「い……いいい、いい……い、いず」
「……」

 ガタガタ震えながらテレビの画面に齧り付くわたしを見て、轟くんは複雑そうな面持ちで目を伏せた。
 昨日行われた雄英体育祭、決勝トーナメント二回戦第一試合。全国ネットで生中継されたその試合は当然轟家のテレビでも録画されていたようで、美味しい和食の朝ごはんを頂いた後、「そういや、自分の後のは全部観てないだろ」と私服姿の轟くんが声を掛けてくれたので、制服姿のわたしと二人並んで居間のテレビをお借りすることになったのだけれど。

 一回戦ラストの第八試合、爆豪あいつ対お茶子ちゃん戦(めちゃくちゃに容赦なかったしとにかく熱くてちょっと涙出た)を挟んでわずか二試合目、イズ対轟くんの試合。画面に映るイズは初手から指ぼっきぼきで、まあこれは彼の“個性”の特性上仕方のないことだと思ってぐっと堪えたのだけれど、その後も轟くんが氷を繰り出すたびに指は折れ、やがて無事な指が無くなると折れた指を無理やり弾き、最終的には折れた指をぶら下げたままの腕を――ああだめ、だめだ。言葉にするのもおぞましい。最後にイズが轟くんの炎熱ひだりを受けて場外へ吹っ飛んだのを確認してから、わたしはがくがくぶるぶる振動バイブする膝を押さえながら立ち上がった。

「ご……ごごごめ、ごめん、ちょっと……わたしそろそろ……お暇……おおおみお見舞い……」
「……真剣勝負だし、あれは緑谷あいつの判断だから、別に責任感じてるわけじゃねえけど……何か、わりィ」
「べべべ別に轟くんはぜぜん、全然悪くないからね!」

 それはそれとしてなんだあの腕の色は、内出血の赤紫通り越してドス紫になってたぞ。居ても立っても居られずに鞄を持ち上げると、テレビを消した轟くんも荷物を持って立ち上がる。

「俺もそろそろ出かける。ついでに駅まで送る」
「え!?いいよ、そこまで構わなくても」
「道あんまわかんねえだろ。言葉通り“ついで”だ。もともと出かける予定だった」
「そ、そっか……じゃあお願いします」

 二人揃って居間を出ると、さっき朝帰りしてきたらしい轟くんのお兄さん(夏雄さんというらしく、知らない女が家にいて轟くんとテレビを観ていることに大変驚愕していた)にご飯を出しに行っていた冬美さんと遭遇した。最後に挨拶しに行くつもりだったのでちょうどいい。「お世話になりました」と頭を下げると、「お客さんなんて久しぶりだったから楽しかった」と笑ってくれた。と、出かけ支度が住んでいる様子の轟くんに目を止めて、冬美さんが首を傾げる。

「焦凍、出かけるの?」
「お母さんに会いに行ってくる」

 その言葉に冬美さんもわたしも思わず固まった。
 お母さんってあの、心を病んで轟くんにお湯をぶっかけて病院に入れられてしまったという、あの?“お母さんを追い詰めた親父あいつを憎んでいる”という辺りから、お母さんのことは好きだったんだろうなあとは思っていたけれど、でもそれって、顔面に火傷を負わされた彼にとってはトラウマ級の大地雷なんじゃ。わたしより早く復活した冬美さんも戸惑いを隠さず口元を覆った。

「えっ……ええっ!?急にどうしたの!?」
「ついでに南北こいつもそこまで送ってくる。行くぞ」
「え!?うん!?」
「ちょっ、ちょっと……焦凍!?」

 大混乱の冬美さんを置いて轟くんはすたすたと歩き出してしまい、わたしも慌ててそれを追う。靴を履く間も「なんで!?」「焦凍!?」と質問は絶えなかったけれど、轟くんは多くを語るつもりはないらしく、どんどん外へ向かって行ってしまう。

「お父さんに知らせなくてもいいの……!?」
「――行ってくる」

 その言葉を最後に轟くんは引き戸を開けて、午前の太陽が眩しい外へと出て行ってしまった。わたしも冬美さんに丁重にお辞儀と感謝の言葉を述べてから後を追う。エンデヴァーは朝早くに出勤していたようで、わたし達がテレビを見ていた頃にはもうお家に居なかった。

 小走りで追いつくわたしを肩越しに確認したきり、轟くんは前を向いていつも通り寡黙に歩き出す。多分わたしにも詳しい事情を自分から語る気はないのだろう。

(――それを明日、確かめに行ってくる)

 昨夜の言葉を思い出した。轟くんにとっては、お母さんと向き合うことこそが、“なりてえもん”を確かめに行くってことなのかもしれない。

 黙々と轟くんの後ろを歩いて駅まで辿り着くと、わたしはイズの家の方に向かう電車、轟くんはバスを使うというのでお別れになる。去り際、踵を返して行ってしまう轟くんの背中に、余計なお世話と思いつつ「頑張って」と声をかけると、彼は振り返らないまま片手を軽く上げて応えてくれた。













「えーと……どちら様ですか?」
「あっ、えっと……出久くんの同級生の南北……火照です。お久しぶりです。出久くんの怪我、お見舞いしたくて……あっ、リンゴ買ってきたので良かったら」

 突然現れた制服姿の女に明らかな戸惑いを見せていたイズママは、わたしの挨拶を聞くとみるみるうちに丸い目を更にまんまるく見開いて、「ほたるちゃんッ!!大きくなったわねえ〜!出久!出久ー!!」と叫びながら廊下の奥へ引っ込んで行ってしまった。なんだか……気のせいかもしれないけれど、記憶にある彼女よりも随分ふくよかになられているような……。

「ほたるちゃ……じゃ、ない、南北さん!わざわざお見舞いに!?ていうかなんで制服!?学校休みだよ!!」
「昨日ちょっとよそでお泊りしてたんだ。ていうかここはもうほたるちゃんで良くない?」
「お、お母さんの前だし……」

 イズママに呼ばれて飛び出してきたイズは、ギプスで固定された片腕を肩から吊り下げていて、もう片方の腕も包帯でぐるぐる巻き。一応元気そうに見えるのは例のごとくリカバリーガールの治癒のおかげだろうか。照れ臭そうに俯くイズのつむじを、取り敢えずグーで一発叩いておいた。

「あだっ!?」
「あのさあ、ぶっ倒れて一回戦敗退したわたしが言えた義理じゃないけど!何あの試合!!怖いわバカ!!バカ!!」
「あでっ、い゛っ……ご、ごめん!とりあえず上がって上がって!」

 一発のつもりが二発三発と続き、慌てたイズに上がるよう促されて、そこでようやく我慢ができた。靴を揃えて玄関を上がり廊下を歩きながら、ふと最近も似たような気持ちを味わったなと思い至る。
 USJで、オールマイトとヴィランの間に飛び出していったイズの背中を、必死になって追いかけていたあの時――。
 ふつふつと煮え立つようなこの気持ちは多分、心配を通り越してしまったが故の“怒り”だ。そう、思うことにする。















「ブフォッ」

 笑った拍子にリンゴの皮を剥いていた手が滑って、危うく左手をざっくりやってしまう所だった。
 場所は緑谷家のリビング、テーブルの上でリンゴをつまみながら、わたしとイズは二人でテレビの画面を見ている。映っているのは今朝轟くんの家で観られなかったトーナメントの続き。イズママが「高画質で録ってあるの!!」と言うので観ることになり、イズは自分の試合を観られることを少し渋っていたのだけれど、「いやイズのはもう観たって」と言うと観念したように項垂れていた。
 そしてわたしが噴き出すことになった原因は画面中央、表彰式でメダルの紐を齧っている爆豪あいつの姿だ。選手宣誓での宣言通り一位になったっていうのに、人間の限界を超えた両目の吊り上げ角度にどうしても我慢ができなかった。

「試合凄かったのにこれかー!」
「教室戻ってからも齧ったままだったよ」
「ぶわはははははは!!」
「あ、あんま笑わない方が……かっちゃんは本気だったんだし」
「ぶふふふふ……っふう、ふう……わかってるって」

 剥き終わったリンゴを皿に転がしながら、表彰台の上で拘束されたまま暴れ回る爆豪あいつの姿を見る。
 わかってる。あいつは粗暴で自分勝手で死ぬほど口が悪いけれど、一番になりたいって気持ちだけは本物だ。決勝戦の最後、全力の轟くんに勝ちに行ったはずなのにひだりを収められて、あれじゃあ暴れ回るだろうなあと納得もできる。だからってみんな取りたがってた一位を“ゴミ”呼ばわりしたりしないで、少しは殊勝に喜んでみればいいのに――ほんと、雄英に入ってからのあいつは爆発的に向上心の鬼だ。昔はあんなに必死な感じじゃなかったんだけどな。

「……変わったよねえ、あいつも」
「そうかな――うん、そう……かもね」
「まあ変わり具合で言えばやっぱイズが一番だけどねえ、やばい“個性”貰っちゃった・・・・・・みたいだし」
「ヘァッ!?」
「(ウルトラマン?)」

 何に驚いたのか、変な声を上げながら飛び上がるイズを横目にフォークで刺したリンゴをかじる。イズは随分変わった――変わりすぎだ。包帯ぐるぐる巻きの両腕を見ているとそう思わざるを得ない。

「……どうすんの、これから」
「……え?」
「“個性”使うたびにボロボロになっちゃって……昔のあんた知ってる身としてはさ、なんか……怖いんだよね」

 そう、怖い。
 だってあんなに――言い方は悪いけれど、貧弱な子だった。“個性”が無くて、腕っ節でも他の子には敵わなくて、いつだっていじめられて泣いていた。そのイズが今になって身に付けたという力は、使えば制御しきれずに自分の体を砕いてしまう諸刃の剣で。
 折れた指を弾きながら轟くんを叱責する姿が、ただただ怖かった。ボロボロなのに、あまりにも凄まじい気迫で、わたしの・・・・イズが急に遠くへ行ってしまったようで、たまらなく嫌で――、

「(……?)」

 わたし、今、なに考えた?
 わたしの・・・・って、なんだ。

「――それは本当にごめん。“個性”の制御については相澤先生やオールマイトにも言われてて、今回のことで他のみんなにも心配かけちゃって……何とかしなきゃと思ってはいるんだけど」

 何とかしなくたっていいよ。

「(――なんで、)」

 なんでそんなこと思っちゃうんだ。やめろ。何とかしないとダメだろ。このまま今の戦い方を続けてたら、イズの体はきっと遠くない未来に壊れてしまう。“ヒーローになりたい”というイズの夢を叶えるためには、絶対に克服しなきゃいけない壁なんだから。

 そうだよ、壁だよ。でもすごく分厚くて、超えるには危険と困難を伴う壁だよ。だったらさ、超えなくていいじゃんか。ヒーローになんかならなくていい。
 昔みたいに、わたしが守ってあげればいいよ。だってイズが後ろにいてくれなくちゃ、わたし――安心できない・・・・・・じゃん。

「――!!」
「?」

 慌てて首を振ると、フォークが上手く持てずに苦戦していたイズが首を傾げた。
 違う。やめろ。気のせい――うん、多分気のせいだ、こんなもの。勝手に浮かんでは消える思考を無理やり振り払って、わたしは空になったリンゴの皿を持って立ち上がった。

「とにかくさ、もっと自分の体大事にしなよね!毎回毎回大規模リカバリーで、きっとお茶子ちゃんとか飯田くんもそろそろ心臓持たないよ」
「う、うん。それはそうだけど――……、」

 イズが何か言い澱むように言葉を切った。皮を三角コーナーに捨てながら続きを待ったが、なかなか言葉はやってこない。スポンジに手を伸ばして洗剤を垂らすと、緊張をほぐすようにこわごわと息を吸う音が聞こえてきた。

「ごめん……こんな言い方、良くないかもしれないけど。でもそれって、君が・・言っていいことじゃないと思う」

 はっきりと告げられた言葉に、シンクの上で皿を擦っていた手が止まる。一瞬その意味が受け取れなくて――いや、何秒経ってもわからなくて、スポンジから泡の塊がぼたりと落ちるのを眺めながらただただ固まった。意味はわからないけれど――イズにこんな風に強い言葉を投げかけられたのは、多分初めてのことだった。

「本当にごめん、でもずっと思ってたまま言いそびれてたことがあって……USJの時、君は僕のこと庇っただろ。あれだって、自分の体を犠牲にしてでも――そういう、動きだったじゃないか」
「……そうかな?」
「そうだよ。あの時……僕の方こそ、心臓止まるかと思った」
「その前に足折って飛び出したのイズじゃんか……わたしだって心停止もんだったよ」
「そうだよね、お互い様だった。だからその、なんていうか……僕も心配かけないように頑張るから、君もあんなことはしないで欲しいんだ。お互い仲間を不安な気持ちにさせないためにも――」

 最後まで聞かずに蛇口をひねり、泡だらけの皿をすすいで、掛けてあった布巾で拭いた。湿った手から水気を取ってさっと踵を返し、テーブルの横に置いてあった鞄を引っ掴む。呆然とわたしの顔を見上げるイズが「やばい……」みたいな顔をしていたので、苦笑しながら首を振った――つもりなのだけれど、上手く笑えているだろうか。

「――違う、怒ってんじゃないんだ。気を悪くしたわけでもなくて……ごめん、なんか……整理がつかない」
「……あの、ほたるちゃ」
「ごめん、一旦帰るわ。……腕、お大事に」

 それだけ言って足早に廊下へ出て、玄関でさっとローファーを引っ掛ける。後ろから追ってきた「ほたるちゃん!」という呼び声を、分厚い玄関扉の向こう側に押し込めた。心臓がばくばくうるさい。頭の中でいつかの爆豪あいつの言葉が何度も何度も繰り返し響いていた。

(――テメエの欲求満たすために後生大事に抱え込まれんのは死んでもごめんだ!!)

 わかりたくないと思っていた。でも、わかりかけて・・・・・・しまった。今になって、ようやく。

 薄々感じていたけれど、やっぱりわたしは原点を得たあの日から、一歩たりとも前に進めてなんかいないんだ。
 お母さんは“新しいお父さん”という支えを見つけて笑顔を取り戻した。イズは自分の力で戦うための“個性”を手に入れた。彼らはもはや“守られる人”ではない。ないっていうのに――わたしは“守る人ヒーロー”でいたいばっかりに、彼らに追い縋っている。自分の中の嫌な記憶や過去の恐怖を、全然消化できていないままで。

「……っ!」

 認めたくない。もう大丈夫だと思っていたのにに、クソ野郎ちちおやのことを思い出しただけでこんなにいっぺんにボロが出た。認めたくない。わたしがイズを心の奥で、自分を成立させるための道具みたいに扱っているということも。
 むしゃくしゃに任せて頭を掻き毟り、逃げるようにその場を後にする。ああ、でも、こんなんじゃまたお母さんに会いたくなくなってしまう。どうしよう、どこに――どこに行けばいい?奥歯を噛み締めながら団地の階段を降りようとしたその時、

「――ッ、待って!!」

 がたがたと慌ただしい音を立てながら扉が開いて、必死の形相のイズが向こうから顔を出しているのが見えた。思わず足を止める。両腕や手指がボキボキで、ドアノブを捻るのも扉を押すのも容易じゃなかったはずだ。イズは扉を体で支えながら大きく息を吸い込み、叫んだ。

「もし……もし何か悩んでることがあって、それがどうしようもなくなっちゃってるんだったら、ちゃんとかっちゃんに・・・・・・言って!!」
「――、」

 ぎゅ、と眉根が寄ったのがわかった。なんで、なんでそこで爆豪あいつの名前が出る?わたしの疑問を他所にイズの大声は続く。

「僕は何も知らないからわかんないけど!かっちゃんは知ってる・・・・みたいだったから!」
「――な……何を……?」
「それは僕にもわかんない!でも――独りで溜め込んじゃ駄目だ!それがほたるちゃんの悪い癖なのは、僕にも何となくわかる……!」

 大きな声が聞こえて驚いたのだろう、部屋の中から「出久!?どうしたの!?」というイズママの声が聞こえて、一瞬顔引っ込んだイズの頭が「な、なんでもない……!」と返事をしてからすぐに戻ってきた。さっきまでよりは幾分落ち着いた様子で、ひとつふたつ深呼吸を繰り返してから、丸い目がわたしの目を真っ直ぐに捉えた。“何でもかんでも笑って背負い込もうとするな”。相澤先生の言葉が脳裏に蘇る。

「君がどんだけかっちゃんに殴られても、何言われても最後に笑って許してたのは、強いからじゃなくて……全部我慢できちゃうからだったんでしょ?」
「……」
「わかってたんだ、本当は……!でも僕は甘えてた!きみとかっちゃんがケンカした時に、それじゃ駄目だったんだって凄く反省した……!」
「……やめ、」
「でも僕はもう大丈夫・・・!今はまだまだだけど、きっとみんなを救けられるくらい強いヒーローになる!だから――君も他人ひとに頼っていいんだよ……!もう、苦しい時は我慢しないで……誰でもいいから頼ってよ!」
「やめて」

 イズの顔を見ることができなかった。多分その時のわたしは、がちがちに強張った酷い表情をしていたと思う。階下を見下ろしながらようやく呟けたのがその一言だけ。かつての“守るべき人”から投げかけられた言葉は、側から聞けばきっとものすごく優しくてありがたいものだったはずなのに――完全に追い討ち・・・・だった。
 受け入れられなくて、心が拒んだそれを締め出したがってぎゅうぎゅうと伸びたり縮んだりするように痛んで、しばらく黙り込んだ後、悪い癖が出た。わたしはいつもどうしていいかわからなくなった時にそうするように、ただただお茶を濁すようにへらへらと、顔面に笑顔を貼り付けてしまったのだった。

「――大げさだなあ、イズは」

 喋った途端に体が動いた。振り返らずに階段を下る。一階まで降りて道路へ出てもなお、重い玄関扉が閉まる音は聞こえてこなかった。

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