「ぶへっ……げほ!」
「南北だいじょぶ?」
「ジャリジャリする……!!」
すぐ側に居るらしいミナちゃんの声を背に、口の中に思いっきり入ってしまった土をぺっぺと吐き出しながらぼやけた視界の前方を見遣る。土の中からぽこぽこ飛び出してくる人影が多数――わたし達と同じように土の中から這い出してきたクラスのみんなの姿だろう。どうやら全員纏めて土に押し流されてしまったらしい、口どころか服の中までジャリジャリのドロドロだ。
酷い目に遭った。内心ぼやきながらスカートの土埃を払うわたしの耳に、遥か上方から張り上げられた女性の声が降ってくる。先程一時下車した時に先生から紹介があった、今回の合宿でわたし達のサポートを担当してくれるらしいプロヒーロー集団――“ワイルドワイルドプッシーキャッツ”の一員、“マンダレイ”さんの声だ。
「私有地につき“個性”の使用は自由だよ!今から三時間!自分の足で施設までおいでませ!この――“魔獣の森”を抜けて!!」
「“魔獣の森”……!?」
「なんだそのドラクエめいた名称は……」
「雄英こういうの多すぎだろ……」
「文句言ってもしゃあねえよ、行くっきゃねえ」
思わずたじろぐデクや上鳴、同意しかない愚痴を溢す
耳郎ちゃんに、それを宥める砂藤くん。各々の反応をBGMに、わたしはわたしでつい頭を抱えてしまう。なるほど、先程相澤先生が何やら意味深なことを言っていたのは――更に言えばもっともらしい理由を付けて
捕縛布を“没収”したのもこの為ってわけですね。ちくしょう!
てっきり小休憩だと思ってバスを降りたのに、突然高台から眼下の森まで土の波に押し流されてこのザマだ。現在時刻は午前9時半。12時半までにこの森の先に見えた“施設”へ辿り着けなかった生徒はお昼抜きとか、何やら不穏な台詞も聞こえていたような気がする。
“合宿は既に始まっている”。この物々しい名前の森を身一つで突破する、というのがわたし達に課せられた第一の試練ということで良さそうだった。
しかし――。
「魔獣ったってそんなもん……そもそもこの世にいないよね?流石に」
「雰囲気はバツグンだけどね……」
「何でもいいから
退けおまえら!!耐えた……オイラ耐えたぞ……!」
朝とは言え鬱蒼として薄暗い森が不気味に見えたのか、首を傾げるわたしに応えたお茶子ちゃんの声は若干震え気味だった。その足元を掻い潜るように、小柄な峰田くんが前屈みの姿勢のまま凄まじい勢いで走り抜けていく。そういやさっきの休憩(ではなかった)時間もトイレ探してたっけ。まさかこんな崖下まで落とされるとは夢にも思ってなかっただろうに、よく我慢できたな……と彼の根性を密かに称えた――その時。
ズシン、と何やら重たげな音。同時に振動が土まみれの足元に伝わってくる。全員揃って顔を上げたその先、足を止めて立ち尽くす峰田くんの眼前に、それは居た。
長く逞しい四本の脚。丸まった土色の背から突き出す細く尖った骨のような何か。ぱっくり開いた大きな口に生え揃った歪な歯と、下顎から聳え立つ立派な牙。
グロテスクな造形に思わず「うげ」と声が漏れる。どっからどう見てもこれは――、
「「マジュウだ――!!?」」
「“静まりなさい獣よ、下がるのです!”」
揃って悲鳴を上げた瀬呂くんと上鳴を庇うように、いち早く前へ飛び出したのは口田くんだった。動物を操る“個性”を使って魔獣に呼びかけた――が、それは構わず大きな爪を彼に向かって振り上げる。
咄嗟に“反発”で地を蹴ったのと、周りから幾つかの影が飛び出したのはほぼ同時。勢いに任せて横から口田くんの体をかっさらったわたしの頭上で、飯田くんの蹴りが、轟くんの氷結が、デクの
打撃が、
爆豪の爆撃が、魔獣の体を木っ端微塵に打ち砕く。
「(ギャァァグロ――く、ない……!?)」
文字通り粉砕された魔獣の体を見て、あんなものやこんなものがびちゃびちゃ降り注いできたらどうしよう……!?などと一瞬震えたのだけれど、頭上からぱらぱら落ちてきたのは渇いた土の砕片だった。その他小石やら根っこやらがそこら中に飛び散って――そこでようやくピンと来る。
“ワイプシ”の一人、先程マンダレイと一緒にわたし達を出迎えた……もとい崖下へ押し流した女性ヒーロー、“ピクシーボブ”。彼女の“個性”は確か土を操るものだったはず。応用すれば、こんな風に土塊の“魔獣”を作って動かすことも可能らしい。体は土、暗がりで骨や牙に見えたものが根や枝だったのだろうか。
どうりで口田くんの“個性”が通用しない訳だ。しっかしこんな複雑な構造の人形を形成して意のままに操作するって、いったいどれ程精密な“個性”の制御が――などと思考を巡らせるわたしの耳に、突然怒声じみた叫びが突き刺さった。
「おい南北!前!!」
「へっ――」
切島くんの声だ。はっとして前を見ると、目と鼻の先に立派な木の幹が迫っている。やっばい。咄嗟に身を捻り、体格差のせいで腕の中から思いっきりはみ出ている口田くんの頭を衝撃から守ろうとしたその時、何かに強く引っ張られて急停止。すんでのところで衝突を免れたわたし達は、地面の上にどすりと尻餅をついて倒れ込んだ。
「セーフ!あっぶね!」
「ナイスキープ瀬呂!」
「何やってんの大丈夫!?」
座り込んだまま慌てて振り返ると、わたしの背中からぴろんとテープが伸びていて、その先で胸を撫で下ろす瀬呂くんと切島くん、更にこちらに向かって声を張り上げる
耳郎ちゃんの姿が――想定より
遥かに遠い位置にある。
「えっ……あれ?」
「南北、早く立て――来るぞ!」
違和感に首を捻るわたしと、傍らでおろおろする口田くんの側へ駆け寄ってきた障子くんが、複製の器官を四方へ巡らせながら険しく目を細めた。促されるまま立ち上がったわたしの耳に、つい先程にも聞いたような重い足音が届く。前方の暗がりに目を凝らせば、木々の隙間からこちらを窺う数体の“魔獣”達の姿がぼんやり見て取れた。
そりゃそうだ、仮にも“魔獣の森”を名乗っておいて、たったの一匹で終わらせてくれる訳がない。跳ねるように立ち上がったわたしの隣では追加で駆けつけた切島くんが身構え、その他のみんなも各々敵襲に備えて臨戦態勢に入ったようだった。
「――倒してもすぐ復活する!ピクシーボブの“個性”だ!」
「関係ねえ!片っ端からぶっ潰しゃいい話だろうが!」
一足先に開戦していた一行の中からデクが声を張り上げ、次いでいつもの爆豪節と豪快な爆発音が森の中に轟く。見れば
彼の言う通り、ついさっき四人がかりで一体瞬殺したばかりの筈なのに、早くもほぼ同じ場所で次の魔獣との戦闘が始まっているようだった。「邪魔すんな!」「してないって!」などと騒ぎながら戦うデクと
爆豪の様子を横目に、わたしも目の前に迫る敵の姿を見据える。
辺りは見渡す限りの大自然――魔獣の
土には困らない環境。要するに倒しまくるだけでは終わりが来ない
無限湧きの戦闘だ。時間を掛けずに攻略するには、とにかく目の前の敵を素早く撃退しまくって一点突破というのが一つの手ではあるけれど、それはデクのような攻撃的な“個性”向きの作戦。わたしの“個性”で、まして丸腰の状況じゃあそういうスピード撃破は難しいし、モタモタやってるうちにもどんどん
復活する敵の数に圧倒されてしまう。
となれば……結局わたしにできることといえば、
いつものという感じになってしまいそうだ。
「南北!なんか作戦あっか!?」
隣に立つ切島くんが、硬化させた腕を文字通り打ち鳴らしながら問うてきた。いつぞやの戦いで近接戦闘が苦手なわたしをフォローしてくれていた彼は、今回もわたしと組んで前線を支えてくれるつもりでいるらしい。正直めちゃくちゃありがたい。わたしも早速
S極を周囲の地面に張り巡らせながらそれに応える。
「とりあえず片っ端からくっつけて止め――浮かせたほうがいいか!浮かす!」
「それいつも通り……」
「いいじゃん!?相手の馬力とか重さがよくわかんないから、とりあえず一回強めので
触ってみる……!地に足つかなきゃ動けない筈だし、あとは壊すなり無視するなりしてガンガン進んでこ」
「……っしゃ、サポート頼むぜ口田、障子!」
「任せろ」
頼もしく頷いてくれた障子くんたちに目配せしつつ、早速全身を固めた切島くんが先陣を切る。彼が魔獣の注意を引き付けてくれている隙に、わたしは跳び上がって手近な奴の頭に触れていくことにしよう。両脚に踏み切りのための力を溜めつつ、右手に反発用の
S極を宿す。脳裏では少し前、バスの前で告げられた相澤先生の言葉が蘇っていた。
“――おまえにとっても、大きな意味のある合宿になるだろうさ”
“なるだろう”とは言われたけれど、そうじゃない。大きすぎる課題があるのだと、改めて思い知らされた。絶対に乗り越えければならない壁があることを再確認した。
だからわたしは、この合宿を意味のあるものに
しなくちゃいけない。
鉄哲くんの前で情けなく固まってしまうような、そんな現状じゃ駄目なんだ。みんなに置いていかれてしまう。一刻も早く、あの忌々しい
父親の面影を振り払ってしまわないと――!
「……?南北――」
何かに気付いたらしい障子くんの声に呼び止められたのと、気合いを入れ直したわたしの体が反発で跳び上がったのはほとんど同時だった。一瞬振り返ろうか迷いもしたものの、反発に押し出された脚はもう地面を離れてしまっている。ひとまず彼のことは置いといて、切島くんの前に立ちはだかる二体の魔獣、右側の個体の頭上へ、当初の予定通り素早く飛び乗……、
「――……って、えっ、うわ!?」
……るつもりだったのだけれど、突然体を押し上げる力が増したのを感じて思わず声が裏返る。バランスを崩した体がぐるんと宙で回って、前を向いていた視界も一緒にひっくり返った。見下ろした地面の上、生い茂る木々の隙間から覗く魔獣の頭が思っていたよりずっと下にある。
頭の先に触れられる程度の高さまでちょっと跳ぶだけのつもりだったのに、明らかに、明らかに想定よりも
高い。何かついさっきもこんなことがあったような――などと思いつつ、それよりも一層鮮やかに蘇った記憶がひとつ。
体育祭の予選、障害物競争でうっかり宙を舞ってしまったとき――流石にあそこまで高度があるわけじゃないけれど、感覚としてはあれに近い。自分としては持てる力の範囲で
跳ぼうとしたつもりだったのに、意図せぬ力で
飛ばされてしまったような……いや、“ような”じゃなくて多分実際そうなんだろう。
ただ、あの時と違ってお茶子ちゃんは離れた場所で戦っている。わたしの側にいた口田くんや障子くんは、突然木立の背より高くぶっ飛んだわたしを見上げて唖然としているようだった。彼らが何かしたようにも見えない。だとすれば、これは他でもないわたし自身の仕業ということになる。思ったよりも
S極が強めに出てしまった――多分、そういうことなんだろうけど。
「(何か……もしかして調子悪いか今日……!?)」
さっきもそうだった。口田くんを魔獣の攻撃から守るために跳び出したあの時だって、わたし的にはちょっとスピードを出す為に軽く踏み切っただけのつもりだったのに、どうにも勢いがつき過ぎて危うく木の幹に激突しかけたのだ。
何かの間違いかと思って軽く流してしまっていたけれど、これってもしかしなくても磁力の調整に失敗して――いや馬鹿、そんな訳がない。こちとら十年以上この“個性”と付き合ってきてるんだぞ。発現したての幼児ならともかく、今更そんな。
自分に言い聞かせながら、とりあえず着地のために体を捻って体勢を整え、ちょうどよい位置にあった木の枝をがっちり掴む。鉄棒の要領でぐるりと回り、程よい角度で手を離せば方向転換成功、うっかり飛び越してしまった魔獣の頭上へ再度舞い戻ることができた。襲い来る石の爪をいなしつつこちらの様子を見ていた切島くんが叫ぶ。
「おまえたまに身体能力ヤベェな……!猿並かよ!」
「何か不名誉なんですけど!?」
反射的に言い返しながら魔獣の首根っこ辺りに着地。あとは暴れられる前にパッと触って速攻退避あるのみだ。「待て南北、一旦――」と、何やら言いかけたような障子くんの声を遠くに聞きつつ、今度こそ強めの
S極で土塊の頭を引っ叩き――、
ボン、と爆ぜるような音がした。
顔面や体に何かの礫や破片がべちべち当たりまくって痛い。目にも砂が入ってめちゃくちゃ痛い。涙で視界がぼやけて――でも、目と鼻の先で起こった現象に愕然としてしまって、擦ることさえままならない。
もともと不安定だった足場が完全になくなって、浮遊感と共に体が落下を始める。そう、足場が
無くなった。ついさっきまでわたしが乗っていた土の背中が。
気のせいでなければ、わたしが右手で触れた瞬間――
爆発四散した、ように見えた。
「――、」
「南北!」
絶句したまま地面に墜落しそうになったわたしの体を、すっ飛んできた障子くんの複製腕たちが受け止める。が、落下高度やらタイミングやらわたしの体重やらのせいで勢いを殺しきれず、滑り込んできた彼をほとんど下敷きにするような形になってしまった。さぞ重たかろう。「ごめん!」と慌てて謝罪の言葉を述べながら、早く立ち上がって退けようと地面に手を突くと、みしりと何かが軋むような音がして、突いた右手から1メートルほど離れた地面が不穏な膨らみを見せる。まるで内側から爆発寸前のような、つつけば途端に破裂してしまいそうな膨張が――。
「ぐっ……!」
「障子く――、っ!」
予感は現実となり、爆ぜた地面の中から小石やら植物の根やらが勢いよく四方に飛び出す。再び茫然と口を開けたまま固まってしまったわたしの目の前に障子くんの六本腕が広がって、大きめの石礫から身を挺してわたしを守ってくれた。苦しげな呻き声に流石に我に返って立ち上がろうとした瞬間、右手に激しい痛みが走る。
びきびきと引き攣るような感覚と、規則的で断続的な、脈打つような痛み。そこでようやく
S極の様子がおかしいことに気付いた。本来なら“個性”を張る一瞬の間にだけ走るはずの赤い光が、手のひらの中から溢れんばかりの勢いでいつまでも輝きまくっている。痛みの原因はこれだ。普段は自分の意思で開けたり閉めたりできる蛇口が、今は何故だか開きっぱなしで、“個性”も垂れ流し放題になっているらしい。
――なんで。
早鐘を打つ心臓の音が頭の中いっぱいにやかましく鳴り響いている。迸って止まらない
S極を何とか押し止めようとしてみたけれど、磁力は暴れるばかりで言うことを聞きそうになかった。
どうして。今までこんなこと一度も無かったのに――いや、一度だけあったっけ。痛みと焦燥、胸の奥からどうしようもなく込み上げてくる言い知れぬ激情。どれも知らない感覚ではない。かなり朧げではあるけど、体育祭の試合の時の情景がちらりと脳裏を過ぎる。多分あの時も同じような状態だったのだろう。
だとしたら余計にまずい。つまり、やっぱり気のせいでも何でもなく、わたしの“個性”は制御を失っているということになる――!
「障子、くん……!」
「南北、一旦落ち着け――」
「駄目!近寄らないで!」
幸い使っていなかった
N極には今のところ何も起こっていない。左手を地面に突いて今度こそ立ち上がり、宥めるように声を掛けつつわたしに手を伸ばした障子くんから咄嗟に距離を取る。
何がなんだかわからないけれど、この手で軽く触っただけで魔獣が粉々に爆散したり、地面が謎の爆発を起こしたりしたのだ。万が一障子くんを――生きた人間をあの土人形と同じ目に遭わせてしまったら。想像しただけで心臓が縮み上がりそうだった。
「大丈夫だ、俺なら大事ない。だから……」
「ごめん障子くん、ほんとごめん……!痛かったよね!?」
「南北――」
「止まんないの!磁力が引っ込まなくて……っ、危ないからこっち、来ないで……!」
障子くんは尚も必死に何かを訴えながら、わたしとの距離をじりじり詰めようとする。必死なのはこっちも同じだ、詰められた距離と同じ分だけ後退りながら、握り込んだ右手の中で荒れ狂う“個性”をどうにか制御しようと試みる。
が、全然駄目。焦れば焦った分だけ、赤い光は痛みを伴って勢いを増すばかり。そのうち本当に手のひらから溢れてそこら中に広がってしまいそうな気さえした。
どうしよう……どうしよう!ああもう止まれってば!歯を食いしばりながら内心でヤケクソ気味に叫ぶわたしの耳に、一際緊迫した障子くんの声が届く。
「孤立するな!“個性”が制御不能なら尚更危険だ、俺か切島の後ろに――」
――その時、背後に現れた何かが不意に頭上から差す木漏れ日を遮って、わたしの足元に大きな影を落とした。
はっとして振り返ったけれど時既に遅し、振り上げられた石の爪が今まさにわたしに向かって降ろされようとしているところだった。障子くんから逃げ回るうち、いつの間にか木陰の暗がりに潜んでいた魔獣の間合いに入ってしまっていたらしい。
跳んで逃げなきゃとは思ったものの、使い物にならない
S極のことを思い出してつい躊躇してしまう。今は大人しくしている
N極も、一度
蛇口を開けてしまえばどうなるかわからない。
逡巡する間にも石の爪は眼前に迫り来る。ああもう、何やってんだろわたし。いつもの癖でその軌道をじっと見据えながら、それなりの痛みを覚悟して息を詰めた――次の瞬間。
「南北――」
「――死ね!!」
わたしの名を呼ぶ障子くんの声を掻き消すように、物騒なセリフと耳を劈くような爆発音が轟いた。押し寄せる熱風に思わず咳き込むわたしの目の前で、頭を失った魔獣の体が大きく傾いで倒れていく。
立ち込めた煙と砂埃が風で流れると、ぼろぼろに崩れた土塊の上で立ち上がるツンツン頭の姿がぼんやり見えた。緩慢な動作で振り返った彼の赤い目がわたしを睨む。眉間に皺寄りまくり、こめかみには微かに青筋、わかりやすく苛ついている時の顔だ。
「さっきからギャーギャーうっせんだよクソが……気が散ってしょうがねェ!」
「ちょっ――ばっ、来ないでよ!?」
吐き捨てるように言うが早いが、
爆豪があまりにも躊躇のかけらもない足取りでズカズカこちらに歩み寄ってくるので、思わず驚きに声を裏返しながら後ずさってしまった。わたしの“個性”は落ち着きを取り戻さないまま、依然ビキビキ痛む右手の中で暴れ狂っている。うっかりこの手で人間に触れてしまったりしようものなら、何が起こるかわかったもんじゃない。
こっちは気が気じゃなくて必死なのに、
爆豪は本当に全く微塵も臆さないまま近寄ってくる――というかむしろどんどん大股になってる気がするんですけど。勘弁してよ!本格的に背を向けて逃げ出そうと身を翻したものの一歩遅く、
爆豪の指がわたしの襟首をひっ捕まえて引き留めた。
「ああああやだ!!離してってば!!」
「騒ぐなっつってんだろアホ」
「ば、ばくっ……爆発!するから!」
「してたまるか!」
「痛い!?」
抵抗したものの、しまいには頭を思いっきり引っ叩かれて――ついに一生懸命遠ざけていた右手首をがっちり掴まれてしまう。こうなると下手に動いた方が
事故るリスクが高い。
目の前で幼なじみに爆散されたりしたら一生もののトラウマ確定だ。恐怖と緊張で一気に動けなくなったわたしと対照的に、
爆豪はいつも通りのやや不機嫌そうな顔付きのまま、空いた片手で無造作にわたしの左手首を掴んだ。そのまま力づくでわたしの両手を持ち上げ――赤い光を纏った右の手のひらと、何事もないままの左の手のひらを、徐ろにぺちりと合わせる。
「――あ、」
考えてみればそうだ。発動した“個性”が言うことを聞かないなら、その発動を
解除してしまえばいい――むしろ最初に試して然るべき行動だったのに、わたしときたら暴れる
磁力をどうにかしようと躍起になって、そんなことにも気が付かなかった。
手のひらの間に挟み込まれた赤い光は、一瞬左から漏れた青い光と混じり合って暗く輝き、程なくしてさっきまでの大暴れが嘘のように大人しく消え失せた。右手には痺れるような痛みの名残があるけれど、どうやら“個性”の解除には成功したらしい。ぽかんと口を半開きにしたまま惚けるわたしの手をがっちり掴んだまま、
爆豪は忌々しげに舌打ちをひとつ溢す。
「……なァにが
止まんねえだよ――おいしょうゆ顔!」
「おう、呼んだかー……じゃねえ、俺瀬呂な!?」
いまだに名前を覚えていないんだか、単に呼ぶ気が無いだけなんだか、
爆豪が例の如く微妙に不名誉な響きのあだ名で呼び付けると、一応訂正を入れながら瀬呂くんがこちらへ走ってくる。向こうは向こうで戦闘の真っ最中だったようで、彼の後を追おうとした魔獣の足をミナちゃんが溶かして止めている様子も遠目に見えた。というか、わたしと目の前の
爆豪以外のみんなは、何やら騒がしいこちらの様子をちらちらと気にしつつも、絶えず襲い来る魔獣を相手に今も奮戦しているところだ。何もしてないのはわたしだけ――何てこった。焦燥感に耐えかねて身動ぎすると、両手首を掴む力がいよいよ痛みを伴う程に強くなる。
「いたたた!?」
「動くな!……おいコラ早よしろテープ!」
「あーはいはい……!?」
半ギレの
爆豪に催促されて、戸惑い気味の瀬呂くんが腕からテープをするすると射出する。そこからはあっという間の早業だ。気が付くとわたしの両手はてのひらをぴったり合わせた格好のまま、粘着テープでしっかりぐるぐる巻きに拘束されていた。そう、ぐるぐる巻きに――……、
「……ええ!?」
完全に、地肌が見えないほど厳重なぐるぐる巻きである。厳重すぎて腕としての機能を完全に奪われてしまった。一応何とかならないものかともがいてみたりもしたけれど、流石は瀬呂くんのテープ、丈夫で粘着性もばっちりなのでまるで剥がれる気配がない。これじゃ戦えない――どころか、全力で走ってうっかり転んだりしても受け身すら取れないんじゃなかろうか。
何だってこんなことを。問い詰める言葉が出てこないまま、唇をわなわなさせながら、わたしをこんな目に遭わせた張本人の顔を見遣る。
爆豪はギプスのように固められたわたしの手を乱暴に離して、怒気を孕んだ瞳でじっとわたしを睨みつけ――そして、一言。
「――邪魔だ、すっこんでろ」
――いい加減、言われ慣れた言葉ではあるけれど。
実際、言われても仕方ないとも思うけれど。
何故だかその時は、動揺した心に突き立てられたその一言がやたらに鋭利で。
爆風とともに、わたしに背を向けた
爆豪の姿が遠ざかっていく。舞い上がった土埃が目に染みて仕方がなかった。
ああ、ほんとに――何やってんだろ、わたし。どうして言うこと聞いてくれないの。今はテープに包まれた、十五年も連れ添ってきた自分の右手に視線を落として内心独り言ちる。成り行きを見守っていた障子くんと瀬呂くんが背中を叩いてくれるまで、わたしはずっと、そうしてただ立ち尽くしていた。
前へ 次へ
戻る