『入院!?』

 電話口から聞こえる大音声に思わずスマホを取り落としかけた。びくりと体を揺らしたわたしの挙動が目に付いたのだろう、周囲を歩く人々の視線が集まってくるのを感じる。慌てて本体のボリュームボタンを何度か押下しながら、目の前にあった休憩所の隅の方、自販機横の窓際へそそくさと駆け込んだ。

「ちょっと!鼓膜破れる……!」
『入院ってなんだ!!負傷したのか!?』
「まあちょっと……腹とか刺されちゃった」
『腹!?誰に!!』
「“ヒーロー殺し”……ばったり会っちゃって」
『……、』

 騒がしかった声がぴたりと止んで、息を呑むような音だけが僅かに聞こえた。絶句するイナサというのも何だか珍しい。重苦しく気まずい沈黙に耐えつつ、真新しい包帯が巻かれた腹を入院着の上から軽く摩る。

 “ヒーロー殺し”との死闘から一夜明けて、場所は保須総合病院。あの後謎の脳みそおっぴろげ人間――USJに現れた“脳無”とよく似たヴィランの襲撃を受けてもう一悶着あったりしつつ、わたし達はなんとか五体満足でこの病院に担ぎ込まれた。
 保須での事件発生は昨夜のうちに速報としてニュースになっていたらしい。今日になって携帯を見てみると、わたしの保須行きを知っていた人達からいくつか心配の連絡が入っていた。職場体験先について世間話で伝えていたイナサからも例のごとく安否確認が来ていて、「生きてます」と返信したところ秒で着信があり、数日入院することになった旨を伝えた結果が冒頭のアレだ。
 よくよく考えれば、子供の頃からイナサには心配を掛けっぱなしだった――と省みるだけの余裕が、今回の一件を経てやっと生まれたような気がする。何も考えずに体を張ってしまうわたしと仲のいい友達でいるのは、どれだけ精神衛生的によろしくなかっただろう。

「大丈夫。傷浅いし命にも別状ないし、少ししたら退院できるって言われた」
『……そっか。……いや、正直ニュースを見た時から予感はしてたんだ』
「へ?」
『運が無いというか、とにかくそういうのには片っ端から巻き込まれるタイプだからな。火照は』
「そ、そう?」
『そうだ!』
「ごめんて……」
『まあ、無事ならいいんだが……』

 怒ったようにイナサが何か言い淀む。らしくないその態度に、ああ、ほんとに心配掛けてたんだなあと若干胸を痛めながら、休憩所の窓の外に広がる保須の街並みを見下ろした。

 無事・・――確かに、わたし達の怪我の具合だけ見ればそうとも言えるのかもしれない。けれど、ヒーローとしての資格を持たないわたし達が、不可抗力とはいえ“ヒーロー殺し”を退けるために“個性”を使用してしまったことは、厳しく規制を敷くことで平和の体裁を保っているこの超人社会においてかなり重大なルール違反・・・・・だった。警察署長さんの計らいで“全てはその場に居合わせたエンデヴァーの功績”ということになり、わたし達自身には表立った処罰は下されなかったものの、わたし達を受け入れてくれていた職場体験先の人達には既に多大な迷惑を掛けてしまっている。
 ことフライさんに至っては、あの夜わたし達が“ヒーロー殺し”と戦っていたその裏で、街を蹂躙していた複数の“脳無”たちと交戦していたそうで――今もなお、意識不明の重体から回復していない。大変な怪我を負ってしまった上に、目が覚めたらわたしのせいで減給が待っているのかと思うと、自分の職場体験先不孝ぶりに目眩がしそうな思いだった。
 あの時はただただ必死で、精一杯自分にできることをしたつもりになっていたけれど――一夜明けて現状を突き付けられると、やっぱり何もかもが短慮で、あまりにも未熟だった。反省でいっぱいだ。堪らず何度も溢れるわたしの溜息をイナサはしばらく黙って聞いていたのだけれど、やがてぽつりと、彼の口から出たとは思えない程小さな呟きがスピーカーから漏れる。

『……本当に、目を離すとすぐ遠くへ行ってしまうな』
「ん?」
『――何でもない!!悪いが学校があるんで見舞いには行けん!!お大事にな!!』
「あ、うん……ありがと」

 ぶつり、と電話が切れる音がわたしのお礼とほぼ同時に耳元で響く。怒ってた……よなあ。今度の休みにうどんでも奢ってやらないとだ。
 静かになったスマホをポケットに仕舞い込んで深呼吸、気を取り直して振り返る。いつまでも落ち込んでばかりはいられない。そろそろイズ――じゃない、デク達の様子も確かめに行きたいと思っていたところだ。
 お医者様の気遣いで女のわたしだけ別部屋の個室に入れて貰えたのだけれど、正直無理を言ってでも四人部屋に混ぜて貰えばよかったと、昨日の晩はベッドのシーツに包まりながら後悔しっぱなしだった。死線を潜ったその日に真っ暗な病室で一人きりというのは、何とも言えない心細さに苛まれるものだったから。重傷だった飯田くんの腕も心配だし、今は早くみんなの顔が見たい――、

「――む、」
「あっ……すみません!前見てなかっ……」
「構わん。気を付けて歩……、」

 張り切って足を踏み出した先、さっきまでわたしの背後にあった自販機の前にいつの間にか人が立っていて、前も見ずに歩き出したわたしは肩の辺りを軽くぶつけてしまった。随分大柄なその人はそんな衝突程度ではびくともしなかったのだけれど、慌てて軽く頭を下げたわたしと目が合った途端、みるみるうちにその表情が強張っていく。わたしもわたしで、彼と目が合った瞬間、肺が呼吸の仕方を忘れたみたいにひゅっと詰まって、

「――ほァ……?」

 と、自分でも聞いたことがないようなか細い奇声が漏れる始末だった。目の前でばつが悪そうにわたしを見下ろしている壮年の男性。テレビやネットでよく見かける彼とは少し違うけれど、炎を纏っていないその姿をわたしは既に一度見たことがある。
 間違えようもない。自販機のボタンに指を伸ばした格好のまま固まっている彼は、わたしが誰よりも強く憧れるヒーロー――フレイムヒーロー・エンデヴァーその人だったのだから。






















 覚えていた訳ではない。だが、切っ掛け一つで前後の出来事まで鮮明に思い出せる程度には、エンデヴァーの――轟炎司の記憶の中に、その出来事は刷り込まれていたようだった。
 理由といえば、ひとつしか思い当たらない。

(――お母さんに……近寄るな……!!)

 涙を流す母親の前に立ちはだかっていた子供。その恐怖と憎悪に染まった昏い瞳が、いつか泣きながら“おまえのせいだ”と自分を睨みつけた息子のそれと、どこか重なって見えたからだろう。だからこそあの時も、“君はきっと強くなる”などと、己の願望を滲ませた言葉を吐いてしまった。
 “六年ぶりか”と口にした時の、彼女の酷く驚いた顔が印象に残っている。無理もない――当の炎司とて、体育祭の試合で彼女の絶叫を聞くまですっかり忘れ去っていた。あの夜彼が為したことと言えば、毎夜こそこそと悪事を働いていたろくでなしの父親を軽く締め上げて、さっさと警察に引き渡しただけ。見知らぬ少年に声を掛けられていなければ、あの地味でごく普通な一軒家など目もくれずに通り過ぎてしまうはずだった。
 大きな騒ぎにもならず、派手に取り上げられることもなく、ただささやかに終わった事件。そのはず、だったのだ。









「ああああの、えっと、先日は突然お宅に上がり込んでしまってほんとすみませんでした、あのわたしファンで、あっいえ、ファンだから押しかけたとかではなく、普通に轟くんのご厚意だったんですけれどもあの、というかこの度も大変ご迷惑をお掛けしましてその」
「……、」
「あっえっとサイン――は駄目ですよね、ペン無いしイナサ断られたって言ってた……じゃあえっとえっと、あの、あ、握手してください無理じゃなければ!!」

 真っ赤な顔でまくし立てるその少女が本当にあの子供と同一人物なのかどうか、わかっていても炎司は疑わずにいられなかった。同時に、どうして似ても似つかないこれ・・を大切な自分の最高傑作と重ね合わせていたのか、相手に失礼なのは重々承知の上で己の神経さえも一瞬疑った。
 そんな彼の心境も知らず――というか、相手の心情を慮る余裕があるようには見えない高揚しきった顔で、入院着の少女は包帯に包まれた右手を勢いよく差し出す。日頃から人に媚びない炎司はそういった要求を滅多に飲まない。普段そうするように差し出されたその手をうっかり払い退けかけて――昨晩見かけた彼女の掌の傷を思い出し、すんでのところでどうにか思い留まった。散々騒がしくしたせいだろう、休憩所の外を行き交う見舞客や患者の奇異の視線を背中に感じる。渋々、渋々その手をやんわりと握って、炎司は頭を下げている少女のつむじを睨みつけた。

「……少し静かにしろ。オフで来ているのは見ればわかるだろう」
「はわぁぁぁぁ握手ぅぅぅ――あっすみませっ……えと、なんでこんなところに……あ、いや、轟くんのお見舞いか……そりゃそうだよね」

 半ば独り言のようになり始めた言葉の羅列の中に、息子を指す言葉を聞き取って思わず眉根が寄る。
 見舞う気が全くなかった訳ではない。今日炎司が病院ここに訪れたのは、息子の短期入院に伴う手続きや負傷の具合の説明を受けるためだった。普通ならばそういった事柄は母代わりの冬美長女が請け負うのだが、入院先が保須だったこともあって、仕事で元々滞在していた彼が出張る羽目になったのだ。もののついでに息子の病室を少し覗いていこうかと、確かに内心では計画していた。
 が――、

「轟くん、元気でしたか?今日はまだ会ってなくて、一応怪我はわたしらの中じゃ軽い方だったみたいなんですけど……」
「…………」
「…………もしかして、お見舞いしてなかった……ですか?」

 蓋を開けてみれば病室は大部屋で、息子は共に“ヒーロー殺し”と戦った友人たちと同じ空間に居るのだという。炎司とて一応息子の反抗期・・・は理解している。彼らの前で顔を出したりすれば普段以上に機嫌を損ねて、療養せねばならない少年たちにも要らぬ気を遣わせてしまうことだろう。昼には“ヒーロー殺し”の件で会見を開かねばならないのもあり、諸々をぐっと堪えて帰路に着く決意を固めたのだが、飲み物でも買おうと何気なく立ち寄った自販機の前で出会ってしまったのがこの少女だったのは不運だった、と炎司は思った。押し黙る彼の様子に何かを察したのか、彼女は動揺した面持ちで「なんかすみません……」などと謝っている。

 ――が、これはもしかすると好機かもしれない、という思いが過ぎった。
 勇気ある子供たちが犯した規律違反を揉み消すため、“ヒーロー殺し”を倒した英雄としてエンデヴァーが擁立されることは既に決まっている。取ってもいない手柄を押し付けられるのは非常に癪に障るが、事情が事情だけにそこは飲まざるを得ない。だが実際に“ヒーロー殺し”と一戦交えていない以上、炎司には彼奴がどのようなヴィランだったのか、もはや推して知る以外に術はなかった。その点目の前の少女はこう見えて実際に会敵した内の一人、挙動不審な点に目を瞑れば良い情報源になるはずだ。
 そして何より、級友の危機に飛び出して行った息子が、凶悪な名持ちヴィランを相手にどのような戦いぶりを見せたのか――聞いておきたいというのが本音だった。
 握っていた手を離し、自販機に小銭を押し込んでボタンを二回押す。落ちてきた緑茶のうちの一本を差し出すと、不思議そうに炎司の指の動きを追っていた少女の目が、みるみるうちに丸く見開かれていった。

「少し話を聞きたい。向こうに掛けなさい」
「……、……あの……」
「……何だ」
「……………家宝にします……」
「今飲め……」

 こういった言動や情緒が滅茶苦茶な熱狂的ファンに会ったことがない訳ではないが、大抵がそこそこに歳のいった男ばかり。娘より若い、末の息子と同年代の少女にこうも妙な反応をされ続けるのは、どうにも調子が狂ってかなわない。
 溜息混じりに呟きながら、人気のない休憩所の更に奥の方へと移動する。緊張した面持ちで正面の席に腰掛けた少女は、先ほど言われた通り素直に緑茶の蓋を捻り開けようとして思い切り顔を顰めた。掌の傷が痛んだようだ――これまた渋々手を伸ばしキャップを軽く捻ってやると、彼女は緩んだ緑色のキャップと炎司の顔をどこか恍惚とした表情で見比べて、「エンデヴァーが捻ったキャップ……」などと漏らす。本当に、警戒心剥き出しで自分を威嚇していたあの子供が、一体何をどうすればこんな風に育ってしまうのだろう。

「昨夜の戦いについて聞きたい。焦凍はどうだった――左は使っていたか」
「あ、はい……!凄かったんですよ轟くん!氷だけでもめちゃくちゃ強かったのに、炎も使うようになってますます隙が無くなったっていうか、とにかく圧巻で――」

 一応他人に聞かれてはまずい話だということは分かっているようで、興奮しつつもどこか冷静に周囲の様子を伺いながら少女はぺらぺらと語った。それでも“ヒーロー殺し”の反応速度が息子の技を上回ったと聞いた時には微かに顔も曇ったが、炎熱ひだり側を遺憾なく活用していたという内容の話に炎司は概ね満足する。目の前の少女は結局緑茶に口を付けることも忘れて始終舞い上がった様子ではあったものの、炎司が“ヒーロー殺し”について聞けばきちんと的確な答えが返ってきて――結論から言えば、認めてしまうのはやや複雑だが、そこそこに実りのある時間だった。

「――手間を取らせたな。知りたい事は大体分かった」
「いえ!!わたしなんぞの話で少しでもお力になれたなら嬉しいです!!」

 相も変わらず林檎のように赤い頬で、至極嬉しそうに少女は笑う。幼い時分どころか、つい最近自宅で会った時ともまるで様子が違って見える――と考えたところで、あの時息子に掛けられた言葉を思い出した。
 “人様の家の子供にもそれかよ”――息子をしてそう言わしめる程度には、炎司の言葉はいつも通り、或いはそれ以上に彼女にとって鋭利だったはずだ。だというのに何なのだろう、この幸せと高揚で一杯の満面の笑みは。再び眉間に皺が集まり、思い浮かんだ言葉がそのまま口からぽろりと出ていく。

「……今日といい前回といい、君に特別優しく接した覚えは無いんだが」
「え?あ、はい。全然大丈夫です、エンデヴァーさんが塩対応なのちゃんと知ってますから!むしろ握手とかしてくれてなんか心配になっちゃったくらいで――あっ、嬉しかったですけど!」
「……」
「ファンなんです、わたし!救けてもらったときからずっと――あなたのおかげでヒーロー目指して、雄英高校入っちゃったりして……へへ、これからも勝手にあなたの背中に憧れ続けていく所存です!」

 強い憧れと尊敬――照れたように笑う少女の眼差しからそれらを感じ取って、炎司の眉間に益々深い皺が寄る。
 No.2の彼に憧れてヒーローを志す者は少なからず世の中にいる。別にそれが煩わしい訳ではないし、上を目指すことにしか興味がない炎司にとっては寧ろどうでもいい部類に入る事柄なのだが――この少女から誉めそやされることに限っては、どうしても炎司は快く思えなかった。
 今回・・と同じなのだ。エンデヴァーはそれを実行できない者に代わって事を収め、得るはずもなかった手柄を拾ったに過ぎない。
 大きな騒ぎにもならず、派手に取り上げられることもなく、ただささやかに終わった事件――エンデヴァーにとっては寧ろそうあって然るべき一件だった。だというのに、目の前の少女の人生のしるべとなってしまったのが、あの家の前など平気で素通りしようとしていた自分の方なのだということが、炎司の矜持に酷く障る。

「……憧れるのは勝手だが、俺にばかり感謝するのはお門違いだぞ」
「へ?」
「君を救けたいと思って取った行動ではなかった。言われたから・・・・・・やった、それだけのこと」
「……?」

 炎司の言わんとすることがよく分からないようで、少女はぽかんと口を開けたまま困惑したように首を傾けている。その様を見て察した。
 ああ、六年経った今でも、この娘は知らないのか。あの晩彼女を救ける為にこのエンデヴァーを引き留めた、幼いヒーローの存在を。

「――礼なら隣家の少年に言え。友人なんだろう」

 すとん、と音を立てて、置いたままのペットボトルに掛かっていた細い手がテーブルの上へ落ちた。炎司と出くわした時の興奮した様子ともまた違う、驚愕に染まったまま凍りついた表情。ただその一言だけで微動だにしなくなった少女の喉からひゅっと掠れた音が聞こえて、本当に呼吸の仕方が分からなくなってしまったのではないかと炎司は一瞬顔を強張らせた。
 ……そんなにおかしな事を口にしただろうか。異様な様相に半ば戸惑いながら炎司が再び口を開こうとしたその時、

「――おい。おい、南北」

 聞き慣れた声音が、恐らく少女のものと思しき名前を呼んだ。視線を上げると、ちょうど少女の背後の方から酷く険しい顔付きで末の息子が小走りに寄ってくるのが見える。
 包帯が巻かれた彼の手でとんと肩を叩かれるなり、固まったままだった少女の喉がぜひゅ、と不吉な音を立てた。恐らく我に返ってようやく息を吸い込めたのだろうが、その様子を見て何を勘違いしたのか、益々怒りに燃えた息子の両目が炎司を射抜く。今回ばかりはとんだ濡れ衣だ、と炎司も思わず顔を顰めた。

「おい、またこいつに何か……」
「知らん!俺は何も……」
「――とと、と轟くん?な、なん、なんでここに」
「緑谷が連絡入れたのに返事ねえって……病室にも居ねえから、歩ける飯田と俺で探してた」
「……あっ、ほんとだ……うわごめん」

 憧れのヒーローとの遭遇に無我夢中だったらしい少女は、ポケットから取り出した端末の上で指を滑らせながら青い顔で呟いた。それを確認するや否や、息子は少女の手を取って無理矢理椅子から引っ張り起こし、炎司を軽く睨み据えてから踵を返してしまう。

「もういいだろ。飯田が怪我の件で話があるらしい」
「――あっ、えっ、ちょ……あの、ま、待っ……待っっって!!」

 そのまま引き摺られるように連れ去られそうになった少女は、椅子に掛けたままの炎司の方を物言いたげに何度も振り返り、とうとう大声を上げながら息子の手を強く振り払った。驚いたらしい息子も流石に立ち止まって手を離し、そのまま黙って彼女の次の言葉を待っている。
 少女は酷く動揺しているようだった。青ざめた顔のまま炎司と息子の顔を何度か見比べて、いっそ哀れなほどに混乱しきった顔で頭を抱えたり、「あう」「なんで」「かっ……」などと漏らしながら口をはくつかせたりしている。尋常ならざるその様子に、また息子が「何しやがった」とでも言いたげな視線を困惑混じりに投げかけてきた。それがわかれば苦労しないのだと、炎司も内心固唾を飲んで少女の動向を見守る。
 憧れのヒーローと、彼を嫌っているその息子に挟まれて、つい先程彼女にとっては酷く衝撃的な言葉を投げ掛けられたばかりの少女は、去り際の最後の機会にエンデヴァーへ向けて一体何を口にすべきか酷く迷った。先の言葉について詳しく問うべきか、それとも今日の出来事への感謝を述べるべきか、或いは最後に何か――などと、完全に容量キャパを越えてしまった頭でぐるぐると悩み――やがて考えるのをやめた。ぶるぶる震える手でスマホをきつく握り締めたまま、引き攣った笑顔で呟く。

「さ――最後に……お写真撮ってもらっても、いいですか……?」










 あれほどまでに目を皿にした末息子を見たのは、後にも先にもあの時だけだと後に炎司は回想する。息子も息子で、あんな間抜け面をしたクソ親父を見たのは生まれて初めてだったかもしれない、と語った。
 何だかよく分からないが、何はともあれ――結果的に気に掛かっていた息子の姿を見られたのは良かったではないかと、炎司は自分に言い聞かせながら、やはり青ざめたまま歪な笑顔を浮かべる少女の傍らに並ぶ。完全に妙な雰囲気に呑まれてしまった息子が、複雑そうな面持ちで少女のスマホのシャッターを押す様は、彼らを知る人が見れば何とも言えない気まずさを覚えるだろう、異様な絵面だった。
 敬愛しているんだか不躾なんだかわからない少女の妙なペースに始終巻き込まれっ放しだったと、病室へ帰っていく二人の背中を見送りながら炎司は内心独り言ちる。

 後日何故か少女と連絡先を交換した仲だったらしい冬美むすめにまで奇妙な写真撮影の話を持ち出され、その後数日間は家の廊下ですれ違う息子の顔にも普段とはまた異なる気まずさが浮かんだりなどしつつ――凍りついたような少女の表情とともに、その日の出来事はしばしの間、轟炎司の心の中に鮮烈な印象を残し続けたのだった。

前へ 次へ
戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -