text | ナノ


 真白くひかるつめたい朝に、おなじ色をした華奢な両手が、僕の目蓋をこじ開ける。「シンジくん起きて、いい朝だよ」。彼は毎朝このことばで僕を起こす。祈るように。「今日はすこし、特別な朝になるかもしれない」


「あのさ、カヲルくん」
「うん?」
「そろそろいいんじゃない、かな」
 道路にはみ出した雪をスコップに乗せては、薄暗い自転車置き場の隅によせる。そんな作業を、かれこれ一時間はつづけていた。彼があまりにもうれしそうな表情でべたつく雪を片付けていくものだから、僕は声をかける契機をすっかり見失っていたのだ。
「ああ、ごめん。つい夢中になってしまって」
「そうみたいだね」
「きみには無理をさせたようだ。そうだね、朝御飯にしよう」
 どろどろになった長靴が朝の日にまぶしい。カヲルくんはたまに、僕が所有するには勿体ないほどのかがやきをもって迫る。たとえば只の雪かきを特別だなんて形容する感覚や、負とも正ともつかない電流を帯びた目差。だから体よく他人を惹きつけるし、また、疎外されやすくもある。冬の終わりみたいな人間だと思う。春の始まりでは無く。


 せまい玄関を抜け、家主のごとく鎮座する石油ストーブを付ける。カヲルくんが近所のリサイクルショップで購入したものだ。燃費はあまりよくないのだけれど、僕も彼もこの古臭さが気に入っていた。「朝御飯くらい僕が作るのに」「いいんだ。シンジくんは坐っていて、」押し問答のすえ、僕は台所から隔離されることになった。彼なりに気を遣っているのだろうか。ストーブの上ではやかんがしゅんしゅんと鳴っている。流し台に立つ背中からは、水蒸気越しにでも危なっかしい手つきが窺えた。
 スクーターや革靴の行き交う音が聞こえだす。残念ながら、もうすぐ彼の云うところの「いつもの朝」が来る。


 手つきの覚束なさに反し、食事はなかなかのできばえだった。彼にはきっとセンスがあるのだ。明太子に高菜の和え物、鯵のひらき。汁物は味噌がきれていたために断念したと云う。
「今日は洋食じゃないんだね」
「だってシンジくん、今朝は和食の気分だったでしょう」
「どうして分かるの、」
「それはね。きっと……」
 明太子を御飯の上にのせながら、彼は考えこむような表情を見せた。
「きっと、僕が思春期だからだ」
「思春期、思春期って、あの?」
「そう。敏感な年頃さ」
 思春期とか敏感とか、食卓にはなかなか上がることのない単語に僕がひとりで慌てていると、カヲルくんがにこりとして席を立った。「きみだってそうだろう、」。そろそろ家を出る時間だ。僕もつられて立ち上がる。するとその拍子に蹴られた椅子が音をたてて倒れ、カヲルくんが彼にはめずらしく声を上げて笑った。愉快そうな笑い声が、末冬の日射しにゆらゆら融けていく。いやに思考のまとまらない、思春期の朝。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -