うんと小さい頃、まだ幼稚園に通っていた時の話だ。

「えー!?かっちゃんお空飛べるようになったの!?」
「こんくらいヨユーだっての。つかなんで飛べねーの、おまえ」
「わ……わたしだってねえ、ほらっ、浮いたりはねたりできるもん!」

 反発でぴょんぴょん跳ねるわたしをジャングルジムのてっぺんから見下ろして、あいつは小馬鹿にするように笑った。顔を真っ赤にして怒るわたしに向かって舌を出し、なんの躊躇もなくひょいと飛び降りると、掌から噴き出す爆炎でそのまま宙を舞う。子供のわたしにとっては――いや、正直今見ても浪漫があるというか、あまりにもかっこいいその飛行を羨むように見上げていると、いつもの意地悪が始まって。

「い゛っ……!?」
「ははっ、悔しかったらつかまえてみな!」

 どか、と上から背中を軽く蹴られて地面に突っ伏した。けらけら笑うあいつはびゅんびゅんと器用に宙を翔けて逃げ回る。今思えば、仮にも仲のいい女の子の背中を蹴っ飛ばして遊ぶなんてとんでもない奴だな本当に。何で仲良くできていたのかだんだん不思議になってきた。
 二、三度と蹴っ飛ばされて転んだ拍子に膝を擦りむくと、わたしもとうとう怒ってムキになった。絶対に捕まえてやる。確かにわたしではあの動きについていくことはできないけれど、攻略法はある。自分の体を右手で叩いて、その時を待った。
 四度目の蹴りが来た瞬間、わたしの背中目掛けて飛んできた足を思いっきり叩く。自分の体と反対の極を纏わせて、くっつけて止めてやる算段だった。けれど、

「あっ」
「どわっ――!?」

 間違えた。
 まだ“個性”が発現したばかりで扱いに慣れていなかったわたしは、自分を利き手で叩いた後、うっかり彼の足も利き手で叩いてしまったのだ。赤く光った彼の体がわたしの背中と弾きあって、爆発の勢いも相まって豪快に吹き飛び――公園に生えていた桜の木の枝の中に、勢いよく突っ込んでいった。

 擦り傷だらけのあいつと、背中にいくつも足跡をつけたわたしが喧嘩しながら戻ってきたものだから、かっちゃんママはかんかんに怒って両成敗される羽目になって。わたし悪くないのに、とぶーたれながら何があったのかを説明すると、彼女は豪快に笑いながらこう言った。

「へえ、そんなに気持ちよくぶっ飛んだのかい!いいねえそれ、あんたらの必殺技にしちまいなよ!」


















 頭上から迫ってくる靴底を眺めながら、そんなことを思い出していた。あいつはめちゃくちゃ嫌がって、それでまた喧嘩になって、二人してこっぴどく叱られたっけなあ。
 爆豪あいつはわたしの方を見ていない。視線は真っ直ぐ先、イズとその前に立ちはだかっている黒霧を捉えている。何だかよくわからないけれど――やるしかない。
 咄嗟に身を低く構え、自分の体にS極みぎてでタッチ。次の瞬間、容赦なく全体重を乗せた踏切がわたしの両肩にのしかかる。痛い。重い。本当に容赦無いな!内心悪態をつきながら、ちょっとした怒りも載せつつ、顔の横でぐっと曲がったその脚を右手で思いっきり引っ叩いた。

「――っ!!」
「――どっけ邪魔だ!!デク!!」

 踏みつけたわたしを顧みるでもなく、ロケットのように一直線に飛んで行った爆豪あいつは思いっきり黒霧を吹き飛ばす。踏み切りと反発の反動でよろめいたわたしが体勢を立て直す間もなく、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

「南北――時間がねえ、俺も頼む」

 ちらりと振り返れば、こちらに向かって全速力で走ってくる轟くんの姿。何故だかわからないけれど、わたしはそれが助走・・なのだと直感的に理解してしまった。ああもう、仕方ない。でもちょうど良いや。
 わたしも――救けたいって、思ってたところだ。

「優しく踏んでね!」
「出来ればな」

 踏ん張って立ち直ったわたしが急いで体を低く屈めると、すぐ後ろで力強い踏み切りの音が聞こえた。程なくして跳び上がった轟くんの両足が、さっきのアレに負けず劣らずの勢いでわたしの背中を踏みつけていく。跳び箱の跳ね板になった気分を味わいつつ、こちらも遠慮なく右手ききてで引っ叩くと、反発で勢いづいた体は若干バランスを崩しながら飛んで行った。空中慣れしているというか、ある程度方向転換が利く“個性”の爆豪あいつとは勝手が違うはずだから少しひやりとしたけれど、流石は轟くん、特に問題もなくヴィランたちの前へ着地。踏み込んだ足先から刺すような冷気が飛び出し、オールマイトの脇腹を掴んでいた脳無の体と腕を一瞬で氷結させた。
 わたしも行かなきゃ――と前を向いたところでまた背後から慌ただしい足音が聞こえて、なんだか嫌な予感を覚えながら振り向くと案の定、早くも片手を顔の前に出して「すまん!」ポーズの切島くんがそこにいた。

「わりィ!踏まねえから!床でいいから!!」
「――じゃ、一緒に行こう!」

 地面には相澤先生用のSみぎを張りっぱなしだ。 隣で立ち止まった切島くんの腕に引っ付くと「ええ!?」と素っ頓狂な声を上げられたが今は無視。左腕で切島くんにがっしりくっついたまま、その背中を右手で思いっきり引っ叩く。

「行くよ!――せーのっ!」
「お、おう!?」

 返事は微妙に締まらなかったが、踏み切りはばっちりだった。かなり強い反発に乗って切島くんの体が吹っ飛び、引っ張られたわたしも一緒になって飛ぶ。彼の狙いは――死柄木弔だ。

「おりゃあああああ!!」

 硬化した手刀を振り上げて、切島くんが弾丸のように襲いかかった。わたしも隙を見てどうにか奴の動きを阻害できないか考えたのだけれど、流石に奴もそれほど鈍くはなく、面倒そうにこちらを睨みつけながら容易く身を躱されてしまう。

「あーっくそ、いいとこねェ――と、とととっ!?」
「――よっと!」

 しまった。死柄木と脳無には上手く抜けられてしまったけれど、この辺の地面にはまだSみぎが張りっぱなしだ――相澤先生を運ぶために別の場所にもかなりの面積を割いたから、だいぶ弱まってきてはいるけれど。着地できずにふわりと浮いてしまった切島くんを横目に慌てて辺りを見回すと、黒霧を地面に捩じ伏せたあいつは爆発の推進力で無理やり着地を維持していて、一度だけ勢いに乗って氷を出した轟くんは少しの間戸惑う様にふらついた後、慣れてしまったのか平然と空中で仁王立ちしていた。激ヤバ身体能力マンたちだ。

「解くよ!」
「遅えぞクソ磁石!」
「そっちこそ!すぐ来てよって言ったじゃん!」
「それは俺からもわりィ!ちっと脱出手間取ったのと、爆豪と一緒に飛び出すタイミングしっかり伺ってたんだ」
「……ああ……成る程ね。磁石か……そっか……はあ」

 口の悪いアホが死ぬほどデカい声で二度も叫んだのでとうとうわたしの個性が完全に露呈してしまったが、ほとんど看破されていたのだから今更か。 改めて全員しっかり着地したみんなから一度距離を置く様に下がった死柄木は、また一人でぼそぼそと呟いた後、組み伏せられた靄男の方を見て薄っすら微笑んだ。

黒霧出入り口を押さえられた……こりゃあピンチだな」
「ヘッ!このウッカリヤローめ、やっぱ思った通りだ……!」

 不定形の靄を思いっきり組み伏せるという意味のわからない芸当を成し遂げた爆豪あいつだったが、“倒壊エリア”で別れる前に口にしていた靄対策、勝算というのはこれだったらしい。よく見るとあいつが掌で押さえつけている辺りに、何か装甲のような、人間が身につける防具のような物が見て取れる。

「モヤ状のワープゲートになれる箇所は限られてる!そのモヤゲートで実体部分を覆ってたんだ、そうだろ!全身モヤの物理無効人生なら、危ないっつう発想が出ねえもんなァ!?」
「……、」
「動くな!“怪しい動きをした”と俺が判断したらすぐ爆破する!」
「ヒーローらしからぬ言動……」

 切島くんの呆れももっともだ。ただ――悔しいけれど、本当に頭が良く回る奴だと感心してしまう。あれだけ饒舌だったくせにさっぱり喋らなくなった黒霧の態度からして、あいつの指摘は多分全部図星だろう。
 幸い、轟くんの氷結のおかげでオールマイトも脳無の腕から抜け出せた。形成は逆転したと言ってもよさそうだ――なら、完全に封じ込めできている今が好機。薄気味悪く笑っている死柄木と、右半身を氷漬けにされたまま動かない脳無の様子を慎重に伺いながら、忍び足で黒霧の側に歩み寄るわたしを、あいつが訝しげな顔で見上げた。

「んだよ」
「それ、逃げ出せないようにくっつけとこう」
「俺がマウント取ってんだろが」
「その実体部分を動かせないようにできれば盤石じゃん?」
「やりたきゃ勝手に――てめ、素手で触んな!適当に離れてやれ……少しでも爆破しづれえ状況になったらこいつがつけ上がる。そんくらい分かれやゴミカス」
「はいはいゴミカスですんませんねえ」

 了承を待たずに白っぽい装甲部へ手を伸ばそうとすると、空いてる方の掌で思いっきり引っ叩かれた。言ってることは一理あるけれど、いちいち乱暴だしいちいち一言も二言も多いな本当にこいつは。苦笑いする切島くんを尻目に、爆豪あいつの隣にしゃがみ込む。
 言いつけ通り直接触らずに、となると、隣の爆豪こいつの体を通して伝えるのが一番手っ取り早いだろうか。適当にどこか触ろうと手を伸ばしたその時、死柄木がまた口を開いた。

「攻略された上に全員ほぼ無傷……元気に痴話喧嘩なんか始めちゃってさ……凄いなあ、最近の子供は。恥ずかしくなってくるぜ、ヴィラン連合……」

 まだ余裕の消えない口ぶりと、明らかにわたし達に向けての揶揄に、伸ばしかけた手を止めて思わず身構えた。
 あの死柄木とかいう男――ヴィラン連合などと名乗っている連中の、一応中枢に位置しているように見える人物なのだけれど、話す内容や振る舞いが絶妙に小物っぽくて、それでいて底知れない冷たさみたいなものを感じることもあって。
 現状黒霧ゲートは行動不能、脳無も半分凍結で固まったまま動かない。動けるのは死柄木ただ一人で、唯一の逃げ道も押さえられている。
 だというのに――目が。あの血走った赤い眼が、顔を隠す伸び放題の髪と蒼白な手首の向こうで、ニタニタと笑ったままだ。何を考えているのか全くわからなくて気味が悪い。
 すると、その死柄木が不意にくるりと体の向きを変えた。

「――脳無」

 応えるように脳無が鳴いた。バックドロップの格好で弧を描いたまま凍りついていた背中が、ビクビクと――信じられないことに、動いた・・・。息を飲む轟くんの視線の先で、ワープホールに突っ込んでいた頭を引っこ抜くと、脳無の右腕はポキリと折れて地面に転がり、右足ももげて体を離れた。それでも脳無は動いている・・・・・。円らで何の感情も読み取れない目玉がぎょろりと回って前を向いた。

「体が割れてるのに――動いてる……!?」
「……!!みんな下がれ!!」

 愕然と呟くイズを制すように腕を広げて、出血した脇腹を押さえたままのオールマイトが叫んだ。そうするうちにも脳無は動く。もげた手足の付け根に張り付いていた氷が割れて砕けて、針金のような筋繊維が剥き出しになった。グロテスクな光景に思わず口元を覆ったが、それだけじゃない。
 赤い繊維がむくむくと動いて、増えて、どんどん伸びて――生えた。
 腕が生えた・・・・・

「何だ……!?“ショック吸収”の個性じゃないのか!?」
「別にそれだけとは言ってないだろう……これは“超再生”だな。脳無はお前の100%の力にも耐えられるよう改造された……超高性能サンドバッグ人形さ!」

 楽しげに語る死柄木の前で、剥き出しだった肉の上に、ゴムのような真っ黒い皮膚がどんどん再生されていく。
 “個性の複数持ち”、“改造”――自分の倫理観では理解が追いつかなくて、頭がどうにかなりそうだった。脳無の姿はもうすっかり、手足がもげる前の完全な姿に戻ってしまっている。

「先ずは出入り口の奪還だ――行け、脳無」

 その言葉を聞いた瞬間、弾かれるように体が動いた。多分本能的な危機察知、反射のようなものだった。考えるより早く体が動き、伸ばしかけて止まっていた腕が勝手に近くのものを引き寄せて、滑るように一歩前へ出た。でも、それでも遅かった・・・・。自分の反応速度の限界以上の動きをしても、もうそこに脳無は居なかった。次の瞬間、目の前に丸見えの脳みそが現れたのが見えて――。

 喉の奥がキュッと締まるような絶望を覚えた。それでもやっぱり――いや、避けることなど叶わない速度なのだから当然なのだけれど、迫り来る拳を避けようともせず、瞬きもしないでじっと見つめている自分に気付く。イカレ女。つい少し前にも言われたばかりの乱暴な罵り文句を思い出して、それに違わぬ行いに、ほとほと呆れ果ててしまった。

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