郵便館BEE-HIVEには、そこで働く者のために食堂が設けられている。
二十四時間年中無休で営業しているそこは、定休日のない、不規則勤務の主なテガミバチたちにとって非常に有り難い存在だ。
配達前に軽く食べるもよし、休憩時間にゆっくりするもよし。大変使い勝手のよろしいことにボリュームのある定食からファストフードのようなもの、ティータイムにはもってこいの紅茶やコーヒー、デザート等、メニューも豊富に揃っている。その上味も一級品ときたら人気が出ない筈がないのである。
今日、初めてその話題の食堂に足を踏み入れたラグ・シーイングはその広さに目を輝かせた。隣ではニッチが、食堂に漂ういい香りに気付いたのかこちらも目を輝かせ、ラグの後ろに隠れながらではあるが軽く身を乗り出した。ニッチの頭の上に乗っているステーキも同様に涎を垂らして食事が待ちきれない様子である。
子どもらしい姿に頬を緩ませ、かわいいなぁ、なんてことを考えているのはゴーシュ・スエード。二人の保護者のような存在で、BEEとしての腕は凄まじく優秀なこのハチノスのエースである。
ゴーシュは「とりあえず座りましょうか」と二人を食堂の中でも隅の席へ導いた。彼の相棒であるロダは慣れたようにその傍らを歩いている。
「すごく広いね! 中も綺麗だし……」
「ええ、人が多いときでも席に困ることはあまりないようですよ」
ふえー、と感嘆しながらラグはあたりを見回した。すると丁度視線の直線上にあったテーブルに座っている男とばっちり目が合ってしまった。男は慌てたように視線を逸らしたが、それでもこちらをちらちらと伺っているのが分かった。
何だろう、と思いながらもう一度意識して食堂を見回すと、目が合うこと合うこと。これは、どう考えても見られている。
ラグはちらちらと、しかし容赦なく向けられている視線に少しばかり居心地の悪さを感じたが、ゴーシュは気にした様子もなくにこにことしたままニッチと一緒になってメニューを広げている。気付いていて無視しているのか、それとも全く気付いていないのか。
恐らく後者だろうな。ラグはそう結論づけて笑った。ぎこちない笑みになってしまったのは仕方がないと思う。
「ゴーシュはここ、よく使うの?」
「いえ、入るのは……2、3年ぶりになるでしょうか……」
「2、3年って、ええっ、使ってないの!?」
こんなにも広くて綺麗で、味もよしと評判なのに。
驚きゴーシュを見ると、苦笑しながら説明してくれた。
「まぁ……普段はなるべく家で食べるようにしていましたし、そうでなければシルベットに作ってもらったお弁当とか、買っておいてある缶詰のスープでしたからね」
「うげ、あのスープか」
「失礼な。うげ、とは何ですか」
「ぼくね、ゴーシュのこと好きだし尊敬してる。でもそのスープに対する味覚だけばどう考えてもおかしい」
ゴーシュは首を傾げて「そうですか?」等と呟き疑問に思っているようだが、周囲からしてみればその味覚こそが疑問である。他の味覚に関しては普通だと言って差し支えないというのに、あのスープに関してだけは何故か異常になってしまうのだ。
それにしても、とラグはゴーシュに悟られぬよう小さくため息をついた。
ゴーシュがこの食堂をあまり利用していないのだとしたら、周囲から容赦なくびしばしと向けられている視線については簡単に説明がつく。そう、ゴーシュ・スエードが食堂にいるのがただ単に珍しいから、視線が向けられているのだ。
これがそこらのハチノス関係者であれば、いくら普段利用していなくても誰も見向きもしないだろうが、それがこのハチノスのエースともなれば話は別である。
ゴーシュはそんな周囲の視線に臆した風もなく、ニッチとロダと共に「どれもおいしそうですねー」とメニューをぱらぱらめくっている。しかもそれがほわほわとした空気の中、幸せそうな笑顔で行われているものだから、周囲の視線もどことなく幸せそうな、しかもぽわーんとした感じになってきている。
どこにいても遺憾なく発揮されるゴーシュの天然たらしスキルに、ラグはもう気が気でなかった。

「あ、あの」
「はい?」
ラグは反射的に答え、声のした方を振り向くと、いかにも気の弱そうな青年が一人、、そこに立っていた。
青年の熱く見つめる先にぽややんとしたゴーシュがいるのを確認し、ラグはため息をついた。また一人、たらし込んだんだね、ゴーシュ……。
「ゴーシュ・スエードさんですよね? ぼく、そ、その、ファンでして!」
できればサインしてください! と、青年は制服の前をがばっと開けて白いシャツを示した。気弱そうな外見からは想像のできない大胆な行動である。今ここに露出されているのが彼の裸でなかった分、よしとしようか。もし裸だったらゴーシュの精神衛生上よろしくない。
「だめです」
ゴーシュは鋭い視線で青年を射抜き、冷たく言い放った。
「制服にラクガキをするなんてぼくには耐えられませんし、大体、サインなんてどうするんですか?」
おおっ! ゴーシュのことだから「いいですよー」なんて笑ってサラサラ書いちゃいそうなのに、なんてまともな受け答えなんだ!
ラグはゴーシュがまともに断ってくれたことにある種の感動をおぼえていた。同時に「ゴーシュのサインは一部の人たちにとってはかなり価値のあるものだよ!」と言いかけたが、それは黙っておくことにする。言ったとしてもゴーシュは恐らく理解してくれないだろうし、理解させる気もラグにはなかったからだ。
「お気になさらず。ぼくはサインを集めるのが趣味なのです。それに、このシャツは仕事では着ません、普段は家で大事に保管する予定です」
堂々と適当な事を言う青年が、ラグはちょっとだけ眩しく見えた。嘘はあまりつきたくないが、それでも「どうだ!」と言わんばかりに自信満々につくというのは、嘘の下手なラグにとっては少し憧れるものがあった。
それにしてもサインを集めるのが趣味だなんて、どう頑張ってもバレバレな嘘である。たとえそうだったとしても、何故シャツにサインをする必要があるのか問いつめたいところだ。というよりも、仕事で着なくても家で着るんじゃないか? という疑惑までもが浮かんでくる。
「でも、それに書いてしまったら、今日の仕事はそれを着てこなさなくてはならないことになりますよね」
「それは、そうですが…………」
よく言ったゴーシュ!
ラグは内心ガッツポーッズをし、ゴーシュの成長を喜んだ。正論を突きつけられた青年は、先程までの堂々とした態度から一転、外見に似つかわしい気弱な雰囲気を纏いはじめている。
普段はぽややんで無防備なゴーシュも、ついに自衛を覚えたのだ。元々ゴーシュは理論的な思考が得意なのである。口下手で予期せぬ事態に出くわすとすぐに慌ててしまうのが難点だが、落ち着いていれば淡々と鉄壁の正論を突きつけることができるのだ。
これでぼくらの心労も減るよね、とロダに喜びの視線を送るが、彼女は困ったような表情で首を小さく横に振った。
どうしたのだろう、と考えを巡らせていると、ゴーシュが何か思い付いたようにぱん、と両手を打ち慣らした。
「あ、それでしたらぼくの予備のシャツがあるのでそちらに」
「えっ、ほ、本当ですかっ」
それでしたら是非! と、青年の気弱な態度がまた一転、喜びを全面に押し出したものに変わる。
「ちょぉおおっと待ったぁああぁあ!」
「ら、ラグ? どうしたんですか?」
突如として立ち上がり肩で息をしなければならない程に絶叫したラグに、ゴーシュは呆気にとられたように目を瞬かせた。ぽかんとしているゴーシュを前に、ラグは少しでも「ゴーシュが自衛を覚えてくれた」と思って感動した自分が情けなかった。ゴーシュは、自衛の「じ」の字もしらない男なのだ、そう簡単に自衛というものを覚える筈がなかったのである。ロダの困ったような表情はこういうことだったのだ。ゴーシュにとって、サインも、自分の予備のシャツの価値もほとんどないようなもので、問題だったのは「ラクガキされた制服で仕事をするなんて言語道断!」という、それだけだったのだ。
「あの!」
「は、はい?」
「ぼくたち今から食事なので! 今日のところはお引き取りくださいませんかっ!?」
「…………は、はい」
青年はラグの剣幕に気圧されたように後退りし、そしてくるりと背を向けて食堂から走り去っていった。
ゴーシュはというと、予備のシャツを取りだそうとした状態のまま呆気にとられている。しかし、青年が立ち去ったのを見て気を取り直したようにメニューを凝視しているニッチに「決まりましたか?」と声をかけていた。
何だったのだろう、程度のことは考えているかもしれないが、まるで何事もなかったかのように先程の出来事を流してしまったゴーシュに、ラグは深い深いため息をついたのだった。

「ゴーシュ、ぼく、ゴーシュのことは何が何でも守っていかなくちゃなぁ、って改めて思ったよ」





*******後書き***
毎度思うのですが、私はタイトルに沿って内容を考えることができないようです。
とりあえず今回は、「ゴーシュの考えはぼくの四段上を行ってるよ……(byラグ」的な意味で見て頂けたらなぁ、と思います。
天然たらしな保護者を持ってラグも大変です(笑)

2010.06.17


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