「すみません、ちょっと手荒になっちゃうけど……!」
「待っ――先にそっちの子を……!」

 視線で飯田くんを指しながら声を荒げるプロヒーローさんの体を左手で叩き、反発で浮き上がった彼を引っ張って歩く。地面との摩擦が無くなるというだけで、お茶子ちゃんの“個性”のように重さが無くなる訳ではないから、動かすだけでもちょっとした重労働だ。痛む腹にぐっと力を込めながら歩く最中、逃げようとする獲物を目敏く見つけた“ヒーロー殺し”がナイフを放ったのが横目に見えて思わず足を止めかけたのだけれど、すかさず轟くんの氷がそれを阻んだ。

「大丈夫だ、通さねえ!そっち集中しろ!」
「――う、うん……!」

 反射的に頷きはしたものの、集中なんてできるわけがない。イズと轟くんが必死に“ヒーロー殺し”を牽制しているけれど、奴は二人掛かりの絶え間ない攻撃を化け物じみた反応速度で掻い潜り続けている。地面を蹴る音、氷が砕ける音、刃が空を切る音、壁に映る炎の赤、わたし達の背中を守る轟くんの舌打ち。聞こえてくる全てが不安を煽るばかりで――イズ達が晒されている危険の大きさを思うと気が気じゃなかった。
 でも、彼らはまだ動けない二人をわたしに託して、わたしはそれを引き受けてしまったのだから。とにかく早く逃がさなきゃ。

「舌、噛まないでくださいね……!」

 ようやく程よいところまで運べたプロヒーローさんの傍らに立ち、自分の体に強めのN極ひだりを纏わせる。反発に抗いながらぎりぎりまで抱き寄せた体をぱっと離せば、彼の体は地面から数十センチほど浮き上がったまま、滑るようにして路地の向こう側へ飛んでいった。きっと大通りに出た所で地面に落ちてしまうだろうけど、そこは我慢してもらうしかない。
 まずは一人――次は飯田くんだ。すぐそこに倒れている血だらけの体に急いで手を伸ばそうとしたその時、背後で再び氷が砕ける音が聞こえた。

「ほたるちゃん、上!!」
「クソが……っ!」
「――ッ!」

 イズの叫び声に振り向いたのとほぼ同時に、轟くんが左手の炎を上方に突き出した。砕けて崩れゆく氷壁の上からこちらを狙っていた“ヒーロー殺し”はそれを横っ跳びに躱して、避けざまにナイフを一本、地に伏したままの飯田くん目掛けて投げつける。間一髪、彼から借りた右手の装甲でそれを叩き落として顔を上げると、もう一投の予備動作に入っていた“ヒーロー殺し”にイズが飛び掛っている所だった。
 想像以上に状況が苦しい――というか、“ヒーロー殺し”の動きが先程までより明らかに数段素早く、轟くんの強力な“個性”でも捌き切れない程になってしまっている。二人掛かりでも厳しい上に、相手の“個性”はこちらの動きを封じ込めるもの。誰かが一滴でも血を舐め取られてしまえば簡単に戦線が崩壊してしまう、そんな戦いだった。

「ぎゃ――っ、ごめんっ轟くん……!!」

 そう考えた矢先、炎の轟音に混じってイズの悲鳴が耳に届いた。たくさん血を流している轟くんに代わって前線を引き受けた彼が謝った・・・ということは、もしかすると血を舐め取られてしまったのかもしれない――急がなければ。
 今度こそ飯田くんの体に左手を触れさせる。力なく浮き上がった彼の口から、涙声の呻きが漏れた。

「やめてくれ……僕は、もう……」
「――やめてほしけりゃ立て!!」

 消え入るような呟きが聞こえたのだろう、轟くんが左側を燃え上がらせながら叫ぶ。

「なりてえもんちゃんと見ろ!!」

 ひゅ、と飯田くんの喉から息を詰める音が聞こえた。“ヒーロー殺し”のひりつくような殺気がどんどんこちらに近づいて来ている。とにかく急いで浮かんだ彼の血だらけの手を手繰り寄せようとしたその時、背中に鋭い痛みが走った。

「……うっ!?」
「しまっ――」
「轟くん、前!!」

 目視で確認することは叶わないけれど、どうやら氷壁の隙から放たれた小さなナイフが、わたしの肩甲骨の上辺りに突き刺さっているようだった。伸ばしていた手が怯んで空を切り、目の前に浮かぶ飯田くんの四角い目が見開かれていく。
 焦ったように振り返った轟くんを呼び止めたのは、動けずに離れた場所で座り込んでいるイズの声だ。はっと前へ向き直った轟くんはすかさず氷結を繰り出したけれど、その合間を縫って迫る“ヒーロー殺し”の声は明らかな余裕を孕んでいる。

「言われたことはないか?強力な“個性”にかまけ、挙動が大雑把だと――」
「――っ!」
「――轟くん!!」

 悲鳴にも似たイズの叫び。堪らず振り返ると、人間離れした速さで駆ける“ヒーロー殺し”が轟くんの目と鼻の先まで迫っている。イズは動けない――やっぱり、やっぱりだめだ。黙って見ていられる訳がない。
 我慢の限界に達して飛び出そうとしたわたしの腕を、後ろから誰かが掴もうとした気配があった。本当なら素直に掴めていたのだろうけれど、反発で弾かれた腕が逃げるものだから、指先が届かなかったらしい。それでも不自然に動いた自分の腕に気付いたわたしが振り返ると、そこには必死に手を伸ばす飯田くんの姿があった。
 もがくように曲がる彼の手指を見て、「あれ、動いてる」なんて一瞬呆けてしまった。先程までの打ちひしがれていた暗い様相とは一変、強い光を灯した目がわたしを見据える。

「解除してくれ――早く!!」

 咄嗟に飛び退いて道を空けながら両掌を合わせると、浮力を無くして落下する飯田くんの足が火を噴いた。“レシプロバースト”――トルクの回転数を無理矢理上げて一気に加速する必殺技で、着地と同時に彼の体は稲妻のような速さでもって前へ進む。風圧に思わず顔を覆ったわたしの目の前で、轟くんの脇へ迫っていた刀が蹴り飛ばされ、へし折れた刀身が吹き飛んで地面に突き刺さった。
 そのまま飯田くんの脚が“ヒーロー殺し”の体を捉えて、どうにか再び距離を取ることに成功。辛くも攻撃を逃れた轟くんは、隣で息を整えるように俯く白い鎧姿を振り返った。

「解けたか……!意外と大したことねえ“個性”だな」
「――轟くんも緑谷くんも、南北くんも……関係ないことで 、申し訳ない……」
「また、そんなこと……っ」

 一度飯田くんに“君には関係ない”と拒まれていたイズが、再度そんなことを口走った彼を見て表情を歪める。苦々しい面持ちで顔を上げた飯田くんは、冷淡にこちらを見遣る“ヒーロー殺し”の顔を睨みつけた。

「だからもう――三人にこれ以上血を流させる訳にはいかない……!!」
「感化され取り繕おうとも無駄だ……人間の本質はそう易々と変わらない。おまえは私欲を優先させる贋物にせものにしかならない。英雄ヒーローを歪ませる社会の癌だ――誰かが正さねばならないんだ」
「時代錯誤の原理主義だ。飯田、人殺しの理屈に耳貸すな――」
「……いや、奴の言う通りさ。僕にヒーローを名乗る資格など……ない」

 握り締めた飯田くんの腕からどくどくと血が流れて落ちる。その目はまだ暗く、深い後悔に沈んでいるけれど――真っ直ぐに、目の前の“ヒーロー殺し”を見据えていた。

「それでも、折れるわけにはいかない……俺が折れれば――インゲニウムは死んでしまう!」
「論外」

 にべもなく吐き捨てて、“ヒーロー殺し”は地を蹴ろうとした――が。

「――ほんっとお喋りだよね、あんた!」
「……!!」

 彼に襲いかかろうとした“ヒーロー殺し”の後頭部を、斬られて短くなってしまった竹箒の柄でぶん殴る。奴が飯田くんに気を取られた上、悠長に持論を展開していた間にこっそり高く跳んで背後へ迫っていたわたしの姿を、飯田くんも轟くんも、離れたところで固まっているイズも、みんなあんぐりと口を開いて眺めていた。
 どうにか不意を打つことには成功したようで、打撃を受けて僅かによろめいた“ヒーロー殺し”の体にぴりりと青い光が走る。ダメージは最初から期待していない――本命はこっち。
 動けるようになった飯田くんが飛び出していったのを見た瞬間、わたしが敵に背中を向ける理由は無くなった。だったらやることは一つ。
 今度こそ、わたしも戦う――三人と一緒・・に。

「悪いけど、どうでもいい持論と友達の悪口黙って聞いてられるほど――気ィ長くないから!」

 怒鳴りながら相手を蹴って距離を取ろうとしたわたしに向かって、流石と言うべきか、“ヒーロー殺し”は瞬時に刀を振り抜いた。箒に吸い付けることで辛うじていなし、着地した地面との反発で後ろへ跳び退く。宙返りの格好になったわたしを呆然と見上げていた轟くんは、はっとしたように飯田くんを背後に庇いながら炎熱ひだりを放った。

「無闇に飛び込むな!奴の動き、さっきまでより格段に良くなってやがる……!」
「だから今止めなきゃ!轟くん、牽制お願い――絶対くっつけてやる!」

 言いながら着地した先で、路地の片側の外壁に右手をついて“個性”を張り巡らせた。飯田くんが復活して、多分制限時間の短いイズもそろそろ動けるようになる。四対一に持ち込める今が、格上の相手を倒せる唯一のチャンスだろう。
 地面への吸引は“活かせない”と言われてしまったけれど――壁ならどうだ。壁面を駆け上がる赤い光に気付いたのか、轟くんの炎から逃れるため壁に刀を突き立てて留まっていた“ヒーロー殺し”は、勢いよく向かい側へ跳びながらこちらに向かってナイフを投じた。轟くんが咄嗟に氷を出してくれたが一歩間に合わず、傷を負った右手の甲が再度食い込んだナイフの刃で壁に縫い止められる。

「南北……っ!」
「――っ、逃がすかぁ!!」

 痛みに息を詰めながら左手でナイフを引っこ抜き、血みどろの右手を地面に叩きつけた。右手から地面へ、地面を伝って壁面へ、“ヒーロー殺し”が飛びつこうとしているその場所に向かって必死で赤い光を走らせる。広範囲に“個性”を展開した反動と疲れで朦朧とする意識は、じくじくと疼く腹と背中と右手の甲が繋ぎ止めてくれていた。
 が、“ヒーロー殺し”は壁に足を着ける前に、手に持っていた刀を放って壁面に突き刺した。その柄を蹴って磁力から逃れ、何やら言葉を交わしている轟くんと飯田くん、そして地面に手を着いたままのわたしの真上へその身を踊らせる。

「おまえら――邪魔だ!」

 言いながら轟くんとわたしに向かって放たれた二本のナイフを、咄嗟に飛び出した飯田くんの右腕が受け止めた。続けざまに放たれたもう一本がその腕を真上から突き刺して、血だらけの体が地面に倒れ込む。

「――ッ!!」
「飯田!!」
「――いいから早く!!」

 炎熱を解いた轟くんに飯田くんが何かを促す。その様子を横目に見つつ、わたしは上空から真っ直ぐこちらへ降りてくる“ヒーロー殺し”を睨み据えた。
 少しだけ迷った末、自分の背中に刺さりっぱなしだったナイフを引き抜いて磁力を込める。大きく振りかぶってそれを投げる瞬間、右手の指にも同じ磁力を込めて――“個性”把握テストの時のイズがそうしたように、反発の勢いを利用して思いっきり押し出した。
 ヒーロー志望として他人に刃物を投げつけるのは躊躇われないでもなかったけれど、利き手じゃない方で投げるのだし、ナイフも相手もN極ひだりを纏っているから当たりはしないだろうし――それにほら、やっぱり避けられた。空中で頭を後ろに逸らして躱した“ヒーロー殺し”の身体能力には内心舌を巻いたけれど、

「……!!」
「よしっ……!」

 ぐい、と背後の壁に引き寄せられた奴の頭を見て思わず拳を握る。動きのキレは確かに増していたけれど、どうやら奴も焦っているらしい――背後の壁に纏わりついている磁力の影響範囲を把握しきれていないようだ。ごつ、と音を立てて“ヒーロー殺し”の頭が壁にぶつかったのと同時に、脚のエンジンを凍らせた飯田くんと、いつの間にか復活していたらしいイズが左右から挟み込むように飛び出していく。

「いけ……!!」

 下で見守る轟くんの呟きに応えるように――飯田くんの脚とイズの拳が、“ヒーロー殺し”の体に力強く叩き込まれた。それでもなお飯田くんを斬りつけようとした刀の刃先が、持ち主の頭と同じように磁力に吸われて壁に張り付いて止まる。

「やった!」
「畳み掛けろ!!」

 思わず声を上げたわたしの横で、轟くんが吠えながらありったけのひだりを放つ。同時に飯田くんも渾身の蹴り上げを放ち、息を詰まらせた“ヒーロー殺し”の体を、灼熱の炎が飲み込んでいった。二人の攻撃をもろに受けたその全身が完全に磁力に囚われて、紫色の光を放ちながら壁の上にぴたりと縫い付けられる。エンストした飯田くん、脚を痛めているイズの二人を氷の坂で受け止めて、轟くんがもう一度声を張り上げた。

「立て!まだ奴は――」

 わたしも慌てて壁に飛びつき、範囲展開で当初より少し弱まっているはずのS極みぎを必死で補強した。息も絶え絶え、手も足も疲れや諸々で震えが止まらない。やっと捕まえた。もう絶対、絶対に逃がせない――、

「……流石に気絶してる……、っぽい?」
「……、……ほんと?」
「た、多分……」

 イズの呟きに顔を上げると、“ヒーロー殺し”はだらりと手足を垂らしたまま壁に張り付いていて、動く気配は――ない。足の力が抜けてへたりと座り込んだわたしの背後で、少し安堵したように轟くんが息を吐く。
 立ち上がったイズに肩を叩かれ、“個性”を解いて奴を下に下ろすまでほんの数十秒間。わたし達の命を狙っていた殺人者を震えながら見上げていたその短い時間が、わたしにはまるで永遠のように感じられた。





















「流石ゴミ置場……あるもんだな」

 ぐったりと動かない“ヒーロー殺し”を後ろ手に縛り上げていた轟くんが、ゴミ箱から拾った麻縄をぐいと引きながら呟いた。足を酷くやられてしまったイズは、あの後すぐに動けるようになって路地へ戻ってきたプロヒーロー――ネイティブさんの背中に負ぶってもらっている。
 長い長い闘いがようやく終わった。何度か死を覚悟しかけた瞬間もあったけれど、どうにかみんな生きてここにいる。あとは縛り上げたこのヴィランを大通りまで連れて行って、プロの応援と警察の到着、それから怪我人達を乗せる救急車を待つだけだ。ほっと息を吐きながら当然のように“ヒーロー殺し”の体を浮かせようと伸ばしたわたしの手を、轟くんの手がやんわりと払って止めた。

「おまえはもう“個性”使うのやめとけ。血ィ流しまくりで途中からへろへろだったろ」
「轟くんの言う通りだ……二人とも、やはりここは俺が引く」
「おまえも腕ぐちゃぐちゃだろ」
「そんなこと言ったら轟くんだって腕刺されてたじゃん。わたしこそ見た目よか大したことない――」
「何を言ってるんだ君は!腹は人体の急所なんだぞ……!」

 ああだこうだとお互い食い下がるうちに、飯田くんが声を荒げてわたしの肩を掴んだ。汗の粒を額に浮かせたその様子、思い詰めたように揺れるその瞳から、彼がわたしや轟くんを心の底から心配してくれているのだということがわかって――ここ最近冷たくされてばかりだったものだから、嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。「へへへ」と気の抜けた笑い声を漏らすわたしを、飯田くんは至極困惑した顔で見下ろした。

「な、何がおかしい……!?」
「へへ……いや、なんでも」
「……相変わらず緊張感ねえな」

 呆れたようにぼやいて、轟くんはずりずりと“ヒーロー殺し”を引き摺りながら歩き出してしまう。飯田くんと二人で慌ててその後を追うと、イズを背負いながら先を歩いていたネイティブさんが深い溜息を吐き出した。

「悪かった。プロの俺が完全に足手纏いだった……」
「いえ……一対一で“ヒーロー殺し”の“個性”だと、もう仕方ないと思います。強すぎる……」
「四対一の上にこいつ・・・自身のミスがあってギリギリ勝てた。多分焦って緑谷の復活時間が頭から抜けてたんじゃねえか」
「ほたるちゃんの“個性”で、途中から使える足場が減って動きの幅も限られてたし、“ヒーロー殺し”も結構混乱してたのかも……」
「……」
「……不服そうな顔してんな」

 大通りの方へ歩きながら戦いを振り返る二人の言葉を聞いていると、わたしの顔を横目に見ながら轟くんがそんなことを言った。そうだろうか――うん、そうかもしれない。血の付いていない左手で頬や眉間を揉み解す。
 さっきまではようやく危機から逃れられた安心感でいっぱいいっぱいだったのだけれど、少し状況が落ち着くと頭が冴えてきて、だんだん悔しくなってきたのだ。出会い頭から最後まで、思えば思うほど“もっと上手くやれたんじゃないか”と感じることばかりで、全く自分が情けない。

「テンパって“個性”無闇に広げまくっちゃったし、熱の方も全然使えなかったし……あんなにナイフ隠し持ってたんならこんがりやれた筈なのにさあ」
「(こんがり……)」
「いや……あん時は“活かせねえ”とか言っちまったが、最後の壁塞ぐのは良かった。俺も味方との連携方法、もっとよく考えねえとな」
「いや、十分というか……轟くんが居なかったらわたし三回は死んでたよ……」
「――それを言うなら緑谷も、だろ」

 轟くんの言葉にはっとしてイズの方を見遣ると、同じく驚いたようにこちらを見るまん丸の瞳と視線がぶつかった。間に挟まれる形になった轟くんは、目だけで左右を歩くわたし達の顔を見比べながら言う。

「先に駆けつけたのも、一番前で戦ってたのも緑谷だ。おまえをフォローしてた俺も緑谷に救けられてた」
「いや……でも僕、二回も“個性”食らっちゃって……後衛頼んでた轟くんを一人にしちゃう局面が多かったし」
「……、」

 ネイティブさんの手の下でぶらりと揺れるイズの足に目が行く。本人は疲れからかしょぼくれた顔付きで反省を述べているけれど――実際、轟くんの言う通りだ。
 わたしが飯田くん達を逃がすために戦線を離れていた間も、イズはずっと命がけで“ヒーロー殺し”と渡り合っていた。わたしの体に降り注いできたたくさんの刃物を払ってくれたのも、動けないわたし達を守るため一人で殺人犯に立ち向かっていったのも、全部彼。そのために彼の足は深く傷付いてしまって。
 普段のわたしなら、きっともの凄く取り乱して怒っていたはずだった。“個性”把握テスト、初めての戦闘訓練、USJでの襲撃事件、そして体育祭での大怪我――思えば再会してからずっと、イズが無茶して怪我を負うたびに、胸や腹の中がぐるぐるもやもやして、嫉妬のような恐怖のような、得体の知れない感情に苛まれ続けてきた。
 ――でも、どうしてだろう。今は。

「……なんか、変だ」
「……ほたるちゃん?」
「ごめんね、わたし……なんか、上手く言えないんだけどさ」

 頭の中で言葉がごちゃごちゃと詰まってしまって、上手く喉から出てこない。
 “救けにきたよ”と言われた時、恐怖で張り詰めていた心が緩んでしまった。“一緒に守ろう”と言われた時、見えない荷物をひょいと奪われてしまったように、何かに押しつぶされそうだった背中が急に軽くなった。
 そして、こうして何とかみんなで生き残って、ふらふらの傷だらけで路地裏を歩いている今――思ってしまったのだ。

「――なんかね、嬉しいんだ。ほっとしちゃって……イズ、そんな怪我しちゃったのに……全然なんにも良くないのに……」

 小さい頃はずっと、イズを守って救けるのがわたしの役目だった。わたしがわたしに課した義務・・だった。わたしは今日それを捨てて、イズを一人で前に立たせて、背中を向けたんだ。なのに何故だか胸の中がすっきりと晴れ渡って、安堵だとか、喜びにも似た気持ちだけがふんわりと心に満ちていて。
 地面に這いつくばりながら、飯田くんに向かって叫んだ言葉を思い出す。“守りたいものを全部守れるヒーロー”――そうなりたいと、心の底から思っているはずなのに。背中の後ろに庇っておかなきゃいけなかったはずのイズ守りたいものを前にほっぽり出しておいて、なんでこんな気持ちになってしまうんだろう。

 “要領よく喋れや”とどこぞの幼馴染に言われそうなことしか言えないまま言葉尻を濁して俯くと、少しの間場に沈黙が降りた。“ヒーロー殺し”の体が地面に擦れるずりずりという音と、四人分の足音だけが静かな路地裏に響き渡る。轟くんもネイティブさんも、ずっと黙りこくったまま後ろを付いてきている飯田くんも何も言わない。
 やがて沈黙を破ったのは、どこからか漏れた笑い声のような吐息だった。自分の爪先を眺めたまま歩き続けるわたしの耳に、力無い、けれどどこか満ち足りたような声が届く。

「僕も……嬉しかった。小さい頃からずっと守られて、救けてもらうばっかりで――あっいや、もちろん今日もたくさん救けられちゃったんだけど、……でも」
「……、」
「やっと――やっと、君と一緒に戦えたから」

 そう言って照れ臭そうに笑ったのはイズの声だった。その言葉でやっと、ぐちゃぐちゃに入り乱れていた気持ちがすとんと胸の中に落ちていった。
 わかっていた筈だった。わたしは全てを守れるほど強くはなくて、イズはとっくに“守られるだけの人”を卒業してしまっていた。わかっていたのに、その事実をまだちゃんと飲み込み切れていなかったのかもしれない。どんどん強く逞しくなって、わたしが引いた線引きボーダーより上に行ってしまうイズを、まだ引き留めたいと思っていたのかもしれなかった。

(――てめェの頭ン中にはクッソ雑に分類した二種類の人間しかいねえ)

 爆豪あいつの言う通りだったんだ。世界をじぶんの上と下で完全に区切ってしまっていた。独り善がりのエゴで、自分以外の存在を好き勝手に振り分けながら生きてきた。

(――おまえ一人で戦ってるんじゃねえんだから)
(――僕らと一緒に・・・守り抜こう!)

 でも、イズは――イズ達は、わたしと同じ線の上・・・に立ちたいと、当然のようにそう思ってくれてたんだね。

「……ごめんね、イズ」
「あ、謝らないでよ……!この怪我だってほたるちゃんのせいじゃ――」
「……これからは、さ」

 ぽつりと謝ると、わたしが責任を感じていると思ったのだろうか、イズはネイティブさんの肩に掛けていた片手をわたわたと動かしながら焦ったように言う。その言葉を最後まで聞かずに遮って、わたしは勢いよく首を振った。爆豪あいつが気付かせてくれて、イズや轟くん達が教えてくれた。だったら、わたしも前に進まなきゃ。
 人の気持ちも考えずに、ただ守るためだけのお人形・・・に縋っていた弱い自分とは――さよならだ。

「――いっぱい頼っていいかな、デク・・のこと」

 顔を上げて精一杯の笑顔を向けると、“頑張れ”って感じの彼のまあるい目が、ますますまん丸に見開かれていくのが見える。隣を歩いていた轟くんと後ろで黙りこくっていた飯田くんも驚いたように顔を上げた。感極まったように息を詰まらせた後、ごし、とグローブで目元を擦る姿に思わず苦笑いが漏れる。ああ、どんなに立派になっても、泣き虫だけは本当に治らないんだなあ。

「――うん、」
「わたしももっと頑張るから……一緒に強いヒーロー目指そ!」
「うん、うん……っ!」
「……なんつーか、若いっていいなァ」

 ぼそりと呟いたネイティブさんの言葉に二人して言葉を詰まらせたわたしとデクを見て、真ん中の轟くんが珍しく口元を緩ませる。薄暗い路地裏、死闘の尾を引いて重苦しかった空気が少しだけ和らいで、わたしの心も重荷が外れたように軽くなっていった。
 簡単なことだったんだ。一人っきりで難しく考えなくていい、わたしは弱いんだから。これからは認めて、追いつこうと必死にもがきながら、たまには手と手を取り合って、抱え切れないものは分かち合えばいい。きっとそれが、“救け合う”ってことだから。一人で全てを守れるくらい、強いヒーローになれるその日まで――きっと、今はそれでいいんだ。
 照れ臭そうに赤い目元を擦るデクをからかいながら、軽やかな足取りで夜の路地裏を歩く。大きく開けた通りへの出口は、もうすぐそこまで迫っていた。

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