「喧嘩ねえ……」

 真っ白なベッドに寝転がったまま纏まりのない言葉をぽつぽつと零すと、椅子に腰掛けているリカバリーガールは静かに相槌を打ってくれた。

 過酷だった期末試験をどうにか終え、場所は既に校舎の救護室へ移っている。会話するわたしと彼女の間にはもう一つベッドがあって、気絶したまままだ目を覚ましていない爆豪あいつがぐったりと横たわっているけれど、それ以外に人の姿は無い。試験終了後、ここまでわたしたちを運び終えたオールマイトはそそくさとどこかへ行ってしまったし、腰をやられて一緒に休んでいたデクは少し前に動けるようになって、別室にいるお茶子ちゃんや飯田くんたちに会いに行ったようだった。彼のことだから、或いは爆豪こいつと話したがっているわたしに何となく気を遣ってくれたのかもしれない。
 そんな風にお膳立てまでしてもらって、わたし自身今度こそ爆豪あいつと会話してみせる、と意気込んでいたはずなのに、時が経つにつれて逃げ出したいような気持ちが徐々に膨らみつつあって――そわそわと落ち着きなく寝返りを打つわたしを見かねて、「どうしたんだい」とリカバリーガールが話し掛けてくれたのが相談会の始まりだった。
 爆豪あいつとは幼馴染なんですけど、昔の喧嘩が変に拗れちゃって、なかなかうまく会話にならないんです――言葉にしてみると案外シンプルな悩みだ。シンプルなだけにお互い妙に凝り固まってしまって、簡単なはずのことが上手くいっていないのかもしれない。重い吐息を漏らしながら語るわたしの顔を見て、リカバリーガールは少しだけ笑った。

「私にゃ、そんなに深く悩む必要もないように見えるけどねえ」
「だといいんですけど……」
「別に心底嫌われてるわけじゃないんだろ?」
「……へ?」

 思いもよらぬ言葉に目を丸くすると、リカバリーガールは回転椅子をくるりと回してこちらに向き直り、眠ったままの爆豪あいつの方をちらりと見遣った。

「試験中、あんたがオールマイト相手に一人で残って追い詰められたとき、二人はあんたを囮に使って自分達だけ密かにゲートへ向かうことだってできたはずだ。それでも――爆豪勝己は、あんたを見捨てなかったじゃないか」
「……、」
「緑谷の口添えがあったとしても……どうでもいい人間をわざわざ拾いに行くほど、器に余裕のある子には見えないけどね」

 思えば確かに、あの時点では一応オールマイトはわたし一人に釘付けになっていた訳だし、その間に二人だけで脱出ゲートまでの距離を縮めることもできた筈だった。そういう意味ではリカバリーガールの言葉にも一理あるのかもしれないけれど――いや、単にわたしが彼を引き付けているうちに奇襲を仕掛けて、確実に一撃入れておきたいという目論見があっただけかもしれないし、そもそも勝ちにこだわっていた爆豪あいつの頭には“オールマイトを無視する”という選択肢が最初はなから無かっただけかもしれないし……何とも言えない。
 第一今日の爆豪あいつは、この世で一番毛嫌いしていると言っても過言ではなさそうな幼馴染デクの存在を、不本意ながら受け入れたのだ。だったら、試験中の爆豪やつの行動から好きやら嫌いやらを推し量ることなんてできるはずもない。
 そんな答えの出しようもない推論を一通り巡らせるうちに、思わず何度目かの深い溜息が零れた。ぐだぐだ考えたってどうにもならないということくらい、もうとっくに理解してはいるのだけれど――心の準備をしようとすればするほど、“笑うな”と吠えた爆豪あいつの赤い目が脳裏をちらついて、胃の奥がぎゅうと縮むような気持ちがした。どうしようもなく足が竦む。

「……こんなに怖いの、生まれて初めてかも……」
「若いねえ。そんなに構えなくても、こういうのはなるようになるもんさ」

 肩を竦めながら笑って、リカバリーガールはそれきり口を閉ざす。わたしもこれ以上弱音を吐き続けても仕方ないように思えて、掛けてもらっていた薄手のブランケットを顔の上まで引き上げた。
 何から話せばいいんだろう――というか、“聞いてもらう”と宣言してはみたけれど、本当に耳を貸してもらえるんだろうか?謝らなければならないことは色々あるけれど、今更……許してもらえるのかなあ。
 あれこれ悩みながら目を伏せるうち、寄せては返す波のように断続的にやってきた睡魔が、次第に意識をさらっていって――。





 そして、気付けばこの大して広くない救護室に、爆豪あいつと二人でぽつんと取り残されてしまっていた。

 デクはまだ戻ってきていないようだし、リカバリーガールまで気を利かせて部屋を出て行ってしまった。いつの間にか目覚めていたらしい爆豪あいつは、こちらに背を向けてベッドに転がったまま、ただ不機嫌そうに虚空を睨みつけている。
 わたしはそんな彼の横で、隣のベッドに座り込んだままずっと言葉を探していた。“喋ってもいい?”と了承を取ってみたものの、いざとなるとやっぱり言葉が喉につっかえて出てこない。そうこうするうちに、小さく舌打ちを漏らした爆豪あいつが徐に上半身を起こし、その傷だらけの手が苛立ちを抑えるようにシーツを握り込んだのが見えた。元より短気な性分の彼はあっさり痺れを切らしてしまったらしい。

「早よ喋れや」
「ご、ごめん、ちょっと待って……」
「――あ?」

 明らかに怒気を孕んだ声音に若干の申し訳なさを覚えつつ、つい両手を顔の前に掲げて待ったを掛けると、全身から苛立ちの気配を放ちまくっていた彼が不意に妙な声を上げた。
 思わぬ反応に指の隙間から向こうの様子を伺うと、訝しげにこちらを睨む爆豪あいつの赤い目が見える。よくよく辿ればその視線はわたしの顔ではなくて、前に出された右手の方に向けられているようだった。思わず掲げた自分の掌をひっくり返してまじまじと眺め――納得する。
 少し前まで火傷で爛れていた両手は、既にリカバリーガールの治癒のお陰で跡ひとつなく・・・・・・完治していた。割と大きめの傷だったし、すぐに冷やせなかったから跡が残るかも、全く何やってんだいと当初はお小言を貰ったけれど、今わたしの右手に残っているのはいつぞやの路地裏で受けたナイフの跡だけ。爆豪あいつも試験中は気遣う様子なんて微塵もなかった癖に、そういう細かいところには良く気付いてしまうらしい。

「これ……さっき治癒掛けてもらったんだけど、何かあり得ないくらい綺麗に治っちゃって。デクが言ってたんだけど、ずっと使ってなかった“個性”だからまだ体が慣れてないだけで、掌には潜在的な熱とか火傷への耐性があるんじゃないかって……」
「……どーでもいいわ、クソが」

 説明を求められているような気がして喋ってみたけれど、爆豪あいつはそっけなくそれだけ返して視線を逸らすと、そのまま後ろの壁に背を預けて黙り込んだ。
 再び静寂が場を支配する。壁掛け時計の秒針の音がいやに大きく響いて聞こえた。爆豪あいつは口を開かない。どうやら一応、わたしが話し出すのをもう少しだけ待ってくれるつもりではあるらしい。
 全く関係のない話ではあったけれど、少し喋ったお陰で、鉛のように重かった唇も心なしか軽くなったような気がする。わたしは努めて心を落ち着けながら記憶を辿り――試験前、目の前の男が怒鳴り散らしていた内容を思い起こしつつ、どうにか口を開いた。

「……一つだけ、ちゃんと訂正しときたいことがあるんだけどさ」
「……」
「あんたを“弱い”とか“要らない”とか思ったこと、一度も……ないよ」

 ぐ、と爆豪あいつの眉間に皺が寄ったのがわかった。よほど気に障る話題らしいけれど、まずはそこを正さないと始まらない。膝の上に置かれたブランケットの端を指先で弄びながら、一生懸命言葉を探す。

「ていうか、要らないなんて言えるわけないし。あの頃のわたしがどれだけ……」
「……」
「……どれだけ、あんたに寄っかかって生きてたか」

 きっと知る由もないだろう。だって、言葉にして伝えたことなんて一度もなかった。
 歳を重ねるごとに、わたしの家庭環境はどんどん良くない方へ変わっていってしまったけれど、隣家だけは変わらない暖かさでわたしを迎え入れてくれて、幼馴染こいつはいつでもそこにいた。どんなに乱暴でも偉そうでも嫌そうでも、最後には決まって、わたしが居ることを渋々ながら許容してくれた。
 それがどんなに嬉しかったか――伝えることを怠ってきたからこそ、どこかで変に食い違ってしまったのだと思う。わたしが大いに反省すべき点のひとつだ。こんなこと、今更伝えたところで遅いだろうし、却って気色悪がられるだけかもしれないけれど。

「色々あったけどさ。あんたの家に居るときだけが、ほんとに楽しい時間だったの」
「……」
「そこに居てくれるだけで、ほんとに嬉しかったんだよ。たぶん……救われてた」
「……」
「――それにその、実は最近エンデヴァーに会う機会が何度かあって……ちらっと聞いたんだ。あの人に救けてもらった時も、あんたが何かしてくれてたんだよね?」
「…………」
「その辺も含めてさ、本当は早くお礼言わなきゃいけなかったのに、何やかんやでうやむやにしちゃってて……」
「………………」
「昔っからずっと自分のことでいっぱいいっぱいでさ。たくさん救けられてたのに、あんたの気持ちとか、全然考えてこなかったよね……ごめん、いろいろと」

 ついでという訳でもないけれど、しばらく前から胸に引っ掛かりっぱなしだった件もようやく言葉にできた。黙りこくったままの爆豪あいつに向けて一人で喋り続けるのは若干虚しいけれど、またひとつ胸の重石が外れたような感覚に、強張った心がほんのりと和らぎだす。
 ――が、そんなわたしの気持ちを他所に、顰めっ面で沈黙していた爆豪あいつの指がまた白いシーツをぐしゃりと握り込んだ。

「黙れ」

 その言葉自体は、何となく予想していたものだったのだけれど。
 逸らされっぱなしだった不機嫌そうな目が一度完全に伏せられて、そしてわたしの方を睨みつけた。静かな、けれど煮え滾るような感情を宿して見える赤色に思わず息が詰まる。怒りなのか、はたまた別の何かなのか、その正体を完全に推し量ることはできないけれど、とにかく物凄く何かが気に障ったらしい。
 簡単に許してもらえるとは思っていなかったけれど――そんな顔をされるとも思わなかった。反射的に口を噤んだわたしの前で、爆豪あいつの唇が忌々しげに歪む。

「――言いてえことっつーのはそれかよ」
「……、うん」
「どこまでもムカつくクソ女だな、てめェは……」
「ご、ごめ――」
「謝んなや!」

  なんだろう、この――怒らせたいわけではないはずなのに、口を開くたび的確に地雷を踏み抜いてしまっている感じは。
 次第に焦燥も募り始め、他に何と言っていいのかもわからず、自然と謝罪の言葉が口を衝いた。けれど、返ってきたのは酷く苛立たしげな怒鳴り声。大きな音の響きが外まで伝わったのか、窓の向こうからカラスが驚いたように飛び去っていく羽音が聞こえて、同じようにわたしもびくついた。目を丸くして固まるわたしを睨みつけながら、爆豪あいつは鬱憤をぶつけるように掴んだままのシーツをベッドに叩きつけて吠えた。

「下手に出て謝っときゃ何とかなると思ってんのか!?全部自分てめェが悪いことにしときゃそれでいいんか!?」
「い、いや、だって」
「だってもクソもねえ!そんなクソみてえな言葉――」

 そこまで言うと、怒りのままに言葉を吐き捨てていた爆豪あいつの口が一瞬躊躇うように動きを止めた。わたしは最早どうしていいのかもわからなくて、何を問うでもなくその赤い目を見つめ返すことしかできない。時間にすればほんの一瞬に過ぎないはずの沈黙が、まるで永遠のように長く、張り詰めたもののように感じた。やがて、再び震えた爆豪あいつの唇が静寂を破る。

「――“あんたは悪くねえ”って、俺が言われたがってるとでも思ってんのかよ……!!」

 ――その言葉を聞いた瞬間、

「(――……あ、)」

 不意に、夕日に照らされた勝さんかっちやんパパの横顔が、脳裏に蘇った。

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