フラジオレット | ナノ


 春だった。
 草木も萌ゆる、暖かい日差しに包まれた、"いかにも"な春の陽気であった。

 臨也は公園のベンチに座りながら、真新しい花壇に植えられた草花を眺めていた。黄と薄紅色のマーガレットの上で飛び回る蝶達がやけに呑気そうだった。一見微笑ましいその光景も、求愛活動の一種だと知ってしまえば反吐が出る以外の感情は起き上がらなかった。ちらりと60階通りの方を見やって、臨也は確信にも似た予感をこぼす。

 そろそろ、かな。

 直後、臨也の足元を転がる、否、超スピードで滑り抜けていくゴミ箱。コンビニの入り口でよく見かける金属製のそれは、側面をしたたかに地面に打ち付け、見るも無惨な凹凸を浮かべていた。ゴミ箱の飛んできた方向を見れば、そこにはやっぱり彼がいた。



「やぁ、シズちゃん」
「殺す」



 にこやかに話しかければそう一喝される。言葉を交わす気など毛頭ない、とでも言わんばかりに。
 そんな静雄に臨也はため息を吐いて、木製のベンチから立ち上がる。立ち上がらなければ静雄の放った第二投がクリーンヒットしていたからだ。金属に比べればずいぶんと柔らかいそのベンチにはハッキリとえぐれた跡が残っている。ゴミ箱はベンチの上を滑って噴水の傍らにでも落ちたようだった。臨也は静雄に向き直って、極力呆れたような声を出す。



「シズちゃんってば、挨拶の仕方も知らないの?あぁでもしょうがないか、シズちゃん友達少ないし」



 5メートル程離れたところで、静雄がその口元を引き攣らせるのがよく見えた。血管を浮かべながら、彼は笑っている。これだからやめられない。
 静雄は細く長い息を吐き出して、それから臨也を睨みつけた。



「…ベラベラ喋りやがって、うるせぇんだよ手前はァァ!!」



 いつの間にか引っこ抜かれていた公園の立て看板が、静雄の手中で一回転する。それを右手に助走をつけると、静雄はそのままの勢いで看板もろとも臨也に突進した。残り2メートルの距離で臨也はサバイバルナイフを取り出し、自分の頭を低くする。すぐに静雄の右腕が頭上を通過した。容易に懐に入り込んだ臨也がそのナイフを横一線に振ると、間合いを取ろうとした静雄が後ろに傾く。間髪入れずに左足での足払い。後ろの方で"花壇に入らない"と書かれた看板が地面に玉砕するのと、体勢を崩した静雄が花弁を散らしてまだ新しい腐葉土の上に倒れ込むのはほぼ同時だった。



「ッ、」
「あーあ」



 哀れ静雄に潰され舞い上がる花びらを見て、反撃される恐れのない距離を取った臨也はさも残念そうに声を上げた。別に臨也自身にとって何が残念だったというわけではない、ただそうする事が今の静雄を煽るのには最適だと思ったからだ。
 ゆらり、ゆっくりとした動きで静雄は立ち上がる。その視線は相変わらず臨也を真っ直ぐに射抜いていた。

 …ツマラナイな、俺が欲しいのはそんな瞳じゃないのに。

 不満そうに眺める臨也に、もう一度静雄が拳を振り上げようとした。その時だった。


 ちくり。左腕に違和感。
 思わず静雄が動きを止めた、瞬間。




「ッあ!!」




 全身に激痛が走った。顔からは血の気が引いていき、唇はカタカタと震え出す。熱い何かが脈打って、上手く立つことが出来ない。息も荒く、胸のあたりを押さえながら、ついには膝から崩れ落ちた。
 ドシャリ、地面に倒れて静雄が目にしたのは、歪な形で自身の左手首に突き刺さる小さな針だった。 ようやく事態が"異常"であることを悟ったのか、臨也が不審気な声で尋ねる。



「シズちゃん?」



 しかし静雄は呻くばかりで、噛みしめた唇は鬱血しているはずなのにチアノーゼさえ伺える。次に青ざめたのは臨也の方だった。



「シズちゃん!!」



 駆け寄ってその頭を膝の上に抱えると、静雄は素人目に見てもハッキリとわかるぐらい、尋常ではない程白い顔をしていた。自分でもなぜだかわからないけど目が泳いで、上手く焦点が定まらない。臨也は必死で自分のポケットを弄っていた。唯一縋れる相手が、そこにいるはずだった。
 震える右手でダイヤルを押すと、三回目のコールで焦れったくなった。空いている左腕で静雄を担ぎ上げる。身長はあるくせに細身で、平均から見たら幾分か軽い彼の体型が今はありがたい。それでも自分より体躯の良い男を持ち上げているのだから、左半身がひどく軋むのが感じられた。そのまま歩き出そうとしたところで、ようやく相手は受話器を取った。



『はい、もしもし――』
「新羅、新羅!」



 どうしてこんなにも狼狽して、声が震えるのかはわからない。わからないまま、臨也はただただ旧友の名を呼んでいた。


















「即時型過敏症だよ」
「即時、型…?」
「アナフィラキシーショックとも言うね」



 アナフィラキシーショック。あまり馴染みのないその単語を、新羅はバカ丁寧に臨也に説明していた。



「アナフィラキシーショックって言うのはね、まぁ、簡単に言えば一種のアレルギー反応みたいなもので、入ってきた物質に対して抗原体が過剰に反応し、結果特有の病的なショック症状を引き起こすんだ。ちなみに、今回静雄くんを襲ったのはコイツ」



 そう言うと、新羅は銀のトレーを取り出して臨也に見せた。覗き込めば、そこには小さな針がひとつ。怪訝そうに顔を歪めて、臨也は推測を口にした。



「蜂…?」
「あたり」



 どうやら静雄くんは前にも刺された事があるみたいだね、そう言って新羅はゴミ箱の上でトレーの中身をひっくり返した。かさり、と極々小さな音を立てる。そのまま臨也は視線を流して、今は落ち着いてゆっくりと寝息を立てる静雄を見やる。新羅も椅子を回して、臨也の視線を追う。
 ふぅ、と安堵のようなため息を吐いて、新羅は「でも良かったよ、」と続ける。




「臨也が静雄くんを運んできてくれたおかげで、早いうちに処置できた。

じゃなきゃ、死んでた」



 死んでた、と聞いて、心臓が余分な脈を打つのがわかった。その癖頭はやけに冷静で、今思えば、何で自分は彼を助けたんだろうか、という疑問ばかりが渦巻いていた。ほっとけば野垂れ死んだのに。まるで、俺が望んだように。
 ぐるぐるとして、無表情のまま静雄を見つめていた。すると、くすり、と隣から笑い声が聞こえた。



「何」
「いや、臨也ってさ、」




言うほど静雄くんのこと嫌いじゃないんだね。








 意味が分からなかったから、とりあえず新羅の前髪をナイフで切り落として、臨也は未だ安らかに寝息を立てる金髪に目を落とすことにした。















(嫌いだよ、大嫌い)
(だって)
(俺の前から勝手に消えようとするなんて、)
























緩効性君アレルギー



100305

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後半静雄が空気過ぎる件。
なんとかして静雄を弱らせたいやしろぎです。←







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