「最速記録?」
「ああ、グレン・キース退治のな」
BEE採用試験の帰り道、ジギー・ペッパーは今回試験官を務めたBEEの男と共にユウサリへの道を歩いていた。
急に与えられた心弾銃に精霊琥珀。急に襲ってきた鎧虫。ここ数日、様々な事が立て続けに起こりジギーは流石に少し疲れを感じていた。自然に足取りも重くなり、遅くなる。そんな道中、数歩先を歩いていた男が腕組みをして「最速記録の保持者なんだが……」と、話を切り出してきたのだ。
「どんな奴なんですか、そいつ」
「俺もよくは知らねぇ。でも一日もかからなかったって聞いたな」
「あいつを、一日もかからずに……」
ジギーはその圧倒的な日数に眉を顰めた。
心弾銃の扱いは難しい。何も考えずにただ引き金を引いただけでは心弾はおろか、何も出すことはできないのだ。
ジギーはその心弾銃の扱いを心得るのに一日、鎧虫の弱点である隙間を見つけるのに一日、そしてそこに心弾を打ち込むのに一日を要した。同時期に試験を受けていた他の受験者は相棒が逃げ出してしまい何もできなくなったり、心弾銃の扱い方が分からずに逃げ出したりと散々な様子だったので、自分はそこそこデキる方なのだと思っていたのだが……。
「おーおーそんな怖い顔すんなよ。お前も十分優秀だぞ?」
「でも、上には上がいる。そんなことでは十分な金が稼げない」
「そんなもんかねぇ。BEEの給料は俺なんかより下の、新人でもかなり良いぞ? お前も相当優秀だし、多分採用されてすぐ俺の給料抜くだろうなー」
男はまるで我が子か弟子が巣立っていくのを見守るような瞳でこちらを見、お前は出世するんだろうなぁ、顔も良いしなぁ、なんて笑っている。ジギーとこの男は先程会ったばかりなのだが。……会った時から思ってはいたが、相当気のいい男のようである。ジギーはそう結論付けた。

「ん、まぁ。とんでもねぇバケモノだってことだろうな」

俺にとってはお前もバケモノに見えるけどよ。男は腕を頭の後ろに組み、豪快に笑った。

「そう、そんで。そいつの名前は確かーー」







ジギー・ペッパーはユウサリ中央、夜想道を歩いていた。何をするでもなく、ただ辺りを見回しながら。
「……ヨダカとはえらい違いだな」
整然と並んだ建物、整備された道、活気に溢れる店の数々。もしかしたらこの中に飢えて死にそうな者もいるのかもしれないが、今のところは見受けられない。つまりは、そういうものはいたとしても極僅か、目立たない程度にしかいないのだろう。この街からは死の臭いが感じられない。平和だった。
あの橋を渡っただけでこんなにも世界が変わるなんて、とジギーは無表情にも見える表情の下で驚いていた。
あの橋、ビフレストに程近い、デッド・エンドと呼ばれた街。寂れ、崩れ、全てが終わっていた街。あれが普通だとずっと考えていた。しかしーー。
「まぁ、こんな違いでもなけりゃ、あんな橋で行き来を厳しく取り締まる筈もない、か」
貴族がいれば平民がいる。平民がいれば、その中でも裕福な者と貧しい者が生まれる。どこでも、どの時代においても、階級というものは存在するのだ。
ジギーはふぅ、と小さくため息をついて、角を曲がった。それは"何となく"での行動であり、その先に何か目的があった訳でもない。一つ目的があるとするならば、この街を見て回りたいから。ただそれだけだった。だから、つまり、今起こっている出来事もただの偶然であり、まったくの予想外の出来事なのだ。
「あ、危な……!」
綺麗な声が聞こえた。それは切羽詰まったような色で、そして今まさに角を曲がったジギーの眼前に迫る小さな黒い影から聞こえたような気がした。これを理解するまでにかかった時間はコンマ何秒かのことだった。しかし、理解できたからといってこの状況を回避できるという訳でもない。
そして次の瞬間にはごっ、という耳の奥で聞こえた鈍い音と、そして腹部に感じた重い痛みで、ジギーはやはり状況を回避できなかったことを悟った。そりゃあ、あの距離では何をすることも出来なかったよな……。ジギーは誰にともなく心の中で言い訳をしてずきずきと痛む腹部を押さえながら、目の前で恐らくジギーと同じように痛みを感じているのだろう頭を抱えてうずくまっている小さな影に視線を落とした。
全身を青色の服で包み、白っぽい色のマフラーを首に巻いた姿はこの街に着てから幾度となく見かけた姿であり、そして自分が身に纏うそれと同じものだった。つまり、テガミを遠い所から危険な所、あらゆる所にまで届ける仕事であるテガミバチ。この小さいのもジギーと同じテガミバチだということになる。
「いたた……」
「あ、あぁ、悪い」
「いえ、こちらこそ、急いでいたものですから……」
小さいのが痛みからくる声を上げる。先程聞いた声と同じ、綺麗な声だった。
ジギーはその声を聞き、はっとしたように謝る。自分が悪かった、とかそういうものからくる謝罪の言葉ではなかったが、この小さくぷるぷる震えている姿を見ると何故か謝らずにはいられなくなってしまったのだ。
謝罪の言葉を聞いて小さいのは立ち上がり、ぱたぱたと服に付いた砂を払った。上げた顔は、えらく端正で、暗褐色の瞳が銀の髪の間から覗いていた。その見た目の特徴からして、恐らくアルビス種、とかいう種族の少年だということが分かる。いや、しかし、それにしてもーー。
「小さいな」
「……よ、余計なお世話です! 何なんですかいきなり、失礼な人ですね!」
「あ、悪い」
少年は背のことを気にしているのか、少しむっとしたような顔で反論してきた。
だが、少年の身長が低いということに変わりはない。といっても、それはジギー・ペッパーと比べてのことなのだが。
ジギー・ペッパーは同じ年頃の子供と比べて飛び抜けて背が高い。今の実際の年齢よりも二、三歳上としても通ってしまいそうな長身だった。それに比べると、平均よりも少し下回るくらいの少年の背が小さく見えてしまうのも仕方のないことだったのだ。
「……もういいですよ。それでは、ぼくはこれで」
ふうとため息をついた少年は、蜂の刺繍が施された帽子をぐっと深くかぶり直してから一礼し、そこから去ろうとした。ここに居ても無意味に時間を使うだけだと判断したのだろう。
ジギーはそんな少年をじっと無言で見つめていたが、自分の横を早足に通り抜ける彼の手をぐっと掴んだ。無意識のことだった。
「……ちょっと待て」
「はい?」
少年は目をぱちぱちとさせて、こちらを見上げている。何故腕を掴んだのか、掴んだ本人にも理解できなかった。
ジギーは時間稼ぎとばかりに取りあえず「待て」と言ってみたが、それは逆に墓穴を掘ることになると気付いたのはもうその言葉を発した後だった。
案の定、少年は何の用なのかと興味を持ってしまったらしい。首を傾げて「何ですか?」と聞いてくる。
「……あー……何か奢ってやる」
「は? 別にいいです……って、わ、うわわ?」
言ってしまったからにはもう決行するしかない。ジギーはそんな謎の使命感に囚われ、別にいい、と先を急ごうとする少年を、形振り構わず小脇に抱え上げた。最初何が起こっているのか分からずにぽかんとしていた少年も、事態を理解すると手足をばたばたと動かしてジギーの腕から離脱しようとしてきた。だが、ジギーがそんな小さな抵抗如きで解放する筈もなく。
「ちびは大人しく年上に奢られろ」
「ちょっ……ちびって何ですか、ぼくはもう15ですよ!」
「俺は16だ。ちび」
「ち、ちびじゃないです!」
小脇に抱えたのが何やらきゃんきゃん吠えているようだが、ジギーは気にしないことにしてずんずんと目的の飲食店へと足を進めた。
「そっ、それに、配達完了の報告を館長にしなければならないのです。急いでいると言ったでしょう?」
「館長……あぁ、あの」
自分のことをスカウトしに来た胡散臭い男が脳裏に浮かんだ。
「だったら尚更大丈夫だな。あの館長という生き物は放っておいても」
「ちょ、ちょっと。館長に向かってそんな口のきき方をしたら……」
「大丈夫だ、ここに館長はいない。それに、あの館長はロクな人だという気がしない」
ジギーが館長を名乗るラルゴ・ロイドという男に会ったのは彼がスカウトしに来たあの一回きりで、それもほんの数時間のことだった。しかし、その短時間の間にもそいつの胡散臭いオーラは隠しきれず、というよりも隠そうともしていないようだった。なかなかのキレ者だというのは分かる。が、ロクでもない人間だというのも恐らく事実だ。
うん、報告が遅れたからって処罰するような、しっかりとした館長には見えない。ジギーはそうきっぱりと断言した。
少年はその妙に自信たっぷりな姿を唖然としたように目を丸くして、そして次にはぷっと吹き出した。
「…………ふふ、適当な」
出会ってから、初めて見る少年の笑顔。年相応の、可愛らしい笑顔だった。
その笑顔をぼけっと眺めていると、少年ははっとしたように顔を伏せ、「な、何ですか」と呟いた。笑ったところを見られて恥ずかしかったのだろうか、頬は赤くなっている。
「……お前、名前は」
「は? え、あ、ぼくの名前ですか?」
少年は、間違いなくからかわれる、と身構えていただけに、ジギーの口から飛び出してきた、ある意味常識的な質問に驚きを隠せなかった。というよりも何で今更、と思わないでもなかったが。
しかし少年はまぁいいか、と口を開いた。


「えっと、ぼくの名前はーー」

『そう、そんで。そいつの名前は確かーー』


ジギーの中で少年と先輩の声が重なった。
そして、ジギーの脳内にとある資料に書かれていた文章が蘇るのである。



氏名:ゴーシュ・スエード
種族:アルビス種
備考:テガミバチ採用試験において最速でのグレン・キース撃退という成績をーー





*******後書き***
「ジギーさんとゴーシュの出会い話」でございました。
……ゴーシュもジギーさんもどう考えても別人になってしまいましたが……。
ゴーシュもテガミバチになりたての頃はちょっと子供らしいことろがあったんじゃないかなぁ、なんて妄想しながら書いちゃいました。年はテキトーです。このくらいだったら可愛いかなーという軽い感じで書いてしまいました。が、もしゴーシュとジギーさんがテガミバチになった年とか違っていたら、申し訳ございませんが連絡を頂けるとありがたいですorz
でも、ちょっと子供っぽいゴーシュが書けて私は満足だよっ! ただ、小さい頃から落ち着きのあるクールな子供時代でも萌える、と結局ゴーシュなら何でも好きな私なのでした。

2010.11.22


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