――どうして、事件とはこんなに簡単に起きてしまうのだろうか。


五郎左の言い付け通りに信長に付いてきたかさねであるが、今は思いっきり後悔していた。何がなんでも断るべきであった、と。





* 城内昼飯事情 2





最初はとても楽しかった。食い歩き、というのか色々な店で食べ物を買って片っ端から食べた。城で出されるものとはまた違った庶民的な美味しさが何とも言えない。
目立たないように、とこの時代の着物を拝借したお蔭か注目される事も無く過ごす事が出来(信長は時々人の視線を浴びていたが)、かさねは大満足と言えるほどに今日という日を満喫したのである。



そんな中、一つの定食屋に腰を下ろした時に問題は起こった。



信長は町に来るときいつもここを利用しているらしく、経営者の老夫婦と親しげにしていた。いつもの、で飯が出てくるのをかさねは初めて目にした。
「食べないのか?」
「あ、や、食べます食べます!」
食わないならよこせと言わんばかりの目が目の前の焼き魚定食に向けられ、かさねは慌てて箸を取った。目は口ほどにものを言うとはこのことである。
メニューがよく分からないため信長と同じものを、と頼んだ結果出されたのが焼き魚定食であった。焼き加減の素晴らしい魚をつつきながら、かさねは我等が城主をちらりと見た。
彼の格好がそうさせるのか、目に映る信長は城に居る信長とはまったくの別人に見えた。どこからどう見ても女に見えるという訳ではないのだが、そこはかとなく漂う色気にかさねは柄にもなくドキドキしていた。
何故か女物の筈の着物がいやと言うほど彼に似合っている。また、こうして向かい合って食事をする事が無かったためか気付かなかったが、信長はひどく上品に食事を進めるのだ。
いつもの尊大な、そしてだらしなくくつろぐ姿を見慣れているせいか、今日のこの姿が新鮮に見えた。食事時や戦時だけでなくいつもこうならなぁ、と思わずにはいられない。


「んだとォ!? 魚がなぁ、焦げてたんだよ! なんで焦げ魚に金払わにゃならねぇんだ!」
「そうはおっしゃいましても……」


そんな中、人相の悪い、がっしりとした体格の男が怒鳴りながら店員に詰め寄っているのが見えた。
目を瞠り、咄嗟に信長を振り返るが彼は何事もないかのように食事を続けていた。
今までくつろいでいた他の客は、この事態にそそくさと食事を終え、お金を置いて去っていく。皆、面倒事は御免なのだ。
かさねもそれに倣いたかったが、いかんせん主である信長が動じない。それに、彼女の中にある正義感がそれをさせようとしなかった。
どうしよう止めに入ろうか、とかさねが考えている一瞬のうちに、男は店内で一人だけ悠々と食事をしている信長に目を止めてしまった。
「おい女ァ」
黙々と食事を続ける信長に気付いてしまったらしく、人相の悪い男がこちらに近寄ってくる。
かさねは気が気で無かったが、信長は男に気付いているのかいないのか、やはり静かに、そしてそれはそれは美味しそうに食事を口に運んでいる。
「随分と余裕じゃねぇか。あぁ?」
……気付いていて無視しているのだろうか、これまた上品に湯飲みを傾けている。
全く反応しない女(というか信長)に遂に人相の悪い男はキレた。
「こんな時に暢気に飯食ってんじゃねぇぞ!」
だんっ!
男は力任せにテーブルを叩いた。叩いた場所が悪かったのだろう、テーブルは一旦宙を舞い、乗っていたものを振り落とした。
あぁ、焼き魚定食が、とかさねが惜しがるよりも何万倍もの絶望感が信長を襲った。
ひっくり返った食事を見つめ、信長は無表情そのままな固まった。ついでに言えばかさねも固まった。信長とは違う理由で。
「ほぉ? なかなか美人だな」
男は動きを止めた信長に気を良くしたようで、鼻歌を歌いながら信長を覗きこんで言った。
固まったまま視線がひっくり返った定食に釘付けになっている信長は自然と俯きがちになる。男はそれを怯えているとでも勘違いしているのだろう。

馬鹿だ。この男は、馬鹿だ。

かさねは正座したまま動けずにいた。
信長からどっと静かな殺気が漏れ出したからである。
まずい。これは本格的にまずい。
かさねの背筋に冷たい汗が流れた。
同時に、何故五郎佐が信長を一人で行かせなかったのかという真の理由に気付き、はっとする。
(これを止めろって言うんですか五郎左さんんん!?)
彼の爽やかな笑顔がかさねの脳裏を過った。
そうこうしている間に信長は絶望から復帰し、そしてそれは次第に怒りへと変貌を遂げていった。

「おれの食事を邪魔するとは……いい度胸だな」
「は」

視界に銀色が鋭く光った。それが何なのかを考えるより早く、かさねは懐に隠し持っていた護身用の小刀を咄嗟に取り出す。
キィンと金属がぶつかり合う音が店内に木霊する。店内は水を打ったように静かだ。
信長の刀を受け止めた衝撃がびりびりと腕、そして身体にまで伝わった。
信長は刀を携帯していなかったため、用いているのはかさねの愛用している刀である。目立たぬように、そして使用することのないようにと想いを込めて刀を収めていた紫の布がひらりと地に落ちた。
あの一瞬の間に布を取り去り鞘から刀を抜いたのだと改めて思い知らされる。身体が知らず震える。
恐怖に支配された訳ではない。かさねは胸の高鳴りを感じていた。

ああ、なんて強い。

「はや、く、逃げて下さい」
「……あ、あ」
男は信長のあまりの威圧感、そして垂れ流される殺気に尻餅をついて言葉をなくしている。かさねは行儀が悪いと思いながらも軽く舌打ちした。
「小娘、そこをどけ」
「ぐ……ッ」
ぐんっ、と更に力が込められる。本気ではないのだろう。しかし、かさねにとっては、恐らく半分の力も出していないだろう信長でさえ脅威でしかなかった。
「はやく! 死にたくないでしょう!」
「え、あ」
「――失せろ」
静かな声だ。とても理性的な。
「大人しく帰れば、今回は見逃してやる」
しかし信長の瞳は、鋭く、ぎらついた殺気を放ったままであった。
男が財布を店員へ押し付け逃げ帰るのを確認すると、信長は刀を鞘へ納めた。かさねはそこで漸く力を抜き、その場にへたりこんだ。
(こ、怖かった……!)
きっと五郎左ならば楽々とこの場を鎮めてしまうのだろう。しかし、自分ではまだ無理だ。

次からは、信長が外出する時には付いていかないようにしようと心に決めたかさねであった。





2009.10.22
2010.12.06 再up


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