カランカランと埃を被っていたドアチャイムが珍しく音を立てる。
「こんにちは」
「……またお前か」
その店の店主は、強面だと自覚している顔に笑顔の一つも浮かべず、入ってきた客を一目見ただけで拭いていたカップにまた視線を落とした。
「ここは国家公務員様が来るようなところじゃあないんだがね」
「まぁまぁ、そう言わず」
青年は店主の目の前の席に腰を下ろして大きな鞄を脇に置き、小さく肩を回した。仕事帰りにそのままここに来たらしい。
「どうですか、最近。お変わりありませんか?」
「そりゃあ、俺のこと言ってんのかい。この店のこと言ってんのかい」
「どっちもです」
にこにこと微笑んでいる青年に居心地の悪さを感じ、彼から視線を外した。少し下に目をやればいつもはそこに白い相棒がいるのだが、今日はいないようだった。この青年が一人でいるのは珍しい。いつもは彼の足下を、あの白い犬がちょろちょろしているというのに。
一応飲食店なのだが、それでもあの犬はどういう訳だか知能が高いらしく、吠えもせずに大人しくしている。最初はつまみ出してやろうかとも思ったが、大人しくしているのならまぁいいか、とあの犬に関してはそのままにしているのだった。折角この俺が認めてやっているのに何故一緒に来ない、と理由はよく分からないが腹が立った。
「……俺は、まぁ、知っての通り最近腰痛めたがな、お陰様で今は元気だ」
「あれ、何故ぼくが知っていたと?」
「じゃあ店の前に腰痛に効く薬置いてったの誰だ? 言っておくがバレバレだからな。ご丁寧に医者の証明書まで付けやがって。使うしかねえじゃねえか」
「……はは、お役に立てて光栄ですね」
バレちゃってたんですね、と青年は照れくさそうにしているが、こちらも何故だか照れくさい。こういった見返りを求めない好意には慣れていないのだ。
「店は見ての通りさ、最近はめっきり客も来なくなった。ここに来る物好きはお前くらいのもんだ」
「あはは、物好きですみませんね。ここの珈琲がこの辺りで一番美味しいと思うのは物好きなのですか?」
「あぁ、物好き以外の何者でもねえや」
この青年は何故だか強面の店主がやっているこんな寂れた喫茶店をいたく気に入っているようだった。
それは、男にしてみれば訳の分からない現象だった。実際、こんな店の近くには華やかで従業員もたくさんいるようなデカい店が軒を連ねているのだ。その店を素通りしてまで、こんな隅にある店に足を運ぶ意味が分からなかった。
BEEといえば国家公務員で、しかも目の前のこいつはこのユウサリ中央にあるハチノスのエースという実力者。つまりはエリートだ。年の割には落ち着きのあるその雰囲気と、端正な顔付きもあり、どう考えてももっと洒落た喫茶店か何かが似合うような青年なのだ。
ところがこの青年は時々ではあるがこの店に足を運び、そして珈琲をやたら嬉しそうな笑顔で飲んでいる。本当に、意味が分からない。
「いつものお願いします。あ……やっぱり、その……今日は、苦めでお願いできませんか」
「うちで出すもんの味は変えねえよ」
それは己のポリシーでもあった。俺の淹れる珈琲の味は変えない。たとえ、誰にも受け入れて貰えなかったとしてもだ。
きっぱりと言い切ったが、青年は困ったように笑っただけで、何も言わなかった。
「……だが、これは俺が個人的な客にプライベートに出すものだ。金はいらねぇ」
カチャ、と背年の目の前に白地に青色の模様が入ったカップを出した。
青年はまた何も言わずに、ぽかんとした顔で男を見上げた。その顔がいつもの大人びた表情とは真逆のもので、男は少し笑った。笑ったとはいっても、それは青年にも分からない程の微妙な笑みであったが。
「何かあったのかい」
「…………」
問いかければ、いつもは無駄口ばかり叩く口がきゅっと閉ざされてしまった。
こんなことは滅多に無い。何せ、この青年は男が「ちょっと静かにしてろ」と言っても聞かずに妹の自慢をしてくるような奴なのだ。黙れと言っても黙らなかった奴が、今はこちらが促しても何も喋らない。それに少しの苛立ちを感じ、男は舌打ちをして青年に背を向けた。
こちらは珈琲の味を変えてやったというのに何なのだこの青年は、と思わずにはいられない。男は長年使われていないカップ達に手を伸ばし、流しに置く。いつも使われないからといって、ずっと使われないとは限らない。珈琲が注がれることの無くなったカップ達を綺麗に洗うのが、男の唯一とも言える日課だった。カチャカチャと洗い物を始めると、背後から小さな声が聞こえてきた。
「最近、分からないんです」
「何が」
それに、男は洗い物を続けたまま答える。不思議と、先程まで感じていた苛立ちはどこかへ行ってしまっていた。
日課の洗い物を始めたからか? と男は少し首を捻った。その間にも、青年の声は止まない。
「……何が妹にとって幸せなのか、とか」
最後は消え入りそうな声で、彼は言った。
「妹は、アカツキに行かないでって、言うんです。でもアカツキに行けば今よりも、もっともっと稼げる。だから、そしたら妹の、シルベットの足もやっと治せるかもしれない。チャンスなんです。この機会を逃したらもう二度とアカツキになんて行けないでしょう。でも、シルベットが、泣く、から」
わからなくなった、と、青年自身も泣きそうな声で続ける。
男は「そうか、こいつは首都に行くのか」とぼんやり思った。それを聞いて何と思った訳でもない。こころはただ無心だ。それでも、何故だかこの青年にこんなに落ち込まれるのには腹が立った。本当に意味が、分からない。
「まぁ、俺には関係ないことだし、こちとらただのしがない喫茶店主だ、良いアドバイスをくれてやれる程経験をしてきた訳でもない。ましてや国家公務員様に何か偉そうなことを言えるような立場でもない」
ただの寂れた喫茶店の店主だからな、といつもの無表情で言い、洗い物を中断して青年の方を向いた。
やはり、泣きそうな顔をしている。涙の跡はなく、目元も乾いてはいるが、それでもやはりそれは泣きそうな顔だった。
「お前のやりたいようにやればいい」
何とも投げやりなアドバイスだとは思う。だが、他にどう言えばいいんだ、学の無い俺が言えるのはこんな事くらいだろう、と開き直ることにした。
先程青年にも告げた通り、自分は大層な経験をした訳でもない。経験豊かと言えるような人生は生憎、歩んでいない。だから、妹の傍に居てやれとも、首都に行けとも、明確なアドバイスは出来ない。というよりも、この青年も元からアドバイスなど望んではいないだろう。だったら、自分には彼の迷いを取り去ってやるくらいしかできない。
そんな考えが頭を過ぎり、何だか柄にもないな、とまた小さく笑った。
「妹の幸せ考えてる暇があるなら、お前が幸せになる方法でも考えな、馬鹿な国家公務員様」
悪態をついてからまた彼に背を向けて洗い物を再会した。いつもより多めに水を出したのは、何だか照れくさかったからだ。本当に、柄でもない。水の音が全てを流してくれるのを期待してしまう。
暫くして、背後から小さな笑い声が聞こえた。
迷いは断ち切れたのだろうか。そう聞くのも照れくさい。とにかく、もう喋らないことにしよう。男はそう固く決め、先程よりも大きな音を出してカップをガチャガチャと洗った。
その、ある種騒音とも言える音の合間に、青年の綺麗な声が聞こえた。

「ありがとうございました。……また、来ます」



そう言って笑った青年は、その後この店の扉を開くことはなくなった。











風の噂でこの街からいなくなっただとか、死んじまっただとか、リバースとかいう反政府組織に入っただとか色々な話を耳にした。実際はどうなっちまったのか全く分からない。とりわけ仲が良かった訳でもないし、俺が心配しようがしまいが何かが変わる訳でもない。だからお前がどうなろうが知ったこっちゃない。
ただ、生きているなら早く帰ってこい、と思う。お前がいなきゃこの店のドアチャイムはまた厚い埃を被ることになる。

「この店潰さねえって言ったのはお前だろ。……早くしなきゃ潰れちまうぞ?」

手の中の、あいつしか使わなかった白地に青い模様の入ったカップを綺麗に磨いた。




*******後書き***
アカツキに行く前、リバース入り前のゴーシュ。
第三者を出すのが好きな私。もはや誰も付いて来られない感じがします。ノンストップマイワールドといった感じですね。不器用な親父って大好きです。このおやっさんは何だかツンデレですが。
おやっさんはゴーシュの事を息子か孫を見るような気持ちで見ていてくれたらいいな、なんて思いながら書きました。

2010.11.29


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