玄関先で躊躇している間に沈みかけていた太陽は、爆豪家を出た頃にはすっかり姿を消していて、代わりに真っ白な月が夜道を照らしていた。
 夕飯時のピークも過ぎた住宅街は静かだ。爆豪あいつが手に下げた買い物袋のガザガサ擦れ合う音が妙に響く。

「ねえ、それ自分で持つよ」

 横には並ばず、やや前を黙々と歩く爆豪あいつにそう声をかけた。あれは完全にわたしの私物だ。光己さんに有無を言わさず押し付けられたから預かってくれているけれど、性格的に本当なら他人の荷物なんて持って歩きたくないだろうし、という配慮のつもりで。
 しかし返事がない。無視にもいい加減慣れっこではあるけれど、この状況ならさっさと荷物を突っ返してくれそうなもんなのにな。「おーい」ともう一度声をかけてみたが、やはり前を行く背中は黙りこくったままだ。
 ……なんか変だな。やっぱ言いつけを破って家にいる日に押しかけたから怒ってんのかな。少しばかり歩調を早めて横に並び、その表情を窺う。が、街頭に白く照らされた爆豪あいつの顔には意外にも不機嫌の色は無く、赤い目はどこか上の空な様子で斜め下の足元を見据えるばかり――と、わたしの視線に気付いたらしいその瞳が不意にこちらを流し見た。

「んだよ」
「え?いや……だから、荷物自分で持つよって」
「……万一バレたらババアがうるせェからいい」
「ええ……?いやでも」
「いいっつってんだろボケ」

 煩しそうに言い捨てて、爆豪あいつはまた前方の虚空に視線を戻す。口の悪さはいつも通りだけれど……やっぱり、わたしの声が聞こえていなかったみたいだ。無視されることは数あれど、最初から耳に入っていないのはなかなか珍しいような気がする。

「なんか考え事?」
「……あァ?」
「ぼーっとしてるから」
「してねェ」
「……そう?」

 何でもないなら、まあそれで良いんだけど。何となく釈然としないわたしを置いて、歩調を幾分早めた爆豪あいつがまた一歩先を行く。
 何だかなあ――首を傾げながら後を追うわたしのポケットの中で、不意にスマホがぶるぶると震え出した。長い。メールやメッセージの類ではなく電話らしい。突然のことにびくつきながら慌てて取り出すと、画面に映し出されていたのは母さんの名前だった。
 前を行く爆豪あいつを見遣る。振動音が耳についたのか、こちらをちらりと振り返っていた赤い目と視線が合って――それもすぐに興味なさげに逸らされた。
 出ても大丈夫そうだ。そういえばあの時もこんな風に電話が掛かって来てたっけ……などと、何故か体育祭直後、轟くんにばったり出くわしたあの時のことをぼんやり思い出しながら、今度はきちんと通話ボタンを押してスピーカーを耳に当てる。

「……もしもし?」
『火照?ちょっと今どこにいるの!?』
「今帰るとこ……これから駅で電車乗る」
『お子さんはちゃんとご在宅ですかって、学校から電話かかってきたの!やっぱりニュースでやってる事件、火照も巻き込まれてたんじゃないの……!』
「あー……えへへ、言ってなかったっけ?」
『もう!いいから早く帰ってきて!電車降りたらお母さん駅まで迎えに行くから――』
「だっ――駄目!!」

 思ったよりもずっと大きな声が出て、空いた片手で慌てて口を塞いだ。爆豪あいつが足を止めて振り返った気配がする。あああやっちゃった。そんなことをしても何の意味もないのはわかっているけれど、何となく逃げるように体の向きごと爆豪あいつから背けながら、潜めた声で通話を続ける。

「大丈夫だから、お母さんは家にいて……!」
『何言ってるの?いいから、駅に着いたら外に出ないで待って……』
「駄目だってば……!そんな遠くないんだから一人で帰れるって!とにかくお母さんは家に――」

 その時、手元からひょいとスマホが奪われた。行き場を無くして尻切れになった静止の言葉を飲み込みながら振り向くと、奪い取った張本人――手の中の画面を確認するように見下ろしていた爆豪あいつが、徐に端末を耳元に押し当てたところだった。

「えっ、ちょ」
「もしもし」

 ぎょっとして声を詰まらせたわたしを他所に、爆豪あいつはこちらに背を向けて当然のように会話を始める。「はい」「同級生です」「送ってくんで」「……ッス」とか何とか、言葉少なな雰囲気の受け答えが何度か繰り返された後、くるりと振り返ったその手からスマホが投げ渡された。投げるんじゃないよ。何とか受け取って画面を見ると、何と勝手に話した挙句勝手に通話終了ボタンまで押しやがったらしい。

「ちょっと!?何!?何したの!?」
「うっせ。さっさと歩いてとっとと帰れバカ」
「バ……」
「バカだろ。アホみてーにニュースになってる事件巻き込まれた癖して、家にも帰らねェでフラフラしてりゃ電話も掛かってくるわ」
「……!」

 ぐぅの音も出ません。本当はこんなことするべきじゃないって、わかってはいたんだけどなあ。
 項垂れながらポケットにスマホを仕舞い込むわたしを少しの間物言いたげな目つきで見下ろした後、爆豪あいつはまた視線を逸らして歩き出す。わたしもそれ以上反論の余地無く、口を噤んだままその後を追った。


 沈黙。


 ただでさえ今や気軽に喋り合うような仲でもないのに、向こうは相変わらずの無愛想、こっちはこっちでこんな時に出歩いている後ろめたさで口が重い。二人分の足音と、買い物袋の擦れる音、それに時折何処かから聞こえる夜更かしな蝉の声を聞きながら、互いに無言のまま黙々と駅まで歩いた。道中、幾度となく溢れ落ちそうになる溜息を何とか押し留めながら、内心独りごちる。

(……なぁにやってんだろ、ほんと)

 母さんを心配させたい訳じゃなかった。むしろ、母さんのことを心配しているのはわたしの方だ。それでも何だか居ても立ってもいられなくて、逃げるようにクラスのみんなと別れてここまでやってきたというのに。
 何だかんだと尻込みするうちに、あっという間に駅に着いてしまった。わたしはまだ――肝心の目的・・・・・を果たせないままでいる。

「最寄りどこだ」
「……」
「……てめー聞いとんのかコラ」
「いった!?」

 券売機の前で悄然としたまま財布の中身を数えていると、苛立たしげな声とともに降ってきた手刀がつむじの辺りをしこたま打った。非難の意を込めて睨んでみてもどこ吹く風、さっと路線図を見上げた爆豪あいつは「最寄りどこだっつってんだよ」と再度問う。
 自分だって人の話聞いてなかった癖に――言っても詮ない文句は胸の内に押し留めて、言われた通りに最寄り駅の名を指差した。

「……あれ」
「思ったより近ェな」
「たまたまね、わたしの進学と今のお父さんの転勤が重なったから、家族みんなでこの春その辺に引っ越したんだよね。その前はもっと……」
「……そーかよ。いいから早よチャージしろ」
「はいはい……」

 興味があるんだかないんだか、気のない返事でわたしの話を切った爆豪あいつにせっつかれ、漸く券売機に札を押し込む。そうそう、ちょうどここに来るまでですっからかんになっていたはずの残高をどうにかするために券売機に並んだのだった。ICカードに入金を終えて振り返り、今度こそ、と片手を差し出す。

「はい、ありがと」
「あ?」
「いや、……そろそろ荷物返してもらわないと」
「……」

 爆豪あいつは訝しげに眉を潜めたけれど、困惑したのはわたしの方だった。大した重さじゃないとはいえ、何だってあの爆豪勝己が、いつまでも他人の買い物袋をこうしてぶら下げたままでいるのだろう?というかもう電車に乗ろうというところなんだから、返してもらわないと家に持って帰れないんだけど。
 戸惑い気味に差し出されたわたしの手を、爆豪あいつは渋い顔で見下ろす。どこか不満げに細められた双眸が一瞬わたしの顔を睨みつけて、すぐに逸れた。結局わたしの手はガン無視、ビニール袋を片手に引っ掛けたまま、爆豪あいつはすいとわたしの横をすり抜けて改札の方へ歩き出す。行き場を無くした手を胸の前辺りで彷徨わせながら、わたしも慌ててその後を追った。

「ちょ……ちょっと?」
「……っとにアホほど察しがわりィな、てめェは」

 言う間にもそのポケットからパスケースが現れて、開いた改札の向こうに爆豪あいつの後ろ姿がずんずん進んでいく。えっ、ええ?改札通っちゃったの?何してんの?戸惑いながらも同じく向こう側へ出ると、爆豪あいつは電光掲示板が報せる乗り場の番号を見上げながら呆れたように言った。

「“俺が家まで送ります”っつって、てめェの母親黙らせてやったんだろが」
「……はぁ!?」
「平伏して感謝しろや」
「あ、ありがと……!?」

 思わず素直に感謝の言葉を述べてしまう程度には混乱していた。爆豪あいつは一瞬ギョッとしたように固まった後、小さく舌打ちを溢しながら大股に歩き出す。
 いや――いやいやいや。小走りにその後を追いながら慌てて抗議した。

「いやっ……あんたも一応外出駄目な立場でしょ!?」
「うるっせえな、何かあったら全部フラフラ出歩いてたてめェのせいってことにしてやらぁ」
「往復の電車賃かかるし!?」
「明日学校で耳揃えて返せ」
「(み、みみっちい……)」

 いやそりゃそう言われればきちんと返しますけれども。とにかく爆豪あいつは有言実行、母さんに約束したからにはきちんと家まで付き添ってくれるつもりでいるらしい。何となく上の空だなあと思ってたら突然これだ、もうだんだんこいつのことが分かんなくなってきたな。
 これ以上何を言っても結果が変わることは無さそうなので、わたしも黙って甘んじることにする。既にホームに停まっていた電車の中、人気も疎らな車内の片隅にどっかり腰掛けた爆豪あいつの横に、何となく人間0.5人分くらいの隙間を開けて腰掛けた。

「……」
「……」

 またも沈黙が流れる。爆豪あいつはスマホで何やらメールでも打っているようで、画面の上を親指が忙しなく滑る様子が横目に見えた。
 つられてわたしも自分のスマホを手に取ると、新着メッセージが一件。母さんからだった。


“何だかまた様子がおかしいみたいで心配です。何か困ったことがあるなら、誰かに相談してね。お母さんやお父さんに言いにくいなら、学校の先生でも誰でもいいから。”


 息が詰まる。図星を突かれた心臓がぎゅっと握り締められたように縮こまった。やっぱり、母さんは結構何でもお見通しだ。でもどうしよう。
 この曖昧で、弱気で、具体性のない不安を――一体、どうしたらいいんだろう。


「――おい」


 困り果てながらも一応スタンプでお茶を濁そうとしたその時、隣からぶっきらぼうな声が掛かった。振り向くと、既にメールの類は終えたらしい爆豪あいつが、緩慢な動きでスクロールする画面に興味なさげな視線を遣りながら呟く。

「“次はねえ”っつったぞ、俺ぁ」
「……!」
「確かに過ぎた弱気はうざってェ。しょーもねえことうだうだ言ってる奴見るとイライラする」
「……、」
「……でも」

 少しの間があった。ぽかんと口を半開きにしたまま次の言葉を待つわたしの方は見ないまま、爆豪あいつは静かに言った。

「俺が怒るかどうか、テメェが勝手に決めんな」

 ――何故か、脳裏にはあの晩のことが過ぎった。
 おい、と呼び止める無愛想な少年の声。幼かった頃のある日、自分の家に帰ろうとするわたしを引き留めて、その小さな手を差し伸べた幼馴染みの姿。それが彼なりの優しさだったのか、それとも他の何かなのか、わたしには未だにわからないままだけれど。

 何にせよ、不器用なところはちっとも変わっていない。知られていないと思っていたことを全部知っている地獄耳も、いっそ怖くなる程の察しの良さも。

 リビングでのわたしと光己さんの会話を聞いていたらしい口ぶりについそんな事を思って、意図せず小さな笑いが漏れる。途端紅い双眸がぎろりとこちらを睨む気配があって、慌てて咳払いで誤魔化した。本当気が短いと言うか、喧嘩っ早いと言うか器が小さいと言うか……。
 それでも、本当に怒るかどうかは話を聞いてから決めてくれるらしい。弱みを見せたら嫌われるかも――ずっとそんな風に思っていたけれど、今のそれが爆豪あいつの答えらしかった。そうだね、言ってみなくちゃ始まんないよね。

 ――だってわたし、本当はそのために・・・・・あの家まで足を延ばしたんだから。
 観念して、今のこの心境をどう言語化したものかと頭を捻る。

「……わたしさ」
「……」
「……わたし……ってさ」
「……」
「……母さんに似てると思う?」
「……は?」

 依然冷めた視線をスマホの画面に注ぐばかりだった爆豪あいつが、その一言で訝しげにこちらを見た。「似てると思う?」と重ねて問うと、爆豪あいつは少し考えるように黙った後、再び視線をスマホに戻して素っ気なく呟く。

「知るか。てめェんとこの母親は家に篭りっきりだったろ、顔なんざろくに見てねえ」
「あ、そっか……確かに」
「何の話だよ、要領良く喋れや」

 いつぞやも聞いたような言葉に思わず口を噤む。確かにちょっと回りくどかったかも。こういう、不安やモヤモヤを言語化する行為にはいつまで経っても慣れそうもない。相手が爆豪こいつだと尚更――そんな事を思った矢先、隣の様子をちらりと盗み見るや、若干苛立ちを隠せずにいる赤い瞳と思い切り視線がぶつかった。
 怒るかどうか勝手に決めるなとは言ったけれど、絶対に怒らないとも言ってないもんなあ!もうああだこうだ考えるのはやめて、さっさとありのままの事実を吐き出してしまおう。ぱっと視線を背け、膝の上で握った自分の拳を睨みながら早口に言う。

「言われたの死柄木弔に!」
「あァ?」
「今日木椰区で会って!あいつが、わたしが母さんに似てるとか言い出すから!何かこう、……うわーって!」
「要領良くっつってんだろが」
「痛い!」

 本日二度目の手刀がごつんと脳天を叩いた。相変わらず容赦皆無で普通に痛い――けれど、お陰でちょっと落ち着いた。打たれた頭を片手で押さえながら、今度こそ一つ一つ順を追って口にする。

「……だから、今日木椰区で死柄木弔に会ってさ。覚えてる?」
「クソ手首ヴィラン
「そ。あいつ、わたしの顔見て“母親に似てる”とかって……そんなこと言うから」

 “似ている”だなんて言葉は、普通どちらも知っている・・・・・・・・・人間でないと出てこない。つまりあの男は、USJで直接対峙したわたしだけじゃなく、母さんのことも――わたしの家族の顔も知っているということだ。
 それが、たまらなく不気味で。

「あいつ、わざわざ雄英に乗り込んできたでしょ。だからヒーローとか、ヒーローを目指してる人間に食ってかかりたい奴なんだって、そう思ってた。でも、わたしの母さんのことを知ってるっぽいって――それって、雄英生わたしたちの家族のこと、どっかで見てるってことじゃん」
「……」
「あいつら、どこまでやる気なの?って……わたしたちだけじゃなくて、父さんや母さんも危険なのかなって思ったら、急に、こう……」

 そもそもヴィランとはそういうもの。“個性”を悪用し、社会に対して不利益になる行為を取る――無辜の一般市民を平然と傷付けることだって、当然よくあることだった。狙われるのは普通ヒーローわたしたちじゃない。抑止力も抵抗力も持たない、ヒーロー以外の人々こそ、常日頃ヴィランの脅威に晒されている存在なのだ。
 わかってはいたけれど、それでも。ヴィラン連合などと名乗ったあいつらの最初の狙いがオールマイトや生徒わたしたちだったから、保須で一緒に暴れていた相手が“ヒーロー殺し”だったから、いつの間にかそんな当然の可能性が頭から抜け落ちていた。
 そして、あの脳無とかいう化け物じみた存在を擁する組織の矛先が父や母に向く、その未来を思い浮べた時――。

「何かもの凄く、嫌な感じの胸騒ぎがして……なんなんだろ、これ」

 恐怖なのか、焦燥なのか、はたまたやはり不安なのか――正直なところはよくわからない。
 何かあったとしても、わたしたちは雄英の生徒だ。たとえ未熟なわたしの力が両親を守るに及ばないとしても、先生方やオールマイトが必ず助けてくれるだろう。そういう信頼が揺らいでいる訳ではない。
 だた、それを加味しても拭えない予感がある。虫の知らせとでもいうのか、根拠のないものではあるのだけれど、とにかく何か……嫌な予感が。
 死柄木弔のあの顔が――微かに哀れみ、あるいは同情・・を孕んだあの表情かおが、脳裏にこびりついて離れない。

 言えそうなことはこれで全てだった。口を噤むわたしの横で、今度は何やら考え込むように黙り込んでいた爆豪あいつが口を開く。

「……手首ヤローは、なんて言った」
「へ?」
「なんて言ってた。正確に・・・思い出せ」
「ええ?えーっと……確か、“こうしてよく見ると、おまえ母親に似てるんだな”……とか、何とか?」
「……てめェ、そりゃどっちかっつーと――」

 いつの間にかスマホを膝の上に伏せ、顎の辺りに指を当てて思案していた爆豪あいつは、そこまで言いかけると何事か躊躇うように言葉を切った。
 怒り狂っている時に出しかけた言葉をぐっと飲み込む様子なら今までにも何度か見てきたけれど、それともまた少し違う仕草。普通なら言いにくいようなこともズバズバ指摘してくるのが爆豪こいつの常なのに、これは一体どうしたことだろう。やっぱ今日のこいつなんか変じゃない?などと思ったその矢先――、

『お待たせ致しました、間も無く発車致します。閉まるドアにご注意ください――』

 けたたましいブザーの音と共に扉が閉まり、低い振動音を立て電車が動き出す。どうやらその音は、何事か言わんとしていた爆豪あいつの言葉もかき消してしまったようで、開きかけていた唇が引き結ばれる様子が見えた。
 もう言ってはくれないような気がするけれど、一応聞いておこうか。黙りこくる横顔を軽く覗き込み、なるだけ神経を逆撫でしないよう気を付けながら問う。

「……どっちかっつーと?」
「……何だろうが関係ねえ。誰が相手で誰狙いだろうがヴィランはブッ飛ばす、そんだけだろ」
「……それもそっか」

 大いに一理ある、いかにも爆豪こいつらしい答えだった。何だか腑に落ちないところもあるけれど、結局のところわたしたちのすべきことはそれに尽きる。強くなる。強くなって、降り掛かる脅威を退ける――それだけだ。
 爆豪あいつの答えはいつだってシンプルで、うだうだと考えがちなわたしの心の靄をあっさり払ってくれる。体育祭の後もそうだった――この言葉を聞きたくて、わたしは今日、木椰区を出たその足で爆豪家まですっ飛んで行ったのだ。
 本当は、こんな風に甘えてばっかじゃ駄目だとは思うんだけど。欲しい言葉をくれるものだから、ついついこうして頼ってしまう。自然と溢れたのは自嘲の笑みと、感謝の言葉だった――の、だけれど。

「ごめんね、ほんと。聞いてくれてありがと……、」
「……」
「……、……おーい?」
「……」
「ちょっと……ねえ、聞いてる?」
「――うるせえ。てめェはちょっと黙れ」

 あまりにもリアクションが無いので顔の前でひらりと手を動かすと、漸く舌打ちと共にそんな言葉が返ってきた。思案するように顎に添えられた指はそのまま、爆豪あいつは再び口を閉ざして何やら思考を巡らせているらしい。
 ――やはり、今日の爆豪こいつは何だか様子が変だ。帰り道を歩き始めた時からぼーっとしてはいたけれど、今はまた輪をかけておかしい。
 何か悩みでもあんのかな。……あの爆豪かっちゃんに限ってそんな――いや、これで結構溜め込むタイプなのは確かだ。何せ六年前の鬱憤をつい最近まで溜めっぱなしだった訳だし。

「ねえ、何か悩みとかあるんなら話してよね」
「……あァ?」
「わたしばっか聞いてもらうのも変じゃん。まあズバッと解決とかはできないかもしれないけどさあ――八つ当たりの相手くらいにはなるっしょ?」

 素直な気持ちを冗談めかして告げると、煩わしげにこちらを見遣ったその顔が一瞬ぴくりと引き攣り、瞬きの間に本日三度目の手刀がわたしの額の辺りを思いっきり打った。ちょっといくら何でも殴り過ぎなんじゃないの?人が上手く避けらんないからってポコスカと……内心悪態を吐きながら、先程同様非難の意を込めてじとりと睨むと、再びそっぽを向いた爆豪あいつは、不貞腐れたように口元を歪めて吐き捨てる。

「――もっと考えて物言えや、バカ」

 思わずわたしの顔も渋く歪む。そんな、人を脊髄反射で喋る阿呆みたいに――ちゃんと考えて喋ってるっての。今のだってわたしなりに気を遣ったつもりだったのだ……わたしなりに。ままならないなあ。これ以上喋ると余計に機嫌を損ねてしまいそうなので、わたしも口を噤んで電車の揺れに身を任せた。

 ――結局、爆豪かれが喉の奥に押し込めた言葉の正体は掴めないまま。
 無事に家まで辿り着き、出迎えた母さんに言葉少なに挨拶して踵を返すその時まで、隣を行く幼馴染みが口を開くことは無かった。

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