしている。

「南北さ、あの地味めのヤツと知り合い?」
「ちょっと、わたしの幼馴染に失礼なこと言わないでくれる?」
「あいつも幼馴染かー!だってよ切島!」
「へー!なあ、なんであいつあの凄え“個性”使わねーんだ?」

 わたしの抗議をガン無視した上鳴くんの横で、派手に逆立った赤毛の男の子が至極不思議そうに首を傾げた。どうやらイズがこれまで一度も“個性”を使っていないことに疑問を抱いたようだ。違うよ、使わないんじゃない。使いたくても使えないんだ。だってイズは――そこまで考えたところで、何かが頭の片隅に引っかかる。
 あの凄え・・・・個性・・”?
 「つか見ろよ、あいつなんか先生に怒られてね?」と肩を叩く上鳴くんの言葉は頭に入ってこないまま、固まったわたしに向かって赤毛の彼は重ねて問い掛けた。

「詳しいことは知らねえけど、あいつの“個性”って増強系なんだろ?あんだけのパワーがあるなら何でも大記録出せそうなのに……」
「……ごめん、ちょっと、なに言ってんの?」
「いや、俺見てたんだって!入試会場同じでさ!スゲーじゃんかあいつ、あのでっけえ0ポイントヴィランをパンチ一発で――」

 拳を振りながらどこか興奮気味の彼が言いかけたその時、周囲でどよめきが起こった。はっと顔を上げるとハンドボール投げ二投目、まさにイズの手からボールが離れようというその瞬間。ちかちか光る彼の指がボールを押し出した瞬間、それは凄まじい風圧を生み出しながら空の彼方へと飛んでいった。思わず開いた口が塞がらない。それは測定開始前、先生に言われて手本を見せた爆豪あいつのボールが描いた軌道と、よく似ているようにも見えて。
 「な!?言ったろ!?」と叫ぶ赤毛くんの声に応じることもできないまま、わたしは赤く腫れた指を握り込みながら脂汗を垂らして笑うイズの姿を呆然と見つめていた。まるでわたしが知っている彼とは別人のようなその有様に、目を逸らすこともできないままで。


















「“個性”あるんなら早く言ってよ!今までずっと隠してたの!?」
「ご、ごめん!」

 保健室前で待ち伏せること数分、出てきたイズに堪らず開口一番その言葉を浴びせかけると、声が大き過ぎたようで、中からこちらを覗いていた小柄なおばあちゃん――リカバリーガールが眉を顰めながら人差し指を口に当てるのが見えた。すみません。一旦口を閉ざして深呼吸、再度目の前のそばかす顔をきっと睨むと、イズは両手を合わせて詫びる。その右手の指には真新しい包帯が巻き付けられていた。

「……怪我、大丈夫?」
「あ、うん……リカバリーガールに治してもらったから、もうなんとも」
「そっか……で、どうなのよ。なにその“個性”」
「え、えっと、その……」

 しとろもどろのイズには申し訳ないのだけれど、むくむくと湧き上がってくる怒りはちっとも萎んでくれそうにない。
 一般的に、“個性”の発現は遅くとも四歳までに起こると言われているし、わたしも初めて発現したのは幼稚園に通っていた頃だった。イズはなかなか“個性”が出なくて、病院で調べてもらった結果、いまどき珍しい先天的な“無個性”だと診断された――のだと、少なくともわたしは聞きかじっていたのだけれど。さっきのボール投げで見た超パワー、あれは赤毛の切島くんが言う通り、間違いなく筋力増強系のとんでもない“個性”だ。途中転校で離れてしまったとはいえ、子供の頃は大の仲良しでずーっと一緒に遊んでいたっていうのに、隠していたんだとしたらあまりにも水くさい。そして何より、イズが“無個性”を理由にこっぴどく虐められて苦しんでいたあの期間はなんだったんだと――たまらなく遣る瀬無いのだ。

「お、お母さんも驚いてたんだけど!これはその、大きくなってから奇跡的に発現したというか何というか、突然変異的なアレで……!」

 玄関に向かって歩きながら、イズはわたわたと忙しなく視線を泳がせてそう口走った。冷や汗をだらだら流す彼の横顔を見ていると、つい眉間に皺が寄る。
 “奇跡的に発現”。まあ、そうなんだろう。そうとしか説明ができないし、他にどんな理由があるんだと言われればわたしにも想像さえできないし。けれど一つ、目の前でぱたぱた両手を動かすイズが、わたしに何か嘘をついているらしいということだけはよくわかった。いくら正直で嘘が吐けないタイプだからって、あまりにも顔に出過ぎている。むくれながら「よかったね」とだけ呟くと、イズは気まずそうに頭の後ろを掻いて、力なく微笑んだ。

「うん、お陰で夢だった雄英高校にも入学できたし、何とか除籍も免れたし……」
「……体力テストごときで指折っちゃって、何がよかった・・・・のさ」
「うぐ……」

 矛盾した言葉を吐いたのはわたしの方だというのに、イズ自身も思うところはあったようで、苦い顔で言葉を詰まらせてしまった。
 入試の実技会場が同じだったという切島くん曰く、超跳躍と超パンチで0ポイントの巨大ロボをぶっ飛ばしたイズは、反動で両足と右手がぼろぼろに砕けてしまっていたそうだ。その時もリカバリーガールの治癒で事なきを得たというのだけれど、今日の指骨折といい――使えば体が砕ける“個性”だなんて、そんなもの本当に喜んでいいものなのかわたしにはわからない。口を開けば嫌味っぽい言葉ばかりが出てしまう。結局“君らの最大限を引き出すための合理的虚偽”とかで除籍発言も嘘、誰一人消える事なく初日を終えられたというのに――ああいやだ、なんだってこんなに、動揺してしまっているんだろう。

「あ、あの、ほたるちゃ――」
「――緑谷くん!」

 玄関を出た辺りで、むくれっぱなしのわたしの様子を伺いながらイズが声をかけようとしたその時、聞き覚えのある大声が割り込んできた。きびきびと駆け寄ってきたのは飯田くんで、どうやらイズに一目置いているらしい彼は明るい声音であれこれと話しかけてくる。やがて「お二人さーん――あっ、女の子もいる!」とうららかな呼び声が響き、駆け寄ってきたハンドボール投げ∞m女子までが合流すると、もやもやの行き場もすっかり無くなってしまって。
 「駅まで?一緒に帰ろ!」と笑う彼女に頷きながら、わたしはまた昔のことをぼんやりと思い出していた。

“イズはわたしが守るよ”。

 飯田くんに話しかけられて嬉しそうにはにかむイズを横目に見遣れば、真っ白な包帯に包まれた指が目に入る。大きくなって、“個性”を手に入れていて、雄英にまで進学して――随分変わったところも多いけれど、やっぱりイズはイズだ。危なっかしくて、ちょっと頼りなくて、かわいい弟分。
 守らなきゃ。胸のわだかまりを無理やり底の方に押し込んで沈めながら、わたしは静かに拳を握りしめた。

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