フラジオレット | ナノ





※田舎学生ドタシズの夏


















「静雄、静雄」



 ゆるゆると身体が左右に揺すられる感覚に静雄は覚醒する。教室の窓から差し込む西日に顔をしかめ、見上げれば学生服の同級生が横に立っていた。寝ぼけ眼の静雄と目が合うと、彼は優しく微笑んだ。



「かど、た」
「帰るぞ、静雄」
「ん、」



 門田にそう告げられ、静雄は自身の身体を冷たい机から引き剥がしのそのそと帰り支度をする。教科書、プリント、筆箱に財布。全部ある。鞄を手にして振り向いた頃には門田は扉の向こう側で、静雄は夕焼けに染まる独りぼっちの教室を足早に横切った。緩い夏の風が頬を撫で、後ろから三番目の窓が開けっ放しだったということを思い出す。しかし前方に待ち構える同級生兼恋人の姿に背中を押され、結局静雄は数秒を惜しむ様にして門田の隣に並んだ。

 自転車置き場まで、2人はぽつりぽつりと取り留めのない会話をして、時たま沈黙を味わい、そうして自転車にのった。門田が乗るのを確認してから静雄が後ろの荷台に跨る。いいと言ったのに「足が疲れるから」と門田がハブに付けたステップに足を下ろし、静雄は遠慮がちに学生服の裾を掴んだ。それを合図に、ゆっくりと自転車は走り出す。



「しっかり掴まれ、落ちるぞ」



 門田がそう言った途端に、自転車は校門の段差を乗り越え大きく跳ねた。それに慌てた静雄は思わず両腕を門田の腰に回す。門田は苦笑して、静雄は赤面した頬を熱を持った学生服に押し付けていた。



「静雄、お前また折原と喧嘩したろ」
「…俺のせいじゃねぇ」
「別にお前のせいとは言ってねぇよ」



 シャッ、という車輪の回る音と、ガシャン、というペダルを踏み直す音に混じって、門田がやや大きめの声で言った。それに対して細い声をあげれば、肯定する門田の太い声が背中に響く。



「どうせ折原が煽ったんだろ」
「…ノミ蟲は殺す。いつか確実に殺す」
「洒落になんねぇよ、お前の場合」



 田舎道では遮る車道も少なく、2人はいつもほぼノンストップで帰り道を行く。何もない田んぼ道のど真ん中を2人きりで走る。夏ではあるが、日差しより風が気持ちいい。なにより、静雄はこの時間が好きだった。



「悪ぃな、約束すっぽかして」



 こてん、静雄がその額を学生服の背中に預けた。夕暮れの冷涼な風に煽られるようにして、普段は喉につかえる謝罪がすんなりと流れ出る。もうすぐ分かれ道だ。下り坂を前にして静雄は右に曲がり、門田は直線を滑り下りる。だから、きっと、自責を口に出来たのだ。きっと、言葉も少なに、2人は別れてしまうから。



「気にすんな」



 真っ直ぐ前を向いたまま、門田は言った。坂はもうそこに見えている。もうすぐ減速、停止、そうしてさようなら。自分はかの通学路に、自分の退屈な日常に戻らねばならないのだ。静雄は少しだけ、回した腕に力を込めた。



 ガシャン。



 車輪が音を立て、静雄は思わず顔を上げた。振り返ればいつもの通学路が遠ざかる。門田はペダルを踏み直して、下り坂を加速して行った。



「門田?」
「悪い、静雄」






 昼の埋め合わせだと思って、今日は俺に付き合ってくれ。






 覗き込んだ門田の耳は赤くて、照れたように苦笑いをしている横顔には汗が光っている。門田が級友に奪われた互いの時間を補おうとしているなどとは露知らず、静雄は困惑の表情のまま目前で揺れるオールバックを見上げていた。



 風が強くなる。坂はまだまだ続いている。門田はいつもこんな風の中を走っているのか、と静雄は思う。俺の知らない、彼の日常の一部分。それだけで胸にこみ上げる何かが静雄を綻ばす。






「、あぁ」






 静雄は小さく返事をした。それから、坂だから、と言い訳のように呟いて、門田の背中に胸を合わせるようにしてしがみつく。触れた箇所から混じり合うような熱を感じながら、静雄はこの坂がどこまでも続くことを祈っていた。























(お前となら、どこまでだって行ける)




















日常を越えて





101117

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何もない道を二人乗りして走り抜けていくような青春が似合うドタシズ。ベースになるお話を書いたのが夏だったのでなんだか季節はずれなことに(苦笑)特にヤマもオチもないような平坦な日常のお話が好きなのです。










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