フラジオレット | ナノ






 静かな朝日が差し込む寝室で、男は目を覚ました。
 ゆっくりと覚醒していく脳と共に、薄く開かれるまぶた。



 すん、



 ひとつ、小さく鼻を鳴らす。パチリ、まぶたが開いた。
 男がおもむろに起き上がると、ベッドのスプリングが音を立てた。薄いシーツと白い肌の衣擦れの音と、重力にしたがって男の黒髪が流れる音も続けて聞こえる。
 男は首を回して、人一人分空いた自分の隣を確認する。



 すん、



 男はもう一度鼻を鳴らして、どこからともなく漂う料理油の匂いに引き寄せられるかのように寝室を後にした。







「シズちゃん」
「起きたか、臨也」



 台所に立つ彼に声をかけ、折原臨也は薄く微笑んだ。カウンターに寄りかかり、忙しなく動く背中を見つめる。そんな彼に振り向くことなく返事をした金髪の男――平和島静雄は香ばしい匂いのするフライパンを抱えていた。油が跳ねるリズミカルな音に連なり、彼の腕が揺れる。その横では小さめの鍋がコトコトと音を立てながら煙を燻らせている。
 臨也はカウンターを離れ、忙しそうな金髪の横から彼の手元を覗き込んだ。見ればフライパンの方は一区切りついたようで、今は鍋の味噌汁を気にしている。



「味見してくれ」
「ん」



 小皿に少しだけ汁を乗せて、肩越しに臨也の口元へと運ぶ。身を乗り出して皿の淵に唇を寄せると、臨也が思った通りのタイミングで白い小皿が傾けられた。



「ん、おいしいよ」
「そっか」



 よかった、と小さくこぼして、静雄はコンロの火を止めた。軽く手を伸ばして、用意しておいたプレートにフライパンの中身を移していく。卵焼きとソーセージ、それからいくつかの野菜とつけあわせを彩りよく盛り付けると、静雄は満足そうにその口元をほころばせた。



「じゃあ、飯にすっか」






 静雄は脇においてあったおたまと鍋ふたを取り上げて、振り返った。そして、振り返ると同時に、取り落とした。カラン。






「どうしたの、シズちゃん?」
「……臨也」



 首をかしげて詰め寄る臨也に、静雄は赤面する。






「お前………………

服、着ろ」






 あ、と声を漏らして下を見る臨也とは対照的に、静雄は左手で両目を覆って天井を見上げていた。









「別に初めて見るわけじゃないんだから、照れなくてもいいのに」
「うるせぇ黙って食え」
「じゃあシズちゃんは俺のソーセージでも食べる?」
「不能になりたいのか」
「やだなぁ、こっちのソーセージだよ。シズちゃんのエッチ」
「…………」



 臨也の耳に念仏、無神論者のこの男には何を言っても無駄だと悟った静雄は、にやにやしながらプレートの上のソーセージをつつく臨也に対して溜息をついた。先ほど全裸でキッチンに現れた臨也にとりあえず服を着てくるように命令してから、二人は朝食を共にするためテーブルについていた。朝っぱらからアレなもんを見てしまった、と青い顔で俯きながら静雄は付け合せのミニトマトを口に運ぶ。噛み砕けば口内で汁を飛ばすその感覚に思わず昨夜の臨也の触感を重ねてしまって、苦い顔のまま味噌汁をかき込んだ。そんなこともお見通しだとでも言わんばかりに向かい合ったテーブルの下で足を絡めてくるこの男が憎い。



「足癖の悪ぃヤツだな、おとなしく食えねぇのか」
「いやいや、せっかくシズちゃんと一緒に朝ごはんが食べられるんだからさ、ほら、恋人っぽい無邪気な悪戯もしてみたいじゃない?」
「意味不明ださっさと食って洗っちまえノミ蟲」
「ツレないなぁ」



 そうは言いつつも右手の箸は止めていない。一口ごとにおいしい、と感想をこぼす臨也に旧友の闇医者を思い出して、静雄は改めて首のない奇特な友人の気苦労を思い知る。コレと似たようなヤツと二十年も一緒に暮らしているだなんて、ひと月で既に音を上げそうになっている自分には想像を絶する忍耐力だと思った。

 そうか、もう一ヶ月なのか。
 食事を終え、空になった食器をキッチンへと運びながら静雄はふとそんなことを思った。



「早ぇな」
「何が?」



 ガチャリ、シンクに積み重ねた食器が置かれる音がして、追いかけるように静雄の後ろで食器を抱えた臨也の声がした。いつもの黒いコートに身を包んでいる彼は、何が楽しいのかにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべている。それを見て、あー、と一度口ごもりながら、静雄は先ほど思ったことを口にした。



「いや、もう一ヶ月たつなって思ってよ」
「一緒に暮らし始めて?」
「あぁ」
「そうだねぇ」



 あの日は大変だったねぇ、などとのんきな口調で話す臨也に、静雄は一ヶ月前のあの日のことを思い出す。確かにあの日あの時あの瞬間までは、世界で一番嫌いな宿敵と寝食を共にするなんて思いもしなかった。当時の静雄は、臨也と自分が仲睦まじく食事を共にする様子を想像するだけで吐き気がしたのにもかかわらず、何故か言いくるめられてそれが今では当たり前の風景となっている。不思議と、嫌ではないのだ。
 そんな思想をめぐらせていた静雄は、にやり、と不適に笑う臨也の魂胆に気付けなかったのだ。



「じゃあさ、」
「な、んぅっ」



 振り返った後頭部を掴まれ、無理矢理に合わせられた唇から舌を絡め取られる。距離を取ろうにも一歩後ろに伸ばした左足は鈍い音を立てて流し台に激突した。



「んんっ、ふ、」



 ガチャ、と身体を支えようとした両腕が誤ってシンクの食器類に突っ込む。隙間なくふさがれた口からはまともな声を発することができない。鼻にかかったような甘いうめきを漏らして、真っ赤な顔をした静雄が呼吸困難に陥る予感に冷や汗を流し始めた頃、臨也はようやくその唇を開放した。
 はぁ、と、静雄の肺は彼の意思とは無関係に急激に酸素を求める。そんな静雄を眺めてから、自身の唇を一舐めし、臨也は満足そうに笑った。



「一ヶ月記念に、これから毎日"いってらっしゃい"と"おかえり"のキスをしようよ」
「っ、はぁ?」
「じゃ、行ってきまーす!」
「あ、おい、臨也!!」



 言うだけ言って、静雄の呼びかけも無視し、テーブルの脇にあった携帯電話と財布を掴んで臨也は一目散にドアの方向へと走っていってしまった。未だ先ほどのキスの余韻で腰が抜けてしまっている静雄は、立ち上がることも出来ないまま慌しく玄関の扉が閉まる音を聞いていた。
 やがて、俯いていた彼がわなわなと震え始める。先刻よりいっそう頬を赤く染めた静雄は、キッチンに座り込んだまま叫んだのだった。






「…て、手前の皿洗ってけ―――っ!!!!」









 ガシャン、シンクの中の食器が音を立てて、割れた。



























きみと朝ごはん。





100528

……………………
始まってしまいました臨静同居ネタ(笑)
やちさんにネタ提供されて早一ヵ月半、ようやく書き上げた一話がこれですかそうですか。恐ろしいシズデレ率です。そもそも一緒にご飯食べてるあたりシズデレ全開ですよね^^
しかしシズちゃんは料理上手いんだろうか←…ば、バーテンやってたくらいだから、キッチンとかもやったことあるよね…?


お次はやちさんのターン!










- ナノ -