「よおアンタ、予選でぶっ飛んでた人だな!あん時はぶつかっちまって悪かった!」

 目の前に立つ対戦相手が何を言っているのか一瞬わからなかったのは、あの時わたしが相手の体の一部しか目撃していなかったからだった。屈んだわたしの背中にぶつかってきた硬いもの。追い抜かれざまに見えた、鋼鉄・・の腕。

『決勝トーナメント第七試合、ヒーロー科1年A組南北火照VSたい、同じくヒーロー科1年B組鉄哲徹鐵てつてつてつてつ――試合開始!』

 号令と共に、相手の全身が鈍く光る鋼鉄に変化して行く。その様を呆然と見つめながら、わたしは――焼けるように熱い胸の痛みを思い出していた。















「磁力に対して金属化……これは圧倒的にほたるちゃんの方が有利なカードだ……!」
「南北くんが地面に“個性”を使えば、それだけで彼は動けなくなってしまうだろうからな……一瞬で決まる可能性もあるぞ」

 試合開始の号令を聞きながら、飯田と緑谷は観客席からその光景を見下ろしていた。二人ともそれぞれ自分の一回戦を無事に勝利で終え、今はクラスメイトの応援に徹している。試合を控え、少し前からいつの間にか姿を消してしまった麗日のことが気掛かりではあるが――まずは始まったばかりの試合、序盤だけでも二人の“個性”を観察しておきたい。幼馴染に焼かれてボロボロになってしまったノートを抱えながら、緑谷は食い入るように競技場を見つめていた。

 緑谷の指摘通り、また飯田の言う通り、金属を吸引できる磁力の“個性”は今回の対戦において非常に有利だ。自分がもし彼女なら、相手が全身を金属化した瞬間から地面に“個性”を付与し、初手で動きを封じてしまうだろう――と、緑谷は考えた。
 ――しかし。

『B組鉄哲が全身ガチガチに固めて突撃――!!おっとおおお!?しかしA組南北、何故か棒立ちだァ――!!どうしちまったんだァ!?』
「――!!」
「南北くん……!?」

 彼女は動かなかった・・・・・・。あるいは――動けなかったのだろうか。
 全身を金属化して真っ直ぐに突っ込んでくる鉄哲相手に微動だにしない。どうして――思わず腰を浮かせかけた緑谷の視界に、後ろの席の方から階段を跳ぶように下りてきた人影が映る。

「あのボケ……!」
「――かっ、ちゃん……?」

 いつもなら緑谷がその名を呼ぶだけで不快を露わにするはずの彼が、柵に齧り付くようにくっついて、上半身を半ば乗り出しながら試合の様子を見ていた。戸惑う緑谷はそもそも眼中に無いのか、それとも単に無視しているだけなのかはわからないが、その横顔に浮かんでいるのは怒りと――少しの焦り・・だろうか。

OHオーーーーーッ!?鉄哲の鋼鉄グーパンチ、南北の顔面にクリーンヒットォ!!鼻血出てんぞー!!棒立ちの女子の顔面殴るってどうなのよォ!?』
『やかましい、そんなもん試合中に棒立ちしてる方が悪いだろうが』

 いつか教室の中でも聞いたことがあるような言葉が担任の声で紡がれると、彼の顔はみるみるうちに苦々しく歪む。慌てて緑谷も試合に目を向けると、殴られてよろめいたらしい南北が所定より数歩後ろの位置まで下がって顔を押さえており、殴った方の鉄哲も彼は彼でショックを受けたようで、「女子の顔面派手にいっちまったァー!!」と頭を抱えている様子が見えた。

『鉄哲反省したか、今度は姿勢を低く保ってタックルの体勢だ!そのまま突進で場外へ押し出し狙いっぽいな!!』
「南北くん、何故“個性”を使わない……!?というか何故微動だにしなかったんだ!?」
「あちゃー、あの癖・・・……マジでやべェやつじゃねえか。アレ大丈夫かね、爆豪」

 後方の席から切島が降りてきて、身を乗り出している爆豪をさり気なく後ろに引き寄せながら隣に並んで呟いた。あの癖・・・などという言い回しに違和感を覚えながらも、緑谷は名前を呼ばれた彼の様子を伺ったが、相変わらず苦々しい顔つきで眼下を食い入るように見つめるばかりだ。一体何の話をしているのか、口を開こうかと躊躇ったその時、

「――ああああああああ!!」

 聞こえてきたのは甲高い絶叫だった。はっと試合に目を戻すと、タックルの体勢で両肩を掴まれ押し出されそうになった南北が大きな叫び声を上げたようだった。突然のことに驚いたらしい鉄哲が手を緩めた一瞬の隙に、彼女は彼の体に右手で触れ、さらに自分の服の一部にも右手を触れさせ――瞬間、強烈な“反発”が鉄哲を押し返し、重たい鉄の体が宙を舞って吹き飛んだ。場外とまではいかないものの、コートの反対側まで飛ばされてしまったその様に観客席からどよめきが起こる。飛ばされた鉄哲自身も、硬化の影響で身体的ダメージこそないが、困惑と驚愕を隠せない様子で立ち上がろうとしていた。

「んだ今のは……!?」
「――触らないで・・・・・!!」

 先ほどの絶叫ともまた違う――びりびりと、空気を震わせるような強い、けれどどこか悲壮な響きの大声だった。瞬間、彼女は膝から崩れるようにその場に手をついて座り込み――同時に、鉄哲の体が地面にめり込んだ・・・・・

「なんだ!?」
「たぶん強烈な磁力だ!これで鉄哲くんは機動力が大幅に落ちるだろうし、かなり有利になる……、けど……」
「どうした、緑谷くん……?」
「体がめり込む・・・・ほどの強さってなんだ……今までそんなこと一度もなかった……いくら何でもおかしくないか……!?」

 慌ててノートをめくり、彼女の“個性”について記されたページを開いてペンを持つ。今何が原因で何が起こっているのか、考え得る限りの予測を書き記そうとした瞬間――ペンが引っ張られて、手の中から滑り落ちる。
 まさか。震える手で床に落ちたペンを拾い上げると、それはいつも使っているもののはずなのに、というかそれ以前に――ただのペンにしては随分と重たく感じられた。

「あっ――わりい爆豪!お前の席ジュースこぼしちまった!」
「死ねクソゴミ!」
「あ、うん……」
「ドンマイよ、上鳴ちゃん――ケロ……なんだかジュースの缶が……妙に重たいわ」
「――!!な、なんだ!?」

 近くの席から缶を取り落す音がいくつか聞こえ、離れた場所でも何やら騒めきや悲鳴が聞こえる中――飯田が驚愕の叫びを上げた。見ると美しい姿勢で座っていたはずの彼の脚が――少しずつ下へ下へ、床に亀裂を入れながら沈み込み始めている。緑谷は思わず飯田の顔を見たが、勢いよく首を左右に振るその姿が「もちろん動かしてなどいない!」と訴えているのは誰の目にも明らかだった。

『鉄哲、謎の力で地面に押さえつけられたまま動けない――つーか俺も首が死ぬほど重くて動けねえーッ!!おいイレイザーどうなってんだこれ!?』
『そりゃお前“磁力”に決まってる――多分な……チッ』

 見れば実況席のガラス張りの窓に、首回りにスピーカーをつけたプレゼント・マイクが卓上スタンドマイクと共に張り付いており、舌打ちしたイレイザーヘッドが骨折した腕をなんとか駆使して首から取って捨てたのは愛用のゴーグルだろう。見下ろした先、競技場のコート内には――空き缶に始まり、何かのパイプ、プロヒーローのものと思しき鋼鉄のマスク、同じくプロヒーローのものと思しき銃器や武器、その他時計やアクセサリーや諸々――様々な金属の品が落ち、物によっては地面を抉るようにしてめり込んでいる。見れば対戦相手の鉄哲も、這いつくばった体の半分ほどが既に硬いはずの地面の下へとめり込んでいた。

「飯田くん!大丈夫!?」
「待て緑谷くん!エンジンの様子が……!」
「――あっつ!?」

 慌てて飯田の脚、ふくらはぎから突き出した排気口に触れた緑谷は、その温度に思わず悲鳴を上げた。直射日光に長時間晒された車のボンネットを思わせる高温だ。他の面々からも悲鳴や困惑の声が上がる。

「のわあああ!缶あっちぃ!?」
「ケロッ」
「む――椅子の脚が灼熱を帯びて……」
「あっつ……!!何だこりゃ!!」
「……っ!!」

 柵に触れていた切島も驚いて手を離し、爆豪も手のひらを庇うように退いた。

「(おかしい、おかしいだろ――本当にただの“磁力”なのか、これ!?)」

 焦る緑谷が拾い上げたペンの先の金具が、指の中で次第に熱を帯びていく。明らかに様子がおかしい。疑問渦巻く緑谷の耳に、何かが軋むような不気味な音が聞こえた。――上から・・・だ。ここは競技用のスタジアム、当然建築資材にも多くの金属・・が用いられている――戦慄が走った。
 その時、背中に掛かっていた切島の腕を振り払って再度身を乗り出した爆豪が、大きく息を吸い込んで、叫んだ。

「――全ッ然似てねえだろうがこのクソボケェ!!」
「!?」
「かっちゃん!?」
別人だ・・・そのクソモブは!!適当な記憶でパニクって暴れてんじゃねえ!!目ェ覚ませやクソが――!!」

 酷く汚い罵り言葉が、突然の異変に混乱するスタジアム内に響き渡った。異変の渦中、引き寄せられて降ってくる金属製品の雨の中、地面の上で両手をついたまま項垂れていた南北の顔がゆっくり上がる。困惑したように何度も目を瞬かせながら、その口が音もなく動いた――“かっちゃん”と。

「か――体があちいー!!あああ!!」
「――こりゃだめだ、緊急事態!イレイザー!ミッドナイト!」

 半ば体を埋めてしまっている鉄哲が叫び声を上げると、コート中央で審判を務めていたセメントスが椅子から飛び降りた。すぐさまミッドナイトが腕に纏ったタイツを爪で引き裂き、実況席で静観していたイレイザーヘッドも、病み上がりの体を押して目元の包帯を持ち上げる――が、両者の“個性”が届くよりも先に、南北の様子が変わった。青白い顔で目眩を起こしたように体を傾がせて、突然糸が切れたように地面に倒れ伏した。

「ロボを呼んで!鉄哲くん、動ける!?」
「体は熱い以外何ともないんスけど!完全にハマっちまって動けねッス!」
「どれどれ、じっとしてなさい」
「――決勝トーナメント第七試合、南北さんは戦闘不能ですが、先に鉄哲くんも行動不能に陥ったため、一旦“引き分け”!引き分けの場合、後に別途簡単な手段で勝敗を決めることとする!」

 セメントスが地面に手を突き、人型の穴にはめ込まれてしまった鉄哲を救い出しつつ、倒れたまま動かない南北を隆起した地面で持ち上げて運んでいく。ミッドナイトの宣言によって試合には一旦幕が引かれ、緊張と得体の知れない恐怖に慄いていたスタジアム中が一気にどよめいた。床にはまってしまった飯田の脚を引き抜くのを手伝いながら、緑谷は斜め前を見遣る。柵に体を預けたまま、険しい――けれどどこか緊張が解けたような面持ちで溜息を吐く爆豪に、思わず声をかけた。

「か、……かっちゃん、今の――もしかして、何か知ってるの……!?」
「ああ?デクにゃ関係ねえよ……!」
「かっ、関係無くないよ!友達だし、クラスメイトだし、――ほたるちゃんの幼馴染だ!」

 そう言った途端、爆豪の顔が露骨に怒りに染まったのを見て、思わず身が竦むのを感じた。長年に渡り蓄積されてきた苦手意識はそうそう薄れないものだ。次いで飛んでくるであろう怒声に備えて身構えたが――予想に反して、彼は怒鳴り声を上げなかった。しばらく苛立たしげな目で緑谷を睨みつけた後、ポケットに手を突っ込んだ格好で、徐に緑谷の前へと歩み寄ってくる。反射的に体を仰け反らせた緑谷を追い詰めるように、爆豪はぐいと顔を寄せて――恐ろしく近い距離から、冷ややかに睨め付けた。

「てめェは……後ろに引っ付いてピーピー泣いてただけの、あいつの大事なお人形・・・だろうが……偉そうに喋んな」
「……!!」

 それきり緑谷には目もくれず、爆豪は踵を返して階段を上って行く。「どこ行くんだよ!」という切島の声に、「試合だクソ」とだけ告げて行ってしまった彼の背を、緑谷は呆然と見守るより他に無かった。

前へ 次へ
戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -