(――てめェが線引きボーダー上げて、その辺の連中下に引き摺り込むしかねェだろが!)

 きっとまだ、線は全然持ち上がっていない。わたしは依然弱いまま。守りたい・・・・と、危機に瀕する度に何度も浮き彫りになるその感情だけが、肥大化して独り歩きしていくのがわかる。
 きっとみんなにとってはいい迷惑だろう。わかるよ、弱い奴に守られるのって嫌だよね。怖くて、不安で、おまけにそいつも傷つくばっかりで何も事態が良くならなくて、悲しくて腹が立ってくるよね。
 きっと、もう少し前のわたしだったら――或いは目の前に立っているのその背中の持ち主が、今まで通りの“個性”を使いこなせない彼のままだったなら、わたしはまた胸の中がぐちゃぐちゃになって喚き散らしていたと思う。
 でも、その時は。

「オールマイトが言ってたんだ――余計なお世話は、ヒーローの本質なんだって」

 そう言って拳を握るその姿に、不覚にも安心してしまって、動けないままガチガチに強張っていた体がゆっくりと弛緩した。





 飯田くんを追って飛び込んだ路地の奥。“ヒーロー殺し”の“個性”で身動きが取れなくなったわたし達の前に颯爽と現れた救世主は、他でもない――気弱で優しかったわたしの幼馴染だった。
 短い問答の後、救けを拒む飯田くんの言葉を振り切って、彼は勢いよく地面を蹴る。地面にへばりついたままの今のわたしは指を咥えて見送ることしかできない。

「イズ!」
「ダメだ、斬り付けられたら……!!」

 同時に叫んだ飯田くんの声を聞きながら歯を食いしばり、精一杯意識を集中させる。イズの身軽な装備ならば、わたしの磁力で足を引っ張ってしまうことは無いはずだ。ついさっき出したばかりのN極ひだりを広げるイメージで、奴の足元目掛けて再度磁力を張り巡らせる――が、速度が今一歩足りず、“ヒーロー殺し”の刃はその力場に捕まる前にイズ目掛けて振り抜かれた。
 イズは相手の股を潜って斬撃を躱し、振り向きざまに薙がれたもう一撃をも軽々と跳び上がって避けて、死角――頭上から固く握り込んだ拳を振り下ろす。

「5%、デトロイト――SMASHスマッシュ!!」

 気合の声と共に“ヒーロー殺し”が殴り付けられたその様を見て、思わず口が半開きになってしまう。
 さっきからイズの全身を覆っている淡い緑の閃光は“個性”なのだろうか。というか、学校の授業や体育祭で見ていた彼の動きとあまりに違い過ぎる――あれじゃあまるで爆豪あいつみたいだ。それに、しっかりと地に手足を着けて降り立った彼の様子からして、どうやら腕も足も全く砕けていないらしい。たった数日の間に一体何があったんだろう。
 困惑するわたしの視界に、ゆらりと立ち上がった“ヒーロー殺し”の異様に長い舌が、徐に手元のナイフへ伸びていく様が映る。奴の足元近くまで青い光が伸びたのを確認し、熱の“個性”を使おうと掌に力を込めて――そしてわたしはそこで、いつの間にか動けるようになっていた自分の体にようやく気が付いた。

「――!」
「(ダメだ、温度足りてない……!)」

 地面に走る磁場を通して、奴が舌先で触れようとしたナイフに熱を送り込む。が、直接吸い着けている訳でもない、恐らく“引き寄せられて普段よりは重く感じる”程度の影響しか与えられていないその刃では、相手を確実に害するだけの温度を与えることができない。それでも触れた刀身はそれなりに熱を帯びていたようで、“ヒーロー殺し”はざらついた舌を反射的に引っ込めながらわたしを一瞥した。

「……またおまえか。芸達者なことだ」
「イズ、体!」
「――動かない!」

 痛む腹を押さえながら咄嗟に呼ぶと、着地した体勢のまま固まっているイズが苦しげな声で叫ぶ。わたしの腹を蹴った後に見せた、靴先を拭った指を口に含むという奇行から考えても、やはり奴は“血を舐めとる”ことでわたし達の動きを封じているらしい。刀と同時に抜いたナイフで、いつの間にかイズの腕から血を掠め取っていたようだった。
 が、“ヒーロー殺し”は目の前で動きを封じられている彼に刃を向けることなく、わたしと飯田くんの方へと足を動かし始めた。動くようになった両手で体を起こしながら、もう一度左の掌を地面に叩きつける。
 体にしっかりと力が入るようになったお陰で、先程までよりも格段に“個性”が使いやすい。イズも動けなくなってしまったし、もう出し惜しみは無しだ――今度こそ逃してなるものか。わたしにできる最高速度でN極ひだりを展開、今度は足元狙いではなく、奴の動きを封じるつもりで道幅いっぱいに磁力を走らせる。奴が無数の刃物を全身に仕込んでいる以上、この力場からは逃れられない――はずだった。

「甘い」
「――!!」

 青い光が足元へ到達する前に、“ヒーロー殺し”は素早く地面を蹴って跳び上がった。そのまま狭い路地の壁と壁と間を蹴り進んで、磁力の及び切らない上空からわたしに飛び掛かる。あいつの“個性”は血を舐めとって他人の動きを封じるもので、増強型でもなんでもないはずなのに――とんでもなく人間離れしたその動きに思わず息を飲んだ。

「……少し前に高さを使われたばかりだろうに。未熟だな」

 言いながら真っ直ぐこちらへ突き立てられる刃を前にして、咄嗟に飯田くんの装備を借りた腕を前に出したけれど、全身の体重と共に落ちてくるその攻撃を受け止めきれるとは思えない。先程盛大に“個性”の効果面積を広げてしまったから、奴とわたしの間の反発も随分弱まっていることだろう。
 奴の言う通り、躱されることを考慮できなかったわたしの判断ミスだ。唇を噛みながら月光を照り返す刀身を睨み上げた、その時――、

「――南北!」
「……!!」

 聞き覚えのある声と同時に、わたしの頭上をもの凄い勢いで炎が吹き抜けていった。わたしが慌てて身を屈めると橙色の熱はますます勢いを増し、熱風を受けた“ヒーロー殺し”は空中で身を捩らせてその場から遠ざかる。

「ぼけっとすんな、下がれ!」

 呆然と炎を見上げていたわたしは、次いで飛んできた怒号に身を竦ませながら急いで飛び退った。そこへ並び立つように走って来た人影。ちらりと横目に見えたのは、わたしが知っているものとは違う濃紺のコスチューム。

「緑谷、こういうのはもっと詳しく書くべきだ――遅くなっちまっただろ」

 体の左側に炎を宿し、右の手にはスマホを握りしめて、轟くんがそこに立っていた。わたしも、飯田くんもイズも、薄暗い路地を煌々と照らす光を前に目を疑って呆然と彼を見遣る。

「轟くんまで……!」
「何で君が――それに左……!」
「何でって……こっちの台詞だ。数秒“意味”を考えたよ。一括送信で位置情報だけ送ってきたから」

 言いながら端末をポケットにしまう轟くんの言葉から察するに、いつの間にかイズが複数の人達にこの場所を報せていたようだった。わたしなんか頭に血が上っちゃってちっともそこまで考えが回らなかったのに、やっぱりいざという時の機転が凄いな――自分のポケットにも入っているスマホをコスチュームの上から摩りつつ心の中で反省する。

「意味なくそういうことする奴じゃねえからな、おまえは。“ピンチだから応援呼べ”って事だろ」
「――!」
「大丈夫だ、数分もすりゃプロも現着する」

 轟くんは淡々と語りながら氷結みぎで“ヒーロー殺し”を狙い、ついでに動けないままのイズと見知らぬプロヒーローの体を持ち上げる。飛び退った“ヒーロー殺し”をすかさず炎熱ひだりで追撃すると、その熱で溶けた氷の上を滑って二人がこちらへ転がってきた。
 絶え間ない左右の攻撃で敵の牽制と、行動不能に陥っている味方の安全確保。もともと強かった轟くんだけれど、それらを喋りながら同時に熟す卒のなさは目を瞠るものがあるし、何より強力な氷結みぎ炎熱ひだりを使い分けて戦うその姿は圧巻の一言だ。

「――こいつらは殺させねえぞ。“ヒーロー殺し”」

 動けない三人を背後に転がして敵を見据える彼の横で、わたしはようやくしっかりと立ち上がって前を向いた。一度彼から距離を取った“ヒーロー殺し”の足元に、青と赤が混じった紫色の光が見える――あいつに掛かっているS極みぎが弱まっていることは間違いないけれど、轟くんのお陰でやっとあいつの足を捕まえられた。動きを封じるとまではいかなくとも、地面に吸いつけられて少しは体が重くなっているはずだ。
 何を思っているのか、こちらを無言でじっと見つめる“ヒーロー殺し”と対峙した轟くんに向かって、転がされたままのイズが叫ぶ。

「轟くん、そいつに血ィ見せちゃ駄目だ!多分血の経口摂取で相手の自由を奪う!皆やられた!」
「それで刃物か。俺なら距離保ったまま――」

 言いかけた轟くんの頬を、素早く投げつけられたナイフが掠めていった。やっぱり地面の吸引が弱い――即座に距離を詰めてくる“ヒーロー殺し”を見て、咄嗟に自分の体にS極みぎを纏わせる。
 轟くんの目がナイフと同時に頭上へ投げられていた刀に気付いて上を向き、その隙に正面から“ヒーロー殺し”が迫った。両者の間に低く屈めた体を滑り込ませて、黒衣の腹にS極みぎてを叩き込む。新たに付け直した磁力の反発でどうにか相手の体を引き離す事には成功した。けれど、

「――い゛っ!?」

 腹を打ったはずの右掌に激痛が走った。どうやら動きを読まれていたようで、押し付けた掌に小ぶりのナイフが突き刺さっている。悲鳴を上げながら手を引っ込めたわたしを庇うように轟くんが前に出て、踏み出した右足から氷結を放った。

「助かった――けど、今のは無茶だろ」
「っ、ごめん……、他に何も思いつかなかった!」
「少し後ろ下がってろ」

 巻き込んじまうから、と呟いて、轟くんは次々に氷結を繰り出し“ヒーロー殺し”の剣戟を防ぐ。
 確かに、わたしが変に前に出ると、範囲型の“個性”を使う彼の邪魔になってしまうかもしれない。幸いS極みぎは張り直せたわけだから、もう一度地面に強くN極ひだりを張ればもっと相手の動きを阻害することもできるはずだ。痛む右手から歯を食いしばってナイフを引っこ抜き、一歩下がって左手を下へ突こうとしたわたしの耳に、きつく振り絞るような声が届いた。

「何故……三人とも……何故だ……やめてくれよ」

 振り返った先で、地に伏したままの飯田くんが呟いている。ぷるぷると震えながらどうにか体を動かそうとしているらしいイズも、その声を聞きつけて視線を彼の方へ動かした。

「兄さんの名を継いだんだ……僕がやらなきゃ……、そいつは僕が――!」
「継いだのか。おかしいな……俺が見たことあるインゲニウムはそんな顔じゃなかったけどな」

 おまえんも裏じゃいろいろあるんだな、なんて呟きながら、轟くんは一際巨大な氷壁を作り上げる。氷は斬撃で容易く砕かれてしまったけれど、一度敵の視界を完全に遮った彼は、その向こうから現れるであろう相手を迎え撃つべく炎を猛らせた。素早い敵の不意を突くため、強制的に生み出した死角。
 ――が、燃え上がった彼の左腕に、投げつけられたナイフが突き刺さった。怯んだ轟くんの遥か頭上、“ヒーロー殺し”は先ほどわたしに向かってそうしたように刀の切っ先を真っ直ぐ下へ向けて、まだ動けないままのプロヒーローに狙いを定めている。咄嗟に彼に覆い被さって庇おうとしたその時、視界の隅でまた淡い緑の閃光が閃いた。
 先程まで地面に転がっていたはずのイズが壁を使って跳び上がり、“ヒーロー殺し”の首に巻かれた赤いマフラーを鷲掴む。

「緑谷!」
「何か普通に動けるようになった!」
「時間制限か」
「いや、あの子が一番後にやられたハズ……!」

 苦しげに呻くプロヒーローの上で顔を上げると、引き剥がされたイズがこちらの方へ吹っ飛んで地面に落ちた。咳き込みながら立ち上がった彼は、ヒーローの上に被さって呆然としているわたしを見て少し複雑そうな――何やら物言いたげな顔をしたけれど、すぐに前へ向き直る。

「ほたるちゃんも“個性”食らってたけど、他の二人より先に解けてた。僕とほたるちゃんの共通点なら――多分、血液型だ」
「血液型……ハァ、正解だ」
「わかったとこでどうにもなんないけど……」

 じり、と半歩下がって身構えたイズの横で、少し考える素振りを見せていた轟くんが、肩越しにちらりとわたしを見遣った。

「……南北。俺らが“ヒーロー殺し”食い止めてる間に、何とかして動けねえ二人逃がせ」
「――え!?」
「氷結を足場にして跳ばれちまうと、おまえの“個性”を活かしきれねえ。だったらそっちに力割くより、早く狙われてる連中を逃がした方がいい」
「確かに……二人掛かりなら何とか食い止められるかもしれないし、“個性”で体を浮かせられるほたるちゃんが一番適任だと思う」
「ま、待ってよ!そんな、わたしも――」

 “ヒーロー殺し”の強さは彼らもよくわかっているはずだ。二対一とはいえ、常人離れした反応速度と巧みな刃物捌き――この短い戦いの中でさえ、互いに連携し合ってやっとやり過ごせているだけで、もう何度も危ない橋を渡っているのだ。それほど役に立てることが無かったとしても、このまま二人を置いて逃げる気にはなれなかった。
 けれど轟くんは、食い下がったわたしの右手――血まみれの掌を一瞥してから、ふいと正面へ向き直って言った。

「何意地になってんのか知らねえけど……前出て体張るだけが守り方じゃねえだろ」
「――、」
「少しは俺らを――友達・・を信用しろよ。おまえ一人で戦ってるんじゃねえんだから」
「……うん。轟くんの言う通りだ、ほたるちゃん」

 全身に再び緑色の光を走らせながらイズも頷く。こちらに背中を向けたままで表情は伺えないけれど、その声色はあの日の――彼の前から逃げ出したわたしを必死に追いかけてきたときのそれと、どこか似ているような気がした。

「まだ頼りないかもしれないけど、僕だって君の横に並んでいたい。もう、後ろで泣いてるだけのお人形・・・じゃいられない――」
「……、イズ?」
「だからここは任せて……!僕らが絶対――ううん、僕らと一緒に・・・守り抜こう!」
「そういうことだ。守るぞ、三人で」

 わたしの返事を待たず、イズが素早く地面を蹴って“ヒーロー殺し”の懐へ飛び込んでいった。轟くんも口を閉ざし、後方支援のために注意深く相手の動向を伺っている。

(――今の自分の強さ、自分の身の丈に合った生き方、戦い方をしろ)

 いつかの相澤先生の言葉が脳裏に蘇った。
 身の丈に合っていないとしても、守りたいと思ってしまったから。だから飯田くんを救いに飛び出して、無我夢中で轟くんを救けて、プロヒーローさんの上に覆い被さった。力が及ばない相手に対して、わたしができること――それは体を差し出す・・・・・・ことだけなんだって、うんと小さい時に知ってしまっている。そうすることこそが“守る”ということなんだと、ずっと。でも、目の前の彼らはそれは違うのだと言う。
 いいのかな。背中の後ろにしまっておこうと決めたものを――誰かに預けてしまっても。

「――南北、行け!」

 固まるわたしを叱り飛ばすように、氷結を放ちながら轟くんが叫んだ。
 正直、まだ割り切れない。置いてなんて行きたくないし、背中を向けて逃げたくもない。でも、彼らが叫ぶのだ。わたし達は一緒なんだ・・・・・と。
 わからない。どういうことなのか、まだよくわからない、けど――。

「――っ!」
「……南北、くん……」

 両手を合わせ、“活かしきれない”と轟くんに言われた磁場をすべて解除する。分散していた意識が一つにまとまって、頭の中がすっきりと冴え渡ってきた。深く息を吸って吐き、集中力を高めながら――わたしは“ヒーロー殺し”と戦う彼らに背を向けて、無傷の左手を地面に押し付けた。
 青く光る磁力のレールを路地の出口まで伸ばすわたしを見上げながら、まだ動けないらしい飯田くんが呆然と呟く。そんな彼をちらりと見下ろして――わたしは、いまだ整理しきれない心のぐちゃぐちゃを飲み込むように、無理やり口角を吊り上げて言った。

「――逃げるよ、飯田くん!」

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