窓の外から聞こえてくる、エンジンの低い振動。車庫のシャッターが持ち上がる時の、高く軋んだ不快な音。
 それがわたしを地獄のような現実へ引き戻す合図だった。

「――あら、お父さん帰ってきたの?」
「うん。車の音がした」
「明日休みなんだし、たまには泊まってけばいいのに。うちは全然いいんだよ?」
「ううん、お母さんのところに帰らなきゃだから……」
「火照ちゃんはお母さんと仲良いよねぇ。勝己もこんぐらい可愛げあればなー!」

 ごそごそと身支度を済ませるわたしを見ながらかっちゃんママがそんなことを口にすると、ソファに寝そべってお笑い番組を見ていたかっちゃんが「うっせババァ」と小声で呟く。案の定耳ざとく聞きつけた彼女がその頭を引っ叩いて、笑ってしまうくらい小気味いい音が夜更けのリビングに響き渡った。この時間帯になるとしょっちゅう起こる、ある種の日常風景の中ようなお決まりの会話だった。
 かっちゃんはあの通りの性格だし、かっちゃんママもそれを難なく御しきれる程に気が強い。生意気な口を利いた彼が思いっきり叩かれるのはいつものことで――それでも、二人の関係に妙な亀裂や溝が生じることはないのだ。わたしはそれが羨ましくて、少し眩しかった。同じ“家族を殴る”という行為でも、間に信頼と愛情があるだけで、こんなにもあたたかいものに見える。
 そんな爆豪家の仲睦まじさは、目にするたびに元気を貰える反面、時には心に暗い影を落とすこともあった。何だかんだと幸せそうな彼らを見ていると――家に帰るのが、ほんのちょっぴり嫌になる。

 この家の子になれたらいいのに。

 ちょうどいいタイミングで、テレビから観客の笑い声がどっと溢れ出した。キッチンから缶ビールを持って戻ってきたかっちゃんパパも、画面の中で繰り広げられるシュールなコントに思わず小さな笑い声を漏らしている。わたしもウケたふりをして、脳裏に浮かんだどうしようもない願望を人知れず笑い飛ばした。
 “本当は帰りたくない”なんて、言えるはずがない。お母さんの側に居なければならないし、それに――わたしの家で起こっていることを悟られれば、かっちゃんはきっと今までみたいに接してくれなくなる。何よりそれが嫌だった。
 火傷だらけで気味悪がられるかも。最低最悪の父親の娘だと知られて嫌悪されるかも。どうしようもなく弱い奴だと――憐れまれるかも。
 いつか来るかもしれないその日を思うと、たまらなく胸が痛んだ。何も考えずに笑っていられる居場所を失ってしまったら、何を支えに生きていけばいいんだろう。

「は?今のそんなウケねーだろ」
「ええ?面白いと思ったんだけど……」
「かっちゃん割と何見てもウケないもんね」
「あ゛?」

 かっちゃん的には今ひとつなネタだったらしい。怪訝そうにわたしを睨んだ彼の言葉に応えたのはかっちゃんパパで、わたしはそれに乗っかる形でへらりと笑ってみせた。実際わたしはシュールギャグが好きだし、今のネタも割と本気で面白いと思ったし、まだ小三なのに高クオリティな人生を送っているかっちゃんは笑いにさえ厳しい批評眼を発揮しがちだ。それでもまだ腑に落ちないような顔でわたしを見る彼に背を向けて、急ぎ足で玄関へ向かった。
 もたもたしていると、わたしより先にクソ野郎あいつが家の中に辿り着いてしまう。

「今日も晩ご飯ごちそうさまでした!」
「うん、またおいで!」

 わざわざ玄関までお見送りに来てくれたかっちゃんママのすべすべの手が、わたしの髪の毛をくしゃくしゃに撫で回す。
 “またおいで”。その言葉が救いだった。少しの間地獄に耐えれば、またこの賑やかなお家に戻って来られる。優しい温もりの中で身を休めることができる。
 どうしようもない名残惜しさは胸の奥にしまい込んで、乱れた髪を手櫛で適当に梳きながら、すっかり暗くなった屋外へ出た。右手を見やれば、持ち主の心と同様に醜く薄汚れた中古車が、今まさに車庫入れの真っ最中だ。
 いっそ帰って来なければいいのに。奥歯をぐっと噛んで車の窓を睨みつけながら、数メートル横に並んでいる自宅の玄関へ歩き出した。家の電気は消えたまま――きっと今頃、車の音に気付いたお母さんが布団の中で震えてる。早くそばに行って、手を握ってあげなくちゃ。

「おい」

 入り口前の門に手を掛けようとした所で、耳慣れた声がわたしを呼び止めた。さっきまでソファに寝そべっていたはずのかっちゃんが、サンダルをぺたぺた引きずりながらこちらへ歩み寄ってくる。お見送りどころか、帰りの挨拶にさえ滅多に返事もしてくれないような奴なのに――何だろう。首を傾げたわたしの数歩前で立ち止まり、彼は少しの間黙ってわたしを睨みつけた後、短パンのポケットに手を突っ込んでぶっきらぼうに言った。

「そんなに母親が大事か」

 掛けられた言葉は全くもって予想外のものだった。基本的に恥ずかしがってその手の話をしようとしないかっちゃんの口から、あろうことか家族の話題が出てくるなんて――突然のことに質問の深読みもできないまま目をぱちくりさせつつ、とりあえず「うん、大好き」と本心から答えてみると、街灯に照らし出された真紅の目が少し不機嫌そうに細まる。

「……バカかよ」
「へ?」
「――女でマザコンとかきめえなっつったんだよバーカ」
「……そういうあんたも、ほんとはママのこと結構好きだよね?」
「はあ!?」
「来年の母の日も一緒にカーネーション買いに行こうね」
「おめーが無理矢理連れてったんだろが!」
「まーまー」

 夜分だというのに近所迷惑も考えずに怒り出してしまったかっちゃんを適当に宥めると、苛立たしげな舌打ちが返ってくる。結局何の用件だったのかよくわかんないな、なんて思いながら、今度こそ自分の家に帰ろうと踵を返し掛けたその時、もう一度「おい」と声が掛かった。
 振り返ったわたしの目の前に差し出されたのは、彼の掌だった。“個性”のお陰で歳不相応に厚く丈夫な皮に覆われてはいるけれど、まだ子供っぽさの残る少年の手。

「――だったら、母親連れてこっち泊まりゃいいだろ」

 一瞬、告げられた言葉の意味が理解できなかった。
 普段は“来んな”と“はよ帰れ”しか言ってこないかっちゃんが――“泊まりゃいいだろ”だって?彼からそんな言葉を投げかけられたのは多分生まれて初めてだったし、握り返されるのを待っているかのように差し伸べられたまま動かない掌が、ますますわたしの頭を混乱させた。
 恐る恐る表情を伺ってみたけれど、赤い瞳は不機嫌そうな、それでいて真剣な光を灯してこちらを射るだけ。一体どうしちゃったんだろう、実は具合でも悪いのかな――なんて失礼な疑問を内心思い浮かべながら困惑しているわたしの耳に、背後の方にある車庫のシャッターが下りる音が聞こえた。
 振り返った先には大嫌いな父親の姿。車庫の戸締りを終えた父親あいつはすぐにわたしとかっちゃんの存在に気付いて、人のいい笑顔を浮かべながら歩み寄ってきた。

「ああ、火照――それに勝己くんじゃないか。見ない間にまた大きくなったね」
「……」

 声を掛けられたかっちゃんは、わたしに向かって手を伸ばした格好のまま、黙って父親あいつの顔をじっと睨みつけている。その態度に疑問を覚えたのか、はたまた腹が立ったのか、父親あいつはますます笑みを深めながら首を軽く傾け、徐にその手を彼の頭に向かって伸ばした。
 きっとその時は、あくまで普通に髪を撫で回そうとしただけだったのだと思う。徹底的に外面のいいこの男が、よそ様の家の子供に危害を加えるなんてまず有り得ない。だから、仮にそのまましたいようにさせていたとしても、何の問題も起こらなかったはずだった。
 ただ――その薄汚い手が、わたしの大事な人に触れようとすること自体が、容認できなかったのだ。二人の間にするりと割って入り、伸ばされた腕を咄嗟に掴んで止めてしまった理由は、ただそれだけのことだった。

「……お父さん。帰ろ」
「……はは、焼きもちか?しょうがない子だよ、まったく――じゃあね、勝己くん。お父さんとお母さんによろしく」

 代わりにわたしの頭をくしゃりと撫でて、父親あいつは一足先に玄関の扉へ手を掛けた。いけない――わたしも早く、お母さんのところへ行かなくちゃ。

「じゃーね、おやすみ!」

 気が急いていて、軽く手を挙げて挨拶を投げ掛けた後は、かっちゃんの様子も確認せずに家の中へ駆け込んだ。まさか彼がクソ野郎ちちおやの本性を知っているなんて微塵も思わないまま、その後も、翌日も翌々日も、いつも通り・・・・・の日常をただひたすらに繰り返し続けた。

 ああ、思い出してしまった。
 あの日、わたしは――彼の手を取らなかったんだ。





















「――ぐあっ!?」

 鈍い打撃音と悲鳴が聞こえて、はっと我に返った。アスファルトの上、わたしのすぐ足元に鼻を抑えたデクが転がっている。悶絶する彼の体から視線を持ち上げると、籠手を振り抜いた格好のままデクを見下ろす爆豪あいつの姿があった。

「これ以上喋んな」
「……ちょ、」
「てめェもだ!二人してちょっと調子がいいからって喋んな、ムカつくから!」

 何が起こったのかはすぐに分かった。慌ててデクを救け起こしながら抗議の声を上げようとすると、容赦のない拒絶の言葉が無人の市街地演習場にこだました。血走った目に鋭く睨みつけられて、わたしもデクも一瞬口を噤んでしまう。
 試験開始からまだ数分と経っていないのに、チームワークは最悪としか形容のしようがない状態だ。オールマイトと正面から戦うつもりでいるらしい爆豪あいつは、試験が始まると同時に一言も発さないまま脱出ゲートへ続く大きな通りを真っ直ぐに歩き出した。上の空のわたしがその後ろを呆然とついて歩いていた間も、デクは一生懸命奴との会話を試みていたようだった。
 再び歩き出した爆豪あいつの背中に向かって、上半身を起こしたデクがもう一度声を張り上げる。

「待ってよかっちゃん!試験に合格するために僕は言ってるんだよ――聞いてって、かっちゃん!!」
「だァから!!てめェの力なんざ合格に必要ねェって言ってんだ!!」
「怒鳴らないでよ!!それでいつも会話にならないんだよ!!」

 二人の言い合いがどんどん白熱していく。爆豪あいつはいつも以上に頑なだし、怒鳴り返している様子からして、今回ばかりはデクの方も冷静さを欠いているようだ。平時なら間に割って入るくらい訳ない筈なのに、こんな時に限って動揺しっぱなしのわたしは、どんな言葉を二人に掛けたらいいのかわからない。
 何を言っても無責任なように思えてしまう。どう繕っても怒らせてしまうような気がしてならない。薄れかけていた記憶を改めて掘れば掘るほど、自分で思うよりもずっと、幼馴染たちの感情を蔑ろにしてきたことを痛感する。
 辛い日常の中に無理矢理生き甲斐を見つけようとして、かわいそう・・・・・なイズを勝手に庇護の対象にした。クソ野郎ちちおやから守ろうなんて大それた気持ちじゃなくて、ただ自分を満たしてくれる優しい居場所を失いたくないがために――何にも知らない・・・・・・・かっちゃんのままでいて欲しかった、ただそれだけの理由で、手を伸ばしてくれていた彼に嘘をつき続けた。
 イズの時に散々ショックを受けたはずだっだのに、まるで成長していない自分に嫌気が差す。我儘で傲慢。飯田くんの評価もよく的を射ていると言わざるを得ない。結局のところ、昔からわたしは他人を慮ることなく、自分のことだけ考えて生きてきたエゴの塊だったのだ。

 どうしよう。どうすれば。
 何も言えないままデクの背中を支えていたわたしの耳に、ふと遠くから地響きのような轟音が届いた。顔を上げると、大通りの遥か向こう側から土煙が迫ってくるのが見える。
 ――うだうだと悩んでいる場合じゃない。ひしゃげた道路標識が舞い上がる様子がちらりと見えて、わたしは咄嗟にすぐそこにあったデクの頭をS極みぎてで思い切り押さえつけた。

「伏せて!!」
「――ぐっ!?」
「うわっ――!?」

 同時にN極左手で叩いたアスファルトにデクの体を縫い止めた瞬間、嵐のような凄まじい暴風が大通り全体を吹き抜ける。耳元で轟々と鳴り響く空気の音に混じって、ビルのガラスが木っ端微塵に砕ける音が聞こえた。土埃と共に巻き上げられた瓦礫が後方へ吹き飛び、果ては歩道橋までもが不気味な金属音を立てながら歪にたわみ出す。
 あまりの衝撃にふわりと浮きかけた自分の両足をどうにか磁力で繋ぎ止めると、ちょうど前方から吹き飛んできた爆豪あいつが、頭のすぐ上の方を通り過ぎていくところだった。手を伸ばせば届く距離。咄嗟に持ち上げた右手で、物騒ななりをした籠手のレバー部分を掴んで引き止める。
 ――が、

「……ッ、離せ!!」

 風の音に紛れてそんな声が聞こえたかと思うと、籠手ごと勢いよく振り払われてしまった。
 そうする間に嵐の如き衝撃波が止んで、土煙の間から一先ず無事らしい爆豪あいつの苛立たしげな顔がちらりと覗く。急いで“個性”を解除すると、すぐそこの地面に貼り付けられていたデクが、体を起こしながら「ありがとう……!」と呟いた。恐怖と緊張に強張ったその顔は、わたしを振り返らないまま真っ直ぐに前の方を警戒している。
 少しずつ明瞭になっていく景色の向こうに、よく見知った厳つい巨体の影が浮かび上がった。嫌でもわかってしまう。たった今、一瞬で大通りを更地同然に均していった、災害と表現しても差し支えないほどの強烈な暴風は、彼の――オールマイトの拳圧・・だ。

「――街への被害などクソくらえだ。試験だなどと考えていると痛い目見るぞ」

 重りの着いた脚が、舗装が剥がれて剥き出しになった地面を力強く踏み鳴らすと、巻き起こった風が周囲の砂塵を一気に吹き飛ばした。晴れ渡った視界の先から、爛々と光る青い目がわたしたちを見据える。たったそれだけのことで、全身からどっと嫌な汗が噴き出すのがわかる。

「私はヴィランだ、ヒーローよ――真心込めてかかってこい!」

 威圧感。相対した者に畏怖さえ抱かせるような、圧倒的なオーラ。
 咄嗟に捕縛布に手を掛け、恐怖で竦みそうになる脚を奮い立たせて前に出た。何か策があってそうした訳ではなくて――今動かないとこのまま気迫に呑まれてしまいそうな、そんな恐怖が脳裏を過ったための行動だった。

「正面戦闘はマズい――って!?ちょっ、ほたるちゃん!?」

 “逃げ”に一票を投じていたはずのわたしが開幕突っ込んでいったことに度肝を抜かれたのだろう、困惑も露わなイズの声を背中に受けながら考える。付け入る隙があるとすれば、両手両足に装着されている例のハンデ――金属・・製の超圧縮重り。アレを磁力で捕まえられれば、動きを鈍らせるなり熱を通すなりしてダメージを与えられるはずだ。焦りを胸の奥に無理矢理押し込めながら、N極ひだりを纏わせた布を投げつけようとしたその瞬間――、

「予想通りだ、南北少女!」
「――ぐぇっ!?」

 濃ゆい画風の胸板が眼前に迫ってきたかと思うと、丸太のような腕がわたしの胴体をがっちりと捉えていた。かなり低めのラリアット。鳩尾の辺りに強い衝撃が入って、蛙が潰れたような情けない悲鳴が喉から漏れる。それ以上の反応を見せるだけの暇も無く、ぐるりと景色が一回転して、

「最初に前に出てくるのは君だと予想していたし、私も厄介な“個性”の君から片付けるつもりだったんだ――よっ!!」

 ハンマー投げに近い要領で、いとも容易くぶん投げられてしまった。遠心力に乗った体は、大して軽くもないのに弾丸のように派手に吹っ飛び、近くのビルのまだ割れていない窓ガラスを突き破った。閑散としたオフィスの床にしこたま背を打ったわたしの耳に、豪快な爆発音と、「ほたるちゃん!!」というデクの悲鳴が微かに届いた。

「ゲホッ――ごほっ、うえ、」

 ぶつけた背中と、鞭のように打たれた腹がずきずき痛む。窓を破ったせいで身体中切り傷だらけだ。むせ返りながら後悔する。ああ、何やってんだろ。真正面から突っ込んでいったところで、どうにかできる訳なかったのに。
 割れてただの枠になってしまった窓の外から、ズン、と重苦しい地響きの音が聞こえた。きっとオールマイトの攻撃だ。必死に息を整え、軋む体を何とか起こして窓辺に寄ると――ちょうど、目の前のオールマイトから跳び上がって逃げようとしたデクと、その背後からオールマイトに向かって飛び掛かろうとしていた爆豪あいつが、空中で思い切り衝突した所だった。

「……ひっどい、なあ」

 わたしもあいつらも酷い有様だ。いがみ合う者同士が共通の敵を前にして結束する、なんて展開は漫画コミックなら王道なのに、現実のわたし達はまるで纏まる気配がない。情けなくて何だか笑えてきてしまう。
 吹っ飛ばされて一人になったお陰か、動揺と恐怖と焦りでごちゃついていた心が少し落ち着いた。オフィスビルの上階――物理的に高い場所から見ているのもあって、状況を俯瞰できる。
 考えろ。相手は超パワーに超スピード、どこを取っても圧倒的に格上のオールマイトだ。あの速さを振り切って逃げるのはまず無理。戦おうにもわたしの戦闘スピードじゃとてもついていけないし、そもそもダメージらしいダメージを与えられるかどうか。わたし自身にできることは限られている。せいぜい足止めか、もしくは――。

(少しは俺らを――友達・・を信用しろよ。おまえ一人で戦ってるんじゃねえんだから)

 いつかの路地裏で聞いた轟くんの言葉を思い出したのは、オールマイトが発する威圧感が、“ヒーロー殺し”のそれとどこか似通っていたからかもしれない。
 あの時は、わたしの“個性”が戦いに活かしにくいという理由で、前線をデクと轟くんに任せて支援に回ったんだっけ。明らかに格上のヴィラン相手に三対一、撤退の隙がなかなか見出せないほどのスピード差――よくよく考えてみれば、場所の条件こそ全く違うけれど、状況自体はいくつか重なる点がある。
 戦いは適材適所。わたしの“個性”はそもそも支援、妨害向きのものだし、勝利の鍵を握っているのはきっとデクと爆豪あいつらだ。
 だったら――この状況における、わたしの役割・・は。

 きっと、行動に移してしまえば、爆豪あいつはまた「馬鹿にしてんのか」なんて言って怒ってしまうだろう。ひょっとするとデクにも叱られてしまうかもしれない。
 でも、やっぱりわたしは我儘だから――自分の望みのために、自分のしたいようにしか、動けないのだ。

「――かっちゃん!!」

 少し長く考え過ぎた。デクの絶叫で我に返って眼下を見遣ると、彼はいつの間にかガードレールの残骸の下に縫い止められていて、その視線の先には何かを撒き散らしながら吹っ飛んでいく爆豪あいつの姿がある。どうやらボディに強烈な一撃をお見舞いされてしまったらしい。身動きのできないデクを捨て置いて、オールマイトは力なく立ち上がろうとする爆豪あいつの傍へ歩み寄っていった。
 デクは動けず、爆豪あいつは満身創痍。本当ならすぐにでも飛び出していきたいところなのだけれど――まだ駄目だ。ここはぐっと堪えて機を待たねばならない。
 好機は直ぐに訪れた。爆豪あいつに向かって何事か語りかけていたらしいオールマイトが、ふと身振り手振りを止めて拳を握り込む様子が見える。
 確実に相手を仕留められる状況にこそ、隙は生じる――USJ襲撃事件で得た教訓だった。

「(――今だ!)」

 S極みぎを纏わせた足で、同じくS極みぎを被せた窓枠を思い切り蹴って飛び出す。目の前の爆豪あいつに集中しているオールマイトは、やはり頭上から迫るわたしの気配には気付かない。
 まずはここで一発。腕を振りかぶる彼の頭目掛けて捕縛布を投げつけた――のだけれど、それが狙った場所に巻きつくよりも早く、緑色の閃光が視界の隅を横切った。
 ――えっ?
 気を取られたわたしのすぐ側を、地面に突き刺さっていたはずのガードレールの残骸が通り過ぎていく。次いで響いたのは鈍い打撃音。

「負けた方がましだなんて――君が言うなよ!!」

 声を張り上げたデクの拳が、がっちりと爆豪あいつの横っ面を捉えて吹き飛ばした。オールマイトが腕を振り抜くより早く、拘束を抜け出したデクが爆豪あいつを殴って吹っ飛ばしてしまったらしい。なんで!?と叫びたくなるのをぐっと堪えて、わたしも慌てて捕縛布を引く。何にせよ、予想外の事態が起こったことでオールマイトの隙も大きくなった。この機会は逃せない。
 一瞬ひやりとしたけれど――ひとまずは狙い通り、硬い布地が彫りの深い目元の辺りへ幾重にも巻きついて、彼の視界を完全に遮った。

「むう!?」
「デク!爆豪そいつ連れて一旦退いて!」
「ほたるちゃん!無事だっ……」
「時間稼ぐから!勝てる作戦、二人で考えてよ!」
「何言って……まさか一人で残るつもりじゃないよね!?」

 目隠しに使った布を手繰られないように手放しつつ着地、視界を塞がれて動きを止めたオールマイトの足元にすかさずありったけのS極みぎを張り巡らせて距離を取る。「重っ!?」と思いの外軽い調子のリアクションと共に膝を突いた彼を横目に見ながら振り返ると、ほんのり怒りを滲ませたデクの丸い目と、彼のそばに力なく伏せた格好で、まだ焦点が合わないままこちらを睨みつけている爆豪あいつの目、二対の瞳と視線がぶつかった。戻してしまったもので汚れた爆豪あいつの唇が忌々しげに震える。

「てめ……どこまで……、馬鹿に……」

 掠れた声に非難されて、一瞬言葉に詰まってしまう。あくまで拒絶の姿勢を貫こうとする爆豪あいつに対して、果たしてどんな言葉を掛けるのが正解なのか、わたしにはまだわからなかった。
 ――けれど。

(今はどう思っているのか、これからどうしたいのか――お互いの気持ちをちゃんと伝え合うのよ)

 脳裏に浮かんだ梅雨ちゃんの顔が微笑む。結局行き着くところはそこだった。ぐずぐず悩んだってどうにもならない。正解なんて探すだけ無駄なのだ。
 鬱屈としていた胸の中が吹っ切れたような気がする。色々な感情に圧されて強張っていた喉が、ようやく素直に音を紡いだ。

「――あのねえ、確かにわたしもいろいろ悪かったけどさあ!言うだけ言って突っぱねるのってあんまりじゃない!?」
「……は、ァ?」
「わたしだってあんたに言いたいことたくさんあるんだよ!試験これ終わったらちゃんと聞いてもらうからね!」

 蔑ろにしてしまった。いつの間にか傷つけてしまっていた。おまけに気付かないところで救けられて、あろうことかその事実を知ろうともしないまま去ってしまった。
 だからこそ、言いたいことが山ほどあるのだ。ごめんねとか、ありがとうとか……とにかく色々と。

「だから――とりあえず、勝とうよ」

 また“気色悪い”と罵られるのは覚悟の上で口角を持ち上げると、依然どこか虚ろなままの赤い目が小さく見開かれた。同じように目を瞠ったデクは、やがて意を決したように頷いて、爆豪あいつの体を素早く抱え上げる。すぐそこの細い路地へ駆け込む刹那、振り向いた彼は少し不安そうな――けれど、芯の通った強い声で言った。

「――また後で!」
「……うん!」

 頷きながら正面へ向き直ると、ちょうどオールマイトが目元に巻きついた捕縛布を引き剥がした所だった。布の頑丈さに加え、足元の磁力に引かれた重りの重量も相まって、思いの外手間取っていたようだ。解放された目をしぱしぱ瞬かせた彼は、いつものように真っ白な歯を覗かせて笑う。

「逃げられちゃったか……しかしその選択はちと良くないな、少女」
「……そうですか?わたし的には割とアリかなって思うんですけど……」
「いやいや、さっき言っただろう」

 覆しようのない、圧倒的すぎる実力差。こうして目の前に立っているだけで、身体中に鳥肌が立ってしまうほどのオーラがこの人にはある。せめて気持ちは負けてたまるかと減らず口を叩いてみたのだけれど、彼は意にも介さず拳を固めた。

「――どっちにしろ、一番厄介な“個性”の君から片付けるつもりだったってな……!」

 肌を刺すような気迫。全身が総毛立つような桁違いの闘気。USJでの激闘を思い起こさせるそれを感じると、どうしても冷や汗が頬を伝う。それでも、わたしはわたしの我儘のために――幼馴染たちと一緒に勝つため・・・・に、あの二人がいい案を出してくれるまで死ぬ気で粘りきると決めた。

 今回のわたしの役目は――本命の戦力たちがなんとか足並みを揃えてくれるまでの、時間稼ぎ要因。囮役・・だ。

 怖くてたまらないのに、驚くほどすんなりと再び口角が持ち上がっていく。首回りの捕縛布に指を掛けたわたしの顔を見て、オールマイトの薄氷色の目が僅かに細まったような気がした。

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