フラジオレット | ナノ




※正臣がダラーズに入ってる
※なんか暗い




















 走る、走る。俺は池袋の街を駆け抜けていた。



 それは偶然だった。休日で学校もなく、田舎から出てきた幼馴染とも新たなお気に入りである巨乳の眼鏡っ子とも何の約束もない、いわゆる、オフ。暇を持て余した俺は、昔なじみに誘われて入ったダラーズの掲示板を何気なしに眺めていた。ダラーズにはハッキリとしたリーダーがいない分内部で様々なコミュニティが好き勝手に出来ているらしく、ダラーズのサイトから枝分かれするように多くの別サイトがリンクされている。俺は掲示板で興味を引かれた話題のコミュニティに適当に登録して、他人の愚痴やら噂話やらを眺めて暇を潰していた。
 その中に、ふと、よく知った名前を見かけたのだ。
 その掲示板では数人のビジターが少々過激な発言をしていた。壁に落書きしただの、あいつを殴りたいだの、好きなあの子をストーカーしてるだの、そういった類の。しかし、それもよくあることといつもなら軽く流すところだった。が、携帯のディスプレイを通して俺の目に飛び込んできた名前がそれを許さなかった。



『池袋最強のバーテンさん確保ー』
『今からちょっとお友達とご挨拶に行ってきまぁす』
『平和島静雄のことボコりたいやつは西口の立体駐車場まで☆』



 平和島静雄。

 俺をベッドから跳ね起こし、ろくに上着も羽織らないまま靴を引っ掛けて玄関を飛び出すには、その五文字だけで十分だった。






 走る、走る。赤信号も飛び出して、道行く車にクラクションを鳴らされ続けてもお構いなしに俺は走った。横断歩道で、踏み切りで、とにかく何がきっかけだろうと、一度この足を止めてしまったらもう二度と走り出せないような気がして。やけに冷静な自分の頭が敵が大人数であるだろうという事と、それが愉快犯という性質の悪いタイプの人間であろう事を繰り返し考えては、俺の足を止めようと警告を鳴らす。



 あぁ、俺はまだ、弱いままだ。



 沙樹のときに誓ったのに、杏里のときに振り払ったはずだったのに、いつまでたっても俺の足は震え続ける。大事な人を守ろうとすると、いつだって竦んでしまう。選択を間違える。



(今だってそうだ、静雄さんなら、あの人は強いんだからって、俺は理由をつけて、)



 静雄さんは俺なんかよりずっと喧嘩が強い。もちろん彼の化け物じみた膂力にかなう人間なんてそうそういるものではないのだが、それでも、俺は静雄さんを、いとしいあの人を守りたいと思ったはずだった。あの日想いを告げて、何度も、何度も諦めずに想いを告げて、ようやく俺が思い描いていたような関係になれて。あの照れくさそうな笑顔を見たとき、俺は思ったはずだったのに。

 もしかしたら、彼はそこにはいないのかもしれない。あんな書き込みは嘘っぱちで、今頃静雄さんは取立ての仕事の最中なんじゃないか。目指す立体駐車場が見え始めてから、また弱い心が顔を出す。



 行っても無駄だ、いないかもしれない、静雄さんなら大丈夫、お前に何ができる。



(ちくしょうちくしょうちくしょう!)



 ひるむ両足に鞭打ってひたすらに走る。頼む俺の足、もつれないでくれ、どうか、あのいとしい人の顔を一目見るまでは、どうか、止まらないでくれ。場内に反響する自分の足音が恐怖をあおるようにも、心強いようにも感じられて俺はまた混乱する。静雄さん、静雄さん、静雄さん、お願いだから、無事で、い、て、



「静雄さん!」



 走って走って、たどり着いた四階にようやく金髪のバーテン服を見つけた。周りにはすでに動かなくなったいくつもの人影が転がっており、半分壁にめり込んでいるヤツらがいることから静雄さんの仕業だと瞬時に理解する。俺は情けなくもそれにほっとしつつ、少し向こう側に立っている静雄さんの背中に声をかけた。ゆっくりと、彼が振り向く。



 俺は、目を見開いた。






「まさ、おみ」





 俺は駆け出していた。何十分も全力で走り続けた両足はもうとっくにその限界値を超えていたはずなのに、それでも弾かれたように俺はまた走り出していた。駆け寄った勢いそのままにいまだ立ち尽くす彼の首に飛びつくと、足りない身長を必死でごまかしながら(実際ごまかせるわけもないので、結局は静雄さんが屈む形になっているのだが、)俺は静雄さんの顔面を自分の肩口に押し付けた。


 あぁ、発育途中のこの身体が憎い。こうして抱きしめることでさえ、彼の手を煩わせなければならないなんて。



「まさ、」
「大丈夫っす、大丈夫ですから」



 普段めったに呼ばない俺の名前を呼ぶ声を、俺はたまらず遮った。そうでもしないと、俺が泣き出しそうだった。






 そのくせ、あぁ、そのくせ彼はこんなにもひどい顔をして、まだ泣いてもいなかっただなんて。






 おびえたような瞳と、目が合った。振り返った彼の顔は蒼白で、眉根は寄せられ、薄く開いた唇が俺の名前を呼んでいた。俺は、あんな悲しい表情を形容する言葉を知らない。


 いったい彼に何があったのだろう。一体全体、どうして彼はあんな顔をしていたのだろう。手酷い事をされたのだろうか、それともまたも振るってしまった暴力を後悔しているのだろうか。想像しても答えは出なくて、俺はただ精一杯眉間に力を入れて涙をこらえた。お互い肩口にうずめている表情はわからない。ただどうしようもなく悲しくて、俺は彼の瞳をまっすぐ見つめられる自信がなかった。

 しばらくして、「正臣、」と自分の耳元で名前を呼ぶ声が聞こえた。びくり、仕様もなく肩が震えた。



「なん、すか」
「ありがとな」



 ぽん、と背中に添えられた手が数回上下する。俺はまたたまらなくなって、勢いよく自分の身体を引き剥がすと、貪るように彼に口づけた。意識の飛んだ他人が横たわる真ん中でなんてムードも何もあったもんじゃなかったが、それでも角度を変えて、何度も、何度も、息が詰まるくらい、彼にキスをした。



「ふ、」



 理性を全部奪われるような静雄さんの鼻にかかった甘ったるい声が聞こえたころ、俺はようやくその唇を開放した。それから、両手のひらで彼のほほをつかんだまま、ためらいなくまっすぐに彼の瞳を見つめる。

 もう、迷いたく、ない。






「好きです、静雄さん」






 滲む視界を必死に凝らしながら、俺はその一言を告げるのが精一杯だった。






















(だから、だから、どうかおれのまえではないてください)






















追いつけないのは 
貴方の悲しみ






100615

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普段の軽いノリの正臣も好きなんですけど、なんだか妙に人間くさい弱さが目立つ正臣も好きです。
正臣は静雄さんの過去とか悲しみとか、知らないから怖くて、それでも好きだから守りたいのに弱い自分が不甲斐なくて静雄さんを抱きしめたいんだと思います。この静雄さんはたぶん暴力に疲れて、でも止められない自分がどうしようもなくて悲しかったんだと。自分で書いて自分がわからない!(笑)

アニメも小説も正臣ががんばってるので思わずフィーバーした産物ですすみませんすみません。









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