「そういや、南北はどこの事務所にしたんだ?」
「指名あったとこ」
「あ〜〜〜そうだよ忘れてたよ勝ち組めぇ……」
「いやいや、一件だけよ?」
「うっせー!俺はゼロだっつーの!」

 ぎり、と歯軋りしながらわたしを睨む峰田くんに思わず苦笑いが漏れた。
 先日のヒーロー情報学の授業前に発表された、体育祭の成績に伴うプロからのドラフト指名結果。確かに黒板に投影されたグラフの中に峰田くんの名前は無かったけれど、幅が無さすぎて短い縦線にしか見えない棒グラフの横に書いてあった“1”の文字とか、八割が余白で埋まっているA4のプリントの方が虚しいような気がしてしまう。それに結果的に自分好みMt.レディの事務所を選べたわけだから、峰田くんにとっては逆に幸せだったんじゃなかろうか。

 時が経つのは早いもので、今日は職場体験の初日。朝一度学校に集合してコスチュームを持ち、職場体験の心構えやら、各々が移動に使う路線やらを改めて全体確認して、今はまとまって最寄りの駅まで移動しているところだ。「合理的に列組んで歩け」という相澤先生の指示に従い、自然と出席番号順で二列になった結果、わたしは峰田くんと横に並んで歩くことになった。やっかむ峰田くんを宥めていると、斜め前を歩いていたイズがちらりとこちらを振り返る。

「確かに指名を貰えるのは凄いことだけど、数が少ないと単純に選択肢が狭まっちゃうからね。40件の中から選べた峰田くんが少し羨ましいかも……」
「おまえもだぞ緑谷ァ!指名ゼロ仲間だと思ってたのによぉ、後から一件来ましたって何なんだよ!」
「……さっきからギャーギャーうるせえ、黙って歩けザコ」

 そのイズの隣で黙っていた爆豪あいつが、大声を上げた峰田くんを肩越しにぎろりと睨め付けた。が、暴言にも大分慣れてきたらしい峰田くんは大して気にした様子もなく、「あの怖い試合見て緑谷指名するとか絶対やべー奴だよな?」とわたしに話を振ってくる。爆豪あいつ爆豪あいつでそれ以上はうるさく咎めず、ただ苛立たしげな舌打ちを残してまた前を向くだけ。運命の悪戯というか、不幸にも出席順でヤツの隣に並んでしまったイズは道中ずっと居心地悪そうに縮こまっていて、見ていて少し気の毒だ。わたし達と話して気を紛らわせたかったのか、曖昧な笑みで峰田くんの話を聞き流しているわたしに、もう一度イズの声が掛かった。

「ほたる――じゃない、えっと、南北さんが行く事務所はどの辺りなの?東京?」
「緑谷、もう諦めて自分に正直になれって……」
「まだ聞いてなかったよね南北さん!!ね!!」
「ぶふっ……うん、東京。都心の方ではないんだけどね、保須の事務所なんだ」
「そっか……ほたるちゃんも保須市……」

 相変わらず思い出したように呼び名を正そうとしては失敗するイズにわたしは思わず笑ってしまったのだけれど、彼の方は答えを聞くなり何やら神妙な面持ちで考え込んでしまう。峰田くんと二人して首を傾げていると、不安げな色を宿した丸い目が、列のずっと前の方をちらりと見やったのがわかった。

「いや、飯田くんも保須の事務所だったなと思って」
「そだね。確かノーマルヒーローさんのとこだっけ」
「うん。でも保須は、その……」
「……やっぱ気になっちゃうか」

 イズの言わんとするところが分かって呟くと、小さな頷きが返ってくる。
 ニュースで何度も見かけた、飯田くんのお兄さん――プロヒーロー・インゲニウムが、“ヒーロー殺し”と呼ばれるヴィランに襲撃された場所。保須市がまさにそれだった。
 過去に何十人ものヒーローを手にかけ、インゲニウムをも再起不能に追いやった凶悪犯罪者。そんな男が現れた街に、全国から300件以上もの指名があったはずの飯田くんがピンポイントで向かう――偶然じゃないとは言い切れないけれど、このところ彼の様子が少し変だった事といい、何もないと考えるには気にかかる点が多過ぎる。

(……同じ街に飯田が行くことになってる。せっかく近くにいるんだ、連絡取り合って互いの経験を吸収し合ったりするのも考えとけよ)

 一択だったので早めに体験先希望のプリントを出しに行ったとき、相澤先生にそう声を掛けられたのを思い出した。その日のうちに提出しに行ったわたしよりも早く決定していたということは、本当の本当に即決だったということなのだろう。思えば、先生も嫌な予感を覚えていて、わたしに飯田くんの様子を見させておきたかったのかもしれない。どうやらイズも同じようなことを考えているらしく、そばかす顔にもどかしさを滲ませながら再度振り返ると、躊躇いがちに呟いた。

「職場体験中は忙しいだろうし、事務所自体は違うから難しいかもだけど……できるだけ、見ててあげられないかな」
「……うん。ほっとけないって思ってたんだ、わたしも」

 ただ。
 頷いたわたしの胸に不安が過ぎる。クラスで飯田くんと一番仲がいいのは、入学当初からよく一緒に行動しているイズやお茶子ちゃんのはずだ。そのイズに彼が何も言わなかったのだとしたら、わたしにできることなんてたかが知れているのかもしれない。
 それでも、一クラスメイトとして――そしてヒーローを志す人間として、できることはしなければならないし、したいと思っていた。前を歩くツンツン頭を眺めながら拳を握る。変に思い詰めた人間がどれほど簡単に血迷ってしまうか、わたしは身をもって知っている。そして、誰かから貰った言葉が、時にその強張った心をあっさりと解してしまうことがあるということも。
 彼にとってその言葉を渡せる人がわたしじゃなかったとしても、なるべく何処かへ行ってしまわないように、端っこを掴んで引き止めるくらいはできるはずだ。遠く前方で揺れている飯田くんの黒髪を見遣りながら、わたしは鞄の紐をきつく握り締めた。


















「よく来てくれたね、“マグネッツ”くん。体育祭ぶりだな」

 散々悩んだ挙句、無難に磁石 マグネットネツを組み合わせて名付けたわたしの仮ヒーローネーム(耳郎じろちゃんには「チャージズマに親父ギャグのフレーバーをプラスしたセンス」と笑われた)を口にして、目の前の男性は朗らかに笑った。
 予選で悪目立ちし、騎馬戦ではこれといった活躍もなく、決勝トーナメントでぶっ倒れたわたしを唯一指名してくれたヒーロー――何を隠そう彼こそが、予選でわたしの救助拒否に応じてくれた親切なプロ、“ザ・フライ”その人だった。「その節は本当にすみませんでした……」と頭を下げるわたしを、人の良さそうな糸目が優しく見下ろす。

「いや、結局君は自力で着地できたわけだから言いっこなしだ。雄英の生徒にこんな小ぢんまりとした事務所まで来て貰えたことの方が嬉しいさ」
「いえ、そんな……」
「逆に気を遣わせてしまったかな。トーナメントまで行ったんだ、もっと良いところからも指名があっただろう?」

 確かにフライさんの事務所は超大手という訳ではない。保須市自体都心に比べてやや規模が小さいのもあって、この辺りには小規模から中堅のヒーロー事務所が点在しているイメージだ。でも、心からと思しき謙遜と賛辞の言葉に、逆に胸をちくちくと刺されるような痛みを覚える。

「すごく買って頂けてて嬉しいんですけど……、その、あれは校旗が……」
「ん?」

 首を傾げるフライさんは、きっと障害物競争のゴールを見てわたしに興味を持ってくれたのだろう。確かに体育祭の中でわたしが一番目立っていたのは多分あの時だったと思う。でも――あれは正直、わたしの実力と言って良いのかかなり怪しい。
 あまりにも良過ぎるタイミングで、墜落するわたしの方へ真っ直ぐ・・・・に飛んで来た丈夫な旗。冷静に考えてみれば、ポールに釣り上げられていた旗が上空に向かって飛んでくるなんて、そんな都合のいいことがそうそう起こるはずがない。
 そしてわたしはそういうことが出来てしまう人物を――旋風の“個性”を扱える男を一人知っている。ヒーロー育成の名門校である雄英の体育祭を士傑高校の生徒が観覧に来るのはごく自然なことに思えるし、一度思い至るともうそう・・としか思えなくなってしまった。とはいえ、轟くんの家に泊まったあの日、連絡ついでにメッセージで問い詰めると「何の話だ?」としらばっくれられてしまったので、真相は闇の中なのだけれど。
 いろいろ不確かなところもあるが、つまりわたしは体育祭中ほんとに良いとこなしだったってことだ。だからこそこうして指名してくれたフライさんの存在が有り難くて、同時に何だか優しそうなこの人を騙しているみたいでむず痒い。口籠るわたしの心境が何となく察せられたのだろう、やがてフライさんはあっけらかんと笑って言った。

「あんなことがあったから、その後の競技もずっと目が行ってしまってね。トーナメントを見るに、君は接近戦があまり得意じゃないようだな」
「……あ、はい」
「私のことを空飛ぶヒーローだと思ってるかもしれないが、それだけじゃない。対ヴィランにおいては、懐に素早く潜り込んで戦う近接力と、危うくなれば即座に離れる機動力が武器なのさ。君のスタイルと通じるところがあるだろう?」

 力になれると思って呼んだんだ。そう言うフライさんの体は確かに逞しく、接近戦に強いというのは真実なのだろう。つまり、機動力とくいを伸ばして近接力にがてを補うためにわたしを指名してくれた、そういうことのようだった。ぽかんと口を開いて聞き入るわたしの前で、フライさんは背後にあるホワイトボードの予定表に文字を書き入れていく。

「基本的には平常時の勤務通り、日中はトレーニングを行って、夕方からパトロールに出る形にしようと思ってる。犯罪発生率は夜の方が圧倒的に高いからね」
「あっ……はい、なるほど」
「時間は限られている。仕事は仕事でしっかり体験してもらいつつ、訓練の方もみっちり扱かせてもらうからな。頑張って着いてきてくれよ!」

 心なしか話始めの頃よりフライさんの声音がいきいきと弾んでいるのがわかって、わたしはごくりと唾を飲んだ。もしかしたらあの悪目立ちの時に直接関わったお陰で、お情けのようなもので指名されたのかもしれないと思ってしまっていたけれど、この人はちゃんとわたしを見て、自分との相性を判断した上で呼んでくれたのだ。そりゃそうだ、相手はプロの世界で生きているヒーロー――未来の相棒サイドキックになるかもしれない相手を、軽々しい気持ちで選ぶはずがない。

「――精一杯頑張ります。ご指導、よろしくお願いします!」

 もしかすると、わたし自身が思っていたよりもずっと、わたしがここで得られるものは大きいのかもしれない。気合いを入れて頭を下げると、フライさんは羽が突き出した腕を組みながら、満足げに頷いた。

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