雄英体育祭。
一般的には、形骸化したオリンピックに代わって国中を湧き上がらせる現代の一大スポーツイベント――なのだけれど、参加するヒーロー科の生徒にとってはただの行事ではない。
当日は数多くのプロヒーローを輩出した名門中の名門、雄英高校の生徒を品定めするために、国中から様々な事務所持ちのプロヒーロー達が観戦に訪れる他、全種目の様子が全国ネットで生中継される。体育祭の中で自身の能力を十分に示すことができれば、興味を持ったプロヒーローから“指名”を貰えることもある。そのまま
相棒として雇われてプロデビューする事例も多い――わたし達にとっては年に一度、全部で三回しかない超重大イベントなのだ。
「(とりあえず、できる範囲のことは頑張った……)」
体操着の生徒でひしめき合うゲート前、意識を集中する為に閉じていた瞼を押し上げ、両手をぐっと握りしめる。
雄英体育祭当日――場所は既に予選、コースから外れなければ何でもありの“障害物競走”のスタート地点。体育祭は学年ごとに別れて執り行われるので、周りに居るのは全員一年生だ。クラスが多いのでほとんどは知らない人ばかりだけれど、中にはもちろん知ってる顔触れも混ざっている。今回は自分以外の人間全員、一人残らずライバル――打ち勝つべき敵、ということになる。
緊張感漂う空気の中、少し前の方に
爆豪のツンツン頭がちらりと見えた。開会式の選手宣誓、会場にいる全ての人間に対して不遜にも「俺が一位になる」と宣言してみせた時の、険しい顔つきを思い出す。
「(ほんと――雰囲気変わったよね)」
最近のあいつは、何でもできてしまう自分の強さに胡座を掻かなくなった。“絶対に自分が一番”という信念は曲げないまま、他人を無意味に見下さず、とにかくとことん徹底的にやる――そんな気概を感じる、ような気がする。ただでさえ何でも普通以上に熟せる才能マンの癖に、油断を捨てたらどんどん強くなる一方に決まっているし、実際あいつなら一位を取ってもおかしくない。轟くんは控え室で何故かイズに宣戦布告してたし、どうも一波乱あったりしそうな雰囲気だ。
わたしも個性の制御をめいっぱい練習してきたし、一応イナサと一緒に走り込みも続けていた。コスチュームも
道具も持ち込み禁止の中で、自分にできる精一杯――出し切ってみせる。
『――スタート!!』
一番右のスタートランプが消え、スピーカーから18禁ヒーロー・ミッドナイト先生の号令が響き渡ると、全員が一斉に走り出す。実況席にはプレゼント・マイク先生の他に病み上がりの相澤先生もいるようで、ちらほら二人の声が聞こえてくるけれど、走り出してしまうと意外と耳を傾ける余裕がない。
眼前には人数に対してかなり狭苦しいスタートゲートがある――のだが、本当に狭い。狭すぎる。目の前で大量の生徒が通路に押し掛け、結果押し合い揉み合いの大混雑と化していた。流石にこの中を真面目に通り抜けるのは
賢くない。
一度足を止めて腰を軽く落とすと、後続の生徒が迷惑そうに顔を顰めながらわたしを蹴飛ばしていった。いっっっったいなコラァ。文句をぐっと喉の奥に押し込めながら、まずは
S極で思いっきり地面を叩く。大丈夫、ゲートの材質は金属っぽいし、こういう動きも想定していた!
「(足元狭い範囲に強めの
S、そんでもって両足踏切で上跳んで――空中で靴!)」
勢いをつけて垂直跳び、滞空中に思いっきり靴を叩いて両足にも
S。あとはいつも通りの反発ジャンプ――、
「(――“空中半回転バージョン!!”)」
心の中で叫びながら踏み切り、人混みを抜けてゲートの中――高く吹き抜けのようになっている壁に向かって突き進んだ。“個性”使用ありのレースだ、多分空を飛ぶような生徒も考慮に入れた上でのこの構造。地上が混み合っていて不利なら頭上、同じことを考える人は当然他にも居たようで、前方でいつものように爆風を撒き散らしながら飛ぶ
爆轟や、尻尾を地面に叩きつけて跳び上る尾白くんの姿がちらりと見える。わたしも体を捻って角度を調整して、取り敢えずゲート左側の壁、すし詰めのようになっている生徒たちの頭より少し高いくらいの位置へ、足をくっつけて飛びつくことに成功した。
ここまでは簡単だ、問題はここから――足の裏は貼り付けたまま、目の前でもがいている見知らぬ生徒の肩を
Sでがっしりと掴む。
「ごめん、ちょっと借りるから!」
返事を待たずに意識を集中、右手を通してS極の範囲を伸ばす。これだけ密集している空間なら、ほとんどの生徒と生徒の体は触れ合っているはず。
地続きである限り広げられるわたしの“個性”を使えば、
生徒達は――立派な“反発床”に早変わりというわけだ。
壁から引っぺがした足を、やや慎重に見知らぬ男子の頭の上へ乗せると、しっかり反発の感触がある。これなら空中を歩くことも可能だ。思い切って飛び出し、バランスを取りながらみんなの上に立ち上がった瞬間、下の方を冷え切った凍気が駆け抜けていった。
「(轟くんの冷気――!)」
足元が凍ったことで、下にいる生徒達の動きが完全に止まる。彼は妨害のために放ったのだろうが、わたしにとってはある意味有り難い効果だった。安定感を増した足場の上でしっかり助走を取り前へ前へと跳び上ると、ようやくゲートの陰から日の当たる場所へ出た。前方には絶えず地面に氷を張りながら滑るように移動する轟くん、それを追いかける形の
爆豪、
八百万ちゃん、青山くん――他にも1年A組の面々が数名と、知らない他クラスの生徒が駆けているのが見えた。
先頭集団に比べると若干出遅れた感は否めないけれど、地面が凍っているのはこれまた都合がいい。両手を叩き合わせて一旦全解除、前転で受け身を取りながら氷上に着地、すかさず再度
Sを纏わせた両脚をしっかり構え、ありったけの――、
「――反発!!」
勢いよく発射された体はつんのめって転びかけたが、まだ空中よりは体勢づくりが楽だ。どうにかバランスを取って軽快に滑り始めたわたしの横で、推進力の有無を除けばだいたい同じような動きで滑っているミナちゃんの姿もあった。とりあえず氷に脚を取られてしまった連中よりは前に出ることができたわけで――文字通り、
滑り出しは好調と言っても差し支えなさそうだ。
とまあしょーもないダジャレを心の中で言う余裕があるくらいには出だし好調、第一障害物の巨大ロボも金属に強い“個性”的に好相性で順調だったのだけれど、問題はその次――円形の崖と崖の間に張られたロープを渡らねばならない綱渡りステージ、“ザ・フォール”だった。
「くっそ……っ、あのワイヤーずるいでしょ……!地雷も鬱陶しいっ!」
息を切らして地雷原を走りながら、先程までロープを掴みまくっていたせいでびりびり痺れている両手をぐっと握り込む。反発を使って飛び石を渡るように跳ぶことも考えたのだけれど、基本手で触れなくてはならないわたしの“個性”だと、うっかり着地ミスした時のリカバリー方法が何もない。流石に落ちても命は助かるだろうけれど、コースアウトで失格になってしまっては元も子もないということで、仕方なく普通にロープにしがみつきながら渡ってきたのだ。
結果先頭集団――と言っても実質轟くんと
爆豪の一騎打ちだったのだけれど、彼らとの距離は割と開いてしまった。サポート科の子は自分が制作したアイテムを持ち込んでも良いとかで、ワイヤー射出ベルトで軽快に飛んでいく様が羨ましくて仕方がなかった。
「(とは言えこれ、大丈夫なのかな順位……!まあでも善戦してる方だ!)」
本戦出場のボーダーラインが知らされていない上、ようやく折り返し地点を過ぎた所なのでちっとも安心はできないけれど、現状はまあまあと言ったところだろう……か。今いる第三エリア、大量の競技用地雷が埋め込まれたコースには轟くんが氷を張っていないようなので、とにかく自力で走っていくしかない。イナサと走り込みしたのはやっぱ正解だったな、と過去の自分を褒めながらひたすら足元に気をつけて進む。
少し前には同じく必死で走るお茶子ちゃんの姿が見える。彼女もまた、ヒーローになるという夢を叶えるために、今回の体育祭に全力で挑むと宣言していた一人だった。わたしも負けてはいられない。
「南北さん――負けへんよ!」
「……っ、わたしも、手加減しないから……!」
地雷を飛び越えながら隣に並ぶと、お茶子ちゃんは挑発的に笑いながらそう言った。わたしも負けじと口角を吊り上げて応えた、その時――、
「――!?」
背後で凄まじい閃光と爆音、他の地雷とは規模が全く違う巨大な煙の影。お茶子ちゃんと二人揃って思わず見上げた先、煙を突っ切るようにして飛んでいったのは――なんだろう、何か緑色の、板……、
『A組緑谷、猛追――っていうか抜いたぁぁぁ!!』
「デクくん!?」
「イズ……!」
下から見上げるとよく分からないが、実況から察するにその物体はイズだったらしい。爆風に乗って風のように飛んでいったイズはあっという間に先頭二人を追い越して、少しするとまた大きな爆発が起こって――もう視認するのも難しいほど圧倒的に離されてしまっているのでそれ以上はわからない。それから程なくして、イズが
一位でゴールしたことを告げるアナウンスが、わたし達にはまだ遠目に映るゴール地点――スタジアムの方から微かに聴こえてきた。
「(イズが――、)」
このエリアに入ってからはずっと、一歩一歩、極力急ぎ足で地雷を避けながら進んでいた。
ここも最初は反発大ジャンプで一足飛びにと考えたのだけれど、地雷がどの程度先の範囲に埋まっているのかがわからず、欲張って長距離を跳ぼうとすると“個性”の展開に時間がかかり過ぎる、かといって半端な場所で着地すれば地雷に捕まるという微妙な状況だったので、その時は断念したのだ。でも、今のイズの跳躍を見ていたら――そんな自分が少し、恥ずかしくなって。
「(なりふり構うな――リスクが何だ、爆発したってただの競技用地雷なんだよ……!最初から、全力で跳ぶべきだった……!)」
いや、今からでも遅くない。地雷を跨いだ足に一旦ブレーキをかけ、身を屈めて地面に
Sを、今できる最大範囲で――とにかく遠くへ、薄く伸ばすイメージで展開する。大丈夫、地雷ゾーンもそろそろ半分くらいまでは来ているはずだ。踏み切りのやり方もスタート地点の時と同じ。落ち着いて、でも迅速かつ大胆に跳べばいい――。
「――おうおうおう、どけどけェ!!」
と、集中しようとしていたわたしの背中に何か――すごく硬い物が後ろからぶつかってきた。多分後ろから追い上げてきた生徒のうちの誰かだ。見上げるとまず目に入ったのは
金属光沢。鈍く光る鋼の色。
「――、っ」
既に衝撃で体は傾いていて、次いで目に入ったその色に思考が持っていかれた。ちかちかと一瞬目の前が白く光り、赤く熱せられた鉄が脳裏にちらつく。思い出したくない記憶が不意に掘り起こされて――完全に、
動揺した。
「っ、南北さん!?」
呼び声ではっと視界が開け、その時初めて完全に傾いでしまった自分の体に気付く。人体の反射――ああ、パンチを避けようと思った時には全然出てきてくれないくせに、こんな時ばかり転倒を回避しようと腕が地面の上に伸びていた。そのまま触れれば地雷が爆発するし、触れずに前に倒れても絶対に体のどこで信管を押してしまう。
今にもその手が地面に触れようかというその時、視界の横から指が滑り込んできた。肉球つきの指だ。すぐ横で競っていたお茶子ちゃんが、転倒寸前のわたしをとっさに浮かせようとしてくれたのだろう。ぷに、とやわらかい感触が腕にあったのと、その腕の先に付いている掌が思い切り地面に付いたのは、ほとんど同時の出来事だった。
「ああっ――!!」
「ぎゃ――!!」
お茶子ちゃんの悲鳴とわたしの絶叫が重なる。轟音、閃光、爆風――なるほど確かに、実況で言われていた通り痛み自体は大したことがない。でもなんだこれは――派手な色の煙で周りがちっとも見えないし、体が360度四方八方に回転するようなめちゃくちゃな感覚があって、もう前後も上下もわからなくなってしまった。これじゃ受け身も取れっこない、着地先での再爆発は避けられない。とりあえず地面に叩きつけられる際の衝撃に備えて息を詰めて力み、その時を待ったが――何故だろう、
スピードが落ちない。
「――……、え……」
何だか嫌な予感がして恐る恐る目を開くと、眼下を鳥の群れが飛んで行くのが見えた。次に目に入ったのはスタジアムの中にある競技場、そして少し離れたところで目を惹くカラフルな屋台の屋根。随分下の方に見える煙は地雷爆発の名残、だろうか――流石のわたしも背筋が冷えて、というか、どうしてこんな状況になったのかまず理解ができなくて、思考が一瞬完全に凍りつく。
「(あ……、ああ――っ、)」
さっきまで地雷を避けながら地べたを駆けずり回っていたはずのわたしの体は、今はなぜかスタジアムの屋根よりも更に上にあり――豆粒以下の大きさになってしまった生徒たちや観客を見下ろしながら、空を飛んでいた。
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