「焦凍――えっと、その子は……?」

 出迎えてくれた女性はわたしと轟くんの顔を見比べて、眼鏡の奥の青い瞳に困惑の色を宿した。どこか轟くんの顔立ちに似た面影のある、白に赤毛混じりの不思議な髪色をした女の人。もしかして轟くんのお姉さんなんだろうか。というか、

「(玄関広ッ……!!)」
「クラスメイト。今日うちに泊める」
「え!?女の子を!?」
「駄目か」
「ええ……」
「あっいえっその……すみません!!」

 真顔で問いを返した轟くんに、お姉さんらしき人は困惑しっぱなしのようだった。そりゃそうだ、仮にも異性の同級生を突然実家に連れてきて泊めるってもういろいろと突っ込みどころが多い。反射的に謝罪が口から飛び出したわたしの方は意に介さず、轟くんの目が広大な和風の玄関に並ぶ靴達の方をちらりと見遣った。

夏兄なつにいだって、また恋人んとこ泊まりに行ってるんだろ」
「その子彼女なの!?」
「いえまったく」
「違う」
「そ……それはそれで何というか……」
「今日は家に帰れないらしい。困ってんだ、こいつ……頼むよ、姉さん」

 轟くんがわたしの背中をそっと押して一歩前に出した。混乱気味のお姉さんには申し訳ない気持ちを抱きつつ、「すみません、お願いします」と頭を下げると、彼女はすぐに首を横に振ってあっけらかんと笑った。

「ああ、別に駄目って訳じゃないんだよ?焦凍が初めてお友達連れてきたと思ったら女の子で、しかも泊めてくれなんて言うもんだからびっくりしちゃった」
「すみません……」
「いいのいいの!晩ご飯は食べた?冷たいおそばがまだ残ってるから、良かったら食べて……」
「――焦凍、どこへ行っていた」

 聞き覚えのある声にびくりと身が竦んだ。広くて長い廊下の奥から、筋肉質な巨体がこちらの方に歩いてくるのが見える。簡素な黒いシャツに身を包んだ、赤い短髪の男性――一瞬誰なのかわからなかったのだけれど、今自分のいる場所がどこなのかを思い出してはっとする。
 ――エンデヴァー、

「(燃えてない……!!レアでは!?)」
「ん?何だその少女は」
「……こいつは、」
「――ああ、君か・・

 青い目がわたしの姿を見つけてぎらりと光ると、轟くんの周りの空気がぴりつくのが分かった。燃えていないオフのエンデヴァー推しヒーローというレアな状況と、初めて目の当たりにする家族間の確執という温度差の凄い局面にわたしがおろおろしていると、意外にもエンデヴァーの方がわたしの存在に思い当たる節を見つけたようだった。もしかして体育祭のあれそれを見ていたのかな。だとしたら、あんまり活躍できていない訳だから普通に恥ずかしいな――。

「こうして対面するのは六年ぶりか」
「――、……!?」

 思わぬ言葉に顔を上げたが、当のエンデヴァーの方は特に何の感慨も無いような、平然とした顔でわたしを見下ろしている。そんな、まさか、事件解決数最多と言われるほどたくさんの人を救けてきたはずの彼が、わたしなんかの事を記憶しているだなんて思ってもみなかった。
 これでも一応ファンやってるんだ、彼の性格はわかっている。自分が無数に解決してきた事件のうちの一つ、彼にとっては取るに足らない被害者の一人だということはよく理解しているつもりで、むしろ「なぜ?」という不信感さえ過ぎるほどの衝撃。それがそのまま顔に出ていたのだろう、彼は逞しい両腕をゆったりと組みながら言った。

「試合を見て思い出した。その分では、残念ながら強くはなれなかったようだな」
「……、」
「時に――そんな君がなぜ焦凍と馴れ合っている?こいつはようやくひだりの力を受け入れたのだ。今が大事な……」

 エンデヴァーの言葉を遮るように、轟くんが大きく足を踏み鳴らしながらわたしを庇うように一歩前に出た。言葉を切った父親の瞳を、冷え切った目で睨み上げている。

「――人様の家の子供にもそれかよ」
「焦凍……いい加減に――」
「俺の客だ。口出すんじゃねえ」

 吐き捨てるようにそれだけ言うと、轟くんはわたしの腕を掴んで歩き出してしまう。慌てて脱ぎ捨てた靴を揃える間も無いまま、大股で進む轟くんの後を追いつつ振り返ると、頭を抱えて溜息をついているお姉さんと、険しい面持ちでこちらに振り向くエンデヴァーの姿が見えた。

「待て」
「……」
「――泊まっても構わん。だが家には必ず連絡を入れなさい」

 轟くんは無視を貫いたが――最後のそれは、多分わたしに向かって掛けられた言葉だった。間もなく廊下を曲がり、二人の姿は壁の向こうで見えなくなってしまう。前を行く轟くんはその後も暫し無言で進み続けた後、徐に手を離して呟いた。

「急に掴んで悪かった」
「ううん、大丈夫」
「……そば食おう。台所、こっちだ」

 振り返らないままスタスタ歩く轟くんに連れられて、わたしもその後は無言で歩いた。ポケットを探れば、外からここへ来るまでの間にも何度か震えていたスマホのカバーが指先に当たる。我が家の倍くらいの広さはありそうな廊下に、二人分の足音だけが静かに響いていた。

















 轟くんは体育祭期間中のギラつきっぷりも相まってどちらかというとクールな印象だったし、お家の事情を何となく聞いていたのでほんの少しだけ身構えていたのだけれど、お姉さんの冬美さんはごくごく普通の優しい女性だった。四人兄弟の二人目に当たる長女だそうで、今は小学校で先生をしているのだという。
 台所までわたし達を追いかけてきた冬美さんは、「さっきはお父さんがごめんね」と笑いながら冷たいおそばを振舞ってくれた後、お風呂と洗濯機、就寝用のスウェットまで貸してくれた。
 借り物なので文句を言うつもりなんてもちろん少しもないのだけれど、それでもやっぱり、ゆったりとした襟ぐりから昔の傷が覗くのは何となく居心地が悪くて、少しだけ落ち着かなかった。

「(返信遅くなってごめんね……、と)」

 そのスウェット姿で廊下を歩きながら最後のひとつ、心操くん宛のメッセージを返してスマホをロック。お風呂上がりに他のみんなにも返信して、結局お母さんにも電話した。「全然繋がらないから心配したじゃない!」と少し叱られたけれど、友達の家に泊まることになったと言うと、それ以上追求することもなく普通に許してくれた。
 お母さんは、わたしがしたいと言ったことにあまり異を唱えない。たぶん負い目を感じているんだと思う。わたしのことをあの最低野郎に差し出してしまったと、ずっと後悔しているんだ。あれはわたしが選んだことなのに。

 充てがわれた客間の戸を引く。部屋は余っているから気にするなと言われたけれど、まあとにかく広くて綺麗な和室だ。明かりを点けて部屋に入ると、もう真ん中の辺りにこれまた柔らかそうな敷布団が敷かれていて、至れり尽くせりの有様に身が縮こまるようだった。部屋の向こう側には障子があって、少しだけ開けて覗いてみると外には縁側、そのさらに奥に広々とした中庭があるのが見えた。
 本当に豪邸だ――“同年代の友達の実家”だという認識が先立ってつい驚いてばかりだけれど、よく考えればそれ以前にあのエンデヴァーの自宅なのだから、豪華なのは当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
 わたし今、エンデヴァー憧れのヒーローの家にいるんだ。そう考えるとなんだか夢みたい……思わずうっとりとした溜息をこぼしながらふと左の方を見やると――轟くんが縁側に腰掛けながらわたしの方を見上げていた。

「わあ!?」

 思わず大きな声が飛び出て、慌てて口を押さえ――ついでにもう片方の手で鎖骨の辺りにかかっている火傷の痕を覆ってしまったのは反射的な行動だった。轟くんはぱちぱちと目を瞬かせて少しの間呆けた後、淡々と言った。

「――わりぃけどそれ、もう見てる。控え室で鉢合わせただろ」
「そうだった……ごめん、つい」
「……いまどき体の傷なんてそれほど珍しくもねえ。そんな必死に隠す必要無くないか」
「まあそうなんだけどさ――ちょっと、なんていうか、気持ち悪いからね。服の中だけ・・にびっしりで」

 苦笑いしながらわたしも縁側に腰掛け、胸のあたりをさすりながら空に瞬く星を見る。轟くんも静かに庭の鹿威しを眺めているようだったけれど、やがて徐に口を開いた。

「父親にやられたのか」
「まあね……でも、最初に虐められたのはお母さんなんだよ。わたしはついでみたいなもん」
「……」
「……轟くんのはさ、自分のひだりのせいなの?それともお父さんの……」
「……どっちでもねえ」

 轟くんはまたも淡々と語った。
 彼のお母さんは、より強く完璧な“個性”を持つ子供を作り、その子に自分の野望を叶えさせようと考えたエンデヴァーに無理矢理娶られた、いわゆる“個性婚”の被害者であること。
 エンデヴァーが“個性”にこだわるあまり、轟くんを含む子供達や彼女本人に苛烈で行き過ぎた行動を取り続けたことで、次第にお母さんの心が病んでいってしまったこと。
 我慢の限界を超えてしまったある日、扉の隙間から覗いていた轟くんの父親側ひだりがわを見て――思わず煮えたぎるやかんのお湯を浴びせてしまったこと。
 それ以来轟くんが、母親や兄姉達を追い詰めて不幸にし続けた父親のことを、激しく憎んでいること。
 何となくわかっちゃいたけれど、改めて聞けば聞くほど……、

「(凄絶だ……)」
「だから親父あいつのことは……心の底から憎んでる。戦いにおいてもひだりは使わねえって決めてた」
「なんかごめんね、ほんと……軽々しくエンデヴァーのこと聞いたりして」
「仕方ないだろ。そんな事情誰も知ってるわけねえんだから」

 No.2ヒーローとその息子。世間には、“ヒーロー界で二番目に偉大な男と、その力を受け継ぐサラブレッド”として持て囃される二人の間にある、知られようもない、想像を絶する深さの闇と亀裂。それに今日まで耐えて、抗って、戦っていた彼のことを思うと、なんだか自分のことが恥ずかしくなってきた。弱すぎる――うん、弱すぎる。やや落ち込んだわたしの心境を知ってから知らずか、轟くんは少しの間考える時間を作るように間を空けると――鹿威しを睨みつけたまま、わたしに問いかけた。

「こんな話聞いて、さっきも玄関であんなこと言われて――それでもおまえはまだエンデヴァーあいつのことが好きなのか?」
「……、」
「あいつはもともとどこでもあんな調子だ。No.2ったって、周りからは人間として好かれちゃいねえ。わかんねえんだよ……おまえにとって、親父あいつは何なんだ?」

 その問いは轟くんなりに、彼が厭う父親のことを好きだなどとのたまったわたしに対して、歩み寄ろうとした結果なのかもしれなかった。いや、或いはわたしじゃなくて――憎んで嫌い続けてきた父親のことを、少し知ってみようと思ったからなのかもしれないとも、後に思った。
 何かと問われれば、それは決まっている。彼はわたしのヒーロー。誰にも語ったことのない、わたしの、南北火照の――。

「――原点オリジン、かな」

前へ 次へ
戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -