フラジオレット | ナノ





※しずおとめ
























 抜かった。俺としたことが、なんてこった。俺はカレンダーの前で愕然とした。



 その日はまったくと言っていいほどブルーだった。カレンダーで事の次第を確認してからと言うもの、座り込んだフローリングから立ち上がるのも億劫で、いやでもと壁にかけられた時計を横目で見て仕事があるのだと膝に力を入れ普段の倍ほどの時間をかけて身支度をし、財布と携帯だけを引っつかんでなんとかアパートの扉を閉めた。薄いカラーグラスの向こうの世界は心情相俟っていっそう陰鬱としている。他人に何度かぶつかったかもしれない。過程はともかくとして、どうにか事務所にはたどり着いていたようだ。肩を落とした俺を同僚達が見ているのが分かったが、さすがに話しかける勇気を持ち合わせたものはいないらしい。



「よぉ静雄」



 彼、以外は。



「……ぅっす、」
「ん?なんだ、お前腹でも痛いのか?」
「いや…大丈夫、ッス」
「そうか?まー、無理すんなよ」



 そう言って、トムさんは笑いながらわしゃわしゃと俺の頭を撫でた。それだけで胸を押しつぶされそうになるっていうのに、あぁ、俺は俺が不甲斐ない。本当にごめんなさい、トムさん。

 それからというもの、俺の頭は自責の重石に押しつぶされたかのようにひどく緩慢だった。チャイムを押せば壁を貫通させ、返済を迫ればコートハンガーに話しかけ、挙句の果てには階段で躓いて大事なバーテン服を派手に汚してしまった。もう俺はトムさんのみならず幽にも顔向けできない。ネガティブな思考がマイナスな出来事を引き寄せるとはよく言ったものだ。俺の気分がどん底まで沈みこむのはあまりに簡単なことだった。



「静雄、お前ホント大丈夫か?」



 ハチャメチャな俺の気分を引きずりながらもなんとか今日の仕事を終えて、俺とトムさんは事務所の更衣室で帰り支度をしていた。階段で転んでしまった俺はベストを脱いで気休め程度に手ではたいて汚れを落とす。埃や土はあらかた取れたが、クリーニングに出さなければならないだろうと思うと普段から心細い懐がいっそう悲しく泣いた。トムさんはコートを着ながら俺のほうを振り返って言った。



「朝からやけにテンション低かったべ?」
「あぁ…あの、そのですね」
「んー?」
「あの…今日、29日じゃないっすか」
「え?あぁ、」
「その…四日前、ですけど」



 めりー、くりすます。



 蚊の鳴くような声で言って、俺は俯いた。


 そう、クリスマス。十二月当初から街中が浮かれまくってイルミネーションとやらできらびやかに飾られていたのは、全てこの日のためだったのだ。正直毎年俺には全くと言っていいほど関係の無いイベントだったのだが、つい先日、街で偶然あのノミ蟲野郎に出くわした時に言われたのだ。



「シズちゃんってばクリスマスまで暴力的に過ごすつもりー?まぁ恋人もいない君には関係ないだろうけどさ、こんなロマンチックな日ぐらいもっと愛に生きてみたら?」



 俺みたいにさ!と言ってヤツはジャケットをひるがえしたので俺はすかさずゴミ箱をお見舞いした。残念なことに俺の第一投はあっさりとよけられてしまったわけだが、ノミ蟲は驚異的な逃げ足で俺の視界から消えていったからよしとした。

 しかし、ヤツの言葉は妙に俺の頭に残ったのだ。体質のせいか外見のせいか、俺は恋人らしい恋人がいたことがない。当然愛だの恋だのを真剣に考えるようになったのも、トムさんと、その、そういう関係になってからだ。つまり、一般的に恋人が何をなすべきなのか、恋人とはどうあるべきなのかを、俺はまったくもって知らなかった。あれか?こういうイベントって大事なものなのか?っつーか大事にして当然なのか?俺は三日三晩ぐるぐると考えた。誰かに教えを請うわけにもいかなかった、なんとなく。悪戦苦闘して、俺が搾り出した決意は「とにかくメリークリスマスだけでもトムさんに言おう」というなんともハードルの低いものだった。低いものだったのに。



「…すんません、俺、クリスマスとか、その、恋人、とか、いたことなかったんで」



 クリスマスすらまともに祝えない恋人で、ホント不甲斐ないっす。

 そう呟いてトムさんの顔を盗み見ると、彼はひどく驚いた顔をしていた。あぁきっと呆れているんだ、こんなダメな恋人に。今更過ぎましたほんと、すみません。
そんなことを思っていたら。



「ふ、」
「?」
「っはははは!!」
「…え?」



 トムさんは笑い出したのだ。高らかに、腹を抱えて。ひいひい言いながら笑っているトムさんを呆然と見つめていると、ふいに目が合った。



「いや、悪い、静雄がそんなことで悩んでたなんて思わなくてだな」



 トムさんは手を伸ばして、くしゃりと俺の金髪を混ぜた。にこにこと上機嫌そうなトムさんに予想外の反応を返された俺は頭が追いつかなくて口が開いてしまう。そんな俺にトムさんはもう一度笑いかけ、俺の手を取って歩き出した。ガチャリと事務所の扉を開けながら、相変わらず時々含み笑いのようなものをして、トムさんは声を上げる。



「そっかそっか、じゃあ今からクリスマスやんべ」
「え、でも、もう29日じゃ、」
「バッカ、静雄」



 こいういうのはなー、トムさんは本当に楽しそうに口を開く。






「日付云々より、好きなヤツと一緒にすごすって事の方が重要なんだべ」






 あぁもう、ほんとうにこの人は。



「俺んちより静雄の家の方が近いから、今日はそっちでクリスマスパーティだな」



 相変わらず楽しげな口調で人ごみを縫っていくトムさんは相変わらず俺の手を握ったままで、後ろをついていく俺はしどろもどろに返事をしていた。気づいてトムさん、俺、耳まで真赤なんですけど。でもその真実を告げたらこの手を放されてしまいそうで、俺は口をきゅっと結んで駆け足で彼の後を追うことに専念することにした。























「帰りにコンビニ寄って酒とか買ってくかー」
「トムさん」
「ん?どした?」
「あの、言いにくいんすけど」
「なんだ?静雄は気にしぃだな」
「鍵、なくしたっす」
「…………」
「…………」
「……俺んち行くか」
「……っす」





















イルミネーションより鮮やかに





101229

……………………

季節モノは大概スルーします、やしろぎです。
ハロウィンも誕生日もスルーしたのでせめてクリスマスぐらいは…!と思っていたらやっぱり遅刻しました。恋愛に不器用なしずおとめがだいすきです。










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