フラジオレット | ナノ




「ほんと、すんませんでした」
「いいっていいって」



 ひらひらと彼が手を振るたびに俺が巻いたへたくそな包帯の先が揺れて、そいつがいっそう俺の胸を締め付けた。









 きっかけは三時間前。いつものように集金回りに行っていた数軒の内の一軒で、ドアを開けるなり消火器片手に襲い掛かってくるという非常識極まりない男がいた。礼儀正しくチャイムを押して、ノックをしながら名前を名乗っていたトムさんは当然ながらドアのまん前にいて、それはもちろん出てきた男のまん前でもあった。五回目のノックが空振って拍子抜けしていたトムさんは、少しだけ反応が遅れたのだ。



「トムさん!」



 俺はトムさんの手を取って自分の後ろへと引っ張り込むと、男の振り下ろした消火器を額で受け止めた。じん、と一瞬だけ痛みが走ったが、なんてことない。金属が床に転がる鈍い音がした頃には、男はベランダの向こう側だった。

 ここまではよかった。トムさんが消火器で殴られることもなかったし、男にはきちんと制裁が加えられた。



「いてて、」



 この言葉を聞くまでは。



 俺はトムさんが頭から血を流して座り込んでいる様子を想像してしまって、バッ、と音がするくらいの勢いで振り向いた。幸か不幸か、そこには一見いつも通りの、でも何故か眉間にしわを寄せたトムさんが立っていた。



「トムさん、大丈夫ですか、どっか怪我したんすか」
「・・・いやな、静雄。非っ常に言いにくいんだが、」



 手。

 指差された先に視線を落とすと、彼の右手首を握り締めている白い手のひらがあった。もちろんそいつは俺の左手で、俺ははじかれたようにその手を放す。開放されたトムさんの手首には、くっきりと自分大の指の跡が痣になって残っていた。









 はぁ、事務所のソファの脇に座り込んで、俺は溜息をついた。
 あの後、あまりにパニクった俺は真っ青になって、(ついでに言うと少しだけ泣きそうになって、)慌てて薬局に駆け込みすごい勢いで薬と包帯を要求したら泣きそうな顔をしたバイト店員に強盗と間違えられた。騒がしい警報ベルが鳴る店内にトムさんが走ってきてぶち割った自動ドアと壊れたレジカウンターの弁償をしてくれなかったら、俺はきっと狭い取調室でカツ丼のお世話になっていたんだろう。結局、今日は二度もトムさんに迷惑をかけてしまったのだ。はぁぁ、溜息。



「溜息ばっかついてると、幸せが逃げるって言うべ?」
「…いいんすよ、俺なんて」



 俺なんて、幸せになんなくて、いいんす。



 俺はいつだって力の使い方を間違える。疎まれて、蔑まれて、馬鹿みたいに怪物じみた力だからこそ、トムさんの役に立てると思った。トムさんを守れると思った。そしてそんな俺を優しいトムさんは傍においてくれた。の、に。
 また、傷付けてしまった。
 あぁ、俺はこの人には触れちゃいけないんだ。どうせ傷付けるんなら、最初から諦めた方がいい。守ろうなんて、おこがましかったんだ。



「んなこと言うなって」



 ふわり、頭上に優しい手のひらが添えられる。






「静雄の幸せそうな顔見んのが俺の幸せなんだからさ」






 俺まで不幸にしないでくれよ、な?と小首をかしげる彼はかっこいいやらかわいいやらで、あぁもう、とてもずるいと思った。



 そんなの、俺がトムさんを不幸に出来るわけないじゃないか。あぁでもだめだだめだ、決心しただろ、俺はこの人に、触れ、ちゃ、






 ちゅ。額に降るリップノイズ。
 見上げれば満足そうに微笑む彼の顔。






「ほら、静雄」






 前言撤回、今すぐあなたに抱きつきたいです、いいですか?
 へし折らないよう、努力はしますから。
























(いたいいたい、静雄、)
(トムさんがかっこいいのがいけないんすよ)
(なんじゃそりゃ!)
























幸せに沈む






100506

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自己嫌悪後デレデレ静雄。トムさんはそんな静雄のこともわかってるからあんなセリフが吐けるんですねトムさんホントかっこいい。

実は薬局の件から作ったというのは内緒です(笑)










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