フラジオレット | ナノ




「やぁシズちゃん」
「何で手前がここにいる」



 ひょい、と覗いた臨也の頭を押さえつけて、静雄はドスの聞いた声を絞り出す。

 桜も咲いた、蝶も飛んでいた、なのに夜となれば白い吐息が闇に映える春先、ベランダで煙草をふかしていた静雄は突然の訪問者にただただ呆れるしかなかった。
 先程述べたように、ここは静雄のアパートのベランダだ。そして、彼のアパートは平屋一階建てというわけでは決して無い。"二階に設置されたそこ"に、柵の向こうから顔を覗かせて現れたのは、紛れも無い、折原臨也その人物だった。

 ギリギリと音を立てて硬直状態。池袋最強とも歌われる静雄相手に無謀とも思える臨也の挑戦だったが、珍しくも先に折れたのは静雄の方だった。額に当てられていた手のひらが離れる。



「ふぅ、死ぬかと思った」
「落ちて死ね」
「ひどいなぁ」



 いつだって本気120%な静雄の暴言に、言葉では言いつつもさして傷ついた素振りも見せず、よいしょ、と臨也は掛け声つきでベランダの柵を乗り越えてきた。それを怪訝そうな顔で見ながら、静雄は紫煙を吐き出す作業に戻る。静雄がその手を放した理由は、あの無意味な押し合いのせいで、手に持っていた煙草が次第に灰を落として燃え尽きていくのを、視界の端で確認したからだった。
 断りもせず、当然のように静雄の隣に肩を並べて、臨也は宙を仰ぐ。



「シズちゃんさ、今日、何の日か知ってる?」
「ノミ蟲が俺のベランダに不法侵入した日だな」
「やだなぁ」



 違うって、ニコニコと笑いながら言う臨也の顔は否定しているようには見えない。というのも、不法侵入を企んでいたのは事実だったので、それは言葉だけで、彼には本気で否定する気など無かったのだろう。
 臨也は目を細めて、ベランダの柵にもたれかかった。



「ブルームーンだよ」
「・・・月が青いのか?」
「安直だなぁ」



 静雄の問いにそんな感想を漏らして、臨也はクスクスと笑いながら肩を震わせた。その光景にむっとしたが、今は煙草が静雄の怒りを押さえつけている。
 臨也は夜空を見上げながら饒舌に説明を始めた。



「ブルームーンっていうのは、一月に二回満月が見られるその二回目のことを言うんだ。その月の満月の日に、月を見ながら願い事をすると、叶うんだってさ。で、今日がその二回目の満月の日。これを逃したら次は三年後だか五年後だかになるらしいよ」



 ぺらぺらと滑るように喋る臨也を横目に、静雄は、ふぅん、とごく単純な感想を返した。それに不満を表すでもなく、彼は喋り続ける。



「俺の願い事はね、『次のブルームーンもシズちゃんと一緒に見れますように』、だよ」



 照れる素振りも無く、臨也は静雄を見つめてにっこりと微笑んだ。
 空を見上げてしばらく、その沈黙の後、静雄は煙を吐き出しながら呟く。



「・・・曇ってるけどな、」
「まぁ、俺は無神論者だから、叶えてくれる神様お月様なんていなくていいんだけど」



 本末転倒な意見を述べて、さらに、じゃあどうして、と問う静雄の声を遮り、臨也はただの決意とも取れる言葉を紡いだ。





「神様なんかに叶えてもらわなくたって、自力でシズちゃんに会いに来るからね」





 三年後だって五年後だって、俺は君の傍にいるよ。
 そんなことを口にした。





 すぅ、と細長い紫煙が宙に現れ、すぐに拡散して消え去った。見上げる当人の顔は揺れる金髪に隠れていて、どんな表情なのかは伺えない。

 ふいに、ガッ、と音がする勢いで臨也は後頭部を掴まれた。そのまま前のめりに押し出され、傾く体を押さえるために臨也はベランダの柵にしがみつく。



「えっ、わ」
「帰れ」
「ちょ、シズちゃん俺落ちる!」
「落ちて死ね」



 本日二度目の冷めた物言いに、大胆ロマンチック発言も効果ナシか、と落胆のため息を吐きながら、臨也は軽い身のこなしでベランダから飛び降りた。二メートルと少し下のやわらかい芝生に難なく着地して、臨也は明かりの灯る二階を見上げる。



「じゃあね、シズちゃん」



 整った顔はいつもの作り笑いを浮かべて、次はどうしようか、と小さく独り言ちてからゆっくりと歩き去っていった。


 その背中を見送って一人、静雄は煙草をひねりつぶした。ずるり、閉じた窓ガラスに背中を預け、そのまま滑り落ちる。もう煙草は吸っていないのに、大きく息を吐いた。それから、かじかんだ両手でその口元を覆う。







「・・・バッカじゃねぇの」












 零れてしまいそうになった願い事は悪態にすりかえて、静雄は曇り空の奥に光る満月を仰ぎ見た。


























(いえない、いわない、)
(押しこめたねがいは、)





















What'd you wish for?





100331

……………………
memoでも呟いたブルームーンネタ。ブルームーンについての解説は間違ってたらすみません・・・私解釈ということでひとつ・・・。静雄さんの自宅は捏造です(笑)ツンツンしてても心の中では乙女なこと思ってたらいいなぁ、と。









- ナノ -