「――あっ、火照ちゃん!」

 保健室にかっちゃんパパが駆け込んできた時、その聞き慣れた声に心の底からホッとしたのを覚えている。ピリピリした空気に戸惑い気味だった養護の先生も同じ気持ちを抱いたようで、「すみませんがお静かにお願いします」と人差し指を立てながらも、その表情は心なしか安堵に和らいでいた。慌てて一度口を噤んだ彼は、心配そうに眉尻を下げながら、ランドセルを背負ったままベッドに腰掛けていたわたしの前に屈み込む。

「足、大丈夫かい?」
「うん。座ってたら痛くないよ」
「ただの捻挫なんですが、下手に徒歩で帰って悪化するといけないので……赤槌さんの親御さん、また体調が優れないみたいで。爆豪さんの都合がついて良かったです」
「ええ、まあ……それじゃあ、後は僕が預かります」
「はい、お願いしま――」

 言いかけた先生の声を遮るように、上履きが乱暴に床を踏みつける音がダンと響いた。わたしと先生とかっちゃんパパ、三人一斉に振り向くと、それまで不貞腐れた面持ちで少し離れた場所にあるソファに座っていたかっちゃんが、やはり不機嫌そうな様子でランドセルを背負い直しているところだった。そのまま無言ですたすたと出口へ向かう彼の背に向かって、かっちゃんパパが慌てたように手を伸ばす。

「か……勝己?あれ?一緒に乗って行かないのか……?」
「歩いて帰る」

 かっちゃんはそれきり何も言わず、最後にわたしの顔を忌々しげに睨みつけてから保健室を出て行ってしまった。ぴしゃりと乱暴に閉められたドアを呆然と眺めていたかっちゃんパパが、困ったようにわたしの方をちらりと見やる。

「……勝己、ちゃんと謝ったかい?」
「……うーん」

 何と説明していいものか――わたしは悩みつつ、「おんぶしようか?」というかっちゃんパパの申し出を丁重に断り、彼の車まで捻った片足を庇ってひょこひょこ歩きながら、道すがら何となくあらましを語った。
 とは言ってもそんなにややこしい話ではなくて、要するに単なる前方不注意だ。授業が終わって昇降口へ向かう道中、いつも一緒のツバサくんたちとふざけて追いかけっこしながら走ってきたかっちゃんと、忘れ物に気づいて教室に戻ろうとしていたわたしが、たまたま廊下の角で勢いよく激突した。その拍子に転んだわたしがうっかり片足を挫いてしまった、それだけのこと。
 むしろ、怪我らしい怪我もなくピンピンしているはずのかっちゃんがどうしてあんなにむくれているのか、わたしの方が聞きたいくらいだった。“謝ったか”というかっちゃんパパの問いに答えるならば、それは否だ。けど、ケンカになったら嫌だなって思って、わたしちゃんと謝ったんだよ。そう言うと、運転席のシートベルトを締めながら、かっちゃんパパは目を丸くして「……ええと」と言葉を探し始めた。

「謝ったって……火照ちゃんが?」
「うん」
「どうして?」
「うーんと……角の方からね、声が聞こえてたの」

 きゃっきゃと騒ぎながら走り回っていた彼らのやかましさは相当なもので、忘れ物のことで頭がいっぱいだったわたしの耳にもその足音や声は届いていた。向こうからかっちゃんが走ってくることが何となくわかっていたのに、角で鉢合わせた瞬間うまく身を躱せなくて、ぶつかって無様に転んでしまったのだ。
 ちゃんと気を付けなかったわたしにも非はあった。だから、半ば引きずるようにして保健室に連れて行かれる最中、何だか気まずそうに黙りこくっていたかっちゃんに向かって、“うまく避けられなくてごめんね”と謝ったのだ。そうしたら――、

「かっちゃん、急に怒ってあんな感じになっちゃった」
「ああ……なるほど」

 駐車場から車を出しながら、かっちゃんパパは苦笑いを零した。どうやら彼にはかっちゃんが怒ってしまった理由がわかったようだ。その困ったような、けれど優しい横顔をじっと見上げて言葉を待つと、彼は「うーん」と唸って少しの間黙った。どうやらまた言葉を探そうとしているらしい。

「火照ちゃんは自分が悪いと思ったから謝ったんだよね。……でも、本当に全部が君のせいだと思うかい?」
「……」
「……」
「…………本当は」
「うん」
「……かっちゃんが廊下走ってたのも、ちょっと悪いと思う」
「そうだよなあ。火照ちゃんもたまたま前を見てなかったのかもしれないけど、勝己が走ってたのもいけないことだ」
「……うん」
「でも、火照ちゃんは許してくれたんだね」

 かっちゃんパパの声音は柔らかい。窓ガラスから差し込んだ夕日の淡い橙がその横顔を包み込んでいたから、すべてが一層優しく見えた。けれど、薄っすらと生えた口髭に覆われた口元から紡がれる言葉の一つ一つは、躊躇いがちに、慎重に選ばれたもののように思えて、わたしはつい口を閉ざしてしまう。わたしが何か間違いを犯した時、かっちゃんママはストレートに怒ったりして叱ってくれるのだけれど、彼はこんな風に優しく諭そうとするのだということを知っていたからだった。そんな神妙な態度が伝わったのか、かっちゃんパパは少し慌てた風に口角を上げてみせる。

「あっ、いや、それが悪いってことじゃあなくて。相手を許せるのはすごく偉いことだと思うよ、本当に」
「……うん」
「……でもね、意地っ張りだからなかなか自分から謝ったりはしないかもしれないけど――勝己も、ちゃんと自分が悪いってことはわかってたと思うんだ」
「……そうなの?」
「うん、そういう子なんだよ、ああ見えて」

 ――ううん、知ってる。わたしも……そうじゃないかなって思ってた。
 口には出せないまま心の中で頷く。かっちゃんパパはまた少し困ったように微笑んだ。

「だから、多分……そういう気持ちを噛み砕く前に許されちゃって、どうしていいかわからなくなっちゃったんじゃないかなあ」
「……うーん?」
「はは……ちょっと難しいかな?」

 わかるような、わからないような。唸りながら首を捻るわたしの頭を、骨張った大きな手がぽんぽん撫で回す。信号待ちで止まった車の中、眼鏡の向こうでかっちゃんパパの目が優しく細まるのが見えた。

「ごめんね、気難しい奴で……でも大丈夫、明日にはきっと機嫌も直ってるさ」
「そうかなあ」
「いつもそうだろ?喧嘩してもすぐ仲直りできてるじゃないか――って、それも優しい火照ちゃんが許してくれるからなんだけど」

 いつもありがとうね。
 感謝の言葉をぼんやりと聞きながら、わたしは胸の奥がちくりと痛むのを感じていた。その時は自分でもよくわからなくて、うまく言えなくて。結局何も言葉にしないまま、曖昧に頷いて終わってしまったのだけれど。

 今なら何となくわかる。
 違う。違うんだよ、かっちゃんパパ。わたし、優しくなんかない。
 わたしは、ただ――。















「――チッ……!!」

 舌打ちの音で我に返った。
 呆然と座り込んだ格好のまま固まっているわたしを睨み付けて、爆豪あいつが乱暴に立ち上がる。わたしに背を向けて出口の方へ向かうボロボロのコスチューム姿が、ランドセルを背負った小さな背中と一瞬重なって見えた。
 ああ、わたし、また間違えた・・・・。“ちょっと待って”の一言が強張った喉から出て来なくて、どうしていいのかわからなくて――でも、このままじゃあの時と同じだ。 今度は“一晩経ったら仲直り”なんて、そんな訳にはいかないのに。

 今その手を掴み損ねてしまったら――きっと、もう二度と。

「――っ!!」

 半ば無我夢中で跳ねるように立ち上がり、その背中に向かって手を伸ばしていた。振り向きざまに相変わらず鋭く険しい眼光がわたしに向けられたのと、駆け寄ったわたしの右手が爆豪あいつの左手を掴んだのがほぼ同時。ぴり、と走った小さな痺れに驚いたのか、「あァ!?」と声を上げて振り払おうとしたその手に、すかさずN極ひだりの手を引っ付ける。
 とにかく何とかして引き止めたかっただけなのだけれど、自然とこの形を取ってしまったのは、“こうすると爆豪あいつは諦めて大人しくなる”という幼少期の刷り込みがあったからなのかもしれない。ぺったりと引き合って離れなくなった掌を少しの間呆然と見つめていた爆豪あいつは、はたと我に返ってぐいぐいその手を引っぺがそうともがき出す。

「てめ……っ、ふざけんなコラ!離せや!!」
「――だ、だから、わたし!!ほんとに自分のことしか考えてないんだってば!!」

 負けないよう必死に引っ張り返しながら叫ぶと、爆豪あいつの動きがぴたりと止まって、“まだ言うか”とでも言いたげな瞳が苛立たしげにわたしを睨み下ろした。わたしはわたしで完全にパニクってしまっていて、今自分が何を口走ろうとしているのかもよくわからない。ただ、あの時――かっちゃんパパに頭を撫でられた時に感じたのと同じ苦い痛みと共に、ぽろぽろと言葉が口から零れ落ちていく。

「あんたが何を言われたがってるとか、そんなのぶっちゃけ考えたこともないし!だってあんた何言ったって怒るじゃん!!」
「はァ!?」
「だから“あんたのため”なんて、そんな優しいこと思ったこともないよ!あの時・・・だって――」

 そうだ。いつだってわたしは、自分のことしか考えてこなかった。廊下でぶつかって足を挫いてしまった時も。あの日――夕暮れ時の公園で、思いっきりたれてしまったあの時も。
 珍しく、怯えた目をしていた。だから、安心させなくちゃと思った。あんな酷く傷付いたような顔をしたかっちゃんを見たのは、生まれて初めてのことだったから。
 直感したのだ。ああ、これ、いつもと違う。このままじゃ何かが変わってしまう。わたしの大事な日常ひかり。かけがえのない宝物の日々が、失われてしまう――と。

 わたしは、ただ。

「――こ、……怖かったん、だよ」

 心臓が、壊れてしまうんじゃないかと思うほど喧しく早鐘を打っている。何とか絞り出した声は緊張でみっともなく震えていたのだけれど、それを気にする余裕も持てないほどに胸がいっぱいいっぱいだった。しまいには手も震え始めたような気がして、どうにか抑えようと指に力を込めると、自然とくっついたままの爆豪あいつの手をぎゅうぎゅう握り締める格好になる。顔を上げるだなんて真似ができるはずもない。俯きがちに、泥で汚れた爆豪あいつのコスチュームの大きなバッテンの辺りに視線を彷徨わせながら、真っ白な頭で言葉を紡ぎ続けた。

「あんたの顔、いつもと全然違ったから――もし、これで心の底から嫌われちゃったらどうしようって……生きて、いけないかもって、思って」
「――、」
「……許して、欲しくて」

 許されたいから、先に許した。
 喧嘩にしたくなかったから、わたしは何ともないんだって、それで終わらせようとした。

「いつも通りでいて欲しくて……変わって欲しくなくて」

 下手になんか出ていない。
 知っていたはずなのだ。ああ見えて彼は結構自分の罪を自覚していて、勝手に許されると消化不良を起こしてしまうタイプなんだって、わたしはちゃんとかっちゃんパパに教えてもらっていた。それでも許した。生じかけた深い溝をなかったこと・・・・・・にしようとした。ただ変化を望まない一心で。
 でも、それが間違いだった。

「それだけだったのに――あんた、余計怒っちゃって……もう、どうしたらいいかわかんなくて」
「……」
「どうしたら……許してくれるのさ」

 謝って許してもらうしかないと思っていたけれど、あの日以来、謝っても謝ってもますます怒られる一方だ。 しまいにはこうして縋るように許しを請うているのだから、こんな精神状態じゃなければ情けなくて笑ってしまっているところだった。言葉を切って、どくどく煩い心臓を宥めようと努めて深く息を吸いながら、他人事のようにぼんやりと思う。

 ――わたし、こんな風に思ってたんだ。

 ずっと自分の心に嘘なんてついていないつもりだったけれど、いつの間にかこんな気持ちを胸の奥底へ押し込めていたらしい。このみっともない感情を口にするのが怖くて、一人で必死に消化して、自分でも気付かないうちに、“ありがとう”や“ごめんなさい”だなんて耳触りのいい言葉で誤魔化そうとしていたんだ。
 それもとうとう言葉にして吐き出してしまった。もう本当にどうしていいのかわからない。頭の中が焼けたように真っ白だ。今、爆豪あいつは――どんな顔でわたしを見ているんだろう。確かめる勇気も出ない。爆豪あいつの手を握りしめて白くなった自分の指を呆然と眺めながら、わたしはただ、深いようで浅い形だけの呼吸を繰り返していた。
 ――その時。

「……離せっつってんだろ」

 行き場がないまま体の横で強張っていた右手を、上から伸びてきた爆豪あいつの右手ががしりと掴んで、磁力で貼り付いているわたしたちの手元へ強引に引き寄せた。最早逆らう気力も無く、ぺたりと押し付けられた掌を通してS極みぎを流し込むと、反発した二つの手は軽く弾かれて離れていった。なんだかそれが無性に寂しくて、悲しくて、後悔にも似た感情が激しく胸を締め付ける。きっとこれが最後だ。このまま彼は背を向けて扉の向こうに去っていく。馬鹿なわたしには、もう二度とその手を掴むことはできないだろう。

 ――と、思ったのだけれど、目の前に見えるヒーローコスチュームが踵を返す様子はなく、なかなか背中が見えない。貼り合わせていた掌自体は離れたものの、わたしと爆豪あいつの間は何ら変わらず、手を伸ばせば届くほどの距離しか空いていなかった。互いに言葉はなく、呼吸さえ聞こえそうな間合いの中に、何だか奇妙な沈黙が降り注ぐばかり。あれ?と、斜め下に落としっぱなしだった視線を恐る恐る上げようとした刹那――、

「――い゛っ!?」

 ばちんと派手な音がして、額に強烈な痛みが走った。思わず悲鳴を上げながら仰け反って額を抑えると、むっすりと不機嫌そうな顔で佇む爆豪あいつの顔と、その前でぴんと伸ばされた指が目に入る。
 打撃の正体を察するのは難しくなかった。デコピンだ。それも眉間の中心ピンポイントに、容赦なく全力で叩き込まれたようだった。もしかしなくてもさっきの妙な間はタメ・・の時間だったのだろうか。い、痛い。大袈裟ではなく、本気で痣になるんじゃないかと思うほど痛い。悶絶しながら驚きに目を白黒させていると、弾いた右手の指をぷらぷら揺らして解しながら、爆豪あいつが短く吐き捨てた。

最初はなっからそれ言えや、アホ」
「……は、?」
「――次はねえ」

 今度こそ、爆豪あいつはくるりとわたしに背を向けて、救護室の扉のノブに手を掛けた。わたしはその短く素っ気ない言葉を聞き取って、ゆっくり噛み砕いて、何とか飲み込んで――たぶん「え?」と声に出ていたと思うのだけれど、爆豪あいつはそれ以上答える様子もなければ、こちらを振り向く素振りも見せなかった。黙って戸を引くその背中に思わず手が伸びる。ちょっと、ちょっと待ってよ、それって――。

「……あ゛?」

 が、わたしが何か言うより早く、廊下に一歩踏み出した爆豪あいつが右側を見遣って低く唸り、その横顔にぴくりと青筋が浮くのが見えた。そっと背伸びをして向こう側の様子を伺うと、焦燥一色に染まったまあるい二対の瞳と視線がぶつかる。
 いつからそこに居たのか、“今まさに逃げ出そうとしていました”という感じの体勢で廊下の壁側に張り付いていたのは、額に冷や汗を浮かべながら愛想笑いを浮かべているコスチューム姿のデクと、既に制服に着替えを済ませ、スポーツドリンクのペットボトルを両手に持ったままぎこちなく笑っているお茶子ちゃんだった。デクが口を開いて何か言いかけた瞬間、その胸倉が乱暴に掴み上げられて、紡がれるはずだった言葉は「ヒッ」という短い悲鳴にすり替わる。

「盗み聞きたァいい趣味してんなクソナード!!あァ!?」
「ちっ、違……!かっちゃんの声がしたから!!」
「そ、そうなの!デクくん、オールマイトから二人に伝言預かってて!爆豪くんが復活次第教室で感想戦始めるって!」
「そ、そう!それを伝えようと――思ったんだけど、ちょっと想像以上に入りにくい空気だったというか何というか……!」
「やっぱ聞いてんだろ!!死ねクソ!!」
「――どうしたんだ君たち!一体何の騒ぎだ!?」

 今度は廊下の曲がり角から、やはり着替えを済ませた制服姿の飯田くんがシャキシャキと早歩きで現れた。さらに後ろから梅雨ちゃん、八百万やおちゃんと、試験中モニタールームに集まっていた面々が続けざまにやって来る。
 面倒臭いことになると踏んだのか、爆豪あいつは掴み上げたデクの襟元を乱暴に投げ捨ててドカドカと歩き始めた。その後を「あ!ちょっと待って爆豪くん――あっ、ほたるちゃんこれ!試験お疲れさま!」と、わたしにスポーツドリンクを一本投げ渡したお茶子ちゃんが慌ただしく追って行った。「あっこら、廊下を走ってはダメだ!おい麗日くん!」と飯田くんもその後を追おうとしたのだけれど、眼鏡越しの四角い目とわたしの視線がぶつかると、彼は返しかけた踵をぴたりと止めて首を傾げる。

「南北くん、何だか額が赤いようだが……試験中にぶつけたのか?」
「え?……あっ、これはその」
「あら、本当――それに、何だか顔色もよろしくありませんわね。相当過酷な試験だったようですし、体調に不安があるならもう少し休まれた方が……」
「い、いや、これは……そういうんじゃないというか」

 飯田くんの言葉につられた八百万やおちゃんが、わたしの額と顔面を見遣って気遣わしげに眉を下げる。顔面蒼白に見えるなら、多分それはさっきまでの精神的なアレの名残だ。何と言って良いのかわからなくて、曖昧に返事をぼかしながら視線を逸らすと、今度はその先でわたしの顔をじっと伺っていた梅雨ちゃんと目が合った。
 きっと八百万やおちゃんと同じようにわたしの顔色を心配してくれたのだと思うのだけれど――その全てを見透かすような円らな瞳と見つめ合うと、強張っていた肩の力が静かに抜けていく。

「……梅雨ちゃん」
「ケロ?」
「わたし……、思ってることをそのまま言うのなんて、簡単だって思ってた」
「火照ちゃん……」
「……本当の気持ちを伝えるのって、すっごい難しいんだね」

 梅雨ちゃん、すごいや。
 項垂れながら笑うと、蛙じみた大きめの手がそっと伸びてきて、わたしの頭を軽く撫でた。まあるい瞳がにっこり優しく細まって、落ち着きのある声が耳を擽る。

「頑張ったのね」
「……どうかな」
「大丈夫。真摯に伝えようとしたなら、きっと受け止めてもらえているわ」
「……だといいなあ」

 視界の隅で飯田くんと八百万やおちゃんが不思議そうに顔を見合わせ、少し離れた所でデクが小さく微笑んだのが見えた。教室の方へ向かった爆豪あいつとお茶子ちゃんはもう廊下の角を曲がっていて、とっくにその姿は見えなくなっている。

“――次はねえ・・・・。”

 確かにそう聞こえた。聞き間違いでは無いと思う。あまりにも短くて足らない言葉だけれど、つまり、そういうことでいいのかな。あんなにボロボロでみっともない本音だったのに――あれで、正解だったのかな。
 弾かれた額が未だにじんじんと痛む。赤くなったその皮膚の上を、梅雨ちゃんの指が労わるように撫でていった。わたしは静かに目を伏せて、少し慌てた様子のデクが「そろそろ行かないと」と声を掛けてくれるまで、暫しの間その優しさに甘え続けた。

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