「――やはり衰えた!全盛期ならば5発も打てば十分だったと言うのに……300発以上も打ってしまった……!!」
土煙の中から現れたのは笑顔のオールマイト。ドームの壁には巨大な穴。腹の底に響くような大振動は少し前に収まっていたけれど、今も体の内側がびりびりと震えているような感覚がある。
オールマイトが、脳無をぶっ飛ばした。
“ショック吸収”も“超再生”もガン無視の、100%以上のパワーを叩き込み続ける超絶ラッシュ。あれだけ驚異的な能力を持っていた脳無が碌に抵抗もできないまま、文字通り塵になって吹き飛んだのだ。ああ、“彼が負けそうになった時”だなんて口にした自分がひたすら愚かしい。わたしも、
爆豪や轟くんや切島くんも、その場でそれを見届けた人間は呆然と立ち尽くしていた。
世界が違う。そうとしか言いようがない。「
漫画かよ……」という切島くんの呟きも納得だ。
「さてと
敵――お互い早めに決着、着けたいね……!!」
「チートが……!!」
オールマイトが向き直った先には、静かに揺らめく靄の黒霧と、わなわなと全身を震わせている死柄木。苛立ちを隠せない様子でガリガリと首の皮膚を掻き毟りまくっている。ぞっとして思わず両手で自分の首を包んだ。やっぱり気持ち悪い。
「おいおいどういう事だ……全然弱ってないじゃないか……!
あいつ……俺に嘘教えたのか……!?」
「どうした、来ないのか?クリアとか何とか言ってたが――出来るものならしてみろよ」
「――っ!!」
眼光に気圧された死柄木が情けない声を上げながら後ずさる。最大の敵、オールマイトに匹敵しかねないパワーを持った脳無が完膚なきまでに叩きのめされた今、場は完全にこっちの勝利ムードだった。先程までの凄まじすぎる出来事に呆然としていたわたし達四人も、やっと普通に喋れるだけの意識が体に戻ってきたという感じ。
爆豪でさえ完全に気圧されて、絞り出すような声で「オール、マイト……」と呟いたっきりだ。
「流石だ……俺達の出る幕はねえみたいだな」
「だな……!緑谷!ここは引いた方がいいぜ、もう!」
轟くんも納得の完全勝利。わたしも内心、ずっと燻っていた言いようのない不安が杞憂に終わったことに心底安堵していた。あと残っているのは、物理弱点が詳らかになった黒霧と、あれだけ色々喋ってた癖に
精神ですっかり負けている死柄木だけ。確かにここは早いところ他のみんなと合流した方が良さそうだ。切島くんが一人振り向きもせずに立ち尽くしているイズに声を掛けたが――、
「……ん?」
「おい!却って人質にされたりした方がマズいって!」
返事がない。ただ一人、全身を固く強張らせながら、
敵と対峙するオールマイトの姿を固唾を呑んで見守っている。様子が変だ。切島くんからの目配せを受けて、わたしはイズの側へ素早く駆け寄った。
「イズ!本当に退避しないと……周りで伸びてた
敵も起き始めてるし、他のみんなと合流……」
「……、」
腕を取って引っ張っていこうとしたがびくともせず、やっぱり返事もない。もう一度思いっきり引いてみて、ダメなら“個性”でくっつけて引き摺って行くしかないかと考え始めた矢先、
「――さあ、どうした!」
オールマイトが半歩前に出て、また敵を煽った。その背中はさっき、最早誰も敵わないのかとさえ思いかけた
脳無を吹き飛ばし、
Plus Ultraを体現した偉大な背中。世界で一番頼もしい背中だ。
なのに、どうして。
どうしてイズは彼を、そんな思い詰めたような目で見つめるんだろう。
二人の様子を見比べるうちに、ふと――消えたと思っていたはずの
火種が、また微かに煙を上げたのを感じた。苛立ちを爆発させながら首を掻きむしっている死柄木と黒霧が何か話し合っている。オールマイトの背中は変わらずそこにあった。大丈夫。何も心配いらない、はずなのに。掴んだままのイズの腕に、少しずつ、少しずつ力が込められていく。さっきイズに言った通り、周りでは気絶から回復した雑魚
敵達が少しずつ動き始めていて、みんなはもうそちらの対応に動き出していた。
イズは、目を動かさない。自分でも理由はわからない――いや、理由なんてないのかもしれないけれど、わたしにはそれが堪らなく恐ろしくて。
多分、
直感というやつだ。
「何より脳無の仇――!!」
心にも無さそうな台詞とともに、死柄木が一直線にオールマイトの方へ駆け出す。それを覆って翻弄するように黒霧が動き出した瞬間、
「あっ……!?」
「――ッ!!」
――イズが、わたしの手を振り払ってぐっと脚を曲げた。咄嗟にもう一度掴もうともがいた手が空を切る。
やっぱりだ。思った通りイズは、何かあったらすぐに飛び出す。イズの中ではまだ、“あとはオールマイトに任せよう”で済ませられないんだ。でも駄目だ、このまま行ったらイズはきっとまた黒霧の餌食になる。今度は
爆豪も間に合わない。本当に――死んでしまうかもしれない。
「駄目!!」
「――?」
わたしの声が耳に入ったのだろうか、外側に展開している
敵残党に向き直っていた轟くんがこちらを向く気配があった。駄目だ、イズの脚はもう光ってる。次の瞬間にはすごい速さで跳んで行ってしまう。短めの逡巡を経て床と靴を叩いた。一足先にイズが跳んで、わたしもそれを追うように――跳んだ。
「(ああ――ああ、もう!!)」
反発で思いっきり跳んだはずなのに、亀かと思うくらい遅く感じる。イズが速すぎる。跳んだと思った時にはもう敵の目の前だ。ほとんど同時に発った筈なのに阿保みたいに距離が開いている。予想通りと言うべきか、黒霧がゲートを開いて――そこから伸びてきたのは燻んだ色の手。死柄木の手だ――触れたものが崩れる“個性”の。
「(間に合え、間に合え――!)」
必死に手を伸ばしながら、脳裏では昔のことを思い出していた。
泣き虫だったイズのこと。
わたしが庇うと、泣きながらお礼と謝罪をしてくれた子供の頃のこと。
乱暴者とこてんぱんに殴り合った挙句に火傷を負ったわたしを見て、身体中の水が枯れ果ててしまうんじゃないかと思うくらい大泣きしていたあの日の夕方のこと。
すっ転んで泥だらけ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、車の窓から手を振るわたしにいつまでも手を振り続けてくれた、別れの日のこと。
こうしてみると、思い出の中のイズはずっと泣いてばかりだ。
わたしの後ろで、わたしの服の袖に縋りながら鼻水を啜っている、それが“イズ”だった。
なのにどうして――どうして今あんたは、わたしを置いて前に出て行ったの?
どうして――わたしをこんなに、恐ろしい気持ちにさせてしまうの!
「――ぐうっ!!」
「!?」
どうにかイズに追いついた。空中で胴体を無理やり抱き竦め、強引に体を捻る。“反発”を使った空中移動の練習を始めて早数年、空中ひねりはすっかりお手の物だ。
「ほたるちゃ――」
喋りかけたイズの体を強引に隠す。迫り来る崩壊の手が、間違っても彼の一部を崩したりしないように。腕は目の前だけれど、位置関係的には斜め下辺りにいる死柄木の目と視線が交わった。血走って真っ赤な目はかなり大きく見開かれている――どうやら、愉快な感じの感情を表現しているわけではなさそうだ。死を纏った指はもう目と鼻の先にあった。少し前に触れられそうになった時は死ぬほど怖かったというのに、今はどうしたことか。いや、単純に必死過ぎて怖がる暇がないか、思考が現実から逃げているだけか――こんなことを考えている辺り、あるいはどちらも、かもしれなかった。
本当に癖なのだろうか。またも瞼を下すことなく、迫る掌を視線で追っている自分に気付いた。言われるまでまるで自覚していなかったし、そもそも今――というか、入学する前までの間は、殴られる機会自体がそんなになかったからなあ。一体いつ頃からだったろう、殴られることが怖くなくなったのは。自問するわたしの頬にひたりと冷たい食指が接しかけた、その時――、
「――ッ!?」
「――、」
目の前で赤い色が舞った。視界を覆い隠そうとしていた掌が勢いよく横に吹き飛び、黒い靄の向こうに引っ込んで行く。咄嗟に視線を滑らせた斜め下、靄から引きずり出された死柄木の手には――赤い銃創が空いていた。次いで立て続けの発砲音。
その音で我に返った。イズの体をぐるりと上向きに回すと程なくして着地、息を止めて背中の痛みに耐える。黒霧は撃たれた死柄木を庇うように包み込んでいるが、既に目を覚ましたらしい13号先生の
“個性”による吸い込みが始まっていた。
「1年A組クラス委員長、飯田天哉――只今戻りました!!」
飯田くんの大きな声がドームいっぱいに響いている。校長先生の声も、プレゼント・マイク先生のシャウトも、他の大勢の大人たちの声も。噎せながら胸元を見れば、両脚が砕けてしまって動けないみたいだけれど――イズが、ぷるぷると身を震わせながら体を起こそうとしているのがわかった。
――良かった、生きてた。
ほっと安堵の息を吐いたわたしの上で、イズが顔を上げた。悔しいような、困惑しているような、なんとも言えない目でわたしを見ていた。疲れ果ててなんだか朦朧とする頭でぼんやりと、「あれ、泣いてない」なんて思ったりして。
「――っ、イズ……大丈夫?立て――ないよね……!どうしよう、とりあえずゆっくり……ゆっくり浮かすから、」
「――……っ、……っ、何も……出来なかった……!!」
喋るわたしの顔面に、突然何か硬いものがアイマスクのように被さった。なんだなんだと混乱したけれど、ぺたぺた触って確認して見た感じだと――イズが首からぶら下げていた、口元を覆うマスクに近いような気がする。今日のは透けてるタイプじゃ無いから前がてんで見えない。イズの重みは依然体の上に乗ったまま、絞り出すような悔恨の声だけが聞こえる。
「イズ?ちょっ……」
「……っ、!!」
それとなく外そうとすると、さり気なく上から押さえつけられてしまう。何が起こっているのか分からないが、頬の辺りに落ちてきた雫は多分イズの――涙だろう。震える彼にどう言葉をかけたものか、迷っていると、
「――そんな事はないさ、緑谷少年」
「……!」
「この数秒が無ければ……私はやられていた。また、助けられちゃったな」
「(……え?)」
「――オール……マイト……っ、無事で……よかったです……!!」
間違いなく、それはオールマイトの声だった。今までに聞いた彼のどの声よりも小さなものだったけれど。私が疑問を口にするより早く、さっきよりずっと大粒になった涙がまたわたしの頬にぼろぼろと落ちる。どうやらイズが本格的に大泣きし始めているようだった。やっぱり泣き虫は治っていなかったみたいだと、暖かく濡れた自分の頬に触れて思う。
「――ん?え?あれ、そこ……」
「あっ!?あっ、えっとこれ、ほたるちゃ――南北さんが、その……!!」
「え゛ーッ!?……あっ、見えてない?何だそうか、えーと……ゴホゴホ」
先程まで何だか感動的な会話を聞いていたような気がしていたのだけれど、今度は何かわたわたと落ち着きのない会話――の断片のようなものが聞こえてくる。上のイズがもぞもぞ動いているので、何かジェスチャーを交えながらやり取りしているらしい。慌ただしい咳払いが聞こえた後、
「南北少女!!」
「……は、はい」
いつものハリのあるオールマイトの声が、多少音量的に抑えめであるような気はしたけれど、聞こえた。状況を飲み込めぬままこわごわ頷くと、耳元の方でコソコソと囁くような返事が返ってくる。
「――すまないが、今さっきここで聞いた会話はオフレコという事で、よろしく頼めないかな……!」
「へ?」
「みんなの前ではカッコいいヒーローでいたいからね!弱音なんて恥ずかしいだろう?頼むよ、内緒にしておいて欲しい……この通り!!」
と言われても、どんなポーズをしているか全く分からないのだけれど、その言葉を聞いて、胸に仕えていた引っ掛かりがストンと落ちた。
やっぱりオールマイトは今日の戦い、辛かったんだ。しんどかったんだ。そりゃそうだよね、脇腹に指を刺されて、わけがわからない性能の
敵と殴り合ったりして――それでも耐え切って勝ったんだ。凄いなあ。
そして、周りのみんなを不安にさせない為に、その辛さや苦しみを内に秘め続けているだなんて。この人が平和の象徴と呼ばれている理由が、ほんの少しわかったような気がした。
「わ……わかりました、口外しません」
「本当か!ありがとう、よろしく頼むよ!」
「――おーい、緑谷、南北!大丈夫かー!?」
「!切島少年……!」
と、遠くの方から切島くんの声が聞こえてくると何やらまた二人がにわかにざわつき始め、突如ゴゴゴゴという騒音と振動、それからセメントを操るヒーロー・セメントス先生の優しい声が聞こえて。目隠し状態のまま不意につまみ上げられるように持ち上げられたわたしは、気がつくと切島くんに米俵よろしく抱えられていた。「何で目隠し!?」「なんでだろう……」みたいな会話を経てようやく視界が開けると、背後にはセメントス先生が作ったらしい大きな壁。イズとオールマイトは、この分厚い壁の向こう側にいるみたいだった。
「よし、自分で立てっか?生徒は安否確認のために入り口集合だってよ!」
「う、うん」
遠くの方にポツンと立っている轟くんと
爆豪。駆けていく切島くんの背を見送りながら、わたしはようやく、大きく息を吸って、ゆっくり吐くことができた。まだ下ろしてそれほど経っていないというのに、もうズタボロの傷だらけになってしまったコスチュームを見下ろすと、ついつい苦い笑みが零れた。
長い長い戦いが、やっと終わってくれたようだった。
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