――目が覚めたら、体育祭が終わっていた。

「…………マジか……」

 気付くと救護室のベッドの上で仰向けに寝っ転がっていて、向こう側の壁に掛かっている時計の針を見て絶句した。夕方どころかほぼ夜だ。ちらりと見遣った窓の外も、地平線あたりがほんのり橙の名残を残している程度、あとは殆ど夜空だし星も見えている。窓に映ったリカバリーガールの後ろ姿がくるりと回って、「寝ぼすけな子だねえ」という優しいお小言が後ろから掛かった。

「大丈夫かい?意識ははっきりしてる?」
「多分……」
「これ何本?」
「二本……」
「何とか大丈夫そうだねえ。何があったか覚えてるかい?」
「……試合を……してたと思うんですけど」
「そうそう――うん、目もしっかり覚めてきたみたいだ。ちょっと待ってな」

 リカバリーガールは椅子からひょこりと降りて、軽快な足取りで部屋の外へと向かってしまう。確か試合を行なっていたのはお昼過ぎだった筈だけれど、それからずっと寝ていたのだろうか。強張った上半身をぽきぽき言わせながら起き上がると、左腕に点滴跡の絆創膏が貼られていた。あとは何だか――ものすごく顔面が痛い。そうだ、この間も殴られたばっかりだったっていうのにまた思いっきり貰ってしまったんだった。ズキズキ痛む鼻柱を手で覆いながら溜息を吐くと、救護室の扉が開いて、包帯でぐるぐる巻きの、わたしよりよっぽどベッドで寝ていた方が良さそうな出で立ちの相澤先生が入ってくる。

「目ェ覚めたか。まずは――」

 見た目の割にすたすたとスムーズに歩いてきた先生は、わたしが座るベッドの横に立つと、ぐるぐる巻きの両腕の間に何かのファイルのようなものを挟んで持ち上げて――、

「あだっ!?」
「鋼鉄のパンチを突っ立って受ける奴があるか。切島に聞いたぞ、避けられない癖がついてるんだってな。何だそりゃ、話にならん」
「……す、すみませ……」
「これイレイザー!大怪我人が病み上がりの子に乱暴してんじゃないよ!」

 ファイルの角で頭を殴られ悶絶するわたしを一瞥し、相澤先生は溜息を溢しながらベッドサイドに腰掛ける。その隣にちょこんと腰掛けたリカバリーガールが、お説教しながら彼の手にあるファイルを奪い、ぱらぱらとページを捲りながら喋り始めた。

「あんたの症状だけどね、いわゆる“鉄欠乏性貧血”ってやつだったよ」
「貧血?」
「そう、試合中に貧血起こして倒れたのさ。ただこういうのは普通、長い時間かけて少しずつ進行していくもんだからねえ。あんたは昼間ピンピンしてたのに急に倒れたもんだから、念のために色々検査してみたんだよ」
「は、はあ……」

 そういえば試合ってどうなったんだっけ――なんだか途中から頭が真っ白になってたみたいで、あまりはっきりとした記憶がない。殴られたのは痛かったから何となく覚えている。あと掴まれたのも――あ、なんか……すごいでかい声で「触らないで!!」とか言った覚えがうっすらあるな。一生懸命記憶を掘り返しながら、リカバリーガールの話にも適当に相槌を打つ。すると再び頭の上にファイルの角が降ってきて、「自分の話なんだからもっと真面目に聞きな!」と叱られた。

「そもそもあんたの体はね、鉄分の貯蔵量が普通の人より大分多いってことがわかったんだ」
「はあ……」
「けれど、そんなんじゃ余計に貧血なんか起きっこないってことで、色々検討した結果、やっぱり原因は“個性”なんじゃないかって話になって」
「……」

 鉄分。――“個性”。
何となく嫌な予感がして、自分の顔からどんどん笑顔が消えていくのがわかった。リカバリーガールはページをめくりながら、溜息混じりに話し続けた。

「私ゃ専門家じゃないから断定はできないが、今日の試合の様子を見るに――ありゃ“磁力”に加えて、金属を熱する・・・・・・“個性”、二種類の複合型なんじゃないのかい?」
「――」
「状況から推察できる限りでは、“体内の鉄分を消費して、他の金属の温度に干渉する”――恐らくこの辺りが近い。詳しいことはきちんと調べてみないとわからんけどな。……それで、だ」

 相澤先生はリカバリーガールから受け取ったファイルのページ上を、ぐるぐる巻きの手先で軽くぽんと叩いて示した。それは――どうやら入学時に提出した、わたしのプロフィールに関する書類のようだった。

「おまえのおふくろさんの“個性”が磁力関連で、おまえに遺伝してるのは主にそっちな訳だが――親父さんの“個性”は“歌声で他人の精神状態を操作する”ということになってる。金属も鉄分も全く関係ない」
「……、」
「――おまえこれ、血の繋がった親父さんじゃないな?そういう事情がある時は備考欄にちゃんと書いとけ――って、おふくろさんに言っとけ。ちゃんとしとかないと面倒臭いんだ色々と」
「……へへ」

 何と言って良いのかわからないまま思わず誤魔化し笑いを浮かべると、また閉じたファイルの角で叩かれた。痛い。だって名前を――いや、名前どころか存在を思い出すのだって、わたし達にとっては酷い苦痛だったんだよ。シーツを軽く握っていた手に力が込もった。

「最低最悪の人間だったんです。もう二度と会うこともないし、わたし達母娘おやこにとっては早く忘れたいだけの――むしろもう忘れたって、勝手に思ってたんですけどね。わたし」

 相澤先生もリカバリーガールも、その言葉を聞いて静かに口を閉ざした。完全に聞き・・の態度だ。ここで一度洗いざらいわたしに話させておくつもりなのかもしれない。でも――正直に言えばわたしだって、いきなりあのクソみたいな父親のことを話せと言われたって、今だって何もかも全然受け止め切れてないっていうのに。緩く首を振って、わたしは視線をベッドの真っ白な布地の上に逃がした。

「……すみません。このことは――“個性”のことも含めて、少し……一人でゆっくり考えてみたいです」
「そうか?」
「はい。……できれば、お母さんにも……今は何も聞かないで……」
「――わかった、お前のおふくろさんには何も聞かん。……ただな、南北」

 話を切り上げる気になってくれたのか、相澤先生が立ち上がってわたしの顔を見下ろした。殆どの表面が包帯に埋め尽くされてしまっているその顔をちらりと見上げると、布の隙間からいつも通りの気怠げな目が覗いているのが見える。

「何でもかんでもへらへら笑って背負い込もうとするな。USJの時も俺を引っ張って逃げるために敵の前に突っ込んだんだってな。あれは俺の落ち度もあったが――敢えて言わせてもらう。そういうとこ・・・・・・だぞ」
「……、」
「今の自分の強さ、自分の身の丈に合った生き方、戦い方をしろ。出来ないならヒーローは向いてない」

 それだけ言うと、相澤先生は踵を返して救護室の出口へ向かう。指が殆ど使えないせいか、ドアの開閉に少し手間取りながら廊下に出ると、最後にひょっこりと顔を覗かせて、

「明日から二日間休校だ。しっかり休めよ」

思い出したようにそう言い残して、廊下の向こうへ消えて言った。


















 一応点滴で鉄分は補給してもらえたそうなのだけれど、「しばらくは“個性”控えて、ほうれん草とか貝とかレバーとか食べて養生するんだよ!」とリカバリーガールにきつく言いつけられ、ようやく解放された頃にはもう夜の八時を回っていた。体操着から制服に着替えて、人気のない廊下を抜け、誰も居ない真っ暗な教室に鞄を取りに帰って、一人で靴を履き替える。どこか虚ろな気持ちで駅に着き、ホームに立って電車を待った。

「……」

 何だかぼんやりしてよく回らない頭で、色々なことを考える。
 今日の試合のこと。ピカピカに光る鉄哲くんの体を見たとき、赤く焼けた鉄の体を思い出した。鉄の拳で殴られそうになったとき、お母さんの前に立って両腕を広げていたときのことを思い出した。鉄の手のひらで掴まれたとき、肉が焼ける苦痛を思い出した。今日は少し――色々なことを、いっぺんにたくさん思い出し過ぎた。
 ふと今の両親の顔が頭を過る。体育祭、テレビで放送されてたんだっけ。二人ともきっと、どうしてわたしがああなっちゃったのか、わかっちゃった・・・・・・・だろうなあ。……何だか物凄く、顔を合わせづらい。わたしがあんな態度取っちゃったりしたから、きっとお母さんも、せっかく忘れかけたあいつのこと思い出しちゃったんじゃないかな。

 纏まらず取り留めのない思考を繰り返しながら、気付いたら目の前に止まっていた電車に乗り込んでいた。人気の疎らな車内で端の方の席に座りスマホの画面を眺めると、何件かメッセージが届いている。イズ、飯田くん、お茶子ちゃん、切島くんから体調を気遣う内容が来ていて――心操くんからも「おつかれ」とだけ届いていた。何だか意外だ。イナサからも「元気になったら連絡求む」と来ている。声は大きい奴だけど、文面だと結構静かだなんよね。あとは着信が数件、殆どがお母さんの番号からで、何件かはお父さんの番号も混ざっていた。みんな心配してくれているんだからちゃんと返信しなきゃと思うのに、どうにも人に向ける言葉を打つだけの気力も、電話を掛け直すだけの元気も沸いてこなかった。

『本日はご乗車ありがとうございます。次は――』

 電車は乗り込んでから既にいくつかの駅を通り過ぎていたはずなのだけれど、その放送を聞いた時ようやくはっとして、椅子横の手すりにもたれかけていた体を引っ張り起こす。読まれた駅名はさっぱり聞き覚えないものだった。近くにあるモニターに目を凝らすと、停車駅一覧にはやっぱり知らない駅名ばかり並んでいる。やば、間違えた。

 とりあえず次の駅で降りて改札を通り、構内で路線と時刻表を確認する。夜と言ってもまだ21時前、帰りの電車にはまだまだ余裕があるはずだが――ふと、表をなぞっていた指が止まった。

 正直、帰りたくないな。

 見計らったようなタイミングでポケットの中のスマホが揺れた。思わず体をビクつかせながら取り出すと、画面には着信の表示――お母さんだった。震え続けるスマホを見下ろしながら、躊躇うこと数秒。
 わたしは通話のボタンを、押すことができなかった。















 ああ、ほんとにつくづく嫌になる。
 ちっとも消化できてない。少しも風化されてない。
 過去を振り切るためにもヒーローを目指してたはずなのに、現状すっかり逆効果だ。向いてないとさえ言われた。はじまりの気持ちははっきりしてたはずなんだ。わたしは、お母さんを守りたかったんだ。でも。

 優しい方の父親の顔が脳裏を過る。
 ――お母さんはもう、わたしに守られる人ではなくなってしまった。

 次いで過ぎったのは、泥だらけの服で泣きじゃくっているイズの顔。
 オールマイトを救けるために飛び出していったイズの背中。
 空から落ちてくるわたしを真っ直ぐ見据えて身構える、決意の目。

 ああ、あのイズでさえ――もう後ろで守られるだけの人じゃないのかもしれない。




















「――南北?」

 突然名前を呼ばれて、前も見ずにふらふらと踏み出していた足が止まった。周りはすっかり知らない風景、普通の住宅街の普通の路地。聞き覚えのある声は後ろから聞こえた。振り返ると、Tシャツ姿の轟くんが、今の今まで走っていたのか、少し息を弾ませながらそこに立っていた。この辺にお家があるんだろうか。何だか今日はよく遭遇する日だな、と他人事のように考えた。

「うわ轟くんじゃん……びっくりした……」
「いや、それはこっちの……おまえんこの辺じゃねえだろ。何やってんだこんなとこで」
「……何やってんだろうね……ほんと」

 問いかけにはうまく答えられなかった。何となく両親に顔を合わせ辛くて、それだけの理由でふらふらと見知らぬ土地を歩き始めて10分ほど経つ。何の解決にもならない、何の生産性もない行為だというのに、ぶらぶら歩き回ってばかりで親に連絡のひとつさえ入れていなかった。アホらしくなってつい誤魔化すように笑うと、街灯の白い光に照らされた轟くんの顔が僅かに曇ったような気がした。

「体は大丈夫そうだな」
「うん。色々あって貧血起こしただけだった」
「……家、帰んなくていいのか」
「帰んなきゃだめだよねえ、やっぱ……」
「……」
「……へへ」

 何だか情けなさで胸がいっぱいだ。そういえば体育祭のリザルトって結局どうなったんだろう。轟くんは間違いなく上の方まで行ったんだろうなあ。爆豪あいつやイズと競ってたけど、結局誰が勝ったんだろうな――ああ。イズの顔が思い浮かぶと胸がぐじゅぐじゅと痛んだ。
 轟くんが何を考えていたのかはさっぱりわからない。彼は少しの間黙ったまま、自分の左手を見下ろして、ぎゅっと握って。やがて顔を上げると、半端で変な笑顔を浮かべたまま内心狼狽えっぱなしのわたしに、綺麗な青い瞳を真っ直ぐに向けて――こう言った。

「帰る気ねえなら――うち、来るか」

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