胸のあたりが焼けるように熱い。
 焦げて綻びた服の中、いくつもいくつも重なった古傷の上に、真新しい火傷。

 目の前で、振り抜いた自分の手を押さえながら、目を見開いて震える幼馴染。
 荒く乱れた呼吸を整えながら、その腕を掴む。

「……だい、じょうぶ」

 珍しく、怯えた目をしていた。だから安心させなくちゃと思った。それがその時のわたしにできる精一杯だった。

「痛くないよ」

 本当はちょっとは痛かったけど、我慢できる程度だったから。昨日の夜・・・・のはもっと痛かったから。
 口角を持ち上げて、掴んだ腕を優しくさする。わなわなと震えていた彼の口が、激しい嫌悪に歪んで。

「――気持ちわるいんだよッ!」

 強く振り払われた手は、そのままわたしの頬を強かに打ち付けた。

 今でもたまに夢に見る。
 夏の夕暮れ、じわじわ染み入る蝉の声。















「ぶほっ……おえっ!!」

 顔面に激突した羽が鱗粉をばら撒きながらばたついて、振り払いながら思わずえずいた。ぺっぺと口の中を清めつつ何とか追い払うと、大きな蛾は道の向こうに見える林の方へ逃れていく。まだ夕方前だっていうのに元気なことだ。ああ気色悪かった。ぜえはあ肩で息をしながらハンカチで顔面を拭くわたしの後ろで、何を考えているんだかよくわからない笑顔でその様子を見守っていた同級生が、腹から出ていそうな大きな張りのある声で笑った。

「何してんだ火照!急に飛び出してきたからびっくりした!!」
「イナサに激突しそうだったじゃん、一応救けようと思ってやったんだけど」
「別に蛾とか大丈夫だぞ俺!模様かっこいいから!」
「マジ?」
「マジ!」

 元気のいい返事を聞き流しながらハンカチを制服のポケットにしまった。そういや、わたしがこの間廊下に出たゴ……例のカサカサ動く虫から同級生の女の子をガードした時も、「そいつ速くて凄いよな!」とかズレたことを言っていたのを思い出す。昔からそこそこに気の合う友達だけれど、そういうところはどうにも理解できない。

「というか前にも似たような会話をした覚えがあるんだけどな!つくづく考えるより前に体が動く奴め!」
「褒め言葉だと思っとくからね」
「褒めてるさ!ヒーローっぽい!俺そういうヒーロー好きだな、熱くて!」

 そう言って笑う坊主頭の彼は、小学三年生の時に出会ってから今年まで、六年間に渡って付き合いのあるお友達だ。
 夜嵐イナサ。全人類の八割が超常的な能力、“個性”を持つようになった現代超人社会において、数多くのヒーロー達を輩出し続ける名門中の名門――わたしと同じ、国立雄英高等学校ヒーロー科を志望校に決めている一人。わたしよりひと回りもふた回りも大きな図体できゃっきゃとはしゃぐ横顔を見上げながら、肩を竦めて帰り道を歩き出した。

「あんたが好きなヒーローに近いってことは、わたしの好きなヒーローには遠いってことね」
「昔っからそこだけは合わんなあ。おまえ直接見たことないだろ、奴の死ぬほど冷たい目……」
「あるよ?エンデヴァー会ったことあるもん」
「……合わんな!!本当に!!」
「まあやめとこっかこの話、平行線で不毛だし」

 季節は春、つい先日新学期が始まったばかり。中学三年生になったわたし達は、いよいよ本格的に高校受験に備えて準備を進めていた。今どきは“個性”を使ってヴィランを挫く“ヒーロー”という資格職業が大人気で、クラスのみんなもどこかしらのヒーロー科を志望する人ばかり。中でも雄英高校ヒーロー科は長きに渡りトップに君臨する高難易度な高校で、特段進学校というわけでもない学校の割と平凡なわたし達のクラスだと、三年の春に本命で志望しているのはわたしとイサナくらいのものだった。

「進路希望書いた?」
「うん!もちろん雄英!このままいけば推薦もいけるって先生に言われてる!」
「マジか」
「マジ!」
「わたしも模試自体はいい感じなんだけど……いまいち“個性”の伸ばし方わかんないんだよね」
「頑張れ!!」

 何というか身もふたもない直球の応援だけれど、まさにその通り、とりあえず頑張るしかない。左右の手で触れたものに磁力を与える“個性”――これをヒーローの力として活かすにはどうするべきか。増強型なんかとは違って、そこまで戦闘向きの性能じゃないのは何となくわかる。あーあ、エンデヴァーみたいにわかりやすく強い“個性”だったらよかったのに。
 その点イナサの“個性”は応用が効きやすくて何にでも活かせるだろう。羨ましいなあ、なんて思いながら赤信号の横断歩道の前で立ち止まる。隣では、わたし達と同じく学校帰りらしいランドセルの子供達が互いの体を押したり引っ張ったりしながらじゃれ合っていた。
 ふと、その姿が昔よく見ていた光景に重なる。

(――出久、おめぇほんとなんにもできねーな)

 幼馴染の強気なあいつは、同じく幼馴染の気弱な彼をよくどつき回していた。相手がいまどき珍しい“無個性”だからって好き放題罵ったり、ときどき“個性”を使っていじめたり――大怪我をさせるようなことが無かったのは幸いだけれど、間に割って入った回数は一度や二度じゃない。あの子は今もいじめられているんだろうか。胸のあたりの古傷がむず痒くなったような気がして、制服の上からそっとさすった。
 その時。

「――あっ」

 思わず声が出た。じゃれあった拍子によろめいて、横断歩道の上に飛び出してしまった男の子。今まさにそこを通過しようとしている大型トラック。
 “考えるより先に体が動く”――イナサの言葉を頭の隅で思い出しながら、すぐ横に立っている電柱を右手で叩き、自分の靴も同じように叩いた。ぐっと足を曲げて跳び上がり、ちかりと赤く光った靴底を思い切り電柱に押し当てる。あとは蹴り出すだけ。
 “反発”の力がわたしの体を弾丸のように押し出す。歯を食いしばりながら、両腕を目一杯伸ばして男の子をどうにか突き飛ばした――が、その時点でトラックはもう目と鼻の先。激しいクラクションとブレーキ音が響く中、やけにスローに見えるトラックの動きを空中でなす術なく見守っていると、急に全身を前へ押し出していた力が増した。
 台風の日に道路で転がるビニール袋のように軽々と吹き飛ばされたわたしは、辛くもトラックとの衝突を免れたものの、道路の反対側に立っていた電柱へ強かに体を打ち付け――る前に、ぐっと止まってぼたりと道路脇に落ちた。アスファルトが擦れた焦げくさい匂いが鼻をついて、程なくして切羽詰まった男の人の声が聞こえてくる。トラックの運転手さんのようだった。

「お、おい大丈夫かあんたら!ぶつかってないか!?」
「……ひ、」
「……だ、大丈夫でーす」

 突き飛ばされた先、横断歩道の隅で腰を抜かして座り込んでしまった男の子に代わって、上半身をよいしょと起こしながら手を挙げる。危うくぶつかるところではあったけれど、とりあえずトラックには掠ってもいないはず。全身の砂つぶをほろいながら、凄い勢いで吹っ飛ばしてしまった男の子の側へ駆け寄って無事を確かめると、どうやら彼も目立った怪我や痛む箇所は無いようだった。
 運転手のおじさんは何度か同じような質問を繰り返したあと、心底ほっとしたように胸を撫で下ろし、飛び出してしまった男の子に「横断歩道では気を付けろ」ときつく言い聞かせてからトラックごと去っていった。幸い他に車通りも無く、二次災害の類も起こってはいないようだ。半べその男の子の擦りむいた膝に絆創膏を貼ってやりながら、青になった信号を渡ってこちらにやってくる他の子供達、そして珍しく青い顔をしたイナサに向かって手を振る。さっきわたしの身体に加速をかけてくれたのは多分イナサの風だ。

「イナサ!ありがと!」
「ありがとじゃない!おまえが飛び出さなくても俺の風で何とかなったのに!」
「でもなんかピーンときたわ、今の良くなかった?わたし反発ジャンプでヒーロー目指そっと」
「これ以上飛び出し力を上げられると面倒見切れん!」
「さっきは褒めてくれてたのに」
「それはそれ!」

 顔は笑っているが目が笑っていない。挙句わたしの脳天にチョップを繰り出すイナサに思わず唇が尖る。そりゃ、多少無謀気味な行動ではあったかもしれないけれど、わたしはヒーロー志望だ。ヒーローになりたいって人間が、目の前でトラックに踏み潰されそうになっている男の子を黙って見過ごすなんてできようはずもない。と、むくれるわたしの制服の袖を、くいと引っ張る小さな手があった。

「おねえちゃん……救けてくれてありがとう」

 友達に囲まれて安否を確かめられながら半べそをかいていた男の子だった。か細く呟かれた言葉。たったそれだけで、不機嫌に尖っていた口元が思わずゆるゆるに緩んでしまう。

「どういたしまして!」

 まだ細くて柔らかい少年の髪をぐしゃぐしゃ撫で回すわたしと、やや呆れたように坊主頭の後ろ側を掻くイナサ。中三の春――わたしたちと同い年の少年が巻き込まれたという、“ヘドロ事件”のニュースを目にする少し前の話。

 まだわたしがヒーローのヒーローたる所以も、自分自身の少しねじれた・・・・性質も――よく、理解していなかった頃の話だ。

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