「せ、セイバー、みてみて、わたし、化学、100点だった」
「おめでとう名前」
「うん。間桐先生が、教えてくれた、おかげだ、きっと」
ふおお。
お礼を、しにいこう。
にやにやしながらテスト用紙を持って、かばんに入っている小さな包みをひとつ、取り出す。
「セイバー、これ」
「ん、なんだ、この包みは…あ、甘い香りがしているが」
「クッキー、です」
間桐先生のお礼にと作ってきたものを、セイバーやウェイバーくん、ディルムッドさん、この前のお礼で遠坂先生の分、ついでで生徒会長の分も持ってきた。
セイバーははちきれんばかりの笑顔でありがとう、と言ってくれて、とても眩しかった。
「とても美味しいぞ、名前。間桐先生も喜んでくれるだろう」
「よかった」
ウェイバーくんやディルムッドさんに渡し終えて、私の手の中にある残りは三つとなる。
遠坂先生は職員室にいるとして、間桐先生はきっと生物準備室だし、あの生徒会長は後でいいや。
いや、あの生徒会長にあれ以来会っていないし、わ、なんか、すごいいやになってきた。
冷や汗を拭いつつ職員室に入る。
「あ、の、遠坂先生は、いらっしゃいません、か」
「先程帰られた」
「わ、」
「師に、何か用か」
入り口のところで立ち止まっていると背後から低い声が響く。
振り向くと、すぐ後ろに言峰先生がいて、入り口付近でプリントを眺めていた衛宮先生は音もたてずに職員室の奥へ姿を消した。
「あ、あの、こ、これを、ですね、遠坂先生に、」
「ああ。分かった」
び、びっくり、した。
だって気配が、気配が。
思い出したように冷や汗がどっと流れてきて、残りの二袋をもつ指先ががくがくと震える。
心臓に、悪い。
、は、そう、だ。
手の中にある残りの二袋を見つめながら、は、と思いつく。
「こ、これ、あの、一つ、貰い手が、いなくてですね、よかったら、言峰先生、どうぞ」
「私に、か」
「は、い」
「生徒会長に、ではなくて、私が受け取るのか?」
「、え」
裏に、と言われ、声が漏れた。
裏に、ひとりずつ、名前を書いたのを、忘れてた。
と、とんだ失礼を。
どうしよう。
なんか、あわてて、埋め合わせたみたいな、や、実際近いけど、とても、最悪な、感じに。
「す、すみません、あの、」
「双方共、私情で会う予定があるのでな、渡しておく」
「あ、す、すみません、ありがとう、ございます」
「いや、君にはこの間の資料の件の借りがある」
本当、このひともこのひとで、すごく、優しいというか。
取り敢えず、感謝、だ。
頭を下げると、気にするな、と言ってそのまま職員室の中へ入っていってしまった。
遠くなっていく背中に、あわててあの、と声をかけた。
言峰先生はぴたりと立ち止まって、首を少しこちらに向ける。
「あ、の、今度、先生に、クッキー、作って、きます」
「気を使うことは…」
「か、借り、です」
言峰先生は、ほんの少し、分かるか分からないかくらいのラインではにかんだかと思えば、そうか、とだけ言っていた。
一礼して、そのまま職員室から出ようかと思っているとと、物凄い勢いでこちらへやって来た衛宮先生に出入口での立ち話は控えるように、と胸ぐらを掴まれる。
ぱ、と離されたかと思えば衛宮先生は勢いよく職員室を飛び出していって、何故か相次いで言峰先生が職員室を出ていった。
よ、よく分からん。
さ、残りは一袋。
包みを見つめながら、軽い足取りで生物準備室へ向かう。
それは、フランスのやつよりは美味しくはないだろうけど、一応、甘さは控えてみた。
間桐先生、甘すぎるのは、苦手みたいな感じだったし。
よし。
たぶん、へいき。
深呼吸を大きく、一回。
少し開いているドアのドアノブを握って、力を込めた瞬間だった、間桐先生の、声が聞こえたのは。
低く、今まで、聞いたこともないような、重い。
会話、というよりは、どうやら通話のようだった。
電話、かな。
終わるまで、待とう。
「…用件は何だ」
あまりに低く、唸るような声は、今にも爆発しそうな何かを押さえ付けているようでもある。
お、怒って、る?
「…何を、言っている?」
ワンテンポ空けて、間桐先生から息と共に漏れた声は、焦燥と無心の両方を孕んでいるようだ。
ひとつ、大きな音がした。
机を、叩いた音だ、たぶん。
「ふ、ふざけるな!あ、葵さんは、凛ちゃんは、!あの子の気持ちはどうなるんだ!」
完全なる焦燥、怒り。
響き渡る怒号に肩が跳ね、危うく持っている包みを握りつぶしそうになってしまった。
「それは違う!これが、これが喜ばしいことだと!狂っている!それこそ偶像の理想論だ!」
怒鳴るように、嘆くように、間桐先生は掠れた声で何度も息詰まりながら、叫んでいた。
ふ、と音が止まったかと思うと、空気を震わすような低い声が、落とされるように、響く。
「時臣貴様、…俺は、俺はお前を許さない。あの子の、桜ちゃんの幸せを父親手ずから奪うと言うのなら、俺はお前を殺す…」
は、と思わず悲鳴を飲んだ。
深く、暗い何かに絡み付かれたかのような感覚に頭痛がする。
思わず頭を抱え込んだ。
携帯を放り投げたらしい音と、机を何かで叩いた音がして、抱え込んでいた頭を上げる。
息が詰まった。
呼吸すらできない。
膝は笑い、完全にドアの前に座り込んでしまっていた。
今まで、聞いたことの無い、間桐先生の、激昂した、声。
相手はきっと、遠坂先生、だ。
くらくらしてくる頭の中で渦巻く、殺す、という単語。
桜、という、誰か。
手の中にある包みを見ながら、さすがに、今は、空気読めてないよなあ、とリュックに突っ込む。
そのまま覚束ない足取りでゆらゆらと校舎から出ると、朝は頭上で輝いていた太陽が、すっかり雲の隙間に隠れてしまっていた。
湿った空気と、悪天の気配に、折りたたみ傘はあっただろうか、とぼんやりと思った。
・ここから怒涛