天候というのは実に気まぐれなものである。

先程までは晴れ晴れとしていた空を、今は雲が厚く覆い、更には雨まで降り出す始末。店の軒先でゴーシュ・スエードはぼんやりと「傘を持って来ればよかったなぁ」なんて考えながら、ちらと右下に視線を落とした。
そこにはうずうず身体を揺らし、と今にも雨の中に飛び出してしまいそうな少女が立っている。今はなんとか踏み止まっているものの、何かの拍子に飛び出していってしまいそうだ。
少女−−ニッチは、澄んだ深い青の瞳をくりくりと動かして、目の前を行き交う人々の動きを追っていた。伝説上の生物でもある摩訶の血を引くこの子どもは、その華奢な見た目とは裏腹に単純な戦闘能力はゴーシュにも勝り、また、かなり体力もかなりある。それゆえ、たとえこのどしゃぶりの雨の中を家まで走って帰っても、その程度ならば風邪も引かないのだろう。しかし、ゴーシュはそんなことをさせるつもりはなかった。
いくら少女が見た目より長く生きていようと、丈夫だろうと、中身はラグよりも年下とも思える程に幼い少女なのだ。雨に濡れるのを普通だと覚えて欲しくないというのもあるが、ゴーシュは結局のところはただただこの少女のことが心配なのだった。
「ニッチ」
「!?」
今まさに雨の中へ一歩踏み出そうとしていたニッチは、急にかけられた声にびくんとし、そろそろと前に出していた足も上げた状態のまま固まってしまった。金色の剣とも呼ばれているその髪は硬度を増しピンと垂直に伸びている。
イタズラが見付かった子どものようなその姿にくすりと笑みを零し、安心させるようにその頭にぽんぽんと手を乗せた。ふわふわとした柔らかい毛の感触が手袋越しにも伝わってくる。
硬化していた髪も、次第に頭部のものと同じ柔らかさを取り戻し、やがてはさらりと重力に従い滑るように落ちた。
「ゴーシュ」
青の目がゴーシュを見上げている。なんでしょう、と優しい笑みを浮かべているゴーシュを前に、ニッチは少し躊躇いながら、ゆっくりと辿々しく言葉を紡いでいく。
「……ニッチはこれくらいの雨はへーきだ。よゆーだ。だから、かえれるぞ」
余裕、なんて言葉を教えたのはザジあたりだろうなぁ、と考えながら、ゴーシュは辺りを見渡した。この辺りは食料品や飲食店などの店が軒を連ねていて、美味しい物が揃っていることを主張するような看板や、天気がよければ時折良い匂いも漂ってくるような場所でもある。ゴーシュはその中に目当てのものを見付け、じっと視線を送った。
何か話しかければ、いつもはすぐに何かしらの反応をくれるゴーシュだが、今回は何も言わないで何やら考え込んでいる様子で、ニッチは首を傾げた。もう一度呼びかけようかと考えたところで、今度はゴーシュが口を開いた。
「あそこの喫茶店」
ゴーシュの視線と指が示す方にニッチも顔を向けた。そこには少し古めかしいような佇まいの喫茶店があった。しかし、人の入りはなかなかにあるようで、店内にはちらほらと人の姿を見て取ることができる。ゴーシュはそこに視線を送ったまま、言葉を続けた。
「あそこで雨宿りしませんか。ケーキが絶品だとも聞いていますし」
「…………むむぅ……」
ゴーシュの言葉を受けて、ニッチは腕組みし、目を固く閉じて唸り始めた。
今、ニッチの頭の中にある天秤は均衡を保っている状態なのだろう。いや、「今すぐにでも家に帰ってラグと過ごす」の方向に僅かに傾いているかもしれない。ニッチにとってラグは何者にも代えることのできない唯一無二の存在である。ニッチはいつも片時も離れずにぴたりとラグの後ろに引っ付いているのだ。今すぐ帰りたいのは当たり前か、とは思うものの、ゴーシュは今回ばかりは引く気はなかった。
断られたらどうしようか、と考えているとそのうちにニッチは唸るのをやめ、再びゴーシュをその綺麗な海色の瞳で見上げていた。
「わかった。ゴーシュのことをたのむとニッチはラグにお願いされた。だからいっしょにいてやる」
ニッチはふん、と胸を張るように腕を組んでふんぞり返った。しかし、その顔は決して不満だという色を見せず、どことなく緩んでいるようにも見えた。
最初に会ったときにはゴーシュを避けるように、いや、拒絶するかのように過ごしていたニッチであったが、ここ最近ではそのようなこともなくなり、今回のように一緒に買い出しをするにまで仲が進展していた。
ニッチにとってラグは唯一無二の存在であることに変わりはないのだが、しかしゴーシュと共に過ごすこと自体は嫌いではなかった。というのも、ゴーシュ・スエードの纏うその柔らかな雰囲気が、上手く言葉に言い表すことは出来ないが、とにかく居心地が良いのだ。日向に寝そべる猫のような気持ちになれるその場所を、ニッチはその居心地の良さを直感的に理解していた。
「ふふ、ありがとうございます。では、行きましょうか」
この優しい笑みを見ることができるのならば、ラグといる時間を少しだけ、ほんの少しだけ削ってあげてもいいのかもしれない。そう考えながら、ニッチはゴーシュに渡された鞄を頭にやり、雨を凌ぐようにして目的の喫茶店に走るのだった。





*******後書き***
ニッチの髪がゆっくりと柔らかさを取り戻していくシーン(デッドエンドの時とか)が大好きです。
最初はゴーシュを毛嫌いしていたニッチ。理由はラグがゴーシュに取られると思ったから、みたいな、そんな話が読みたいです。
やっぱりニッチはかわいい。

2010.05.27


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