フラジオレット | ナノ


「シーズちゃん!」
「っ、いーざーやぁぁぁァァ!!」
「わ、正解」




 よくわかったね、そう言って臨也は静雄の一発をひらりとかわした。


 路上で煙草を吹かしながら平和なひと時を過ごしている静雄を見つけて、いつもならば起こるはずのない妙な悪戯心が臨也に芽生えた。それは珍しく自分が先に彼を見つけたせいでもあるのだろう。
 仕事柄、気配を消すだの忍び足で歩くだの、そういった類の所業が臨也は得意であった。するり、と無防備な彼の背後に回りこんで、目隠しをした。自分の両手で。もちろん反撃が来ることなんてわかっていたからすぐに間合いを取った。それは長年、犬猿の仲として殺し合いをしてきた相手だからこそ感じ取れる、一種のシックスセンスのようなものだった。
 クスクスとこらえることのない笑い声が響いて、臨也は静雄を挑発しにかかった。



「悔しい?簡単に後ろ取られて」
「…殺す!!」



 静雄の額にはハッキリと青筋が浮かび上がっており、その口元はやはりハッキリと不快を示して歪に曲がる。彼の整った白い顔が歪むのを、臨也は毎度楽しげに眺めていた。
 たまんないね、と静雄に聞こえぬよう小さく呟いて、臨也は馴染みのサバイバルナイフをコートのポケットから取り出した。パチリ、パチリ、と数回その刃を弄んで、しっかりとその切っ先を静雄に向ける。ナイフが光るその向こうで、静雄は青いポリバケツを担ぎ上げていた。と、次の瞬間には青いバケツがその内部のゴミをぶちまけながらこちらに迫ってくる。それを冷静な目で追いながら臨也は容易にかわす。その光景を見て、静雄の血管はますますその輪郭を明確にした。



「避けんじゃねェ臨也ぁぁァ!!」
「ねぇシズちゃん」
「あ゛ぁ?」
「何でさっき、俺はシズちゃんを殺さなかったんだと思う?」



 臨也の言葉が耳に入り、また得意の謎かけか?と一瞬だけ静雄の脳内には疑問が生じる。だがそれもすぐにどうでも良くなったのか、静雄は次なる犠牲者のポリバケツを左手で引き寄せていた。それはさっきのものより存外軽くて、投げた途端勢い余って臨也の頭上を飛び越えて行ってしまった。
 臨也は読めない笑みを浮かべていた。そして沈黙を貫いている。まるで無回答を許さないかのように。



「…知るか、手前はいつだって理解不能だろ」
「そう?じゃあ教えてあげようか」



 静雄は舌打ちする。なんとなく、なんとなくだが臨也の言うその答えが、頭の後ろ辺りをよぎった気がして。ムナクソ悪ィ、静雄はそう思って、きっと自分では見つけることのできないその「よぎったもの」の確かな輪郭を待っていた。
 不本意だった、すごく。それはね、と呟かれた言葉の続きを、ただ何も言わずに待っている自分が。



「思い知らせてあげたんだ、シズちゃんは無防備すぎるって」
「は?」
「ただの情報屋の俺にさえ簡単に背後を取られる。これじゃあ、」




 襲って下さい、って言ってるのと同じだよ?




 ただの、と言う部分に嘯くような響きを感じながら、静雄はその真意を汲み取ろうとしていた。そして、結果誤認した。



 …確かに、この池袋には俺を殴りてぇと思ってるやつなんてたいそういるだろうがそんな事、この目の前にいるノミ蟲に心配される筋合いもねぇ事だ。



 静雄は壁を走るむき出しのままの排気ダクトを両手で掴み、引き抜いた。それから吐き捨てる。



「手前には関係ねぇだろ」
「大有りだよ!」



 茶化すように、でもどこか驚いたように臨也は声を上げる。まったく鈍いんだから、とか何とか臨也が呟いているのが聞こえたが、いずれも静雄の頭上から疑問符を取り除くことはなかった。



「言ったよね、俺はシズちゃんが大嫌いだって」


 その言葉を聞いて、しばらく収まっていた静雄の殺気がまた濃いものへと変わる。その雰囲気であからさまに怒気を発しながら、静雄は両手に抱えた排気ダクトを振りかぶるため、大きく息を吸った。


 しかし、次に目を見開いた一瞬、臨也はその視界に存在しなかった。振りかぶった勢いでその身体が少し後ろに傾くのを感じて初めて、その感覚に拍車をかけているのがいつの間にか自分の懐へと潜り込んだ臨也のせいだということに気づいた。少し胸を押されて、あごを引かれる。




 そのまま、触れるだけのキス。


 リップノイズは一瞬にして雑音に掻き消えた。





「でも、シズちゃんの貞操は俺だけのものだから」






 きちんと守っておいてよ。



 そう言い残して、臨也は静雄の脇を滑り抜ける。放心している静雄はそのままにして。






 路地の角を曲がってからはそれなりに走った。いつ我を取り戻した静雄が追いかけてくるのか、臨也にはまるでわからなかったからだ。

 いつもの60階通りを抜けて、振り向いたけれどいつまでたっても彼が自分を殺しにやってくる気配は感じられなかった。逆に拍子抜けして、臨也は小さくため息を吐く。ふと、触れた唇には未だ彼の感触がまざまざと残っていることに気づいた。そんな女々しい余韻に浸ろうとしている自分に苦笑して、臨也は街に消え入るような小さな声を洩らす。






「…気づいたかな、シズちゃん」















(曲がり角で見えた耳まで真っ赤な君に、俺はどこまで自惚れていいんだろうか)













無防備な君に恋をする。




100305

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初めて書いた臨静文。
げろ甘くするつもりが冒頭から喧嘩してました。あれ?


お題:確かに恋だった






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