俺の兄貴は特別だった。
他人から見ても、俺から見ても、平和島静雄という存在は特別なものだった。
兄貴は人より少しばかり、力が強い。そして、少しだけ短気だ。俺は自動販売機が宙を舞う光景や、道路脇の標識が引き抜かれるのを当たり前のように見ていたが、それは兄貴以外には到底できやしないことだと知っていた。だからこそ、他人にとって兄貴は特別だった。
俺の"特別"は、少し違う。
「…兄貴?」
我が儘で仕事を早めに切り上げて久しぶりに兄貴のアパートに立ち寄ると、彼は既に心地よい寝息を立てていた。時刻が午前0時に近いこともあって、あえてチャイムは鳴らさずに合い鍵で入ったことが好を為した。ありがたいことに兄貴には会えたのだが、話をしたくとも、暮らし柄少ないであろう彼の安らかな時間を妨害するのは、何に代えても避けたいことであった。
なるべく音を立てないようにそっと近付いて、ベッドの側に腰を下ろす。瞼が閉じられたその顔は、弟の自分から見ても幾分か幼く見える。指先で金色のその髪を梳くと、湿った感触が伝わった。
「…また、髪乾かさないで寝てる」
風邪引くよって言ってるのに。
なかなか言うことを聞いてくれない兄貴に苦笑しながら、窓から差し込むネオンに照らされたその白い頬へと手を進める。兄弟だと言うのにあまり似ていると賞されたことのないその整った顔は、確かに自分にはない美しさを秘めていた。
「、ん…」
赤い唇に触れると、彼は少し身じろぎをした。しまった、と思って手を引こうとしたら、シーツの下から延びていた兄貴の右腕に引き止められていた。起きたの?と問えども返事はない。どうやら寝ぼけているようだ。振り払う理由もないので握り返すと、か細い声がした。
「もっ…と…」
思えば、俺はもっと早くにこの耳を塞いでしまえば良かったのだ。
「い…ざや、」
俺は顔色ひとつ変えなかった。
…否、"変えられなかった"。
するり、ともう一度兄貴の頬をなぞる。薄明かりの下の頬はほんのり赤くて、その口元が嬉しそうに少しだけゆるんだのを見て、俺は居たたまれなくなってしまったのだ。
「兄、貴」
そのまま、彼の唇に口付ける。ちゅ、と軽く吸えば、俺の手を握る指先がぴくりと震えるのが、どうしようもなく嬉しかった。途端。
どくり
腹の奥底で、何かが大きく脈打つ音が聞こえた。
俺は兄貴の家を飛び出していた。彼が起きるかもしれない、なんてことは厭わずに、ただ勢いのまま、乱暴に扉を閉めた。階段を下りて、道路に飛び出して、もつれる足で、ひたすら走る。
背筋が凍りついたような気がした。
あの感覚は、俺が生涯、彼に感じるはずのないそれだった。感じるべきではないそれだった。
明日、どんな顔をして会えばいい。
そればかりが恐怖となって俺の中に渦巻いていたのに、ポーカーフェイスに慣れてしまったこの顔は、遂に崩れることはなかった。その事実が酷くこの胸を締め付けて、それが実兄を思う痛みよりずっと楽だった事は覚えている。
それが、俺がこの世の誰よりも、"折原臨也"を嫌悪した瞬間だった。
(あの人に、心の一番きれいな部分を汚されてしまった気がした)
(だから、俺はあの人が嫌いだ)
プラトニック・ラブだと
思っていた
(、のに)
100320
……………………
臨静前提幽→静どろどろ片思い。
純粋に兄を尊敬して、ただ好きなだけだと思ってたら…うん。
やっぱり本能には勝てませんでした、と。
うちの幽くんは臨也を毛嫌いしてますね…。
お題:「確かに恋だった」