「――無理なの!どうしても無理なの!!」
「ですが、そういうことになっているのです!誉れ高きヒーロー科の生徒として、A組だけが規律を乱すわけには参りませんわ」
「南北さん最近筋トレ頑張ってるって言ってたじゃん!体細いし大丈夫だよ!」
「よく跳ぶから足はみっちりめだけどね〜!」
「ち、違くて、そういう問題じゃなくて――」
「往生際悪いぞー」

 ずいと目の前に押し出された橙色の布地から仰け反って逃げつつ、横からやいのやいのと野次を入れてくる葉隠ちゃん、ミナちゃん、耳郎じろちゃんを恨みがましく見遣る。わたしにその派手な布の塊を差し出している八百万やおちゃんの目は至極真剣そのもの。女子更衣室内、周りにいるみんなは既に全員がその衣装に身を包んでいて、一人体操服のわたしは完全にアウェイ状態だ。

「ねえそもそもほんとなの!?チアの衣装着なきゃいけないってほんと!?」
「ええ、相澤先生からの言伝で念押しされたのですから間違いありません」
「なんか胡散臭くない!?」
「そう言わずに着てみたら?意外と悪くないものよ……ケロ」

 言いながら梅雨ちゃんが黄色いボンボンをゆさゆさと揺らす。オレンジ色のトップスに同色のミニスカート、タンポポ色の派手なボンボン。これらは昼休憩と本戦開始前の間に挟まる体育祭のお楽しみ余興タイム――“レクリエーションタイム”に向けて八百万やおちゃんがわざわざ“創造”したものだ。なんでも「相澤先生から“午後から女子は全員チアリーディングの衣装で参加することになっているのだが、忘れているといけないので念のため確認を”という言伝を頂いた」とのことなのだけれど、なんかこう……とにかく胡散臭い。
 しかし、わたしがその衣装を着たくない理由はそこ・・じゃないのだ。今まで授業の着替えなんかも含め、小学生がプール授業の時に使うような巻くタイプのタオルをフル活用、耳郎じろちゃんに「いや何それ?新手のギャグ?」とか言われながらどうにか隠れてやり過ごしてきたっていうのに――、

「(でも……火傷痕がめっちゃあるとか言うと絶対みんな引くし気遣っちゃうよ……)」
「――仕方がありませんね。できればご自分の意思でお召しになって頂きたかったのですけれど……みなさん、よろしいですか!」
「ガッテン!」
「任せてちょうだい」

 にんまりと笑いながら立ち上がったミナちゃん、ペロリと舌をちらつかせた梅雨ちゃんの様子を見て背中に悪寒が走り、咄嗟に走り出すと後ろから「待てー!」という声が聞こえてくる。無理無理無理。猛ダッシュで更衣室の扉から廊下へ飛び出すと、梅雨ちゃんの舌が凄まじい器用さでわたしの体操服のファスナーを掴んだ。無理やり振り払いながら扉を閉め、咄嗟に扉と横の壁を左右の手で叩くと、しっかりとくっついたドアは中から押してもうんともすんとも言わなくなったようで、どんどん叩きながら「開けろー!」とミナちゃん、「南北さんも着ようよ、折角のチャンスだよー!みんなで写真撮ろうよー!」とお茶子ちゃんの声まで聞こえてきた。

「ごめん、ちょっと――嫌とかじゃなくて、無理・・なんだって!ほんとごめん!」

 何度も謝りながらも捕まる気はさらさらなく、とりあえずダッシュで遠くへ逃げる。流石のミナちゃんも、戦闘訓練でもない今の状況で学校の備品のドアを溶かしたりはしないことだろう。扉は後で解除するとして、取り敢えず反対側、反対側へ逃げないと――走り抜ける形で円形スタジアムの内部通路をぐるっと半周、ちょうどそこにはトーナメント出場者用の控え室の一つが設置されていた。

 時間を確認するまでもなく、まだ試合どころかレクリエーションタイムすら開始前。というかレクリエーション前に一度全員集合、競技場でトーナメント表の発表があるそうなので、ここにはまず誰も居ないはず。そっとドアノブを捻ると鍵は開いていて、そのままそろりと引っ張れば電気も点いていない薄暗い室内、まだ無人でうら寂しい控え室の様子が伺えた。とりあえずここだ。ここに隠れよう。そっと扉を閉めて入り込み、走りっぱなしで乱れた呼吸を整えながら、行儀は悪いが目の前に置いてある机の端に体重を預ける。

「ほんと、どうなってんだ梅雨ちゃんの舌……」

 人間離れしている――と思ったが、あれはいわゆる蛙のわざなのである意味当たり前か。ため息混じりに下がりかけのファスナーへ手を掛けて、やめておけばいいのに、少し躊躇ってからそっと下ろしてしまった。
 下にはありふれた黒いTシャツを着ているのだけれど――胸元から鎖骨の辺りにかけて、火傷の跡が残っている。以前爆豪あいつに見られてしまったものなのだけれど、実はそれはほんの一部に過ぎなくて、袖の中には腕の付け根から肩の辺りにかけて、そして下を捲れば腹の至る所にも、古い火傷や傷の痕がいくつも残っている。自分では見えないけれど、もちろん背中側にも似たようなのが盛りだくさんだ。
 普段はほとんど全てが服の下に隠れているから、日常生活においては支障もないのだけれど、チアリーディングとなると話は別だ。こんな有様であんなお腹丸出しの服が着られるわけがない。
 今日はこの傷のことを思い出してばかりだ。部屋の暗さと静かさも相まって、なんだか――気が滅入る。
 たまらず嘆息しながら盛大に項垂れると、がちゃ、と扉が開く音がして、廊下から室内へ明かりが差し込んだ。扉と壁の間から漏れた光がパッとわたしの腹を照らしたのが見えた。反射的に顔を上げると――、

「…………」

 無言の轟くんと目が合った。時間が止まったような気がした。お互いに固まって二、三秒ほど見つめ合った後、バタンと割といい勢いで扉が閉まり、

「悪い」

 とシンプルな謝罪が聞こえてきた辺りで、ようやくわたしにも理性が戻ってきた。というか暗い室内で自分の服を捲ってるって普通に怪し過ぎる状況なんだけど待って。慌ててファスナーを上げながら飛び上がるように机を降りて、可能な限り速足で出口へ向かう。

「違う!こっちこそごめんほんと!すぐ出てくから!!」
「別に俺も急いでる訳じゃ――」
「違うからねほんと!?なんか怪しいことしてた訳じゃないから!」
「――落ち着け、見りゃわかる」

 必死に弁解をまくし立てながらドアを開けて左右を見回すと、ドア横に立っていた轟くんは少し圧され気味に溜息をついた。「ほんと?」「ほんとだ」と念押しのやり取りを経て、ようやく心が落ち着きを取り戻す。ドアを背にずるずると体重をかけながら、思わず情けない声が漏れた。

「ああ〜〜〜びっっっくりした……」
「こっちの台詞だろ……」
「随分早いっていうか、なんで今こんなとこに?」
「少し……一人になれる場所、探してただけだ」
「じゃ、ここどうぞ」
「……ああ」

 ドアの前から避けて場所を譲ると、轟くんは静かに頷いてノブを捻った。扉の向こうへ消えようとする後ろ姿をわたしも何となく見守っていたのだけれど、後ろ手に閉められようとしていたドアがふと止まって、肩越しに青い方の目が私を振り返る。少しだけ無言の時間を続けた後――彼は静かに口を開いた。

「……俺は親父あいつが死ぬほど嫌いだ」
「……!」
「だから何聞かれても楽しい話はしてやれねえ。お前の期待には応えられない」
「いや、あれは全然忘れてくれても……」
「だが――さっきは、また親父あいつと重ねられてんのかと思って……苛立ってキツく当たりすぎた。悪い」

 青い瞳がじっとわたしを見ている。その目は今だって少し苛立たしげに細まっていて、決して平静では無いように見えるけれど――それでも彼は、謝ってくれた。別に何にも悪いことなんかしてないのにな。苦笑いしながら頷くと、彼はそれきり何も言わず、今度こそ扉の向こうへ消えた。

「……」

 部屋の中から椅子を引く音が聞こえたきり、辺りはほとんど無音になる。遠くの方からスタジアムの喧騒や、もうご飯は食べ終わったのだろうか、休憩時間中もずっと喋り倒しているプレゼント・マイク先生の放送が微かに聞こえる程度だ。スマホの時計を確認すると、まだ少し早いが――レクリエーションタイムの時間も迫ってきてはいる。何だか無性に寂しい気持ちになって、わたしは音のする方へ――喧騒と放送の先へと、黙って歩き出した。

















「あんたさぁ……まさか知ってたとかじゃないよね……」
「そんな訳ないじゃん!ただ胡散臭いとは思ってたし何度も言ったんだけどなあ!」
「くっ……屈辱ですわ……っ」

 頬を赤らめながらこちらを睨む耳郎じろちゃん、がっくりと項垂れる八百万やおちゃんにすっきり爽やかな笑みを浮かべて言うと、可愛らしいチアリーディング衣装を身に纏ったままの二人は、競技場の土の上でがっくりと肩を落とした。
 結局のところ、レクリエーションタイムのチア衣装が云々というのは峰田くん性欲の権化の大嘘だった訳で、ほかの生徒が全員普通の体操着で集まった中、なぜか元気いっぱいビタミンカラーのチア衣装に身を包んで現れた1年A組女子たちはすっかり注目の的だ。わたしがノーマルルックなのを見た峰田くんには「何でそうなっちまうんだよォ……おいおい……空気読めよ……!!」と恨めしげに言われたが、服の下に隠れた傷のことを思うと元気に反論する気も起きず、適当に笑ってやり過ごしてしまった。

「でもせっかく着たんだもん、踊ろう!」
「そだね!峰田は後で袋叩きにするとして、とりあえず楽しもっか!」
「さんせーい!」

 お茶子ちゃん、ミナちゃん、葉隠ちゃんは結構ノリノリだし、真面目な八百万やおちゃんは結局“着てしまったからには踊る”的な思考に、何だかんだ言いつつ耳郎じろちゃんも満更じゃなさそうだ。一人体操着のわたしを振り返って梅雨ちゃんが首を傾げる。

「本当にいいの?今からでも着れば、きっと思い出になると思うわ」
「うん――それはそうなんだけどね、ちょっと事情があってね」
「……そう、あなたが言うならきっとそうなのね。じゃあせめて、本戦までの間はゆっくり休んでちょうだい。ケロ」
「うん!ありがと、梅雨ちゃん!」
「――なあ、南北さん!」

 みんなと共にフィールドへ向かう梅雨ちゃんを手を振りながらお見送りしていると、背後から尾白くんの声が掛かった。隣にはイズも一緒に立っている。

「どした?」
「確か騎馬戦のとき、俺と同じで心操のチームだった……よな。緑谷と一回戦の対策練ろうと思うんだけど、よかったら南北さんにも手伝って欲しくて」

 尾白くんがモニターに示されているトーナメント表を指差しながら言った。そうだ、イズのトーナメント初戦はレク明けの第一試合、相手はあの心操くん。こくこくと頷くイズの肩の向こうに、こちらの様子をじっと見つめている心操くんの姿が見えた。どうやら気になっているらしい。大丈夫だよ、と思わず苦笑いが漏れる。

「ごめん、そういうことならわたしパスだ」
「――え!?」
「イズのためなら何でもしてあげたいんだけどねえ……こればっかりは、心操くんと事前に約束してたことなんだ。彼の“個性”のことはなるべく口外しないって」
「そ、そっか……」

 驚きながらも食い下がりはしないイズの横で、尾白くんは複雑そうな顔をしていた。
結局彼は、騎馬戦中の自分の記憶がほとんど朦朧としていたこと――自分では何もしていないのに勝ち上がってしまったことを気に病んで、決勝トーナメントへの進出を辞退してしまった(ちなみに青山くんは「僕はやるよ!」と元気に宣言していた)。そんな誠実で真面目な彼から見たら、わたしってば相当悪い奴なんじゃなかろうか。何より、二人が操られていたことを知っていながら黙ってそのままにしておいたという事実にはどうしても胸が痛む。今更言っても仕方のないことなのだけれど、尾白くんには流石に頭を下げざるを得なかった。

「尾白くんも、ほんとごめん……でも、あれがわたしなりの誠意っていうか……」
「――はは、わかってるよ。約束は守るほうが絶対いいし、俺に起こったことは全部俺の責任・・・・だろ?……でも、今度似たようなことがあった時はちゃんと助けてよ!」
「――へへ、了解」

 笑いながら許してくれた尾白くんにわたしも笑い返すと、二人は揃って控え室の方へと消えて行った。こちらも手を振りながらお見送りを済ませ、今度は改めて心操くんの方へ向き直る。黙ってわたし達のやり取りを見ていたらしい彼は、しばらくわたしの顔をじっと見て――ちょっと可哀想なものを見るような目をしてから、そっと視線を逸らして言った。

「尾白の方がわかってた」
「へ?」
「ずっと起きてたあんたより、尾白の方が俺の“個性”、正確に理解してたよ」
「…………ええ……」

 どういうこと?つまり尾白くんには洗脳の条件スイッチがわかったってこと?思わず絶句すると、心操くんはほんの少しだけ可笑しそうに笑ってから、中央モニターに表示されたままのトーナメント表を見上げた。

「あんたは七回戦か。初戦の相手は楽そうだな」
「ん?なんで?」
「“個性”の相性がどう考えても良い。磁力なら負ける要素が無いよ」
「ほー……」

 そうなの?と表を見上げる。わたしの名前の横に書かれているのは見覚えのない名前――いや、お互いここまで勝ち上がっているのだから、多分今日一日どこかしらで名前は聞いただろうし、 顔も見たんだと思うのだけれど、知らないクラスの人だとなかなか顔と名前が結びつかないものだ。

 “鉄哲てつてつ”って――誰だろう?
 表に記された名前をぼけっと見上げていたこの時のわたしは、この先に起こる出来事など――まだ何も知り得ないまま、呑気にそんなことを考えていた。

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