お題1(花言葉) | ナノ
  戦場でも味わったことがないような恐怖が、今の私を包んでいた。生きてきた中で、最上の恐怖である。一武人として、戦場に赴き、いつも命の危機に瀕してきたが、ここまではっきりと死を感じたのは初めてだ。何故、くつろぐ場所であるはずの城で死というものに捕らわれねばならぬのか。問うても、己が愚かだったのだという回答しかない。今私が城内で恐怖におののく羽目になったのは、全てが己の愚行の所為だ。もし、過去に戻れる妖術が有るのなら戻って、あの時のあの言葉を口にしようとしている私を全力で止めたい。もはや、殺してもかまわない気がする。過去に存在する自分を、死に至らしめるわけだから、殺してしまった瞬間に今を生きている私という存在も消えてしまう。だが、あの男に消されるよりは幾分かましだった。
 不意に、隠れている押入れに気配が近寄る。ずずっ、と畳の上を何か重いものが這いずる音がして、私は息を呑んだ。叫びだしそうになるのを何とかこらえて唇をきつく噛む。胸の中心で心の臓が、これでもかという位に早く、大きく脈を打っていた。よもや、そんな事はあるまいが、この拍動の音が聞こえやしまいかと危惧し、胸の辺りを押さえる。
 襖の向こうで、すうすうと呼気の音が聞こえる。それも、かなり近い。音があまりにも鮮明に聞こえるから耳元で息をされている錯覚に陥った。一瞬だけ、動揺する。がたり、と音がする。強張った体が何かにあたり音が出たらしい。しまった!これでは、気づかれたも同然だ。なんということだろう。あのままじっとしていたら、気づかれなかったかもしれないのに。
 襖が、少しだけ開き、光の筋が暗闇に走る。私という存在に、気づいたか。ああ、もう駄目だ。見つかってしまった。此処はありとあらゆるものが詰められた、狭い押入れである。逃げ場など、用意されているはずがない。やはり、押入れの下に隠れるのではなく、天袋に隠れるべきだったかと、役に立たない後悔をした。どうしようか、どうしようかと、今後のことを考える。しかし、逼迫(ひっぱく)した今の状況では、まともな答えなど出るわけもなく。開いた瞬間に、脱兎の如く逃げ出すという単純な考えさえも思いつかなかった。襖が、ゆっくりゆっくりと開き始める。ああ、もう駄目だ。父上母上、先立つ不幸をお許しください。光の筋がどんどん大きく太くなっていき、そして、止まった。

(え、)

 あの憎たらしい男の事だから、最初はじわじわ真綿で首を絞めるように開けていき最後は一気に開けるという子どもっぽい事をするものだと思っていた。だがしかし、予想に反して襖は一気に開くどころか動きもしなかった。どういうことだ。まさか、気づいていないとでも言うのだろうか。意味が分からない。何がしたいのだ、あの男は。

 襖の前から、暗く重たい気配が動く。沼のそこに沈殿した泥の如くのろのろと動く気配は、そのまま真っ直ぐに部屋の外へと出て行った。どうやら、上手くごまかせたらしい。よかった、逃げられた。

(いや……)


 違う。運良く逃げられたわけではない。彼は、あの男は私が本気で恐怖におののき、襖の奥で震えているのに少しだけ満足したから、見逃して”くれた”のだ。恐らく、次はないだろう。次見つかれば確実に捕まって――。その先は、考えるだけで死にそうだった。見つからないように、うまく逃げなくては。
 勝負は日没まで。煌煌と光る日輪があの薄暗い山に飲み込まれてしまえば私の勝ちである。

夜に香る。

6/1:チュベローズ(危険な楽しみ)
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