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クララと



ちっぽけな脳みそが作り出した身勝手な理想に甘えて、触れれば溶けてしまいそうなほどに脆くて優しい夢を見る。わたしは、恋がこんなにも痛々しいものだと知らなかった。理想と現実のギャップなんて陳腐な言葉に踊らされて過去に縋ったりするなんて、本当にみじめ。夜風に嬲られるわたしの貧相な体はふらふらと頼りなくなびくばかりで、暗い空に散らばる星にさえ押し潰されてしまいそう。辺りには凛と澄んだ空気が充満している。わたしたちが暮らす建物ばかりの狭い街で、この空き地(、という言い方は嫌いだけれど他に呼びようがない。)は唯一星がきれいに透き通って見える場所だった。あとはここに、彼がいてくれたら。
(なんて、ばかみたい)
窒息してしまいそうに近い距離でひしめき合う星たちを見上げる。彼らには隣に仲間がいる、きっと心強いことこの上ない筈。今わたしに寄り添ってくれるのは、生きてもいない物体。それはわたしが彼以外の生き物を隣に置くことを拒絶したからでもあるのだけれど寂しくないと言えば嘘になる。
だからわたしはある星を探していた。彼の代わりにわたしの側にいてくれるであろう星を。涼野風介の清らかで落ち着いた雰囲気は、ちょうどその天体のイメージと重なった。目を閉じれば瞼の裏にいつか彼がくれた本の表紙がくっきりと浮かぶ。「星と星座」と赤い字で書かれたぼろぼろの表紙。大切に扱っていたつもりだったのに何回も何回も読み返しているうちにすっかり汚れてしまった。その本の五十ニページ目を、慣れた手つきで見えない指が捲る。カノープス、と紙面に踊る大きな活字を、わたしは浮かれた頭でじっと覗いていた。今日この場所にその本を持ってこなかったのは、わたしが有するささやかな覚悟を乱されたくなかったから。ねえ風介、あなたはいつだってわたしの全てを奪っていってしまうものね。わたしの視線は今自らの殺風景な脳内にしか注がれていないけれど、こうしている間にも彼はその双眸でどんなに鮮やかな世界を見ているのだろう。
「…地平線近く、2度に見える」
脳細胞に叩き込まれた文章を声帯で確かめる。彼はもうわたしの手で触れられる場所にはいない。だけどカノープスならきっと地平線の先――この短い腕でも届く距離にあるだろうし、いつかわたしの元へ降りてきてくれる筈。かさぶたみたいに赤く腫れた想いを心から引き剥がすのだ、それくらいは許してほしい。そうなると、彼がくれた本はもう用無しかもしれなかった。わたしはやがて宙で光るあの子たちと同じになれるのだから。可哀想な女の子、ではなくなるのだから。たとえわたし自身にだって、もう二度と自分のことをみじめだなんて言わせたくはなかった。わたしはいつだって強くてしなやかな姿でありたい。
星の輝きは一層密度を増してもうそこまで迫って来ている。それらの中にカノープスがあればいい、そのくらい大きな星でないと胸にぽっかりと開いたこの穴は埋められやしないのだ。後は飲み込まれてしまったらそれでお終い。
「さよなら、風介」
視界がぼやける。きっと明日からは何もかもが新しくなる。


/カノープスと夜光少女

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