「――っ……!!」

 “倒壊エリア”の出口近く、重なるように崩れたビル達の頂上付近。遠目に見えた広場の噴水側、豆粒のように小さいが、確かに見えたその光景に息を呑んだ。










 どうにか自分たちに充てがわれたらしい雑魚敵ザコヴィランを全滅させたわたし達は、爆豪あいつの提案に乗って――というか、あいつが「俺はやる、てめェらはどこにでも行っちまえ」という感じで宣言した行動についていくという形で、例の黒い靄人間ワープゲートを倒しに行くことになった。切島くんとしては当初、恐らくUSJのどこかに散り散りに飛ばされてしまったはずのみんなを救けに行きたかったらしいのだけれど、爆豪あいつの「俺らに充てられたのがこんな三下相手なら大概大丈夫だろ」という言葉に感銘を受けたようで、「ダチを信じる!男らしいぜ爆豪!!」とか言いながらノリノリで同行を決めてしまったのだった。
 わたしはと言えば、

「南北はどうする?」
「……他グループの救助も捨てがたいけど、……うん、今はあんた達についてくことにする」

 案の定ギロリと睨みつけられたので、わたしもわたしで負けないように取り敢えず踏ん反り返った。柄が悪くて威圧感だけでなんとかしようとしてくる奴相手に、立ち姿で負けないのは結構大事なことだ。

「多分わたしが行ったところで大した加勢にならないし……それに、切島くんも言ってたけどさ。二人が飛び出したせいで13号先生に迷惑かけちゃったのは事実なわけでしょ?」

 切島くんが神妙に頷き、あいつは相変わらず不機嫌そうな顔つきのままこちらを睨んでいる。けれどまあ、確かに事実であるとはいえ、わたしにそれを責める資格はあんまりない。あそこで二人が飛び出さなかったら13号先生が勝っていたかというと、今にして思えば正直わからないし、何よりわたしはあの時何もできなかった。先生に任せっきりで、動かなかったのだ。結果的に今の状況に落ち着いたとはいえ、あの場で咄嗟に動けた二人のことは心の底から凄いと思っている。でも、そんな血の気が多くてやる気満々の二人だからこそ。

「またあんなことにならないように……あんた達がどう見ても無謀なことしようとしたら、わたしが引っ張って止める」
「……おう」

 両掌を握りしめながら言うと、切島くんは素直に頷いた。もう片方はしばらくむっすりと黙り込んだ後、踵を返して一人歩き始める。

「足引っ張りやがったら見捨てっからな」
「……わかってるし」
「まーまー、ちったあ仲良くやろうぜ!」
「てめェもだクソ髪」

 と、前途多難な雰囲気でビルの外へと進み出したのがつい先程のこと。一応引き止め役の名目でついては来たけれど、爆豪あいつに靄人間をどうにかするプランがあるなら多分出る幕はないだろうと思っていた。器が小さくてみみっちくて、結構色んなところで頭が回る男だから、“敵う”と判断した相手にしか突っ込んでいかないはず。その点についてはある意味爆豪あいつのことを信用している。
 そして、「おいてめェ、先行ってビルの上ひっついてモヤ野郎探せ。どうせ広場だろうけどなァ!」と使い走られて、件のビルの残骸、上階部分の壁にくっついて広場を見下ろしたのが、今。










「――やばい!」

 叫びながら反発着地を決めると、二人にもわたしの焦燥が伝わったのか、緊張感のある面持ちで顔を上げた。焦りで体幹がブレる。よろめきながら第二声を発しようとしたわたしを、硬化した切島くんの腕が制した。

「先生が――」
「待った!やべえ、増援来てんぞ……!」
「チッ……雑魚がワラワラと……」

 確かに彼の言う通り、乱立するビルの中や物陰から身を潜めていたらしいヴィラン達がわたしたちを追いかけて来ていて、煩わしそうに掌を爆ぜさせながら爆豪あいつも身構えている――けれど正直それどころではない。
 戦闘態勢に入った二人と、集まってくる敵影を見比べて、状況を天秤に掛けて――わたしはそっと身を屈めた。

「――相澤先生が脳みそ丸出しの奴に捕まってる!血もいっぱい出てた!」
「先生が!?」
「……!!」
「ごめん、わたし――先に行くから!」

 言うが早いが大地を踏みしめ、“反発”の力で思いっきり跳び上がる。取り残された二人が口をあんぐり開きながらこっちを見上げていて、わたしはそれに向かって大声で叫んだ。

「――二人も急いで来て!!」
「えっ、ちょ――南北ー!?」

 切島くんの呼びかけが遠ざかっていく。わたし達を囲い込むように円状に展開していたヴィラン達の頭上を飛び越えて、着地後にすかさずもうひとっ跳び。突き放されたヴィランはわたしを追うのを諦めたようで、残った二人の方へ着々と集まっていく。申し訳ないけれど、ここは彼らに全部押し付けさせてもらうしかない。

「(さっきは動けなかった……戦闘でも役に立たなかった……、でも今は――動かなきゃ……!)」

 夢中で駆けるわたしの頭からは、もう誰が・・“どう見ても無謀な行為”を働こうとしているのかなんてのはすっかり消え失せていたし、

「ブレーキ壊れてんのはそっちだろうがクソ……!」

 という憎々しげな呟きも、当然聞こえることはなく。
 とにかく全速力で駆け抜けて“倒壊エリア”の出口へ急ぐ。豆粒大だった脳みそ丸出し男の巨体が徐々に大きくなるにつれて、その下に広がる血だまりもはっきりと目視できるようになってきた。それだけでも心臓が壊れそうなくらいに早鐘を打つというのに――。

「(ああ、やっぱり――見間違いじゃ、なかった……!)」

 大分はっきりと視認できるようになった噴水広場。その広場の、“水難ゾーン”との境目にある水場に、三つの小さな人影が浮かんでいる。
 目の前に広がる赤い血だまりの方を直視したまま、凍りついたように固まっている、梅雨ちゃんと、峰田くんと――イズの姿が。

「(靄男も居る……!ふざけんな、やめろ――やめろ……!)」

 イズ達とヴィランとの間には、ある程度の距離が開いている。多分三人はこっそり、戦いに巻き込まれない程度の距離を保ちつつ、広場で一人戦う相澤先生の様子を伺いに行ったのだろう。けれど、どうしてだかわからないけれど、遠目にその光景を見た瞬間に嫌な予感が胸いっぱいに広がった。脳みそ男と靄の側に立っている、身体中手首だらけの痩身の男。彼の体は彼らの方ではなく、脳みそ男と相澤先生を見ているように見えるけれど、どうしてだろう、わかってしまうのだ。

絶対に気付いてる・・・・・・・・

「(相澤先生、血だらけだし腕がボキボキだ――ああ、くそ、……くそっ!)」

 わたしだって、相澤先生があんな風にされる相手と戦って勝てるとはとても思えない。でも何とかしなきゃ。今日の出来事で何となく悟ったわたしの本分は、機動力にげあし行動妨害いやがらせだ。何とか時間を稼がなきゃ。先生を解放しなくちゃ。――イズを守らなくちゃ・・・・・・・・・

「――!」

 焦るわたしを他所に、まだこちらには気付いていない様子の手首まみれの男が、いつの間にか梅雨ちゃんの目の前に立っていた。跳んだ方が早い。わたしが踏み切ると同時に、 イズが手首男に向かって一発放って、辺り一面に凄まじい土煙が上がった。何も見えない――でも、今はその方が好都合だ。
 着地、一旦“個性”を全解除。行動範囲を広げるため、この後の動きをスムーズにする為に、一呼吸置いてあたり一帯に磁力を張り巡らせる。地面がわたしの“個性”を纏ったとしても一瞬しか変化を視認できないし、この視界の悪さなら気取られずに仕掛けることができるはず。
 地面に赤い光が走り、間も無く砂埃が晴れる。粉塵の間に現れた影は――脳みそ野郎だ。イズの攻撃を受け止める壁になる為に、相澤先生を一度離して飛び出したらしい。
 ――今しかない!

「っ……おりゃっ!」

 足元の反発を利用して滑るように走ると、ちょうど煙が晴れた先、ボコボコに凹んだ地面と血だまりの中に臥せっている相澤先生の姿が目視出来た。
 同時に別のものも視界に飛び込んでくる。片手で捕まえたイズに向かって拳を振り上げる脳みそ男、助けようと舌を伸ばす梅雨ちゃん、その彼女と峰田くんに手を伸ばす手首男。
 咄嗟に相澤先生の側から血を吸って重くなった捕縛布を掴み取り、左右の手にそれぞれ握って“個性”を纏わせたそれを、こちらに背を向けたままのヴィラン二人の無防備な体に思い切り投げつけた。直接手で触れているものを触れさせることができれば、間接的に磁力を押し付けることができる。
 N極ひだり側で触った手首の男が青く、S極みぎ側で触った脳みそ男が赤く光ったのを確認してから、手繰られないように急いで布を引っ張り戻す。

「あ?」

 ひらりと離れていく布の端を目で追うように、手首の男がくるりとこちらを振り向いた。梅雨ちゃん達に延ばされていた手は止まっている。
 踵でブレーキを踏みながら相澤先生を庇い咄嗟に視線を巡らせると、脳みそ男は地面から受けた突然の強い“反発”で体勢を崩したらしく、仰向けに近い格好で地面から10センチほどふよふよと浮いているのが見えた。息が詰まるような思いだった。わたしなら黙ってても50センチは浮く程の強い“反発”を込めたはずなのに、たったの10センチぽっちか。どんな重さしてるんだろ。
 幸いなことにその衝撃でイズは彼の手から離れたらしく、梅雨ちゃんの舌に巻かれながら呆然とこちらを見る姿が視界の隅にあった。

「……脳無?……ああ?」

 ぼそぼそとした、気怠そうな声だ。引きこもりじみた雰囲気を感じさせる、見た目の通り不健康な声音。顔面に張り付いた掌の向こうに見えるぎょろついた目が、ふわふわ浮かんでいる脳みそ男――“脳無のうむ”と呼ばれたそれを訝しげに見た後、自分の足元を見下ろして、それからようやくわたしの方へ向いた。

「何だこれ……脳無浮いてるし、俺動けないし。おまえの“個性”か」
「……、」

 そいつは無視して辺りを見回す。脳無とか言うのはどう見てもパワータイプだろうし、梅雨ちゃん達にかなり近い所まで手を伸ばしていた辺り、手首男もたぶん直接“触る”タイプの“個性”だ。だったら片方を地面に縫い止め、片方を浮かせた今、両者ははほぼ無力化できていると考えていいだろう。それよりも、

「(――しまった!靄が居ない!)」

 煙に巻かれてどこかへ身を隠されてしまったのか、遠目に見たときは居たはずの靄人間の姿が視認できない。一番厄介そうな“個性”の相手を見失ってしまった焦りが募る。すると不意に、パキ、と何かが割れるような音が前の方から聞こえてきた。

「おいおい無視かよ……ヒーロー候補生ってのは冷たいなァ」
「……!」

 見れば、手首男がいつの間にか自分の足元に片手を突いていて、そこを中心に広場のコンクリートがひび割れ、砂のようにさらさらと崩れ始めている――奴の“個性”のようだった。
 磁力を纏っているのはあくまで地面の表層、そのままある程度まで崩壊が進めば、あいつらは自由の身になってしまうことだろう。咄嗟に相澤先生の体に右手を押し当てた。今足元はS極みぎだ。反発で力なく浮き上がった体を抱え、わたし自身も足の反発を使って動き出したその時――、

「――逃がしませんよ!」

 背後から聞き覚えのある声がした。靄男だ。入り口前で襲われた時と同じように突如現れた黒い靄が、左の腕に先生を抱きかかえて跳び退ったわたしの背後でぽっかりと口を開けている。

「ぐぅっ……!」

 咄嗟に身を屈め、今度は空いた方の片腕――S極みぎのパンチを靄の外、足元近くに思い切り放ってブレーキをかける。不安定ながらどうにか踏みとどまって停止――したかと思いきや、靄の方がぐっと下まで口を広げるという不正 チートじみた動きを見せて、うっかり右手が泥のような暗黒の中に突っ込んでしまった。すかさず穴の口がぐっとすぼまる。

「――!」
「動かない方が身の為ですよ。ご覧なさい――あそこに見えるのがあなたの手首です」

 靄がふっと見上げた先、わたしのちょうど真上あたりに別の靄が口を開けていて、確かにそこにはわたしの右手らしきものが突き出ていた。初めての体験になんだか動揺してしまい、思わず目の前の穴の中に沈んでいる手を握ったり開いたりしてみると、頭上に生えている方の手もしっかり動く。間違いない、わたしの手だ。

「私がこのゲートを完全に閉じれば、あなたの右手は空間の境目に潰され、その体から離れてしまうことでしょう」
「……一応利き手だし、できればやめて欲しいんだけど……」
「私とて、小娘の血で体内なかを汚すのは気が進みませんが……まだ掛かりそうですか、死柄木弔」
「足の裏がなかなか……取れないんだ……ああ、なんだこれ……ムカつくな」

 靄の言葉に視線だけ横に流すと、まだ足元の磁力に引かれているらしい手首男――靄男曰く“死柄木弔しがらきとむら”が、黒ずんでしわしわの小汚い首の皮を掻き毟りながらぼそぼそ呟いているところだった。崩れているのはまだ死柄木の足元だけで、脳無は相変わらず犬のように腹を上にして浮いたままだ。

「意表を突いたとはいえ、死柄木弔と脳無の動きを一時封じ込めるとは――どのような“個性”なのでしょうね」
「脳無やイレイザーヘッドが浮いてるってことは、重力操作かとも思ったが……体全体が重くなるというより、特に足の裏がくっついて剥がれないって感じだ。つまり表面だけ・・・・に付与される“個性”……さっき布を当てられた時に何か仕掛けられたか、あるいは地面に……ああ、でも手は……手もくっついたけど、崩したら剥がれたもんなあ……地面と対象、両方揃ってないと駄目な“個性”か。準備大変だろうなあ、可哀想に」
「(頭良いなちくしょう……)」

 気味の悪い笑いを零しながら呟く死柄木の言葉は、恐ろしいことにかなり論理的で的を射ている。腹が立つほど分析が上手い。ぎり、と歯軋りしたわたしの顔を見ていた血走り眼が、ふと愉快そうに歪んだ。

「俺は動けなかったけど……力技で剥がせないモンでもなさそうだ。狙ってやったのかは知らないが、脳無を浮かせたのは正解だったな。こいつなら足の裏の皮ひっぺがして……いや、地面ひっぺがして動けちゃうもんなあ。ハハハ」
「……、」
「でも……ほら。俺の足も剥がれちゃったよ」

 しゃがんだ体勢からむくりと起き上がった死柄木が、自由になったらしい片足をひょいと掲げて赤い靴を見せびらかしてくる。警戒心から思わず身動ぐと、手首を締めている黒い靄ゲートがわたしの手を掴むように狭まった。
 一歩、また一歩と欠けた地面を踏んでわたしに歩み寄り――目の前で立ち止まった死柄木がそっと屈み込んで、わたしの顔を覗き込むように首を傾げた。血の気のない真っ青な手首の向こうから覗く赤い目が、愉悦の色を映しながらにたりと微笑む。

「――どうしよっか?」

 勿体つけるようなゆっくりさで、不健康な白さの手がわたしの顔面に延びてくる――いや、体の方が死の危険を察知して、やたらにゆっくりと見えてるだけかもしれなかった。「ほたるちゃん!!」と叫ぶイズの声が、まるで山間に響くお昼の地域放送のように遠く聞こえる。鼻先まで迫った死を前にして、わたしは一瞬、右手を捨てる覚悟を決めかけた。

 ――が、しかし。

「――!」
「……!!」

 轟音が響いた。
 すぐ目の前までに迫っていた掌が、不意に興味を失ったように下がる。死柄木も、黒霧も、イズや梅雨ちゃんや峰田くんも、今目の前には居ないけれど、遠くで頑張っているほかのみんな達も――そしてわたしも、そこを見た。


「――もう、大丈夫」


 アミューズメントパーク然とした青い入り口ゲートの向こう側、扉があった筈のその場所に、白い土煙が立ち上っている。響くのは高らかで力強い革靴の音。そして、泣きたくなるほど市民たちわたしたちの耳に染み付いている、重厚な声。

「――私が来た!!」

 ここにいるみんなが、心の底でずっとずっと待ち焦がれていた、平和の象徴オールマイトが、そこに立っていた。
 そう、ヴィラン達さえもが待ち望んで止まなかった――今は儚い英雄オールマイトが。

「あー……コンティニューだ」

 死柄木弔の、喜色隠せぬねっとりとした呟きが、嫌に耳に残った。

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