想像した通り、多目的室は丁度良く暖かく、その中で生徒会長はソファーにふんぞり返って高そうなマグカップでホットコーヒーを飲んでいた。
授業中だと言うのに。
ひとのこと言えないけど。
また偉そうだなあ、と思いながら中に入ると、不意に頭を小突かれ反動で涙が出そうになってしまった。
「…何だ、その情けない面は。王の面前であるぞ。控えよ」
「すみま、せん」
泣くのをなんとか堪えながら、包帯の巻かれた指先と血のついた紙袋を見せると、生徒会長はぼそりと不細工、と呟いて私の額を指で弾いた。
生徒会長は血のことについて特に何も言わず、紙袋をぶん取って寒いだなんだとぼやいている。
もう一度すみません、と謝ると、今度は黙れ不細工と言ってきた。
そこそこむかついたものの、抑えてありがとうございました、とぼそぼそ言うと、何故か頭をはたかれた。
「して貴様、金曜の放課後はどこへ向かった」
金、曜。
寒気がして、冷や汗がはたはたと首筋や額を伝う。
家です、と苦し紛れの嘘を言う前に、生徒会長はすかさず家ではないな、と口を挟む。
す、鋭いというか、めざといというか。
「し、私情で、行くところ、がありまして、あ、何故、そんな、こと」
「戯け!貴様が意味の分からぬ事を我にぼやくだけぼやいて気を失ったからであろうが!そ、それも、許可無く我にべたべたと触れおって!万死に値するぞ!」
「あ、え、」
そ、うだ。
本題は、それだった。
流石に、意味の分からない事をしてしまった。
それも、運んでくれた、とか。
どういった、お礼を、すれば、いいのやら。
土下座、というのが浮かんできたが、この人にたいしてそこまでするのはどうも癪であったため、スタンダードに腰を半分に折って頭を下げた。
「あ、す、すみません、でした。私、いろいろ、混乱、してて、あの時。あ、熱も、あって、あの、き、気にしないで、ください」
「…元より気にしてなどおらんわ。只、雑種の甘言に乗じてやったまでの事」
甘、言?
なんの事であろうか。
首をかしげながら考えていると、生徒会長はふん、と鼻を鳴らしてソファーにふんぞり返った。
訳の分からないまま、心当たりを探していると、ふと、先程うやむやになったセイバーとのやり取りが頭に浮かんでくる。
まさか、と思った。
しかし話の筋道からして、可能性はかなり高い。
恐る恐る、ソファーでふんぞり返っている生徒会長を見やった。
なんだ、見るな、と癇癪をおこされたものの、震える口を開いてあの、と言う。
「あの、わ、私、の、こと、追いかけて、くれた、と、か」
生徒会長は、何も、言わなかった。
紙袋からとっととブレザーを引っ張り出して着ている。
沈黙が、逆に。
冷や汗を流しながら生徒会長は顔を背けて、もう一度見るな、と言った。
生徒会長、と肩に触れてみる。
生徒会長は、驚いたように急にこちらを見上げて目を見開いていた。
触るな、くらいは、覚悟してい、た。
急に触れていた方の手首を掴まれてぎょっとする。
生徒会長が似合わないような小さな声音で名字、と呟いた。
「…我は、」
目を細めて、それはそれは似合わない表情で。
初めて見る、その顔に、少し焦る。
え、と聞き返そうとした瞬間、閉められている窓を突き抜けるかのように、高い機械音が響いてきた。
時が止まったかのように、生徒会長は静止して、私の手首を落とすように離す。
静止したままこちらを見ていた生徒会長は、我に返ったようには、と言って顔を押えながら何故か蹴ってきた。
ええ、意味分からん。
しっかり靴跡の付いたスカートをはたはたと払いながら、音の近い窓を覗いてみた。
中庭には一台の救急車が止まっている。
なんで、救急車、が。
首をかしげながら、未だ顔を押えてソファーに蹲っている生徒会長を小さく呼んでみた。
予想通り微動だにしない生徒会長のことをあきらめて、慌ただしくしている救急隊の人々をぼんやり眺めていると、中から、赤。
見たくもない、赤が、担架と共に、校舎から出て来る。
、あ、と声を出してから、視界が、弾けるように白く、染まって、見えた、担架に横たわる、酸素マスクをつけた、白。
「ま、とう、せん、せい」
何か、思考回路のようなものが、途切れて、気付けば、一直線に、中庭に向けて、足が勝手に動いていた。
「おい、名字!」
生徒会長の大きな声も、耳からすり抜ける。
普段から、あまり動かしもしていない足の筋肉を、必死に動かしている自分がいた。
階段を駆け下りて、中庭に飛び出したものの、救急車は既に門の傍まで速い速度で動いており、走ったからといって、到底追いつく程の距離ではない。
ぐ、と一度歯噛みしてから、上靴のまま救急車目がけて走り出す。
走った瞬間にすれ違った遠坂先生が何か言っていたが、今度こそ何も耳に入らず、追い付く筈のない車目がけて私は只、何も考えずに走っているだけだった。
「っ、あの大馬鹿者めが、!」
「…王?」
普段、散々威張り散らし、そして、慢心もいいところのあの男が、髪を乱し、息を切らしながら、先程駆け出して行った女生徒の後を追うように走っていた。
正気か、と思い一応声をかけてみると、奴はどこだ、とらしくもなく少し焦りを孕んだ面持ちで声を荒げる。
「この先にある市立病院だと思われますが…」
「この我に苦労を掛けさせ追おって!」
怒るように、呆れるように叫んだ男は、あろうことか女生徒と同じように上靴のままここから中々距離のある市立病院へと走り出したのだ。
止める間も無しに走り出したその背中に、虫酸が走った上に、通り越して呆れまで生まれた。
些か気に食わないが、まあ良い。
向こうには同行した綺礼がいるだろうし、あの男もそれ程まで目立った行動を取らない筈だ。
溜め息を漏らしてから脳裏に浮かんできたあの女生徒の顔を思い出し、状況を掻き回す事だけは止めてくれ、と考える。
まあしかし、あの時の、あの女生徒のあの表情。
刺されなかった事に関しては、運が良いというか。
あれもあれで、何故あのような落伍者に執着するものなのか。
不思議で仕方ない。
愚かなのだ、あれらは。
思考回路が、決定的に。
我々には到底理解の及ばない。
ここまで来れば、哀れなのだ、あれらは。
彼らの出て行った門を見つめながら、少し、嘆いた。