フラジオレット | ナノ



※原作一巻、六巻のネタバレ




















 酷く、劣等感に苛まれる。彼と共にいるということは、そういうことだった。


 しかし、少年、竜ヶ峰帝人が平和島静雄に抱く劣等感は、俗世間で呼ばれるそれとは多少の誤差があった。帝人は劣等感を感じることによって自分を卑下したりはしない。自分が平和島静雄より劣っているという事実、彼の中でそれはどうしても埋められない距離であり、帝人はこの劣等感が諦めにも似た感覚だということを自覚していた。むしろ、その劣等感は彼に大いなる愉悦をもたらした。彼、平和島静雄という"怪物"がこの日常に存在するという事実は、少しも帝人を落胆させなかったのだ。



「静雄さん」



 現在、公園のベンチで自身の隣に腰掛けている"池袋最強"の名前を呼ぶ。見た目はなんら人間のそれと変わらない彼は、口にした煙草を手に持ち替えると、何だ、と極小さな声で返事をした。



「静雄さんは、どうしてダラーズに入ったんですか?」



 それはただの興味だった。平凡な自分と非凡な彼とを繋ぐ唯一の媒体。脱退した理由には直面していたが、静雄がどうしてダラーズへと加入することになったのか、帝人はその理由は知らなかった。知らないから、知りたかった。そう、それはただの興味だったのだ。
 彼は深く息を吸い込み、一瞬だけ考えるような間を取って、吐き出した。



「他に無かったから」
「え?」
「いやほら、俺こんなんだから、」



 他に、人と繋がる方法が無かったんだ。少し、照れくさそうに彼は言った。その事実に、帝人は少なからずの戦慄を覚えていた。



 あぁそうか。
 この"非日常"は誰よりも"日常"を渇望している。
 僕が"非日常を"求めるのと、ちょうど同じ具合に。



 ぞくり、アドレナリンが全身を駆け巡るような感覚がした。帝人は自覚していた、帝人の知る彼の新たな事実に、自分がどうしようもなく"興奮"していることを。



「…そんなに面白かったか?」
「え、」



 隠し切れない素直な感情が帝人の表情には表れていた。思わずにやついていた自分の両頬をぴしゃりと打擲し、眉間にしわを寄せてあまり機嫌が良いとは言えない雰囲気をまとい始めている静雄に向き直る。さぁ、なんと言い訳をしよう。帝人は嘘が苦手だった。



「いや、なんか、かわいいなぁと思って」
「は?」



 しどろもどろになりながらようやくつむいだ言葉は、静雄を驚愕させた。緩んだ指先から吸いかけの煙草が零れ落ちる。引きつった右頬からサングラスがずり落ちる。静雄は目に見えてうろたえていたが、帝人はそんな彼をよそに、自らの脳内に浮かんだひとつの名案に顔を綻ばせていた。



「静雄さん」
「な、んだ」
「僕とメアド交換しませんか?」
「は?」



 セカンドインパクト宜しく、動転しているところにさらに混乱の種が投げ込まれて、静雄の脳はキャパシティーオーバー寸前だった。現に、リピート再生のようなイントネーションで、静雄は先ほどと同じセリフを吐いている。やっぱり静雄さんはかわいい、そう思いながら帝人は携帯を取り出した。



「静雄さんは人との繋がりがほしい、って言いましたよね。だから、もし、静雄さんが相手を選ばないというのなら…僕が、なります」



 ぎゅ、と音がしそうなほどに携帯を握り締めて、帝人は伏目がちに告げる。






「僕では、役不足ですか?」






 僕では、僕みたいな平凡な人間では、静雄さんの求める"繋がり"には届かないんでしょうか。
 悲しげな色を露わにした瞳で、帝人は見上げた。



 しばらく何も言わずにただ帝人を見つめていた静雄だったが、ふぅ、とひとつ溜息を吐くと、自分の右後ろポケットからオレンジ色の携帯を取り出した。カチャリ、ずれたサングラスを外して胸ポケットにしまう。茶褐色の澄んだ瞳は、照れくさそうに微笑んだ。




「そんなことねぇ。・・・よろしくな」






 帝人はオレンジ色の輝きを瞳に映して、同じように微笑み返したのだった。














 静雄と別れて、帝人は駅のコンコースを歩いていた。平日の夕方、帰省ラッシュには少し早い駅構内。それでも都会の駅は賑やかなもので、携帯片手にでは少し危うい。危なげながらも人波を避けつつ、帝人は感情の読めない表情で画面を見つめていた。
 先ほど登録した"平和島静雄"という名前。赤外線で送られたその情報は初期状態に近く、名前と振り仮名以外は特に加筆された形跡は見られなかった。



「静雄さんらしいなぁ」



 と、帝人は一人苦笑し、クリアキーを押してアドレス帳の一覧に戻る。それから、ひとつ上に登録されていた"平和島静雄"という名前の上でセンターキーを押した。

 開かれた詳細画面には、"平和島静雄"の情報が所狭しと記載されていた。メールアドレス、電話番号はもちろん、住所、自宅の電話番号、誕生日、血液型。初めから用意されていた項目は全て埋められており、その上メモには家族構成、学歴、仕事場、身長体重髪型好物嫌いな物人瞳の色まで。恐ろしいまでに事細かに記された情報は、間違いなくあの"平和島静雄"のものだった。
 帝人は親指を滑らせメニューを開くと、削除ボタンを押した。"一件削除しますか?"という再確認画面で、ためらい無く"はい"を選択する。"削除しました"と画面に表示されたのを見ると、帝人は携帯をポケットにしまいこんだ。



「やっと、手に入れた」



 ゆるく口角を上げ、帝人はその目を細める。とても満足そうな表情の奥は、期待に満ち溢れていた。



 消してしまったデータはまた埋めればいい。
 今度は、静雄さん本人から聞いたもので。
 全て埋め直すまで、彼の傍にいよう。
 寂しい、寂しい、"非日常"の傍らに、僕が。



 何十回、何百回、何千回、数え切れないほど見直した彼のデータは、既に帝人の脳内に焼き付けられていた。故に、あのデータを見直したとしても、新たに得られる情報など存在しない。だから、消した。それを埋め直す行為は、帝人にとって"証"に近かった。確かにつながっているという、証。



 にっこりと笑う、彼の表情は無邪気そのものだった。






「新しい発見があるといいな」






 "池袋の自動喧嘩人形"はまだ知らない。
 その足元に見えない"糸"が絡みついたことを。































(もう、放さない)
























マリオネット





100516

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初の病帝人→静雄。

個人的に、帝静は臨静とはまた別の病み方をしてると思います。たとえば臨也が静雄につなぐ「糸」は操るためのものですが、帝人が静雄につなぐ「糸」は彼を手繰り寄せるためのもの、のような。あ、でも病んでない帝静も好きです、二人とも大変かわいらしくて^^










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