「美味しいですね、ザジ」
「えっ、は、はい。そうっすね」
目の前にはにこにこと幸せそうに笑っているゴーシュ・スエード。彼の前には湯気を立てる紅茶、そして見た目も美しいショートケーキが置いてある。彼は紅茶を上品に口に運び、ほう、と一息ついた。その一連の動作があまりにも完成されたもので、思わず目を奪われる。

ゴーシュ・スエードと言えばハチノスのエースだ。これまで特に接点もなく、ハチノスのホールで度々見かけるに過ぎなかった彼が、今目の前でお茶をしている。何だか不思議な感じだ、とザジは思う。「ゴーシュ・スエード」という一人の人間に接するまでは、「仕事の鬼」「こころがない」「昇進にしか目がない」など、噂に塗り固められたイメージだけで彼を見ていたため、勝手に取っつきにくい人物だと思っていた。顔は良くても性格が悪いというやつだ、と。
ハチノスのホールで見かける彼は、大体の場合において無表情であったし、何よりエースである彼には元より近寄り難い。そのため、噂は益々一人歩きをするようになってしまったのだろう。本人も何も反論しないものだから「ああ、あの噂は事実なんだ」と、誰もが信じて疑わなくなったのだ。ザジ自身も例外ではない。
ザジが、そんな彼とここまで親しくなったのは友人であるラグ・シーイングのお陰に他ならない。
数年前、ラグがテガミバチになってからというもの、ゴーシュ・スエードが笑顔を見せる機会がぐんと増えた。
というのも、ラグが用も無いのにしょっちゅうゴーシュに引っ付いているからである。ついでに言えば、最初は少し警戒しているように見えたニッチも、ここ最近ではゴーシュにやたら懐いたようで、ゴーシュ・スエードの周りには常に二人の子供がまとわりついている状態になった訳である。彼が普段無表情だったのは、ただ単に笑顔を見せる機会が無かったというだけだったのだ。
採用試験での関わりもあり、ラグ・シーイングとは親しくなったザジは、イメージ最悪のゴーシュ・スエードのついて聞いてみたことがある。どいういう人物なのか、と。するとラグは暫く考えた後、満面の笑みを浮かべてこう宣ったのだ。
「んーと、ドジっ子?」
前にぼくがテガミとして届けて貰った時なんかは岩場で盛大にずっこけてねー。滅茶苦茶大笑いしてたら涙目で睨まれたよ。あれは可愛かったなあ。
ラグが楽しそうに話してくるどう考えても信じられないエピソードの数々に、ザジは己の抱いていたゴーシュ・スエードへのイメージがガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。
ゴーシュ・スエードが惜しげもなく笑顔を見せるようになって早数年、あの頃の噂話は嘘のように聞かなくなった。当初は「あの笑顔は偽物だ」「新人を懐柔しようとしているのではないか」というような否定的な噂も聞いたが、それもここ最近は全く聞かない。それどころか、「ゴーシュさんにハンカチを拾って貰った」「挨拶したら笑ってくれた」など、良い話をたくさん耳にするようになった。聞くところによれば、ファンクラブさえ発足してるようである。

そして、そんな人気者とお茶をするザジの目の前にも紅茶とケーキが並んでいた。紅茶の種類に詳しい訳ではないが、これは上質なものなのだろう。香りもよければ味もよい。その透き通った色の紅茶が真っ白なカップの中を満たし、ゆらゆらと揺れていた。
ザジはフォークを手に取りケーキを口に運んだ。途端に口の中に広がる濃厚なチョコレートの味が、日頃の疲れを吹き飛ばしてくれるように感じる。がつがつと食べてしまうのがもったいなく感じ、そのケーキを小さく切って少しずつ食していく。普段は絶対にしないだろう行為だが、この美味しいケーキと、ほのぼのとした雰囲気をまき散らすゴーシュに感化されてしまったのだろう。
「それにしても」
ザジはぐるりと周囲を見渡し、口を開いた。
「こんな店あったんですね。知りませんでした」
今、ゴーシュとザジの居る場所は、とある喫茶店。喫茶店とはいえ様々なメニューが用意されており、レストランとしても活用できてしまうだろう。しかし、主なメニューはケーキ等であり、店も喫茶店であると銘打っているので、やはり喫茶店ではあるようだ。
内装は茶を基調としたもので落ち着いた印象を与える。落ち着きのない自分は場違いなのではないか、とザジは思う。
「実はぼくも最近見つけたばかりで。紅茶もケーキも美味しいし、値段も手頃なんですよ」
「そうなんすか」
手頃な値段とは言っても、ザジがいつも行っている定食屋よりは値が張る。しかし、そう言ってのけてしまえるのは、ゴーシュが大人だからであり、また、高給取りだからでもあろう。ハチノスエース様の金銭感覚は半端じゃない、と前にラグがこぼしていたのを思い出した。
「でも、いいんすか、俺なんかがこんな所に付いて来ちゃって……」
「いいんですよ。というか、来てもらえて有り難いです。来る途中にザジに会えて本当に良かった」
「そ、すか」
そもそもここに来たのは、お茶をしに来たゴーシュが、ぶらぶらとユウサリの街中を歩いていたザジに声をかけたからなのだ。何をするでもなく、敢えて言うのならば散歩をしていたザジは、職場以外では会うことのないと思っていた人物に声をかけられて飛び上がらんばかりに驚いた。しかも、それがあのゴーシュ・スエードと来た。「一緒にお茶でもどうですか?」なんて綺麗な笑顔で問いかけられて、ザジはこくこくと頷くしかできなかったという訳である。
ザジはちら、と嬉しそうにケーキを咀嚼しているゴーシュへ気付かれない程度に視線を向ける。幸せオーラのにじみ出ているゴーシュを見ていると、誰かを思い出すような気がしてならない。
それは恐らく、友人であるラグ・シーイングだろう。ラグもまた、彼と同じようなオーラを放出しているのだ。一緒に住むとなるとやはり似るのだろうか。
そんな他愛の無いことを考えながらザジは手元に視線を落とした。フォークをぎゅっと握っているその手はカタカタと小刻みに震えている。寒い訳ではない。怖い訳でもない。ザジは、ただただ、緊張していたのだった。

 何喋って良いのか分からねぇええ! 助けてラグーーー!

心の中で友人に助けを求めるも、返事が返ってくる筈はなく。ザジはこの静寂の空間であたふたするしかなかった。
そもそも、彼と知り合いだとは言っても、普段はラグを介しての会話しかしたことがない。話しかけようにも、年も離れているし、共通の話題もない。自分ができる話は本当に下らないものばかりで、目の前の彼が普段そんな話をするとは思えない。とはいえ、このまま黙々と食事を摂るというのも味気ない。
どうしたらいいんだ、どうすれば。ザジはだらだらと汗を流しながらケーキを口に運んでいった。
「あ、ザジ。動かないで下さいね」
「えっ」
ザジは、甘くてうまい、とケーキに舌鼓を打ち現実逃避していて、近付いてくる手に気が付かなかった。そして、勿論その頬に付いていたクリームにも気が付かなかった。
「付いてましたよ」
「……ぅ、ぁ」
彼の綺麗な指が己の頬からクリームを掬い、そのまま口へと運んでいく。ザジはそれを、口をぱくぱくとさせて見ている事しか出来なかった。
「ん……、チョコレートも美味しいですね。今度来たらチョコレートケーキを頼むことにします」
「えっ、と、あ、はい。そうですね、チョコケーキうまいっす、よ」
にっこりと微笑んだゴーシュにはっとして、慌てて言葉を返す。
ぎこちない返事になってしまったため、気分を害してしまっただろうかと不安に思っていると、彼はにこにこと笑顔を浮かべたまま口を開いた。
「そうそう、この前空き地にたくさん仔猫がいるのを見付けたんですよ。もう知っているかもしれませんが、この後一緒にどうです?」
「え……えええっ! マジすか、行きます行きます」
「そうですか? それは良かった」
断られたらどうしようかと思いました。ゴーシュはほっと胸を撫で下ろした。その後、ケーキを口に入れ、ふにゃりと笑う。
ザジも緊張していたのだが、ゴーシュ自身も些か緊張気味だったのだ。何しろ、ゴーシュは人付き合いが得意な方ではない。何を話していいのか分からない、というのはゴーシュも同じだったのだ。
だが、ラグに聞いたザジは猫好きという話を思い出して、先程の言葉である。案の定ザジは食いついてきたし、緊張もある程度解れたようだ。本当に良かった、と安堵したゴーシュに対し、ザジの頭の中はもうゴーシュとたくさんの猫であふれていた。
ゴーシュがたくさんの猫と戯れる姿を想像すると、にやけずにはいられない。ただし、不審に思われてしまうといけないので、にやけるのはなんとか頭の中だけに留めたが。
そして、それは間もなく現実のものとなるのだ。

「あー……なんか、幸せかも」

こんな非番なら、いつでも大歓迎だ。
最初感じていた居心地の悪さはどこへやら、ザジはそう考えながらゴーシュに倣って再びケーキを口に運んだのだった。





*******後書き***
「ザジとゴーシュでほのぼのお出かけ」でした。
リクエストに応えきれていない部分もありますが……。自分の書きたかったものを節操なく書いていったらこうなってしまいました。
ちなみに、料金はゴーシュが払いました。自分も払う、というザジを押し切って。
↓こんな感じですか。

「あっ、ゴーシュさん、俺も金出しますよ」
「いえ、無理矢理付いてきて貰ったのですから、お金くらい払わせて下さい」
「でも……」
「いいから。子どもは大人に甘えるものですよ?」
「……あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」

こんなだったら可愛いなぁ、と思っております。

2010.09.08


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