気付くと爆風の中を転がっていた。右手に何かを掴んでいる感覚がある。いつ――何で掴んだんだろう。そんな余裕、どこにも無かったはずなのに。
凄まじい風と轟音の中を、身体中の色んなところを打ちつけながら吹っ飛んで、最終的には尻餅の形に落ち着いた。もうもうと立ち込める土煙の中で、ほとんど止めっぱなしだった呼吸をぜえぜえ言いながら整えて、何が起こったのかをゆっくりと考えると、途端に冷たい汗がどっと額から噴き出してくる。
――生きてる。
生きてる。絶対、絶対死んだと思ったのに。いきてる。
「――かっちゃん!!ほたるちゃん!!」
随分近くでイズの悲鳴が聞こえると思ったら、なんと目の前だ。風で薄らいだ土煙の向こうに青い体操服のズボンが見える。慌てて立ち上がった彼が見ている先、抉れたような痕が残った地面の向こうはまだ爆風の煽りで何も見えない。
わたし、あそこに、いたのか。
震えながら恐る恐るイズの脚を突くと、「ヒエ!?」という間抜けな声に続いてまん丸な目がぐりんとこっちを振り返った。
「――ってかっちゃん!?ほたるちゃん!?よ、避けたの!?凄い……!」
「違えよ黙れカス」
「じゃあどうやって……」
右隣から聞こえた呼吸のごとく自然な罵倒に思わず振り向くと、ちょうどわたしと同じように尻餅をついたまま、土煙の向こうにちらつく脳無の影を呆然と見つめる
爆豪がいた。よ、よかった、こっちも、いきてる。恐怖か安堵かもう判別できないくらい、とにかく早鐘を打ちっぱなしの心臓を押さえつけながらその横顔を見ていると、不意に右手がぶんと振り払われた。その時ようやく、掴んでいたのがそいつの、籠手をつけていない方の手首だったということに気付く。
「――ッ……!!」
「……!?」
何を言うでもなく、
爆豪はわたしを思いっきり睨みつけた。気安く触って気分を害されたのかと思ったけれど、どうやらそういう訳ではないらしい。先程まで呆然一色に染まっていた瞳に、今は憎々しげな光が宿っている――これは多分、何かに屈辱を感じてとにかく酷くムカついている時の顔だ。とはいえ、今はわたしもそれに構っているだけの余裕がない。
何があったのか必死に思い出す。はっきり見えたのは脳みそと黒い拳。そのあと、かなりブレブレではあったけれど、何か黄色いような白いようなものが目の前を凄い勢いで横切って――そこまで考えてはっとした。わたし達、庇われた。救けられたんだ。そんなことができる人は、今この場に一人しか居ないじゃないか。
「オール、マイトに……救けられた……」
「――!」
掠れた声で呟くと、隣の
爆豪が顔を上げた気配があった。つられてわたしも前を見ると、もうもうと立ち込めて居た煙がようやく完全に晴れて――抉れた地面の先が見える。
オールマイトが立っていた。
両腕を前で組んで――わたし達を突き飛ばし、脳無の拳を受け止めたそのポーズのまま、小さく咳き込んでいる。
「(怪我、してたのに――庇われた……!!)」
庇われなくても良かったとは、口が裂けても絶対に言えない。オールマイトが飛び込んできてくれなかったら、今頃わたしも隣のあいつも粉々バラバラの肉塊だろう。だから――悔しい。
見誤った。救けられるかもしれないと思い上がった。そして要らない傷を負わせてしまった。
ああ、くそ――情けない。
「――加減を、知らんのか……!」
「仲間を助けるためさ、仕方ないだろ?さっきだってほら、そこの……」
歌うように語る死柄木がちょいとこちらを指差す。相も変わらず何を考えているんだか分からない不気味なギョロ目がこちらの顔触れを見回す最中、わたしの方も見たような気がして、思わず立ち上がって身構えた。それが琴線に触れたのか、ニッ、と微笑んだのも束の間、ようやく思い出したように見開かれた目はイズの方を見ている。
「……ああ、地味な奴。あいつが思いっきり俺に殴りかかろうとしたし、その後磁石の子に地べたへ這い蹲らされそうになったんだぜ?誰が為に振るう暴力は美談になるんだ……そうだろ、ヒーロー!」
「(余裕で抜けた癖にしゃあしゃあと……)」
ついつい奥歯を噛みしめたが、もう死柄木の興味はこちらに無い。オールマイトへ向き直り、芝居掛かった大仰な仕草で両手を広げながら何やら語り始めている。
「俺はな、オールマイト!怒ってるんだ!同じ暴力が!ヒーローと
敵でカテゴライズされ!善し悪しが決まるこの世の中に!」
「――!」
「何が平和の象徴!所詮抑圧のための暴力装置だお前は!暴力は暴力しか産まないのだと、お前を殺すことで世に知らしめるのさ!」
「滅茶苦茶だな……!そういう思想犯の
瞳は静かに燃ゆるもの……」
わたしも他のみんなも何だか雰囲気に呑まれてしまって何も言えない中、オールマイトがが唸った。彫りの深い顔の一番濃ゆいところ、精悍に窪んだ鼻根の奥から、鋭く光る青い瞳が覗く。
「自分が楽しみたいだけだろう――嘘吐きめ!」
「――バレるの早!」
掌の奥の目が、また下卑た笑いを浮かべた。ああ、訳もわからず鳥肌が立つ――何なんだこいつ!気持ち悪い!
そんな奴の様子を見ていた轟くんが、さり気なく身構えながら徐に呟いた。
「……3対6だ」
はっとして振り向けば、黒い瞳が真っ直ぐに死柄木を見据えていた。隣のイズがその言葉に頷き、切島くんも両手の手刀を固めた。口を開く様子は無いけれど、
爆豪も立ち上がって敵の姿をじっと睨みつけている。
「うん!靄の弱点はかっちゃんが暴いた!」
「とんでもねえ奴らだが、俺らでオールマイトのサポートすりゃあ撃退できる……」
「――駄目だ!」
いつの間にかこちらに戻ってきていたオールマイトが、そんな彼らを制すように前に立って腕を広げる。けれど轟くんは言うことを聞く素振りも見せず、何なら多少むっとした様子で構えを解かない。
「さっきのは俺がサポートに入らなきゃやばかったでしょう――」
「それはそれだ轟少年。ありがとな!」
「……、」
「しかし大丈夫!プロの本気を見ていなさい!」
「「オールマイト……!」血が――それに時間だって……っ、」
シャツから滲む血は止まっていない。確かにいつも通り筋骨隆々、逞しい身体だけれど――どうしてこんなに不安な気持ちになってしまうのだろう。思わず上げた声がイズと被って続く言葉が思わず引っ込んだが、イズの方も何やら言いかけたものを、言っちゃまずいものでも出しかかってしまったかのように引っ込めて、わたしの方を盗み見た。何も言えずに二人の顔を見比べていると、オールマイトは振り向かないまま、わたし達を阻むように伸ばした手の親指を――グッと立てて見せる。
「……でもよ、やっぱ……何もしねえ、なんて……!」
小さな声で、口惜しそうに切島くんが言った。轟くんは今にも動き出しそうだった構えを一応解いたけれど、まだ腑に落ち切っていないような顔をしている。イズはさっきみたいに、何か起こったら真っ先に飛び出して行ってしまうだろう。
爆豪は何を思ってるんだかよくわからない、けど。
切島くんの肩を掴むと、思った以上に思い詰めたような目がわたしの方を見た。気持ちは痛いほどわかる。でも――現実も、わかってしまった。
「駄目だよ……動いちゃ……」
「南北……でもよお……!」
「駄目なの!少なくとも脳無が動いてるうちは絶対に……!」
「……」
弱腰なわたしの態度に思うところがあったのだろうか、轟くんの冷たい視線が横っ面に突き刺さった。でもここは引き下がれない。どんなに強い人だとしても、手負いのオールマイトにこれ以上、余計な負担をかける訳にはいかない。切れ長の瞳の圧に負けないように、極力一生懸命睨み返した。
「轟くん、
さっきの見えた……?」
「……」
「頭数に入れて貰っといてこんなこと言うの恥ずかしいんだけどさあ……わたし、ほとんど見えなかったんだよ、悔しいけど。目で追えるレベルの動きじゃなくて……アレが場にある限りわたし達は足手纏いにしかならない……と、思う」
「……だからってここで、指咥えて突っ立ってんのかよ」
「それしかないよ――
今は」
ぴく、と轟くんの眉が動いた。少しの間睨み合いが続く。やがてわたしの真意を測りかねるように、左右色の違う目がすっと細まったのを見て――わたしも自分自身の愚かしさを軽く嫌悪した。
現実がわかってしまったはずなのに、強さも経験もまるで違うと知ってしまったはずなのに、わたしはまだ、この場から立ち去る気にはなれずにいる。轟くんが声を落としたので側に寄ると、他のみんなも吊られるように何となく寄り集まり、気付けば小さな円陣が出来上がっていた。いかにも作戦会議って感じだ。
「……何かあんのか」
「……脳無が正真正銘のバケモノって感じだけど、靄のおじさんも相当ずる賢くて性格悪い。両方揃ってるうちはつけ入る隙なんてまず無いと思う」
「でも靄は本体が――」
「アレもさ、もっと切迫してない普通の状況だったらきっと軽くあしらわれてた。あの時黒霧を捕まえられたのは――多分、
こいつの判断が良かったから」
くい、とさっきからやけに静かな
爆豪を指差すと、指された本人は若干ぎょっとしたようにわたしを睨んだ。褒めようが貶そうが、話題に出すだけで基本睨まれるのでもう慣れっこだ。
「タイミング計ってたって言ってたよね。何であの時を選んだの?」
「んなもんクソ馬鹿デクが捨て身の特攻仕掛けてて、迎撃に気ィ取られてた靄野郎が隙だらけ――、……」
「――!」
「そうでしょ……あの時あいつら、油断してたんだ。オールマイトは靄と脳無が完全に捕まえてて、唯一歯向かってきたイズにとどめを刺すタイミングだった。ああいう奴らにでかい隙ができるとすれば、それは――やっぱり、勝利を確信した時だと思う」
「確かに……でもつまり――えっと……それは……」
イズが言い淀んだ。気持ちはわかる。わたしだってそんな言葉、冗談でも口になんかしたくない。でも、みんなが納得してくれそうな、こうなるまでは我慢して欲しいという条件を、端的に一言で口にするならば――こう言うより他ないだろう。
「だから、わたしたちがまたオールマイトを救けられるタイミングがあるとすれば――
彼が負けそうになった時、そこが……最初で最後だよ。間違いない」
ごく、と切島くんが唾を飲む音が聞こえた。
爆豪は不機嫌そうに押し黙ったまま。轟くんは考え込むように指で顎を撫で、イズは――イズは無言で俯いていた。あって欲しくないけれど、そんな状況があるかもしれない。そう思わせるほどに脳無はめちゃくちゃで、黒霧は狡猾で、死柄木は狂気的だ。だから飛び出していくのはそこ一点――逆に言えば、そこで飛び出して何も打開できないようなら
終わりの詰みポイント、そこしかない。
無論わたしには、それがイズにとっては
割と現実的な展開であることまでは、流石に知りようもなかったのだけれど。
多分わたしの考えはそこまで的外れじゃなかったし、何かが違っていれば実際そうなってしまう可能性も、きっとあった。けれど次の瞬間、
「――!?」
ごう、と風が吹いたのだと思ったけれどそれは違って、全身の毛という毛が逆立ったことによる錯覚だった。振り返った先にあるのは、平和の象徴というこの上ない重みを背負った大きな背中。突然解放された爆発するような闘気。さっきまでとは覇気が違う――その背中から溢れたオーラだけで、胸の内でくすぶり始めていた不安や絶望の火種が、一気に掻き消えたような錯覚さえ覚えた。さっきまでの議題もすっかり忘れて、思わずぽつりと漏らした言葉がこれだ。
「――まあ入る隙……無いかもだけどね?」
「……確かに……」
答えてくれたのは切島くんだけだった。みんながみんな――立ちはだかる
敵に向かって今にも走り出さんとするその背中に、すっかり圧倒されてしまっていたから。
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