フラジオレット | ナノ





 たとえば殺意を込めず、今目の前でナイフを振るうこの男の腕を掴んだらどうなるのだろうか。道路標識を片手に、怒号を上げる自らの口とは真反対な冷めた思考で静雄は思った。たとえば、今自分は三十九度を超える熱があって、いつもより息も絶え絶えに鬼の形相でお前を追うのはそんな様子を悟られたくなかったからだ、と言えば、この男はどんな顔をするのだろう。くらり、ゆれる脳髄で思う。あぁ、そんなことできるはずなど無いのに、とも思う。指先が震える。

 静雄と臨也は自他共に認める犬猿の仲で、そこに滑り込むゆるい隙間があったとしても――たとえば気まぐれにキスをしてセックスをするような関係であったとしても――心の支えを求め合う関係には余程遠かった。間違っても好きだとか愛してるだとか寒疣もののセリフなど出て来やしない、奇妙に歪んだこの関係を、二人はもう六年も続けている。そんな相手に縋られ、助けてくれと乞われたら、この腹の底の読めない端正な顔はどう歪むのだろう。静雄は道路標識を投げ捨てた。

 きっとこいつは笑って見捨てるのだろう、自分はそんな程度でしかない。至った結論は普段通りで、溜息にも似た嘲笑が顔面に張り付く。余裕ぶって見せるものの、体調不良のせいで静雄の背中は不快なほどに汗に濡れていて、折れそうな足を堪え地面を踏みしめることだけでせいいっぱいだった。そんな様子すら悟られたくは無い、プライドか強がりか、ここまできては静雄も最早意地だった。こいつを殺せば終わる、この疲労も、胸の痛みも。それだけを信じ、静雄はまた一歩足を踏み込んだ。






 たとえばこのナイフを捨てて、押し迫る彼の身体を優しく抱きしめたとしたらどうなるのだろうか。ひらり、力なく投げつけられたゴミ箱を避けながら臨也は思った。珍しく目の前の化け物が体調を崩しているのは目に見えているし、それどころか妙なことを考えながらそれを必死で俺に悟られまいと邁進していることさえ知っている。ひやり、冷めた思考で思う。知っているからどうするというわけでもないのだ、と自分に言い聞かせるように思う。距離が縮まる。

 二人は傍から見るほど単純な関係ではない。たとえば先週の木曜日――池袋の自動喧嘩人形が街から消えた一日――を垣間見れば、それはどんなに頭の悪い人間でも一目瞭然だった。新宿の一角、臨也のマンションでおかしなくらい濃密な営みを、愛とはかけ離れたセックスを繰り広げていた二人は、きっとただの犬猿の仲という言葉では片付けられないのだろう。もしあの白いシーツの上で愛してるなどと囁いたものならば、彼はどんなに悲痛な視線を自分によこしただろうか。臨也は路地へと続く角を曲がった。

 それはきっと絶望で、きっと俺達はそんなもの一ミリも望んでいないのだ。目の前でいびつに表情を歪める男を見て、つられるように臨也は笑みを貼り付ける。意固地な彼は倒れるまで、いや、倒れてなおもその指で自分に縋ろうとはしない。馬鹿な彼はきっとその意味さえ知らない。伸ばされた腕ぐらいなら取ってやるのに、と臨也は迫り来る喧嘩人形を見ながら不愉快そうに顔を歪めた。












「馬鹿だねぇ、シズちゃんは」



 ようやく崩れ落ちた男に、臨也は心底呆れたというような声を出し溜息をついた。うつぶせに倒れた静雄の金髪に指を通し、くるくると指でそれを弄ぶ。乾いた吐息を漏らしながら、未だ地面にへばりついている指には触れない、触れられない。そんなことを考えているからいつまでもこの関係をやめられないのだ。そうして、馬鹿はお互い様だ、と薄暗い路地裏で臨也は一人苦笑するのだった。





















(愛しているからさよならしようなどと、言えるほど僕等は強く無いのです)



















きっとこの想いなどその背には重過ぎるのでしょう





100908

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し、シリアス難しい…!!シリアスになりきっているのかどうか分からない…どうしても最後に浮上させたくなる…><
二人とも好き合っているのです。でもそれを伝えてしまったらきっと壊れてしまうであろう関係が、自分が怖くて言い出せないというもだもだ。



>>瀬川さん
頼りたい…頼られたい…?なんだかリクエストの要素が薄くなってしまいましたすみません><臆病ともやもやだったはずが臆病同士の二人に…進展が遅そうな二人です(苦笑)遅くなってしまい申し訳ありませんでした><お持ち帰り自由ですので改行、レイアウト等お気になさらず煮るなり焼くなりお好きなように!
リクエストありがとうございました!








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