フラジオレット | ナノ




※トム→←シズ?

















「トムさん?」






 ガチャリ、扉を開ければだらしなくソファに寝そべる上司の姿が目に入った。コンビニの袋をぶら下げて帰ってきた静雄は、なるべく音を立てないようそっと近づく。袋を置いて顔を覗きこむと、トムは規則正しい寝息を立ててまぶたを閉じていた。眼鏡をかけていない彼はなんだか新鮮で思わず見入ってしまう。



「…トムさん、」



 試しに、名前を呼んでみる。ごくごく小さな声で呟かれた彼の名前は狭い事務所に反響してすぐに消えた。硬く閉じられたまぶたはぴくりとも動かない。


 まつげ、長ぇんだな。


 コレがチャンスとばかりに、静雄はまじまじとトムの顔を観察し始めた。硬く閉じられたまぶたに沿うまつげは案外長い。整った眉にいつも寄せられているしわが緩んでいる。薄く開いた唇が赤い。



 くちびる、が。



 そろり、静雄は手を伸ばす。寝息が指先にかかるたびに鼓動が早まったが、それでも静雄の指は一直線に伸びていく。
 ひたり、人差し指が、唇に触れた。下唇をなぞって、それから上唇をなぞる。無意識のように二、三度往復してから、静雄は急に手を引っ込めた。



 今なら。



 静雄は一人喉を鳴らして、ソファの背もたれに両手をついて身を乗り出した。背もたれを乗り越えて、徐々に静雄の頭部が高度を下げる。ゆっくり、ゆっくり、静雄には永遠にも思える時間が流れていく。いや、実のところ、静雄には時間の感覚を気にしている余裕などなかった。静雄はふと、まぶたの向こう側にある眼球に見つめられているような錯覚に陥る。あぁ、鼓動がうるさい。



 ちゅ、短い音を立てて唇が離れた。トムの右まぶたの上に落とされたそれは猛スピードで距離を開けていく。いつ、彼が目を覚ますかわからないのだ。起き上がった静雄は、真っ赤な顔をトムに見られたらマズイ、と瞬間的に思い、逃げるような早足で事務所から飛び出して行ってしまったのだった。













「…何期待してんだ、俺」



 扉の閉まる余韻が消えた頃、ソファの上で頭を抱えるドレッドヘアーの男がいたことを、彼は知らない。






















(はやくきづいて)



















今はまだ、憧憬のキス。





100609

……………………
トムシズ未満なもやもや話。
トムさんが寝てる、どうしよう、今がチャンスだちゅーしちゃえ!みたいな乙女な静雄さんが書きたかったんですが、やっぱり勇気が出なくてまぶたの上に。
有名すぎるあの詩を参考に^^










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