ワンドロ

歩幅

第22回お題
『虫の知らせ』
『喪失』
『歩幅』
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 洗面所の音が消えた。
 何気ない風を装ってスマホの画面に目を落とす。ピックアップニュースの見出しを見るともなく眺めていると、顔のすぐそばに気配を感じる。

 近い。
 顔が、とんでもなく、近い。

「あだっ」

 一緒になって覗き込んできたスマホの画面を顔にぶつけてやると、ベッドに上半身を投げ出して男が悶絶した。さっき履き替えていたスラックスの尻を突き出して。薄手の生地は尻の形がよく見える。

「酷い」
「どこが」
「顔が痛いー」
「皮脂拭いとけよ」

 壁に掛けたジャケットを手に取ると、ベッドにスマホを落とす。顔洗ったばっかだし汚くないよーとかなんとか、ぶつくさ言いながらも袖で画面を拭う男を横目で見ながらダークグレーの戦闘服にするりと袖を通した。

「はー。相変わらず松浦くんはイケメンだねえ」

 ほーっとわざとらしくため息をついてみせる男からスマホを受け取る。割と好評な虫以下を見る目で見上げるが、少しも気にした様子もなくヘラヘラされて、目を逸らした。

「三輪くんこそよくおモテになるじゃないですか」

 何故だろう。いつもは泊まりに来てもバラバラに会社に向かうのに、今日は連れ立って玄関を出てしまった。部屋の鍵をかけて、エレベーターに乗り込む。

「もてませーん」
「はっ、言ってろ」
「ああーん、もう、その笑い方が堪らんのよね」

 身長が伸び悩んだ俺に対して、男は頭半分大きい。モデル体型と言うのだろうか。ムカつく事に腰の位置が全然違う。連れ立って歩くと以前は早足になっていたのに、最近は自分のペースで歩いている。
 女でもないのに、歩調を合わせられた。
 それに気づいた時にはカッと顔が赤らんだ。歩幅の差が恥ずかしくて、並ぶ肩に年甲斐もなく胸が高鳴って。
 人と並んで歩くことを、こんなに意識したことはなかった。歩くだけで楽しい、とか、思うなんて。ああ。とても苛立たしい。

「滅べ」
「えっ。いきなり!?」

 エントランスを抜けて、朝日に目を細める男を盗み見る。なんだってこうして自然に隣に並んでいるのか。
 人と親しくするのが苦手だ。自分がつまらないやつだって事は自分が一番知っている。外見につられて寄ってきた人間に失望されるのは懲り懲りだった筈だ。なのになんでこんな事になっているのか。

「……」

 男のケツのポケットから着信音が流れる。朝の爽やかな空気が台無しだ。

「電話」
「あーそうねー」
「煩いから取るか切るかしろや」
「はーい」

 スマホを耳に当てた男から半歩下がって、広い背中を見つめる。ストライプのシャツは趣味がイイが、変なシワがよっているのがいただけない。見れば見るほど蹴りを入れたくなる背中だ。

「はい。……あー。はい。わかりました」

 どこか硬い声。普段俺といる時とは違う声音。傍にいるのは俺なのに、誰か他の人間に向けた言葉。

「すぐに伺います」
「……」
「っあーー。松浦くん、悪い」
「何が」

 ぽんぽんと肩を叩かれてその手を払う。ヘラッと笑った男がその手の甲で俺の頬をひと撫でして逃げていった。

「呼び出しだわー。先に行くね」
「ああ」
「気をつけてねー」
「何を」

 寮から会社まで歩きで十分程度の距離。何を言ってるのかと訝しげに見上げれば、ヘラリと笑う。

「早く行けば」
「うん。じゃ、また今夜」
「来るなよ」

 あははと笑いながら走っていく背中を追いかけて、足を運ぶ。先程まで左にあった圧迫感が消えた。三百六十度が周囲にさらされている。心許なさ。ぽっかりと、何か足りないような……。

 ──何を馬鹿なことを。

 大の大人が、こんな明るい時間帯に往来で不安を覚える、とか、ありえない。
 馬鹿なことを……。


 さあ。今日も仕事だ。
 アスファルトを革靴で叩けば、カツリと心地よい音が鳴った。


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