「……」

 違う。全然会いに行くとかじゃない。たまたま、たまたま適当に歩いてただけ。たまたま。すぐ帰る。通り過ぎて帰るし。

 心の中で呪文のように繰り返しながら通りを歩く。本当に自覚は無かった。ただ逃げるようにイズのお家を後にして、半ば放心状態でふらふらと歩き回った結果、いつの間にかこの道に差し掛かっていたのだ。これはアレだ、たぶんイズのお家に遊びに行った帰りに使う“帰宅ルート”を辿ってしまったんだ。小さい頃の習慣が脚に染み付いていて、それでこんなところまで来てしまったんだ。
 流石に六年も経って少し景色が変わっているけれど、概ね記憶にあるのと違わぬ道だ。通りの半ばへ差し掛かると、家と家の隙間に一箇所だけぽっかりと開いた空間が目に入る。

「(――更地に、なってたんだなあ)」

 そんなに広くはない空き地。昔、わたしの家が建っていた場所だった。ごく普通の、こぢんまりとした一軒家だった。今は跡形もなく、大小様々な雑草の茂った土だけが広がっている。昨日あれだけわたしの心をいっぱいいっぱいに埋め尽くしていたあの家が、跡形もなく消え去っているのを目の当たりにすると、なんだか夢でも見ていたような、狐につままれたような妙な気分になった。

 わたしの心の中ではまだ燻っているけれど、現実の世界では――本当に、とっくの昔に終わってしまったことなんだ。

「(置いてかれてるの……やっぱわたしだけかい……)」

 どうしてこんな状態になってしまったのか、今となってはわからない。わたしだってちゃんと前を向いたはずだった。ヒーローになるんだって、その気持ちを燃料にして生きてきたはずだった。なのにどうして、いつハンドルを切る方向を間違ったんだろう。

「勝己ー!回覧板回してきて!!」
「ああ!?テメエでやれやクソババア!!」
「――!!」

 聞き覚えのある声が隣の家から聞こえて思わず飛び上がった。隣の立派な一軒家の表札をそろりと覗き込めば、知っていたことだけれどやっぱり“爆豪BAKUGO”の文字がある。引っ越してるわけないよなあ、そうだよなあ!家の外からでも聞き取れる音量の言い争いが繰り返された後、ドタドタと階段を降りる音が壁の向こうで響くのがわかった。あ、やばい。咄嗟に更地を囲うロープを跨いで侵入、身を隠したい一心でしゃがみ込んだのだけれど――、

「――あ゛?」

 無情にも一瞬で、回覧板で肩をトントン叩きながら気怠げに歩く黒Tシャツ男に発見されてしまった。更地に不法侵入でしゃがみ込む制服女を見下ろすこと少々、あいつの目はいつもの機嫌の悪さだとか、苛立ちとかそういうものではなくて、不審な人間を見つけた時の疑念一色に染まっていく。何してるんだろうねほんと、わたしも聞きたい。

「何してんだてめェ」
「さ、散歩かな……」
「あ?つかてめェんもうここじゃねえだろが」
「ごもっともで……」
「あと今日学校休みだアホ。寝ぼけてんな」
「そんなん知ってるわ……」

 ますます「何してんだこいつ?」感を強める一方の問答の後、沈黙が訪れる。睨むような視線に、どうしていいのかわからないまま無言で応じること数秒。これ以上構う価値無しと判断されたのか、奴の片足が歩を進めるために浮いたのを視界の隅に認めた瞬間、イズの叫び声が脳裏に響いた。

(――どうしようもなくなっちゃってるんだったら、ちゃんとかっちゃんに・・・・・・言って!!)

「――あのさ、」

 咄嗟に出た言葉だった。呼び止められたあいつの足が止まって、既に道の先へ向いていた視線がわたしの方に戻ってくる。
 が、何を言っていいのかわからない。こいつに――こんな人の話を死ぬほど聞かない罵倒のプロに、何を言えばいい?でも迷っている時間もない。迷いすぎればまたわたしに対する興味は消えて、こいつはさっさと回覧板を回した後家に帰ってしまうだろう――いやしまう・・・ってなんだ、いいじゃん帰らせとけば。いいの?こんな機会二度とないかもよ?いろんな問いと答えで頭の中が一瞬ぐっちゃぐちゃになって、限界容量を超えた思考回路がさあっと溶けて無くなっていくのを感じた。たぶん今のわたしはアホになっている時の上鳴くん並みの判断力しかないだろう。
 でも何か言わなきゃ。なんでもいい、なんか。直近の出来事で話題になりそうな、なんかアレだ。とりあえずかぱっと口を開いて喉から声を絞り出す。出てきた言葉は、

「一位おめでとう!」

 だった。
 一瞬固まった爆豪あいつの顔がみるみるうちに歪んで、先程イズのお家で見たばかりの、人間の限界を超えた両目の吊り上がりが見事に再現されていく。

「あァ!?てめェ喧嘩売ってんのか買うぞクソ女!!」
「いや売ってな――ブフォッ」
「笑ってんじゃねーーーーーーーよ!!ブッ殺したろか!!」
「笑っ……ブフッ、笑ってない――ウフッ……凄かった、あんたの試合全部凄かったってば」

 言葉の切れ目で漏れ出る笑いを必死に掌で押し込めながら首を振る。しばらく例の顔でキレ散らかしていたあいつは、やがて少しずつ落ち着きを取り戻し――険しい顔で吐き捨てた。

「――そういうてめェは随分無様な負け方だったじゃねえか。ざまァねえな」

 言ってくれるなあ。しかしまあ言い返す余地もない。何よりこいつに指摘された“グーパン避けられない病”が全然克服できてなかったのが痛すぎる。ただそれでも、ぶっ倒れたりしたせいで周りからは心配や慰めの言葉が多い中――ここまでズケズケと否定されるのは、却って気持ちがいいような気さえした。
 何か、今なら言葉が出てきそうだ。

「弱かったよねえ、わたし。笑っちゃうくらい。ぶっちゃけ落ち込んでるよ」
「勝手に落ち込めザコ」
「なんかさ、試合で負けたのもショックといえばショックだったんだけどさ……わたし、さっき戦い方のことでイズにたしなめられちゃってさあ」

 しゃがみ込んでいた足を前に放り出して、地べたにどすんと腰を下ろす。見上げればお昼過ぎの空はよく晴れ渡っていて、なんだかそれが逆に物悲しかった。

「置いてかれてんなあと思っちゃったんだよね。わたしが強くなんなきゃーってジタバタしてた間にさ、わたしが守りたかった人達が……みんなわたしより強くなっちゃった」
「……」
「どうしよ」

 自分で思っていた以上に、途方に暮れたような情けない声が出た。恥ずかし、と心の中で呟きながらそっと口を押さえてヤツの顔を盗み見たが、相変わらず険しいままだ。まあいつどんなときでも険しいような気がしないでもないけれど。
 再び沈黙が降りた居た堪れない空気の中で、爆豪あいつの顔はますますもって不機嫌に歪み、苛立ちも顕といった感じで眉間にもしわが寄っていく。今回はどこにムカついてんのかな、やっぱりうじうじ弱気なこと言ったのはまずかったかな。でもわたしの方は、一通り喋っただけで妙に気持ちが軽くなってしまった――ような気がしないでもない。満ち足りた気持ちでふうと息を吐いた瞬間、脳天に何か硬いものが激突した。

「い゛っ!?」
「何言ってっかわかんねえんだよ……要領よく喋れや……」
「あ、はい……」
「大体が気に食わねんだ昔っから……てめェの頭ン中にはクッソ雑に分類した二種類の人間しかいねえ」

 回覧板の辺が何度も脳天にゴツゴツ当たる。本気で、あるいは角で殴られてないだけ大分マシな方なんだろうけど、普通に痛いし何回殴るつもりなんだこいつ。木魚のようにぽこぽこ叩かれながらも、何かを言おうとしている爆豪あいつの言葉に、わたしはいつの間にか必死になって耳を傾けようとしていた。

「“てめェに守られる弱え奴”と、“その弱え奴をブン殴る悪い奴”――しかも線引きはてめェ自身の強さだろ。んなクソみてえな価値基準で悟った風に語んな」
「ええ……なにそれ、あんたの頭ん中じゃなくて……?」
「違えわアホ一緒にすんな!第一何が“置いてかれてんなあ”だ甘えんな!“守れねえ”って思っちまったんならやる事は一つしかねえだろが!!」

 徐々にヒートアップしてきた回覧板木魚がピークに達し、一際強い力でわたしの頭に落ちてごつんと止まった。

強くなんだよ・・・・・・てめェが……!てめェ自身が無理矢理にでも線引きボーダー上げて、その辺の連中下に引き摺り込むしかねェだろが!本気でヒーローやりてェならそんぐらい気張れやクソザコ」

 その言葉を聞いた瞬間、頭の中に立ち込めていたしつこい靄が――ふわっと、薄くなったような気がした。ああ、そうか。何でそんな簡単な答えに至れなかったんだろう。
 “どうしよ”、じゃない・・・・。“甘えんな”、その通り。周りがみんな強くなっちゃった――って、そんなのほんとにアホみたいだ。今の自分より弱い人しか守れないんじゃ、わたしの人生はそこで終わってしまう。
 お母さんが強くなっても、イズが逞しくなっても、わたしが彼らを“守りたい”と思う限り――わたしは、ただ守れるだけの強さを得るために、もがき続けるしかないんだ。

「……あんた、たまにいいこと言うね。ほんとに」
「わかったならさっさと消えろや……クソババアがてめェ見つけたら家に上らせんだろが面倒くせえ……」
「いいこと言うのにほんと口悪いな……」
「勝己ー!回覧板回すだけなのにいつまでかかっ……あ?」

 噂をすれば影とでも言うべきか、爆豪家の門からすごい形相で顔を出した女性――記憶の中の若い時代から全然変わっていないかっちゃんママが、息子に回覧板で頭を叩かれているわたしの顔を見てはっと目を見開いた。やば。これじゃ本当に爆豪こいつの言う通り捕まりかねない。素早く頭上の板を跳ね除け、跳び上がるようにロープを跨いで歩道に出る。

「じゃ、わたし帰るわ!」
「あっ、ちょっ――」
「お久しぶりです!すみません急ぐので!」

 駆け出す直前、しかめっ面でこちらを睨む爆豪あいつに向かって、振り向きざまにひらりと手を振る。

「ありがと!」
「るっせえ黙れバァーカ」

 くすりとも笑わないまま吐き捨てられた言葉に思わず笑みがこぼれた。来た時よりは幾分軽やかになった脚で、通りの向こうへ駆け抜ける。

 わたしは弱い。
 過去のこと、過去から今にかけて抱き続けている思いのこと、新しくわかった、正直受け入れ難い父親譲りの“個性”のこと。乗り越えなきゃいけない壁は山積みで、具体的にどうしていいのかもわからない。
 でも、まだ泥沼に足を突っ込んだまま一歩も動けてはいないかもしれないけれど、進む方向はわかった。前を向けたんだ。あとはただただ、できる限り一生懸命頑張ってみるしかない。

Puls Ultraプルス ウルトラだ……!!」

 呟いて、そういえば雄英出身のエンデヴァーが、何かのインタビューで“この校訓が嫌いだ”と漏らしていたのを思い出した。わたしの目指すヒーロー像、ほんとにブレブレだなあ――爆豪あいつにアホバカ言われるのもしょうがない。なんだかそれさえも可笑しくて。
 人生で初めて自分の弱さに打ちのめされたその日、わたしは笑いながら家路についたのだった。

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