どこぞの上鳴ほどではないが、もちろん気にはなっている。
 漢として個人的に気に入っている所のあるクラスメイトの彼と、その彼との間に何か因縁を抱えているらしい彼女。切島にとってはどちらも友人だし、近頃は両者の間に流れる――というか、爆豪の纏う雰囲気が一際ぴりついていたのもあって、一層心配な気分にさせられているのは間違いなかった。
 いつぞやの更衣室騒動の様子からして、彼も心底彼女を嫌っている訳ではないように見えるし、彼女の方から一生懸命彼に話しかけている姿を見かけたのは確かその日のうちだった。互いに憎からず思っているのか、はたまた一周回って本当に憎いのかはいまいち判断しかねるが、何とかしてやりたいと奔走する上鳴の気持ちも分からないではない。
 しかし同時に、自尊心の高い爆豪の心の隙間へ強引に手を捩じ込むようなその行為は、かなり危険で野暮なものなのではないかと危惧してもいた。あくまで個人の所感ではあるが、彼女に対する爆豪の態度は、ある種緑谷に対するそれと通ずるものがある――早い話が地雷・・だ。恐らく上鳴や切島のような外部からの訴えかけで除去できるようなものではないし、粗暴だが一本筋の通った男である彼を尊重すればこそ、徒らに触れようとするのはどうしても躊躇われる。

「――っんだよ、南北行っちまったじゃん!ケチ豪!」
「あ゛?」

 昼休み、相澤先生の用事があるとかで足早に出て行ってしまった彼女の背中を教室の出口から覗いていた上鳴は、戻ってくるなり不満も露わにそんな言葉を口にした。当然怒った爆豪に軽く締め上げられる羽目になったのだが……体育祭が明けた頃からもう何度も似たようなやり取りが繰り返されているというのに、上鳴は一向に懲りる気配を見せない。妙なところでへこたれない強かさと立ち直りの早さを持つ男とはいえ、「またやってるよー」と呟いた芦戸の言葉通り、些かしつこいのは否めなかった。
 切島には何となくわかる。上鳴は多分彼女に――南北に感情移入してしまっているのだ。切っ掛けが何だったのかは知らないが、今の彼はすっかり彼女の味方で、どうしても爆豪を何とかしたいと思っているらしい。ともすれば彼女の意思さえも飛び越えんばかりの勢いで。
 にしても強引に本人たちをぶつけようとするのではなく、もっとマイルドなやり方があるのでは――と思いはするが、生憎切島も直球勝負の男、小難しい搦め手が不得手という意味では上鳴と同類だ。自分達の勉強会に彼女を混ぜてやればいい、という提案を肯定してやるのが精一杯の援護だったのだが、それも爆豪にあっさりと却下されてしまった。はっきりと拒否されてしまった以上、この上しつこく食い下がっても無駄だろう。

 ――けれど、一つだけ気にかかる。
 上鳴は“ケチ”などと罵ったが、先ほどの様子からして、何も憎くて提案を蹴ったわけではないらしい。“無駄骨”――何やら理由わけありのように聞こえたその言い分について問うてみると、爆豪は締め上げた上鳴の首根っこを掴み上げたまま、面倒そうに舌打ちを漏らした。

「あいつは一人でダラダラ要領悪く考えんのが好きなんだよ。人の話なんざ聞きゃしねェ、構うだけ無駄だ」

 勝手にやらせておいた方が成績も伸びる、と続けた爆豪の手の中で、顔を上げた上鳴が「いやおめェマジ……南北の何なん?担任?」と呟き、飛んできた拳骨で再びぐったりとうな垂れた。確認の意味も込めて、教室の後方にいたもう一人の幼馴染――緑谷を振り返ってみる。はらはらとした面持ちで成り行きを見守っていた彼は、切島の視線に気付くと困ったように頷いた。
 その時は、“ああそうなのか”と何となく納得しつつも、今ひとつ理解できないでいたのだが――。







 ――ガラス一枚隔たれた向こう側の光景を眺めるうちに、切島は朧げに理解し始めていたた。なるほど、そういうことらしい。

 初夏の日差しが首筋をじりじりと焼く中、涼を求めて店内へ踏み入ろうとした切島の首根っこを掴んで止めたのは、それまで気怠げに半歩前を歩いていた筈の爆豪だった。
 前方に見えるドアにプリントされているロゴは、間違いなく先日“教え殺される会”の会場として指定したファミレスのもの。何か間違いを犯した訳ではないはずだが――「どうした?」と声を掛けながら振り向くと、爆豪の視線は切島にではなく、店内の様子を惜しげも無く曝け出している大きな窓の方へと向けられている。
 問いかけに応えるでもなく、微動だにしないまま一点を見つめている彼の視線を追ってみると、何やら見覚えのある人影を店内に見つけた。窓際の空席と通路を挟んだ向こう側、テーブル席に腰掛けている自分達と同じ年頃の男子。休日の午前でまだ人が疎らなのもあって、彼の逆立ったすみれ色の髪がやたらと目立って見える。
 あれは、体育祭前にA組の教室前で啖呵を切って、当日には決勝トーナメントで緑谷と戦った普通科の……名前は確か、心操だったか。テーブルの上にはノートと問題集らしきものが広がっている。どうやら自分達同様、期末テスト前の勉強にファミレスを利用しているらしいが――その視線は手元の紙面ではなく、じっと正面を見つめているようだった。そこでようやく、切島は彼の正面に腰掛けている女子の存在に気付く。
 心操とは対照的に、髪を垂らしながら机の上のノートに噛り付いて手を動かしている少女。途中鬱陶しそうに耳へ掛けられた髪の向こうから覗いた横顔は、切島もよく知るクラスメイトのものだった。

「南北!?なんであいつと――」

 思わず声を上げてしまってからはっとして爆豪の様子を伺ったが、彼は依然切島の襟に指を引っ掛けたまま、どこかつまらなさそうに二人の様子を眺めている。
 そういえばあの二人は騎馬戦でチームを組んでいたのだった。連絡先を交換したとかいう南北が、峰田や上鳴に普通科女子のコネをせがまれていたのを思い出す。要するに二人は歴とした友人同士で、休日に勉強会を開いていたとしても何らおかしな点は無い――はず、なのだが。
 つい爆豪の様子を伺ってしまったのは、先日の更衣室騒動の中で一部の男子が口にしていた、“修羅場”や“痴話喧嘩”といった語句が脳裏を過ぎったからだった。結果として誰一人その辺りの言葉を否定しなかったのが始末に負えない。つまり、爆豪がまた――いや、あの時本当にそうだったのかは全くわからないままなのだが――また嫉妬か何かで怒り出してしまわないか、そんな危惧の念を咄嗟に抱いてしまったのだ。
 が、そんな切島の思いとは裏腹に、爆豪はやはり無言のまま店内をじっと見つめている。引き結ばれた唇の形はあまり上機嫌とは言えないが、かといって特別激しい感情を抱いている訳でも無いらしい。ひとまず安堵を覚えながら、切島は再度店内へと視線を戻した。
 ――向かい合う二人の間に流れる奇妙な空気に気付いたのは、その時のことだった。

 南北はノートから視線を上げないままずっと手を動かし続けているのだが、心操の方はペンも持たずにそんな彼女の様子をじっと眺めているだけ。時折グラスに入った飲み物に口をつけては、頬杖をついて観察に戻る。
 ふと、それまでせっせと動いていた手が止まり、南北が悩むようにペンの尻で自分のこめかみ辺りをとんとん叩いた。問題の途中で躓いたのだろうか、ペン先はなかなか紙面へ戻らない。
 すると、それまで黙って視線を送っていた心操が、そっと身を乗り出して彼女の手元にあるノートを覗き込む。文字の羅列を一通り目で追ったらしい彼は、浮かせていた腰を自分の席に戻すと再び頬杖をついた。
 何してんだ、アレ。教え合うでもないらしい二人の様子に切島が首を傾げたその時、不意に心操が口を開いて何事かを告げた。瞬間、それまでノートしか見ていなかった南北が勢いよく顔を上げ、彼の顔の前に掌を翳して制止するような仕草を見せる。怒った風に何事かを捲し立てる彼女の眼前で、心操の口元が呆れたように――それでいて、どこか意地悪く吊り上がったのが見えた。

「……だから無駄だっつったろ」

 背後から告げられた言葉は切島に向けられたもののようだった。頭の中で、先日の爆豪の言葉と目の前の光景がゆっくりと結びつき、やがて一つの答えに辿り着く。つまり彼女は――勉強を教えられるのが嫌い、ということなのだろうか。無理矢理遮られた心操の言葉は、行き詰まった彼女を救けるためのアドバイスだったのかもしれない。
 変わってんなあ、と乾いた笑みを漏らしている間に、切島の襟を捕まえていた指が離れていった。午前とはいえ夏の日差しは眩しく熱い。いい加減喉も渇いていた切島はようやく入店かと喜んだのだが、爆豪はふいと窓から目を背けると、 あろうことか入り口とは真逆の方向へ歩き出す。「おい!?」と慌てて呼び掛けると、ポケットに手を突っ込んだ彼は振り返るそぶりも見せないまま「店変えんぞ」とだけ唸った。
 咄嗟に先程まで見ていた二人の席の方を振り返ると、いつの間にかこちらを向いていたすみれ色の目と視線がぶつかった。頬杖をついた心操が、今度は目の前の南北ではなく窓越しの切島たちをじっと見つめている。不躾に観察してしまった負い目も手伝って、切島は思わず一瞬息を詰め――何に対してなのかよくわからない謝罪を目の前で合わせた両手に込めてから、さっさと行ってしまった爆豪の後を追った。

「――なあ、別に店まで変える必要は無くねェか!?いくらなんでもやりすぎっつーか、何からしくねェっつーか……!」
「うっせェな、俺ぁ腹減ってんだよ!あんなとこで食ったら飯が不味くなんだろが!」
「ならねえって!んな露骨に避けられてんの知ったら南北傷つくだろ、流石に!」
「んなもん今更――」

 隣に並んで諭す切島を苛立たしげに一瞥した爆豪は、応酬の勢いのままに溢しかけた言葉をはっとしたように切って、盛大な舌打ちをひとつ鳴らす。何を言いかけたのかはわからないが――或いは彼自身、自分の行動がある意味子供じみているようにすら見えることをきちんと自覚しているのかもしれなかった。
 そもそも爆豪は他人に道を譲らない男だ。仮にあの席に着いていたのが緑谷だったなら、同じように“飯が不味くなる”という感情を抱いたとしても、爆豪は不機嫌全開で怒鳴り散らしながら入店したかもしれない。少なくとも黙って立ち去るという選択肢は出なかったのではないだろうか、と切島は思った。

「――この際はっきり言っとく。アホ面もてめェも、次余計な口出しやがったら容赦しねェ」

 凄みのある声音だった。有無を言わさぬその様子に若干気圧されつつも、切島は隣を歩く爆豪の顔を見る。
 赤い目は既に切島ではなく前方の虚空を睨み据えていた。刺すような鋭い視線には覚えがある。先日、帰り際の教室で緑谷と轟相手に“完膚無きまでに叩きのめす”と宣言した時の――切島自身が“マジの爆豪”と称したあの時の目と、よく似ていた。

「仲直りとか訳わかんねェことほざくな。やることなんざ一つしかねェんだよ……期末でデクも轟も、あいつ自身も叩き潰して――俺が線より上・・・・だってことをわからせてやる」
「爆豪……、」

 切島自身は特別しつこく彼らに干渉していた訳ではない。何やら各所への恨みや怒りが収束しているような気がする上、何を意味するのかわからない言葉もいくらかあったのだが――先日同様、爆豪が生半なまなかならぬ心持ちでそれを口にしたのだということだけは、詳しい事情を知らない彼にもよくわかった。
 言葉を切って黙々と歩く爆豪の横顔を暫し見つめた後、決意と共に拳を固める。これは放棄ではない。尊重だ。

「――おうよ!そこまで言うんなら、俺はおまえにはもう口出ししねェし、上鳴にも今の伝えとく。男にはどうしても引き下がれねえ時ってモンがあるんだよな!わかるぜ、爆豪!」
「……勝手にわかんなクソ」
「その代わり、最後に一個だけ聞きてェんだけど……」

 拳を振りながら言うと、爆豪は至極面倒そうに視線を寄越した。一個だけと口にはしたが、実際彼と彼女、それに緑谷や轟を含めた周囲の出来事について、気になる点はあまりにも多い。いくつか思いついた内のどれを口に出すべきか迷った挙句――ちょうどその時近くであのすみれ色を見かけたこともあって、切島はふと、乱暴にも彼女の尻を蹴り上げた爆豪の後ろ姿を思い出した。

「……なあ、体育祭ン時のおめェら、結構仲良かったよな」
「あァ?」
「おめェにしては珍しく、あん時だけは自分から南北の方行ったりしてたしよ」

 “仲が良かった”などと言うと、見ていた者によっては異を唱えられてしまうかもしれないが。少なくとも、あの日一日爆豪を見ていた切島の感想としては、そう言っても差し支えないのではないかと思う。
 とにかく珍しい行動が多かったのだ。彼女の試合中に突然立ち上がって前に出て行ったのもそうだし、それより前――騎馬戦のチーム決め中にも、不意に見つけた彼女の後ろ姿を追って行った事があった。まだ残りの騎馬も決まっていないというのにふらりと動き出してしまった背中を追いかけた先で、彼が思い切り彼女の尻を蹴っ飛ばすなどという暴挙に出ていたのを見た時は流石に度肝を抜かれたが。

 けれどそこで切島は、彼が彼女を“火照”と呼ぶのだということを初めて知った。

「笑い方が……、」

 質問というよりはただの思い出話のようになってしまったが、“なんであの時は”という切島の疑問は伝わったらしい。爆豪はそう呟いた後、むっすりと口を引き結んで一度押し黙った。言葉を探しているのか、或いはやはり語りたくなどないと思い直したのか、何れにせよ切島には待つことしかできない。

 二人分の足音と、道路を通る車の音、公園で遊ぶ子供の高い声。ありふれた街の雑音を聞きながら、横断歩道の先にあった木陰に差し掛かったその時、木の幹に止まっていたらしい蝉が突然鳴いた。耳を刺すようなその音が皮切りになったのか、水面に波紋が広がるようにして次々と鳴き声が上がり、一帯に植わった街路樹から響き渡るそれはいつしか大合唱に変わっていく。
 音の雨。まさしく蝉時雨だ。もっと遠くで聞けば季節の風物詩として楽しめたのかもしれないが、真横からがなり立てられると流石に驚いてしまう。思わず歩みを早めた切島は、ふと隣に並んでいた爆豪の足が見えないことに気付いた。
 あれで意外と騒音を好まない彼のことだ。常ならば苛立ちも露わにさっさと立ち去ってしまいそうなものだが――振り返った先に見えた彼は、蝉が止まっている木の方をじっと見つめている。視線を追うと、等間隔に植わった木々の隙間から赤い滑り台が見えた。向こうには公園があるらしい。遊具の周りでは幼い男女の子供たちが数名、ボールを蹴ったり投げたりして無邪気に遊び回っている。暫く立ち止まってそちらを眺めていた爆豪は、やがてふいと視線を公園から背け、再び不機嫌そうに歩き出した。

――クソほどムカつく笑い方だったが、気持ち悪くなかった。……そんだけだ、クソ

 追い付いてきた彼と並んで歩き出した切島の耳を、何事か呟かれた言葉が掠めていったような気がしたが、空から降るような鳴き声の洪水に攫われてよく聞き取ることができない。
 尋ね返しても、きっと二度目は言って貰えやしないだろう。潔く諦めて「んじゃ、駅前のファミレス行くか!」と話を切り替えながらも、聞き逃した言葉を“ツイてねえな”とほんの少し惜しんで、切島は耳に張り付く時雨の音を振り払うように軽く首を回した。

 もっとも――聞き取ることができたとしても、やはり彼にはきっと、その意味を汲み取ることは出来なかっただろうけれど。


























「――爆豪とは上手くいってる?」

 こんがらがって縺れていた思考の糸が、その一言でぷつんと切れた。ついでにノートへ押し付けていたシャーペンの芯もぽきりと折れる。恨みがましく目の前の心操くんを見上げてみたが、彼はわたしではなく窓の外の方を見ているようだった。程なくして戻ってきたすみれ色の目は、わたしの顔を見るや否や「フッ」という微かな笑い声と共に斜め下へと逸れていく。

「……なに?」
「いや、見たことない顔してんなと思って」
「もう、あとちょっとでわかりそうだったのに……!」
「ちなみにその式は二本目の解が……」
「駄目ー!!言わないで!!」

 また遮ってしまってからハッとして彼の様子を伺うと、にんまりと意地悪く弧を描いた口元が目に入る。どうやらわたしの身勝手な我儘を受け入れてくれている――というか、禁を破ろうとする度に大騒ぎするわたしの様子に面白さを見出してくれているらしい。気を悪くした様子が無いのにはほっとしたが、それはそれで複雑というか。

 ……こんなやり取りをもう何度も繰り返すうちに、“無駄骨”という言葉の出所もすんなりと思い出せた。
 小学校三年生の頃、当時割り算で思いっきり躓いていたわたしの宿題に爆豪かっちゃんが付き合ってくれたことがあった。ところがわたしは横から口を出されるとさっぱり頭に入ってこないタイプで、あいつが救け舟を出そうとする度に「言わないで!!黙って見てて!!」と遮っては自力で解けるまで悩み続けるというのを延々繰り返し――「こういうのを“無駄骨”っつーんだよ知ってっか!?二度とおめェの宿題手伝ってやんねえからな!!」とブチ切れられたことがあったのだ。
 実際宿題を手伝って貰う話になったのはそれが最初で最後だったし、イナサはそういうわたしの性分を察してくれていたのか勉強に口を出してくることもなかったから、今の今まですっかり忘れていた出来事だった。教えようかと言われて一緒に勉強しているのに、こっちが教わる気ゼロなのだから、目の前の彼にとってはまさしく“無駄骨”もいい所だ。せっかく時間作ってくれたのにごめんね、と謝ると、心操くんは「まあ退屈はしてないし。平気」と言ってくれたので、現状その優しさに甘えてしまっている。

 無論その寛容さにはとても感謝しているのだけれど――なんだってこんな所でまで、それも彼の口から爆豪あいつの名前が出てくるんだろう。思わず溜息を吐き出したわたしの反応をどう捉えたのかは知らないが、心操くんは溶けた氷で薄まったアイスティーを飲み干して言った。

「――いや、あんたも大変そうだなと」
「……何が?」
「さあね」

 湿った唇がまた弧を描く。体育祭の頃は、わたしが色々と迷惑を掛けたお陰で疲れた顔をさせてしまうことが多かったのだけれど、文字だけでのやりとりを経て再会した彼は、幾分意地悪な本性を曝け出しているようだった。心底嫌そうに連絡先を交換してもらったあの頃と比べて、仲良くなれたと思えば嬉しいようでもあり、さり気なく遊ばれているのだと思うとやや不服でもあり。
 何とも言えない気持ちで、すっかり水と混ざって不味くなったココアをちまちまと口に含んでいると、心操くんは手に取ったペンをくるくる回して弄び始める。

「……本当はさ。ヒーロー科と馴れ合うつもりなんてさらさらなかったんだ」
「へ?」
「スタートで出遅れてる普通科おれらにとっちゃ、あんたらは越えるべき壁だから。実際今もあんたのことをそう思ってる」
「ええ……ほんと?」
「写真写りが死ぬほど悪いエンデヴァーオタクでも、ヒーロー候補生には違いないだろ」

 くつくつと笑われてしまったのは、先ほどうっかりスマホのロック画面を――いつぞやの病院で撮ったわたしとエンデヴァーの変てこなツーショット写真を見られてしまったからだろう。あの時のこっちの心境を知らない彼的には、険しい顔のエンデヴァーの横で間抜け面をしているわたしの姿が大変ツボだったらしい。しかもこれを撮ったのは轟くんなんだよ、というもう一つのびっくりポイントまでは、彼をあまり知らない心操くんとは残念ながら分かち合えなかったけれど。
 一頻り笑った心操くんは、手元のペンに落とした視線はそのままに、ふと真面目な顔で呟いた。

「何でだろうな。あの時、あんたの言葉が……、」
「?」
「……騎馬戦の時、俺になんて言ったか、あんた覚えてるか?」
「えっ、と――試合中?うーん、何て……エンデヴァーの話はしたよね、確か」
「その前」
「……あー、13号先生の話もした……ような?」
「その後」
「えー!?間になんかあったっけ……?」

 早いもので体育祭もかれこれ二ヶ月近く前のことだ。その間に色々事件が多かったこともあって、細かな会話内容はすっかり朧げに霞んでしまっている。彼にとってはこうして尋ねてくる程重大な発言だったはずなのに、少しも引っ掛けられないなんて――何て薄情な。後ろめたさから伺うように心操くんを見遣ると、彼は意外にも「だと思った」と目元をほのかに和らげた。

「記憶に残らないくらい当たり前に言われた台詞だったから、あんなにすんなり入ってきたのかも。他の奴に言われても、あの時は多分……ムカつくだけだった」
「……わたし、そんな酷いこと言ってた?」
「……」

 こっちは真剣に案じているっていうのに、心操くんはまた口元に手を当てて笑いを噛み殺そうとしている。もういいですよ。不貞腐れ気味にノートに綴られた途中式へ視線を落とすと、そのノートそのものがひょいと何処かへ持ち去られてしまった。顔を上げたわたしの丸く見開かれた目を、ちょうど目の前でノートをつまみ上げていた心操くんの目がじっと見つめる。

「そんな調子じゃ、爆豪も大変だろうな」
「は?」
「柄じゃないけど同情しそうだ」
「何?わたし貶されてる?」
「……なあ」

 またも爆豪あいつを引き合いに出した心操くんが何を言わんとしているのか、やっぱり今ひとつピンと来ない。わたしを憐れんだり爆豪あいつに同情したり忙しい人だ。困惑するわたしの前で、悶々と縺れた思考の糸を丸ごと封じ込めるように、まだ書きかけだったノートがぱたりと閉じられた。

「あいつが嫌になったら、いつでも来なよ」

 吸い込まれそうな深みを帯びた視線が、ただ一点、わたしの目だけに注がれている。別に彼が恐ろしい顔をしているというわけでもないのに、蛇に睨まれた蛙のように動けないまま、わたしもただその瞳を見つめ返していた。

 嫌になったら。

 広義で言えばとっくに“嫌になってる”のかもしれない。誰かさんのせいで憂鬱な気分になることは少なくないし、この間飯田くんと帰った日みたいにむかむかする事もあるし、色んなことが手につかないほど考え込んでしまうことも少なくないし。
 それでもわたしは、爆豪あいつのことを考えるその憂鬱で悲惨な時間をなかなか手放せないでいる。投げ出してしまおうという気は――少なくとも今すぐには起きなさそうだった。
 不意に巡ったそんな思考に、気付いてしまった自分の不毛さに何だか呆れてしまって、つい押し殺し損ねた笑いが吐息に混じって出ていく。それを見た心操くんは、一瞬唇を真一文字に引き結んだ後――ゆっくりと緩めて、また意地の悪い笑みを薄っすらと浮かべてみせた。

「愚痴くらいは聞いてやるから」
「へへ、ありがと……また相談窓口増えちゃったなあ」

 飯田くんや梅雨ちゃんお茶子ちゃんに続いて、普通科の心操くんにまで奴との不仲を心配されてしまうとは。若干情けない気持ちになって眉を下げると、心操くんは浅く溜息を吐いた後、閉じたノートをわたしの目の前にぽんと投げ出した。次いで自分の鞄を漁り、付箋が貼られた古文の教科書やワークをテーブルの上に広げていく。「そろそろ俺の相談にも乗って欲しいんだけど」という言葉で彼との約束を思い出したわたしは、慌てて荷物から電子辞書を引っ張り出してシャーペンを握り直した。

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