家庭教師がついて1ヶ月。徐々に先生にも慣れてきたところだ。私は急いでお勉強をする必要はないため(完璧なバイオロイド開発に時間がかかるため)頻度は週に2、3回くらい。塾に行ったらほぼ毎日らしい。恐ろしいね。


「だからここは〜というわけだ。わかったか?」
『……。あんまり』
「お前は頭が悪い」


うるせー。これでも成績は悪くなかったよ。でもそうやって生きていた時の知識があんまり役に立たない。暗記に関しては覚える時間があるから大丈夫なんだけど、やっぱ、頭使うやつ無理だ。数学的な奴とか。医工騎士向いてないんじゃないかなあこれ。
もう一回説明する。そう言いながらネイガウス先生は教科書を1ページ前へ戻した。こうやって自分のペースで勉強できる分には、いいっちゃいいのかな。


『あ、そこ。ここってつまりどういう?』
「……。あ、ああ、そこは…」


あ、やってしまった。少しずらされた教科書。
先生は左目をサタンのせいで失ってしまったらしい。まだ片目だけの生活になれていないらしく、こういうことはたまにある。私が指した場所は見えにくいところだったんだろう。
先生の教え方はわりと、うん、上手な方だと思う。でも内容が内容だから頭に入らないんだよな。
あー、と濁点のつきそうな声で唸れば少し休憩するかと先生は立ち上がった。願ってもねえ。私は小さく返事をすると机に頭をこつりとぶつけた。


「飲むか?」
『いただきます』


理屈はよくわからないけど、実は幽霊でも食事はできる。でもお腹は空かない。食べなくても生きてはいける。でも食事はできる。本当不思議だ。
この4年間こうやって誰かがコーヒーを淹れてくれるなんてことはなかったんだけど、この人は途中からきた人だからか、こうしてお茶やコーヒーなんかを出してくれる。初めて出されたときはすごくビックリした。こんなこと初めてだと伝えたら先生もすごくビックリしていた。


『はー、おいし』
「いい豆らしいからな」
『バイオロイド完成したら憑依状態でご飯食べれるんですかね』
「……さあな」


食べたいなあ…ぼそりと呟くと先生がなにやら顔をしかめた。あ、いや、お耳汚しでしたか。こんな霊のぼやきなんて聞きたくないですか。
す、すみません。反射的に謝ると「何故謝る」と真顔で返答されてしまいもう何も言えなくなった。


「依代が完成したら、一番先に何をやりたい」
『え?』
「言ってみろ」


い、いきなりだなこの人は。そう問われるといまいち具体的なことは考えてなかったな。何を、と言われても…。
そもそもこの実験に参加したこと自体に明確な理由がないんだ。まだ生きていられる。そんな口説き文句にまんまと釣られたようなもんだし。
うん、まあ、そうか。生きていられるから。やりたいことはたくさんある。やり残したこともたくさんある。だから、それか。


『普通の女の子に戻りたいです』
「普通?」
『私にとってはこの生活が普通になってしまったけど、生前の休日のような時間を、過ごしたい』


おしゃれをして、メイクをして、自分を必死に可愛く仕立てあげて、可愛い靴を履いて、携帯を片手に買い物をして、おしゃれなカフェでコーヒーを飲んで、友だちと電話をしたり、遊んだり、そんなことが、したい。私はまだそんなことを、やっていたかった。だから、フェレスさんと握手を交わしたのだ。


『でも…、きっとしないんだろうなあ』
「1日だけ自由をやると言われたら?」
『正直、先のことはよく分からなくて…。でもきっといつも通りボーッと過ごすんだと思います』
「なんでだ」
『それが、私の普通だから』


それに、きっと私はこの先もずっと、こうだから、そんなに簡単に私の望みが実現されたらきっと私、満足して成仏しちゃう。
冗談まじりに、笑いながらそう言った。でもきっとそうだ。私の望む普通が実現するときは、きっと私か終わるとき。フェレスさんの手を取った時点で後には退けないことくらい、さすがにもう気がついている。
どんなに可愛く着飾っても、買い物をしても、コーヒーを飲んでも、私が人間じゃない事実は変わらない。


『生きてないと、意味ないですもんね』


この先は長いのだし、そんなことを一番先にやっても意味がない。
とりあえず、私が祓魔師として使えるかどうかを試してもらうことにしますね。そのためには、さ、もう休憩は終わりにして、勉強をすることにします。
ゴクリとコーヒーを飲み干してカップを机の端に寄せる。先生がさっきの会話を振り返してこないことに少し安心しながら、私はまた勉強に集中し始めた。

空になったコーヒーカップ。その中身は私のどこを通って、一体どこに行っているのやら。


10.ホットコーヒーの行方



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -