「――緑谷少年」

 隣のベッドに向かって呼び掛けると、はい、と小さい返事があった。
 USJを強襲したヴィラン連合を辛くも撃退し、二人並んで仲良く療養中の夕方。隣の彼はゆっくりとした回復リカバリーではあるが、両脚の骨折となれば疲労も大きいだろう。今はただゆっくりと体を休ませてやりたいところだが――心の底では申し訳なさを覚えつつ、オールマイトは敢えて切り出した。今のうちに聞いておかなければ、この胸の中の引っ掛かりが消えてしまいそうな予感がしたからだ。

「覚えているか?最後に君が、私を襲うヴィラン達の眼前に、危険を顧みず飛び出していった時のこと」
「……やっぱり……ちょっと無謀、だったでしょうか」
「違う違う、責めようって訳じゃない。あの場で言った通り、私は君に心から感謝しているよ――ただ、今はそれを聞いておきたいのさ」

 相変わらず変な所でネガティブな方に転びがちな思考をどうにかレールに戻しながら問うと、彼は少しだけ迷った後、途切れ途切れに語り出す。

「えっと、あの時は……オールマイトの体から、変身する時の白い煙が出てるのを見て……もう限界を超えてしまったんだって、わかって……」
「……」
「一応、作戦も考えたんです。手がいっぱい付いてる方の男は、多分触ると発動する“個性”以外は普通だけど、……靄の方は不定形で神出鬼没だから、そっちを潰さないとダメだって。かっちゃんが本体の存在を暴いてくれてたから、そこさえ獲れれば……」
「つまり君なりの思考、勝算があって突っ走ったって訳だ。まあ青臭いところは大いにあるが――相変わらずクレバーだな、君は!」
「そうかな……」
「しかし、それだけに……」

 そう、それだけに気になってしまう。
彼が無謀なりにきちんと考え、それなりに論理立てて動く人間だっただけに、その傍に躍り出た彼女・・の存在が。

「そう、気になっているんだよ。南北少女――彼女が何故あの場に飛び出してきたのか」
「――、」
「君は私のピンチを知っていた。ただ一人、自分だけしか知らないという自覚があったからこそ、必死に己を奮い立たせて立ち向かってくれた。しかし――彼女はどうだ」

 知っている筈がないのだ。
 威張って言うのも何だが、あの時の虚勢は完璧だったとオールマイトは自負していた。生徒達も皆彼の勝利を信じていたし、彼女もまたそのうちの一人だった筈なのだ。
 彼女の立場、彼女の認識に拠るならば、あの場面であの場所に割り込む必要はまるで無かった。オールマイトが居るからだ。“緑谷出久は何故か一人で無謀にも敵の眼前へ飛び出して行ったが、案ずることはない。オールマイトが救けてくれるのだから”。
 だというのに、彼女は。

「一体何故、あんな風に身を投げ出すような真似を……」
「……わからないん、です。僕も、どうしてこんな危ないことするんだって言おうとしたんですけど、ホッとした顔を見たら……言葉が出てこなくって」
「ふむ……」

 そして今日、庇われたのは緑谷出久だけではない。もっと前の段階。

 彼女は爆豪勝己をも庇っていた。

 “超再生”の能力を発揮した脳無が、目にも止まらぬ速さで爆豪に迫ったあの時――奴の動きに何かしらの反応を見せたのは、オールマイトを除けば彼女ただ一人。
 対応・・とは呼べない。あまりに拙かった。防御体勢を取った訳でもなく、ただ咄嗟に傍らの少年の手を引っ掴み、己の体を前に出しただけ。しかし恐るべくはその動体視力と反応の速さだろう。肉体的センスにおいて遥か上を行っている筈の爆豪が反応出来なかった動きに反応してみせた。それはもはや意識的ではなく無意識的・・・・、かつ直感的・・・な――考える前に反射で動く、体に染み付いた行動でなければ説明がつかない。

「(反射的に身を呈して他人を庇う、か――ヒーローとは自己犠牲の職業だが、なんともまあ……危うい……!)」

 どこか気落ちした様子の少年を励ましながら、教師オールマイトは思案に耽る。どうしても“後継者”である緑谷、そして彼との仲が色々拗れっぱなしの爆豪にばかり目が行くのが常なのだが――なかなかどうして、幼馴染というのはややこしいものだ。



















「……」
「……」
「……珍しく残ってんだね?」
「俺が何時まで教室ここに居ようと俺の勝手だろうが……」
「完全下校前には帰りなよ……」

 というかこんな日くらい早く帰ればいいのに、いつもはさっさと帰るくせして変わった奴だなあ。
 警察の事情聴取を一通り終え、保健室までイズのお見舞いに行った帰り(隣のベッドが何故かカーテン締め切りで面会謝絶だったんだけど大丈夫なんだろうか……)、教室に置きっ放しだった鞄を取りに来たら、自分の席で頬杖ついた爆豪こいつがひとり黄昏れていた。教室に入るとじっと睨み付けてくるので声を掛けるとこの通り。何というか、昔から性格は悪かったけれど、子供の頃はもう少しとっつき易かったような気がするんだけどな。そういや訓練中にときどき見せる極悪面以外だと、笑った顔もさっぱり見ていないかもしれない――単純にわたしが目の敵にされていて、わたしの前だけでは1ミリも笑ってないだけという線もあるっちゃ――うーん、無いか。

「じゃね」

 とにかくわたしはもうクタクタだ。人の命を救けるための救助レスキュー訓練の筈が、乱入して来たヴィラン相手に本気で命のやり取りをする羽目になるとは。プロになったらああいうのが日常茶飯事なのかと思うと、ヒーローの難しさ、厳しさというものを痛感せざるを得ない。まず今日はあったかいお風呂に入って、身も心も深く休めておきたかった。明日は臨時休校になったけれど、それが明ければまためまぐるしい日常が待っているだろうから。
 無言で立ち去るのも必要以上に感じが悪いような気がして、短く手を挙げて挨拶してから教室を出る。きっちりとドアを閉めてから人気のない廊下を歩き出すと、さっき閉めたばかりのドアが乱暴に開く音がした。次いで踵を引きずるような、素行の悪さがよくわかる足音。振り返ると、さっき別れの挨拶を投げかけたばかりの相手がそっぽを向きながらスタスタ歩いて来る。ドアが閉まる音は――聞こえなかった。先生にどやされるでしょうが。渋々締めに戻った。

「……」
「……」

 少し早めの歩調で横に並んでみたが、顔も視線も窓の外の方を向いたまま、視線は交わらない。挙句「見てんなよクソ」などと言いながら追い越されたので、どうやら一緒に帰りたいとかいう殊勝なアレではないようだ――当たり前か。圧倒的な口の悪さにはげんなりしてしまうけれど、わたしもそろそろ駅へ向かわないと電車が一本遅れてしまう。会話するには些か遠いくらいの距離を空けて、後を追う形でわたしも歩き出した。

 廊下を抜け、昇降口を通り過ぎ、校門を潜る。空はもう真っ赤に染まり、駅までの道に人気は少なく、鳥の鳴き声とわたし達の足音ばかりが耳に残った。前を行く気怠げな背中を眺めながら考える。機嫌が悪そうで素っ気ないのはいつものことで、わたしやイズが相手だと尚更なのだけれど、今日は格別に大人しい。件の騒動の真っ最中には胸倉を掴んで怒鳴られたりしたのに、終わって帰ってきた途端これだと少し不気味だ。

「……てめェは」
「…………うん?」

 急だったので一瞬独り言かと思った。はっとして返事を返したが、向こうが振り向かずに喋るので声が遠い。幾分早足で歩み寄ったわたしの動きを知ってから知らずか、そいつはますます低く、押し殺すような声で呟く。

「見えてたのかよ」
「……何が?」
「脳みそ野郎が攻撃してきた時――ほとんど見えなかったっつったろ。じゃあ少しは見えてた・・・・・・・ってことか」
「まあ……見えたって言ってもさ、とにかく一瞬で間合い詰められたって感じで、ほとんど何にも――」
「――ちげェよクソ……そういうことを言ってんじゃねェだろが」

 ふる、と肩が震えたのが見えた。声の震え的にもこれは――怒ってる時のやつだ。いつぞやのように泣いてる訳ではないらしい事に若干の安堵を覚える。流石に一対一でこの男に泣かれると、ちょっとなんというか、……気まずい。
しかし声の響きは低く真剣そのもので、いつもの当たり散らすようなストレス発散行為ではないらしい。少しの間沈黙を挟んで、そいつは言った。

「見えてて――その目で見えててあんな真似・・・・・したってか……!ああ……!?」
「あんな真似……」
「腕引っ張って庇っただろが!てめェが前出てよ……気付くのにクソ時間かかったわクソが……!!」

 庇った・・・とは――一瞬思い当たらずに考え込んだところで、確かにオールマイトが脳無からわたし達を守ってくれたその時、いつの間にか爆豪こいつの腕を掴んでいたことを――ついでにものすごい勢いで振りほどかれて睨みつけられたことも思い出した。そうか、確かに言われてみれば、腕を引き寄せて体を前に出した。庇っていたと、言えなくもないかもしれない。

「でもアレって結局オールマ――」
「デクん時もだ!!」
「へ……?」

 てっきり「余計なことすんな」系の怒り方をされてるんだと思って弁解しようとすると、突然別の件を持ち出されて、喉のあたりまででかかっていた言葉が静かに霧散する。イズの時――というのは流石にわかる。最後の最後にイズが単身死柄木と黒霧の目前へ突っ込んで行った時、わたしも咄嗟に後を追った。

「飛び出したデクの後追って、庇っただろが」
「ま――まあ……ちょっとあの時は……精神メンタルが参っていたっていうか、動揺してたっていうか」

 今その話題を持ち出されると、ちょっとばかり――恥ずかしい。

 あの後、両脚をボキボキに折ってしまったイズ以外の全員、20名が無事に入り口前に集合。
幸いみんな軽症だった(たくさん放電したらしい上鳴くんのアホさは割と深刻だった)のだけれど、その場で最後にイズがオールマイトの前に身を呈して突っ込んでいった話になり、「えっ?」「なんで飛び出した?」「それは無駄骨折なのでは?」「文字通り無駄骨じゃね?」「緑谷らしくて良いけど!」のような流れになり、ついでに「は?南北も飛び出した?」「緑谷追いかけて?」「それは本当の本当に無謀な献身だったのでは?友情は美しいが」「オールマイト居たしな」「危ないよお」みたいな総ツッコミを受け、わたし自身「確かに……!!」と納得してしまったのだ。

 そう、あの決死の反発ジャンプ――ぶっちゃけあんまり意味、無かった。

 冷静さを欠いていたことが丸わかりでただでさえ顔から火が出そうだったというのに、あの辺の会話に殆ど参加していなかった爆豪こいつにまでそこをツッコまれてしまうといよいよ恥ずかしい。クラス全員に天然猪突猛進獣扱いされてしまう――ああいや、寧ろそれをこいつ風に言い換えると“イカレ女”なのか。
 一人で納得していると、前を歩いていたヤツの靴が徐に止まった。つられてわたしも立ち止まると、軽く振り返ったヤツの肩越しに、死ぬほど不機嫌そうに歪められた口元がちらりと覗く。

「――ふざけんなよクソ」

 それまでより強い語気。頭の中がクラスメンバーの総ツッコミ風景というやや和やかな光景で埋め尽くされていたわたしは、その声の低さの強さに思わず身を正した。
 爆豪そいつはいったん言葉を切り、腹に溜まって溢れ出しそうな感情を少しずつ、少しずつ吐き出すように、長い長い息を吐いてから――言った。

「俺を、デクと同列に扱うんじゃねえ」
「――、」
「次似たような真似しやがったらブッ殺すぞ……てめェの後ろに引っ付けんのは、クソ雑魚デクだけで十分だろうが。ああ?」
「なに――なに言ってんの?同列って……なんの話」
「同じだろうが!!俺は――俺はあんな、てめェの欲求満たすために後生大事に抱え込まれんのは死んでもごめんだ!!」
「……!?」

 欲求。後生大事に。後ろに引っ付ける。
 何を言われたのかわからない、と思っている自分と――わかりたくない、と思っている自分がいた。フィルターに引っかかったように、意味はなかなか綺麗に落ちてこないけれど、一つ一つの響きが何故か、小さい棘のように胸を嫌味っぽく刺した。固まるわたしに向かって、そいつは最後に一言、

「いいか……二度とやんなよ……!!」

 念を押して、ズカズカと歩いて行ってしまう。
後に取り残されたわたしは、今のやり取りをどう受け取っていいのかよく分からなくて、どんどん遠ざかる背中を半端に引き止めかけた腕が、行き場なく宙を彷徨った。

「なんだ、それ……」



















「クソ……クソッ、胸糞わりィ……!」

 蹴り飛ばした小石が電柱に当たって砕けた。何度思い出しても燃えるように胸が騒つく、臓腑が煮えたぎるような感情が湧き上がって止まない。

 正確には未遂とはいえ――身を呈して庇われた。それだけでも十分彼にとっては悔しいことこの上無いが、その後の行動は、さらにその何倍にも神経を逆撫でするもので。

「(あのクソ女何も変わってねェ――しかも俺をそっち・・・に振り分けやがった……!)」

 それは、あの泣き虫の少年を目の敵にする彼にとって、そしてあの少女の幼少期を知っている彼にとって、二重の意味で屈辱的だった。ただでさえ高校に進学してからは思うようにいかないことばかりで気が立っているというのに、極めつけがこれだ。ポケットに突っ込んだ掌が熱くなるのを握って堪え――ようとしたが、やはり我慢ならない。引っこ抜いた手を前にかざして一度爆発させると、暮れなずむ住宅街に爆発音が響き渡り、いくつかの家の窓から何事かと様子を伺う人の姿が見えた。立ち昇る煙の中から現れた自分の掌を見つめる。
 ――少し、冷静になった。

「……勝手に判定すんなクソが」
「何一人でクソクソ言ってんの」

 突然掛けられた声にハッと顔を上げると、向かって右側に立つ家の窓からひょっこり覗く色素の薄い髪の女性。母親だった。いつの間にやら自宅の前を通り過ぎようとしていたことに、そこでようやく気付く。

「近所迷惑だから道で爆破すんのやめなさいっての!つーか何で家通り過ぎようとしてんの、早く上がんなー」

 言うだけいうと、自分に瓜二つの女性はさっさと部屋の奥へと消えて行ってしまう。うるせえクソババア、と悪態をつきながら玄関の門を潜る直前、ふと左手にある更地に目が行った。

 その昔は――あそこにも家が建っていた。最近になってよく思い出す。毎夜のように窓の外から聞こえていた声。

「……全部てめェのせいだ、クソ鉄板野郎」

 もう居ない住人にも悪態をついて、今度こそ玄関のドアに手をかける。無論答える声は無く、電線で羽を休めるカラスの群れだけが、少年の背中をじっと見つめていた。

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